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7flowerS
2024-06-23 07:11:21
3816文字
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むかしの話⑤ 切腹前夜
織田姉弟の昔話。二度目の謀反が露見し囚われた信勝。弟を逃がそうと姉は夜の地下牢にやってくるが信勝は拒否する。自分はここで死ぬべきだと。連載の夫婦ごっこから過去話のみ抜粋。
「ここから出ろ、外に馬を待たせてある」
「
……
姉上」
やっと全てうまくいったのに姉はまた弟を助けにきていた。いや、ただ甘やかしているのだろう。
(ずっと子供だと思われてるんだろうか、謀反までしたのに)
弟は牢屋の格子の影でこっそりため息をつく。すると姉が牢屋の鍵を錠前に刺したので慌てて止める。
「やめてください」
「馬鹿言え、さっさと牢を出ろ。お前は遠くの寺でしばらく隠れていろ。流石に城の近くだと信勝を生かすべからずのやつが多いんじゃ」
清洲城の地下の一番広い牢屋。そこに柴田勝家に謀反を密告された信勝は捕えられていた。やっと死ねると安堵していた弟の元へ姉は「しばらく遠くで身を潜めろ」と牢屋の鍵を持ってきた。
「姉上姉上、落ち着いてください。いいじゃないですか、僕なら死んでも」
「
……
は?」
信長は信じられないと目を見開く。いつも無表情の姉には珍しいと信勝は内心驚いた。
「僕は負けたんです。ここで死ぬ方が自然ですよ」
「お前が
……
死ぬ?」
「ええ、二度あなたに謀反をして生きていられるとは最初から思っていません。一度目の謀反の時から死は覚悟していました」
また目を皿のように丸くする。謀反をされたことより信長は驚いた。言われた言葉の意味が分からない。信勝が死ぬ。そんなこと今日まで考えたこともなかった。永遠に信勝がいる尾張をどこかで信じていた。
「馬鹿言え、その、信勝が死ぬと母上がうるさいじゃろ」
「なんで母上? うるさいならどこかに閉じ込めておけばいい。姉上が気にかけるほどのことではないでしょう」
「な、なんじゃお前、いつもは母上に気を遣うくせにどうして」
「僕と母上は関係ないでしょう、姉上は昔から変なところで母上に気を遣いますね」
それは時々弟がやたらと母に冷たいせいなのだが姉の気苦労を弟が知る機会はない。
信長は動揺した。こんなに狼狽えたのは人生で初めてだった。姉はやっと弟が本当に死ぬのかもしれないと実感が湧いてきた。背中に冷たいものが伝い思いついたことを片っ端から話す。
「ああ、信勝は弱い。二年前に実際戦ったが驚くほど弱かった。だからいちいち殺す必要はないじゃろ!」
「生かす必要もないでしょう。二度目です、お願いですから情けはかけないでください。家臣たちの信用を失いますよ」
「
……
どうして、どうしてそこまで。お前は怖がりで痛いのも死ぬのも怖がっていたではないか?」
そこで信勝は半身だった姿勢から格子を挟んで正面から信長の赤い目を見た。なぜ神のごとき力を持つ姉がこんなに自分に関わるのか弟はさっぱり分からない。
(あなたは僕とは全然違う、尊くて遠すぎる人。だから僕の死を気にかけるなんて夢にも思わなかった)
姉はこんな雑魚の死に悲しむ心など持ち合わせているはずがない。悲しむとしたら同じ神の領域の存在だけだろう。それとも神の気まぐれとはこういうものだろうか。
「僕は自分の命より大切なものがあるのです」
「なんだと? そいつのために死ぬというのか?」
信勝は貼り付けた笑みを浮かべた。目を伏せて神妙そうにする。
「人ではありません、尾張です。僕は故郷のためにこの命を捧げるのです」
「尾張
……
? このうつけ、お前が生きていても尾張には差し障りなかろう」
「大有りです。尾張は織田が治める土地。そこで後継者争いなどで隙を作ったら侵略されて故郷が壊されるかもしれない。だから、負けた僕は死ぬべきなんです」
信勝は一歩、姉に近づきに笑みを維持した。
「どうしたら尾張を守れるのかずっと考えていました。それには誰よりも強いものが大名になる必要がある。だから強い姉上を後継者にするという父上の遺言を守るつもりだった。でも姉上はどこか気がそぞろで邪魔な僕を排除してくれなかった
……
少しだけ分かります、姉上は神のごとき才を持つ方、大名なんて身分窮屈ですよね。ずっと姉上は力はあっても心が伴わなかった」
「
……
どうして」
「だから謀反を起こしました。僕と姉上で家中が割れるなら戦って勝った方が尾張を守ればいい。万一僕が勝つなら僕が尾張を治めればいい
……
言っておきますが戦ったら九割九部負けるという確信はありました。まあ結果は予想通り。いっそ父上の遺言の後に僕の両手足を折って、幽閉してくれればよかったのにむしろ姉上は僕を守ってしまう
……
