桐子
2024-06-24 00:15:57
2781文字
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最愛⑥(父水)


風呂につかって出てくると、ゲゲ郎が布団を敷いてくれていた。肘をついて横になっていたゲゲ郎は、ぽんぽんと自分の隣を叩いて言った。
「今夜は一緒に寝よう」
「ああ」
水木は素直にそこへ横なった。ゲゲ郎が電気を消すと、暗闇の中で二人の息遣いだけが聞こえてくる。湯たんぽを入れてくれているせいか、布団の中は温かい。
――――これが親子三人で過ごす最後の夜だ。
水木はゲゲ郎の胸元に額を押しつけた。いい匂いがする。水としめった土、森、線香のような香り。久しぶりにその匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。こうして彼に抱かれているととても安心できる。ゲゲ郎はそんな水木の背中を優しく撫でていたが、不意に話し始めた。
「番になった“雄”と“雌”は、お互いにしか発情しなくなる。そして“雌”はうんと子を孕みやすくなる」
「そうか……
「まあそれも幽霊族同士の話じゃ。だがのう、お主は強いくせに、いろいろと気に病みすぎる。どこまで話したものか考えておった」
そのうちに水木は孕んでしまい、ゲゲ郎はさぞ慌てたことだろう。寿命が長いせいかそういう気性なのかは知らないが、のんきな男だ。水木が突然妊娠したのは大事件だったに違いない。
「水木、わしはお主を愛しておる。お主がいなくなることが耐えられん」
「分かってるよ」
水木は小さく笑って言った。
「俺だって同じだ。俺だってもう、お前や鬼太郎がいない生活なんて考えられない」
赤ん坊だった鬼太郎を引き取ったばかりの頃は、母も生きていて、文句を言いながらも鬼太郎の世話を手伝ってくれた。母が死に、目玉だった男が人型に戻れるようになり、男三人での生活が始まった。慣れない育児と仕事の両立はしんどかったが、赤ん坊を世話する母の楽しげな顔や、ゲゲ郎ののんきな笑顔、日々大きくなる鬼太郎の成長を見られるのは嬉しかった。
でも、もし――――もしもこの子がそこに加わったら、どうなっていただろう。
「なあ、よかったら、撫でてやってくれないか」
水木は顔を上げて、ゲゲ郎にそうねだった。男は何も言わず、黙って水木の膨らんだ腹を撫でてくれた。
「ここにいるよな、俺たちの子」
「ああ。お主によう似た可愛い子じゃ」
「お前そっくりかもしれないぞ。だとしたら鬼太郎にもそっくりだな」
「そうじゃな。……もし女の子じゃったら、嫁に出したくないのう」
「気が早いんだよ」
水木は吹き出した。笑いながら、涙が溢れてきた。ゲゲ郎は何も言わず、その涙をぬぐってくれた。
ありもしない未来を語るのは、ひどく滑稽だ。だが、それでも今はそんな夢物語が聞きたかった。ぽつり、ぽつりと二人で語り合っているうち、水木はいつしか眠りに就いていた。


りん、ちりん。
どこからか聞こえてきた鈴の音で我に返る。
赤、青、黄色――――色とりどりのクレヨンが、ちゃぶ台の上に広げられている。
水木は頬杖をついて、真剣な表情で絵を描いている娘のつむじを見下ろしていた。彼女は今、ゲゲ郎のことを描いているらしい。プレゼントするそうだ。
「ととの髪は、みじゅいろ」
「そうだな」
舌足らずに「水色」を「みじゅいろ」と発音するのがおかしくて、思わず笑いそうになってしまうのをぐっと耐える。そういえば鬼太郎も、幼児の頃は「みじゅき」と言っていたなと懐かしかった。
「これはとと、これはにいに、これはかあしゃん」
いつの間にか、家族全員の絵になっている。年の割によく描けていると思うのは親のひいき目だろうか。
「上手に描けてるなあ」
「うむ。将来は画家か漫画家じゃな」
「あっ、とと」
娘はぱっとクレヨンを放り出して、ゲゲ郎の足にしがみついた。
「おお、ととじゃよ」
ゲゲ郎はひょいと娘のことを抱き上げ、高い高いをした。背の高いゲゲ郎のおかげで本当に高いところまで持ち上げられているが、娘は楽しそうにきゃっきゃっと笑っている。
「随分大きくなったのう」
「うん!」
娘は嬉しそうに笑い、ゲゲ郎にぎゅっと抱きついた。
「とと、しゅきー!」
「はは、わしも好きじゃぞ。だから絶対嫁にはいかんでくれよ」
ゲゲ郎は微笑んで、彼女の頭を撫でた。また同じこと言ってるな、と水木は呆れるやらおかしいやらで吹き出してしまった。よほど娘を嫁にやりたくないらしい。目の中に入れても痛くないとは、こういうことだろう。
「ぷっ、くく……
「何がおかしい」
「いや、本当に嫁に行くとき、大変だなって思ってさ」
ゲゲ郎はすねたように唇をとがらせた。それがおかしくて、とうとう腹を抱えて笑ってしまった。笑いながら、涙が溢れて止まらなくなってしまう。本当にこの子が嫁に行くまで大きくなってくれれば、どんなにいいだろう。
「かあしゃん、だっこ」
父親の腕の中が飽きてきたのか、娘は水木に向かって手を伸ばした。
「ああ、おいで」
娘は、水木に抱っこされて幸せそうな笑みを浮かべた。ゲゲ郎そっくりな、のんきな笑顔だった。
……お前を産んでやれなくて、すまない」
小さな体は温かくてやわらかい。生きている証拠だ。
「かあしゃん、どうしたの? おなかいたいの?」
心配そうにぺたぺたと顔を触ってくる娘に、大丈夫だよと笑う。なんて愛しくて、温かい存在だろう。こんな命を奪おうというのか。水木は泣きながら、その体を抱きしめ続けた。


ーーーーちりん。


朝の明るい日差しが障子越しに差し込んでいる。まぶしくて目を覚ますと、眠る前と同じ姿勢のゲゲ郎と目が合った。
……おはよう、水木」
そう言いながら、白い指が水木の目元を拭う。そうされて初めて、自分が泣いていたことに気が付いた。
「夢を見たんだ」
水木はぽつりと呟いた。
「俺と、お前と、鬼太郎と、赤ん坊と四人で暮らす夢だった。……幸せな夢だった」
彼は黙って、水木の話に耳を傾けている。
「ゲゲ郎…………
あとは言葉にならなかった。涙が溢れて、しばらく嗚咽を止めることができなかった。ゲゲ郎は水木のことを抱きしめながら、落ち着くまで何も言わずに待っていてくれた。
「わしも同じ夢を見ておったよ」
やがて涙も涸れ果て、しゃくりあげる声もおさまった頃、ゲゲ郎はそう言った。
「わしも水木と、お主によく似た女の子と、みんなで過ごす夢を見ていた。とても楽しい夢じゃったよ」
「そっか」
水木は小さく笑って、彼の胸に顔を埋めた。きっと三人で過ごす最後の夜を惜しんで、この子が見せてくれた夢なのだろう。
「なぁ、ゲゲ郎」
「ん?」
着物を握る手に力がこもる。きっとこの選択を後悔しない日はないだろう。どちらを選んでもその先に待っているのは悲しみだ。だが、それでも自分の身勝手な考えのために我が子を犠牲にすることだけはできなかった。


「俺のことを、お前たちと同じ幽霊族にしてくれないか」