『名もなき者達へ』


朝靄がかかる乳白の朝に、花は完成した。
レースカーテンから漏れる光に照らされた、同じ模様、同じ色の2つの花。
白いレースに咲く赤い彼岸花。
朱色の布地に縫い付けた金糸の七宝模様がキラキラと光っている。
オークと二人で作った、この花はこの上なく美しい。
一つはDへ送る花だ。
そして、もう一つは……
食料が尽きて5日、命が終わる前に作り終えることが出来て良かった。
私は作業椅子にもたれかかる。

窓から差し込む日差しが清々しい。
腹はこの上なく空いていて、飢餓感に苦しみを覚えるものの、
心は今までに無いほどに満たされている。
何時ぞやにコーラルに知性があると言って自ら餓死していったドーザーが居たが、
彼らもこんな気持ちで逝ったのだろうか。
当事者になってはっきりと分かる。
己の役目を果たして死ぬことは幸福なのだと。

心地よさに浸っていると、急に瞼が重くなった。
思えば、多重ダムで襲撃されてから今までろくに休む時間を取っていない。
私は瞼を閉じる。

いっそのこと、このままずっと眠ってしまおうか。
微睡んだまま逝く、良い死に方じゃないか。
ほのかに感じる陽気に意識が溶けてゆく。
杉の葉が揺れるような穏やかな眠気。
鏡面のような水面に浮かぶ私の意識。
落ちる。

無の海に沈もうとしていたその時、私の視界が光った。
『レイヴンより緊急の通信が入っています。』
通知と共に音声データが自動再生される。
私は跳ね起きる。

『灼けた空の上でレイヴンが戦っている。』

たった一言だけのメッセージ。
そのメッセージが終わった瞬間に遠くから重い銃の音が幾重にも、そして至る所から鳴り出した。
空にミサイルの閃光と黒煙が次々に上がっている。
私の心が昂る。
レイヴンとやらのことは知らない。
しかしあの放送によって、ルビコン中の人間が立ち上がったのだ。

「行かねば。」
私は椅子に掛けていたジャケットと花を掴んで家を飛び出す。
忘れていた。
私にはまだ仕事がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

外は雪が溶け始めて、灰色の岩が頭を出している。
肺に冷たい空気が通る。
久々の外の空気は、硝子のように透明だ。

戦火が頭上で飛び交うのを尻目に、私は忘れられた道を駆ける。
皆が戦いに全てを尽くす中、私だけは“覚えている”。
忘却という名の海に、葬ったりはしない。
せめて、私だけは。

人々の通らない道はすっかり荒れ果て、転げ落ちた小岩と雪に埋もれている。
岩を避けては通れるものの、雪が邪魔して進むのも難しい。
ほんの百メートル程進んだだけで息が切れる。
それでも私は無理やり体を動かす。

雪を被った岩に右足を置いたその瞬間、足が滑った。
体が傾く。
顔面が岩に当たる。
鼻に鈍い痛みが走る。
鼻腔に鉄の匂いが広がる。

岩に手を置いて体を起こすと、岩に血がたらたらとしたたり落ちていた。
歯も痛い。
口も血の味がする。
私は恐る恐る前歯を手で触れてみた。
歯が内に向かって折れている。
歯が折れたと分かって、痛みがさらに酷くなった。

それがどうした。
お前は行かねばならぬのだ。
歩け。
進め。
鼻から、口から血が垂れ落ちるのもそのままにして
私は岩にしがみつきながら這いずりあがる。

岩を二、三ようやく超えた所で、手も足も急に動かなくなった。
岩の隙間に体が倒れる。
起きあがろうと意識するも、指さえも動かすことができない。
ここまでなのか。
そう過ぎった、それだけで悔しさが血と共に溢れ出る。
「誰か」
私の口が勝手に動く。
「誰か!誰でも良い!助けてくれ!」
誰も居ないのは分かり切っている。
それでも声を張り上げるのをやめられなかった。
悶えを、懊悩を吐き出せと体が訴えていた。
「誰か!D、D!君の報酬は用意している!このままだと私は死ぬぞ!死んだら報酬も無しだ!良いのか⁉︎」
『それは困るな』

背後から轟音が聞こえた。
私は軋む首を目一杯に上に上げて、空を見た。
漆黒のAC、Dの機体が頭上を飛び、私の前に着地しようとしていた。
巨体が地面に降り立つ。
地響きと共に体が振動する。

「D、何故君がここに……?」
私はACに向かって話しかけた。
『それはこっちのセリフだ……、町の何処にも居ないから焦ったぜ。』
スピーカーから、金属音のようなノイズが混ざった彼の声が聞こえる。
「探してくれていたのか?」
『そろそろルビコンでの仕事も終いだからな。最後に一稼ぎするついでにアンタにツケを払って貰おうと思ったんだが、こんな所で死にかけになってるとは思わなかったぜ。』
「それなら助けてくれ……!どうしても行かねばならない場所がある!」

