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桐子
2024-06-23 00:14:52
2335文字
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最愛④(父水)
休みの日になって、水木は妖怪病院へ出かけた。恐山までは遠かったが、夜行列車に揺られていくことにした。まる一日掛けてようやくたどり着いた時には、つわりも相まってすっかり疲れ果てていた。
「お客さん、随分顔色が悪いですな」
「ええ
……
まあ」
タクシーの運転手に指摘され、曖昧に笑って誤魔化しながら、水木は恐山を目指した。
本当にここで降ろしていいのか、何度も確認されながら車を降りると、水木は大きく伸びをした。ここから先は歩きになる。一歩踏み出した途端、ぐらっと地面が揺れて、危うく転びそうになった。
(情けないな)
ふらつく足取りで、水木は妖怪病院へと歩いていった。ゲゲ郎は一緒に来ると最後まで言っていたが、どうしても一緒にいたくなくて断った。
列車の揺れとつわり、そして子どもを堕ろすことへの悲しみと後ろめたさから、昨夜は一睡もできなかった。だが、それでも水木は休むことなく歩き続けた。
やがて見えてきた建物の前で足を止めた。建物というよりも岩山だ。ここがそうだと教えられていなければ、足を踏み入れようとも思わなかっただろう。水木は意を決して中に入った。
「あのー
……
」
奥に向かって声を掛けると、すぐに狐に似た動物が現れた。水木の顔を見ると、どうして人間がここにいるのだろうと言わんばかりの怪訝な顔をしたが、「幽霊族の身内の者です」と言うと、「ああ、烏から聞いています」と丁寧に受け答えされた。ゲゲ郎が事前に知らせを送っておいてくれたのだろう。
案内されたのは、診察室というより実験室のようなところだった。人間のようにも見える男が一人、暗い部屋に座っている。
「どうぞ」
椅子を勧められ、水木はおずおずと腰を下ろした。
「堕胎を希望していると聞いたが」
「
……
はい」
水木は頷いた。
「本当にいいんだな。その顔は納得できていない様子だが」
「
……
」
浮かない表情から、医師は水木の内面の迷いを見抜いてしまったらしい。口ごもってしまった水木を見て、医師は淡々と言った。
「とりあえず検査をしよう。そこに寝て」
医師は診察台の上に水木を寝かせ、服をまくった。下腹部があらわになり、そこへ手を置いて、ぐっぐっと何度か確かめるように押される。
「ここに胎児ができている。三ヶ月だ」
本当にここに、ゲゲ郎と自分の子どもがいるのか。そう思うと不思議な気持ちだった。
「これ以上育つと母体が危険だ。堕ろすなら今が最後の機会だろう」
「
……
そう、ですか」
覚悟を決めて来たつもりだが、いざ「その時」が迫ってくるとやはり怖かった。三ヶ月もの間、自分を選んで生まれてきた子ども。それを「殺す」ことは、自分の命を奪うことよりも辛いかもしれない。
だが、ゲゲ郎はこの子が生まれることを望んでいないのだ
――――
鬼太郎と違って。あの子は望まれて生まれてきたのに、この子は望まれない。その差はどこにあるというのだろう。いや、水木にだってそれは分かっている。
「先生
……
この子は幽霊族なんでしょうか」
「父親が幽霊族であんたが人間なら、半々というところだろう」
「そう、ですよね」
きっとゲゲ郎にとって、人間との間にできた子は必要ないのだろう。だから堕ろせなどと言ってきたのだ。だが、水木にとってはこの子が人間であれ幽霊族であれ、この世でたった一人の大切な我が子なのだ。
「金さえもらえれば、あんたを幽霊族にすることもできるが」
医師の言葉に水木は首を振ってみせた。
「
……
俺は人間でいたいんです」
ゲゲ郎と恋仲になった時にも同じ事を言われた。血を飲み、同じ幽霊族になってほしい。長い年月を共に生きよう。そう誘われたが、水木は断った。ゲゲ郎たちと離ればなれになるのはつらいが、人間のまま生きて死にたい。いつか家族や友人たち、自分のせいで命を落とした人たちに会いにいきたかった。ゲゲ郎は断られて寂しそうな顔をしていたが、それでも最後には水木の意志を尊重し、頷いてくれた。
「そうか。それで番にもなっていないのか」
医師は独り言のように呟いた。
「え?」
「幽霊族の“雄”は自分の“雌”の首を噛んで番にするものだろう」
初めて聞く話だ。水木が驚いているのを見て、医師は言った。
「知らなかったのか。まあ、幽霊族は数が少ない。今じゃ知っている者の方が少ないだろう」
「番になると、どうなるんですか」
「詳しくは知らん。ただ、番になると死ぬまで番同士でしか発情できん、と聞いたことはあるが」
「死ぬまで
……
」
医師の話を聞いているうち、水木は理解した。
なんということはない、ゲゲ郎にとって、水木は性欲を発散させるだけの都合のよい相手に過ぎなかったのだ。
番になれば水木しか抱けなくなってしまうから、番にはしなかった。鬼太郎という妻との間にできた幽霊族の子がいるのだから、人間との間にできた不完全な子どもなど必要なはずもない。そもそも、遊び相手を妊娠させるなんて思ってもいなかったのだろう。言っていたではないか、『奇跡でも起きない限り子はできない』と。
ゲゲ郎はきっと、水木のことだって好いてくれている。都合のいい相手だというのも水木の妄想だ。だが、一番に愛するのは彼の妻であり、息子であり、水木は二番目にしかなれないというのは事実だ。もしもいつか彼の妻が蘇ることがあれば、水木は簡単に捨てられてしまうのだろう。
「
……
分かりました」
「決心がついたのか」
「はい」
水木は目を閉じて深呼吸すると、大きく息を吐いてから、ゆっくりと目を開いた。
「この子を産みます。そのためにどうしたらいいか、教えてください」
水木が言うと、医師は驚いたように一瞬黙り込んだが、やがて「分かった」と静かに答えた。
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