※ツバ→(←)セキ
※体の関係はあるけど付き合ってない二人
背後は壁。正面にはツバキがいて、オレの左右はツバキの腕によってふさがれている。オレを壁際まで追い詰めたツバキは、オレを見下ろしながらぐっと顔を近付けた。湯浴み後特有の石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。ツバキの顔が近付くと、ツバキの長いまつ毛が頬に影を落としているのがよく見えた。
「好きだよ、アニキ」
ツバキは耳元でそう囁く。普段はデカい声しか出さないツバキが出す低い囁き声は、なんとなく聞き慣れなくて耳がこそばゆくなるような気がした。ピク、と無意識のうちに体が反応する。
――が、それだけ。こそばゆい、以上の感情はない。
「
……何やってんだツバキ?」
耳がこそばゆく感じるのは、単純にツバキの息が耳に触れるせいだろう。それ以上でも以下でもない。聞き慣れない囁き声に違和を感じているだけだ。これはトキメキなんて言う可愛らしいものなどでは決してない。そう思いながら、ハッと小さく鼻で笑う。
突然ツバキが「壁際に立ってくれ」なんて言い出すモンだから何をされるのかと思ったが、ツバキの行動は想像以上に意味が分からないものだった。「何やってんだ」と行動の真意を問う言葉を投げかけると、ツバキは一瞬だけ目を丸くしたあと、残念そうに肩を落とす。
「ショウから聞いたんだよぅ、『壁ドン』ってやつのことをさ。こうすれば相手をドキドキさせられるんだって。だから試してみたのだけれど、どうだいアニキ? ボクに惚れ直したのではないかい?」
「いやぁー、全ッ然分かんねえなぁ」
「
…………」
「ショウの世界ではこれが流行ってたのか? オレには何がいいんだかサッパリだ」
「
……分かっていたとも。アニキはそういう人だって」
その言葉とは裏腹に、ツバキの表情と声音はひどく残念そうだった。「期待したツバキが愚かだったよ」なんて言いながら、ツバキはその場にしゃがみ込んで何もない床に「の」の字を書きだす。全身で不貞腐れていることを表現するツバキに思わず苦笑が漏れた。拗ねたツバキは少しばかり面倒なんだよな、なんて思いながら自分もその場にしゃがみ、ツバキと目線を合わせる。これ以上面倒なことになる前に話題を変えないと。こういうのは速攻で話を変えるのが肝心だ。そうしないと無駄な時間を使うことになる。それはツバキとの長い付き合いの中で学んだことだった。
「それで、その壁ドン? ってやつは何なんだよ」
「さぁ、ボクも詳しくは知らないけれど。あとは相手のことを『おもしれー女』って評するのもテッパンらしいよ」
「なんだそりゃ」
「ボクにとってアニキは『おもしれー男』じゃなくて『格好良いアニキ』だからよぅ、ちゃんと考えた上でそっちは採用しなかったんだぜ?」
「そりゃどーも。ま、でも正直『おもしれー男』はオレじゃなくてツバキのほうだと思うけどな」
「え、それってアニキはボクのことが好きってこと!?」
「
……なんでそうなんだよ」
「ショウが言っていたのだよ、恋に落ちた相手だから面白く見えるんだって。つまりアニキはツバキのことが好きだから、ボクが『おもしれー男』に見えてるってことだろ?」
「
…………」
「黙るのは図星だからだね、ボクには分かっていますとも!」
先程まで不貞腐れていたのではなかったのか。ツバキは勢い良く立ち上がると、その長い髪を手の甲でかき上げる。ゆるく巻かれたツバキの髪がなびいて宙を舞った。その拍子にツバキの髪に灯りが反射し、薄紫色をしたツバキの髪が、まるで宝石か何かのように光ったように見えた。しかしそんな美しさを台無しにするかのように、ツバキは深夜に見合わぬ大声を出す。
「でもツバキは! 『おもしれー男』と言われるより直接『好きだ』と言われるほうが嬉しいので! やり直しを要求します!」
「
…………」
「その顔はなんなんだよぅアニキ!」
夜中に出していい声量じゃないだろ。そう思ったのがどうやら顔に出てしまったらしい。ツバキは声を荒げながらキッと眉を吊り上げる。
「可愛いツバキからのお願いが聞けないってのかよ!」
「お願いっつーか、そりゃ強要だろうが」
「ツバキはアニキに『好き』って言ってもらいたいだけなのに! アニキのいけず! ひどい人! でもボクはそんなアニキも好きだ!」
「あー、はいはい。ありがとよ」
「キィーッ!」
ツバキは歯茎を剥き出しにするような表情を浮かべてうなった後、「ひどいやアニキ!」と、またしゃがみ込んで嘘泣きをするように両手で顔を覆った。立ったり座ったり忙しいな。先程の壁ドンとやらをしようとしていた時の真剣な表情が嘘みたいだ。
あの時のような真面目な態度がもっと持続できれば、ツバキはオレ以外の人間からも好かれるだろうに。ずいぶんと勿体無いことをする。そう思いながら、ツバキの頭を撫でてみる。ガシガシとツバキの髪を乱すように手を動かせば、ツバキは顔を覆っていた両手を下ろした。複雑そうな表情をしている。
「
……ツバキはアニキも本当はボクのことが好きだってこと、ちゃんと分かっているんだよ。でもよぅ、たまには愛を囁かれることを望んだってバチは当たらないはずだろう?」
「
…………」
「知ってるかい? アニキみたいな人のことは『ツンデレ』って言うらしいよ」
「それもショウから聞いたのか?