私が声を張り上げて訴えた後、静寂が流れた。
彼は思案しているのだろう。
『俺個人としてはアンタを町に戻して、報酬だけとっとと貰いたいんだが……、アンタはどうしてそこに行きたいんだ?』
「弔いたいんだ。忘れ去られた者、そしてこれから忘れ去られるであろう者たちを。私と私の友が作った花で。」
彼に訴える時、私の目から涙が溢れ出した。
それは正しく私の感情そのものだった。
「私は、君に教えられるまで自身が罪も無い小市民だと疑って居なかった。でも違う。私自身が名もない屍の上に立っている。そうだろう?」
ACに乗っているDがどんな表情をしているかはわからない。
しかし、思いは届いている確信はあった。
全てDが教えてくれたことだ。
分かるだろう、君ならば。

「血に濡れる事なく、人を殺していた私にできることを考えた。やはり、花織りにできることは花を贈ることだけだ。私は私が生きる裏で戦い、死んでいった者達の為に花を贈りたい。その為に……行かねばならぬ場所があるんだ。」
振り絞った声が、冷たい大気へと消えてゆく。
直後、Dの機体が私に跪いた。
コックピットのハッチが開く。
「良い説得だったぜ。で、何処に行けばいい?」
「祈りの丘、死者の為の場所だ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
狭いコックピットの中、モニターに映し出される風景を見る。
雪の積もった林が下に見える。
野禽にでもなった気分だ。
流れゆく風景の中に目的の場所がないか私は血眼になって探す。

木々の合間から白いアーチが見えた。
「D、あそこだ。あれが目的地だ。」

ACがゆっくりと降下する。
白いアーチの手前でACは緩やかに止まった。
私はDの肩を借りて、コックピットから降りる。
コックピットの中で体を休めたからだろう、もたつきはするが歩くことはできる。
「D。君には2度も助けてもらった、感謝する。」
Dの肩に回していた腕を離す。
「今回助けた分も合わせてアンタに請求したい所だが……、今回はタダにしておいてやる。」
「恩に着る。」
「俺はこれから壁に行く。帰りはアンタの足で帰ってくれ。」
「無論だ、ここまで送ってくれただけで十分だ。」

私はDの手を掴む。
彼にオークの工房の座標を転送する。
「君の分の花はそこにある。鍵はかけていない、君の仕事が無事に終わることを祈っている。」
「俺もアンタの無事を祈ってるぜ。」
Dが私の手を掴み返す。
彼の手は機械であったのに、その手は確かに暖かかった。

「あと、アンタにこれを。」
彼は手を離し、反対側の手に隠していたものを差し出した。
ゼリー飲料と『酒』だ。
「アンタが何も食ってないのは会った時から分かってたぜ。やるべきことが終わったら、コレを食って帰れよ。」
……ありがとう。」
私は食料を受け取る。
「死ぬなよ、花屋。」
彼はそう言い残して、コックピットへと帰って行った。

黒い体躯が炎をあげて空へ飛び立つ。
そして地平へと消えてゆく。
戦地へ赴く戦士の背を見送って、私は白いゲートを潜った。

丘の果てまで柱の群れが連なる。
柱と柱の間に繋がれたロープには白いレースのリボンが結び付けられている。
丘を覆い尽くす、地平まで続く白い海。
白い花は風を受けて、せせらぎの様に揺蕩っていた。
火が空を飛び交う中で、この場所は切り離されたように静かだ。
私は揺蕩う花の間を波を立てないように進む。

ぽつ、ぽつと水滴が頬に当たる。
空は晴れているのに、雨が降っている。
霧のように柔らかい雨。
皆が泣いている。
ああ、そうさ。
ようやく終わったんだ。
共に泣こう。

白い花の波の果て、アーレアの海へ巨大な戦艦が堕ちようとしていた。
赤い尾を引いて墜落する船に向かって風が吹く。
幾千のロープに結ばれた白い花が揺れた。
ルビコンの解放を祝うかの様に。
苦しみ傷つき、死んでいった者達を慰めるかの様に。
私は花を取り出してロープに結びつける。
赤い暁の花が他の花と共に揺れる。

ルビコン解放を信じて逝ってしまった者
異国の地で故郷に帰る事なく死んだ者
そしてこれから死にゆく者

戦争によって多くの者が悲しみに消えた。
それもいずれは泡沫となってしまうだろう。
だが、この花だけは君達のことを忘れない。

名もなき者たちへ
君たちに花を捧ぐ
一人の名もなきルビコニアンより

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