きっとあなたにとっては僕は幼い頃のままだったのでしょう」
「分からん。どうして信勝が死なねばならんのだ
……
尾張なんてただの土地だろう?」
信長は感情が表情に出ない。だから外見上は何も感じず理由を確認しているだけに見える。
弟も姉はいつものように何も感じていないのだと信じた。けれど信勝はその瞬間だけ、偽りではなく本当に笑みを浮かべた。生きていても死んでいても同じ身なのに惜しまれて少しだけ嬉しい。
「僕にとっては尾張は生まれ、育ち、遊び、学んだ場所です。この土地とそこに住まう人々が何より大切です。少しはいじめられたこともあったけど、この命を捨てても守りたいのです。この乱世で故郷を守るには一番強いものが頂点に立つしかない
……
姉上、お願いします」
「おい、なんじゃ
……
やめよ」
信勝は信長に向かったまま、しゃがみ込み、そのまま土下座をした。信長は弟が何をしているのか理解できず見ることしかできなかった。
「姉上、あなたの勝ちです。どうかこれから尾張を守ってください。姉上はあまり大事ではないようですが、僕たち姉弟が共に学び遊び育った故郷じゃないですか
……
お願いします」
「
……
分からん」
「尾張をお願いします、勝ったものが守るしかないのです。僕の最後の望みです。命などいりませんから」
「なぜじゃ?」
「もし姉上が無理に僕を逃すなら、今度こそ本当に崖から飛び降りて死にます。そうすればもう尾張は後継者争いで割れることはない」
「分からん」
信勝はもう一度床に額をぶつけ、姉に懇願し続けた。石の床だからか、ぬるっと額から一筋の血が伝う。
「これ以上、言うことはありません。どうか、尾張を守ってください」
「なぜじゃ?」
「お願いします」
「分からん」
「尾張を守ってください」
「なぜじゃ?」
「お願いします」
「分からん」
「尾張を守ってください」
「なぜじゃ?」
「お願いします」
「分からん」
「尾張を守ってください」
「なぜじゃ?」
ひたすらそのやりとりが繰り返された。信勝は「お願いします」と「尾張を守ってください」しか言わず、信長は「分からん」と「なぜじゃ?」しか返さない。何刻もそんなやりとりが交わされた。大きく月の位置が変わっていた。
ふっと燭台の油が切れて暗くなった。ずいぶん時間が経ってしまった。小さな窓の月明かりだけが二人を照らす。
「何度も繰り返すようですが、どうせ僕は死ぬのです。あなたに負けて殺されるか、隙を見て崖から身を投げて死ぬか。どちらになるかなのです」
「分からん」
「姉上、どうか尾張を
……
」
「なんでか分からん
……
だがお前の気持ちは分かった。分かってしまった
……
」
か細く「分かりたくなかった」と消えるような声が溢れ、信勝には聞こえなかった。
「信勝、どの道お前は死ぬのだな? 尾張に後継者争いの種を一粒も残さないために」
「はい」
「そうか
……
そうなのか」
「
……
姉上?」
信勝はわずかに頭を上げて目を疑った。姉が泣いているように見えた。しかし瞬きをするといつもの無表情の姉だったので錯覚だろう。
「帰る。沙汰は追って伝える」
「姉上、お願いします」
「
……
帰る」
信長は酷く疲れた背中で階段を登って行った。
翌日、信長は信勝に切腹を言い渡した。
信勝は笑顔で腹を切り「あとはお任せします」と言い残して死んだ。
信長はずっと大切なものがなかった。だから人生に情熱を持たなかった。弟に語った新しい世の夢もヒトの声が完全に聞こえなくなると捨てた。
だが信勝がどうしても死んでしまうと知ってしまったあの夜、苦しかった。次の日に本当に死んでしまった弟の死体にこの感情が後悔と呼ばれるものだと知った。涙は出なかったが弟のいない故郷の姿に、胸にびゅうびゅう風が吹いているようでこれが悲しみと知った。
信勝が大切なものだったのだ。死なないと気付かないなんて救えない。
……
「あとはお任せします、姉上」
……
……
「尾張を守ってください」
……
だから。
大切なものをなくした信長は信勝が欠けた故郷を守るために戦い続けた。
どんなに強くても願いが空っぽのものは強い願いを持つ者に支配される。
元が空なのだ。強い願いを差し出されればそれで空の胸を埋めるしかないではないか。
(元より何をしたいわけでもなかったしな
……
信勝がいれば故郷でぼうっと生きる道もあったがもう叶わぬ。結局、この乱世からわしも逃れられなかった)
信勝が命を捨てても守りたかった故郷だ。
この胸に他の願いが埋まるまで
……
そんなことはないだろうが
……
この力を使い果たしても尾張を守ろう。
僕は嘘つきです。故郷なんてどうでもいい。
だから地獄行きです。そこには父上もいるでしょうか。
姉上、どうかあなただけは幸せに。
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