……あんま良い言葉じゃなさそうだなぁ」
「悪い言葉ではないよ」
「ハッ、どうだか」
思わず鼻で笑ってしまった。だが同時に、今の態度は少し感じが悪かったかもしれない、とも思った。しかし口から出た言葉は取り消せない。
「
……共寝している最中のアニキはもっと可愛いのによぅ。あーあ、ツバキは悲しいぜ」
「んん!?」
ツバキの言葉の意味が分からず、思わず変な声が出てしまった。ツバキはそんなオレの声を聞き、「え?」と目を丸くする。え、と聞きたいのはオレのほうだよ。
「『共寝の最中は可愛い』って、そりゃどういう意味だよ、ツバキ」
「だってアニキ、その時しかボクに『好き』って言ってくれないだろ」
「
…………」
「
…………」
「
…………」
「
……まさか」
「
……そんなこと言った覚えはこれっぽっちもねぇんだけど
……」
「アニキのあれは無意識だったの?」
カッと顔に熱が集まる。
オレはコンゴウ団のリーダーで、ツバキのアニキで、惚れた腫れたにうつつを抜かすつもりなんてこれっぽっちもなかった。ツバキとの行為もただの処理の延長線で、ツバキにオレ以外の相手が見つかればすぐにでも身を引くつもりでいた。これは恋じゃない、もっとくだらないモンだ、そう自分に言い聞かせていたはずなのに。そんな自分の努力が無に帰したような気がした。まさか自覚のないうちに自分の感情が溢れ出ていただなんて。
耐え難い羞恥心に襲われながらも、ふとツバキの顔を見る。ツバキの顔もオレに負けず劣らず赤く染まっていたが、その表情はオレとは決定的に違っていた。ツバキの口角は上がっていて、しかしその上がる口角を必死に隠そうとしているのか、ツバキの頬はピクピクと痙攣している。絶妙にムカつく顔をしていた。
「
……その顔はなんだよツバキ」
「んふふっ。いや、まさかアニキが記憶を飛ばすようなコトになっていただなんて思わなかったぜ。ふふっ、ツバキの手練手管も捨てたもんじゃないね」
「違う! そんなんじゃねぇ!」
「素直じゃないアニキも可愛く見えてきたよ」
「やめろツバキ! 聞け! やめろって
――……!」
ツバキの唇がオレの口を塞ぐ。制止のために振り上げた拳は、ツバキに手首を掴まれたことで呆気なく無力化されてしまった。ちゅ、ちゅ、と唇の重なる音が部屋に響く。
「こういう時に言う言葉も聞いてきたよ。『今夜は寝かさないぜ』って。今のボクらにピッタリだと思わないかい? アニキ」
「〜〜〜〜ッ!」
羞恥心が一周回ってひっくり返って、「もうどうにでもなれ」と言う気持ちになった。体裁だとか立場だとか、もう忘れてしまってもいいのかもしれない。そう思った。結局、いろんなことを気にしていたのは自分だけだったのだから。
ツバキがショウから聞いてきたと言うキザな言葉に酔わされただけ。だから今からオレがいくらツバキに対して好きだとか何だとか口走ったって、それは酔っているだけ。だからもう、どうなったっていいや。
BGM:小林私 『
どうなったっていいぜ 』
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.