ひるね
2024-06-22 01:45:44
11959文字
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辺土にて待つ 上 (丹穹)

活動限界が近づいた穹君と、一緒に列車を降りる丹恒さんのお話。未完です。

※捏造と自己解釈満載です。
※穹君と星ちゃんが同軸存在しています。
※オリジナル設定が含まれます。

何でも許せる方のみどうぞ。


辺土(リンボ)/辺獄
一、牢獄。
二、洗礼を受けないで死んだ子ども、異教徒などの霊魂の行くところ。地獄と天国の間にある場所。








一、萌芽




風は死に、燻る炎がばちばちと音を立てていた。
見渡す限りの焦土だ。無惨に引き裂かれた悔恨が、唸り声と共に地べたを這いずり回っている。丹楓は己の腕の中で、あえかに呼吸する狐族の少女に視線を落とした。この命は途切れる寸前だった。丹楓は呆然としながら、何故。と言葉を発した。何故。
豊穣の使令・倏忽しゅっこつの渾身の一撃の前に、自軍は最期を覚悟した筈だった。あちら側も終わりを確信していただろう。最早一分の勝機も見出せない状況だった。鏡流が致命傷を負い地に崩れた。丹楓も化龍し応戦したが、結果、力を使い果たした。自我を無くし龍は荒れ狂った。嵐は豊穣のみならず、自軍の味方も巻き込んだ。最早なす術もなかった。地上の生き残った兵たちは絶望して項垂れた。手を合わせ最後の祈りを口にした。

そこに、彼女が現れた。
文字通り彗星のように。星槎に乗った白珠は最後の切り札であった 〈歳陽・火皇〉ばくだんを抱えて特攻を仕掛けた。ほんの数秒の出来事だった。その威力は凄まじく、倏忽諸共豊穣の大群を殲滅した。敵味方関係なく、その光は全てを薙ぎ払い塵と化した。
爆心点となった白珠は、本来なら真っ先に跡形も無く散じるはずだった。強大なエネルギーが彼女を飲み込み、彼方へと吹き飛ばした。彼女の持ち前の悪運の強さはここでも発揮されることになる。もっとも、損傷の酷さから一瞬で灰になった方が本人にとって良かったのかもしれない。
彼女の右半身は吹き飛んでいた。かろうじて繋がっている腕はケロイド状に溶け垂れ下がっていた。胸には星槎の部品が突き刺さり、穴の空いた腹からは臓物が見えていた。白く艶やかだった自慢の尾も、今は焼け落ちて散り散りになっている。
彼女が「たんふう、」と消え入りそうな声で呼んだ。右目は爆発の急激な気圧変動に耐えられず飛び出ていた。残った左目も焼け爛れており、用を成していない。

 たんふ、きがついた、んですね、よかっ
 白珠すまない。余は無事だ。
 け、いりゅうは
 案ずるな、深手だがちゃんと息はある。今は景元が医士の元に運んでいる。
 ほんとよかた。おうせいは?そこ、にいるの?ねぇ、こっちに来て。ちゃんと、かおみせて。

応星は白珠の元に駆け寄った。手を握り、自分の顔に触れさせる。
 
 馬ッ鹿野郎!!!お前、星槎の腕からっきしな癖して何やってんだ
 あはは、ぜったいぜつめいのなかまのピンチをすくう、ヒーローっぽかった、でしょ?なに、ないてるの。ほらあたしうんだけは、つよいんだから、だいじょう、

笑おうとした白珠の身体が激しく震え、喉奥から何かが迫り上がる。ごふ、と胃液と血の塊を吐き出す。

 ッ、たん、ふう、ご、めんなさ。ふく、よごしちゃっ。ごめんなさすごくきもちわる、くて、
 ああ、吐いていい。全部出してしまえば、じきに良くなる。

丹楓は白珠の身体を地面に下ろした。横向けにして背中をさする。白珠は呻きながら何度も血反吐を吐く。手で優しく白珠の口元を拭うと、彼女の盲た穴から涙が滲んだ。誰もが焦がれて愛していた。幼子のように自由に、大空を羽ばたき燦然と輝いた瞳は。今は何も映していない。

 ごめん、ごめんな、さい。あたし、うんきぐのなかま、みんなふきとばしみんな、しんじゃっ
 何謝ってるんだ。認めるよ、お前は英雄だ。お前は俺達だけじゃなく、羅浮も救ったんだ。
 おうせ。ねぇ、あたからだ、あつくて、なかから、もえてるみたみ、ず、のみた

応星が声を掛ける間も、彼女はうわごとのように水、水と呟く。ガクガクと戦慄き、泡を吹き始めた白珠の身体を宥めるように、応星がきつく抱きしめた。

 水だな。ほら、ここにある。大丈夫だ。ゆっくり口に含め。白珠、お前は良くやった。俺達がお前のことどれだけ信頼してるか知ってるだろ?

応星は懇願するかのように、丹楓に視線を寄越す。彼の瞳は絶望に染まっていた。白珠の高潔な魂を、尽きかけているこの命を繋ぎ止める手立ては最早ここには無い。内側も外側も。丹楓の雲吟の術を持ってしても手遅れだった。今、会話できている事がまるで奇跡のようだった。丹楓は上着を脱ぎ白珠の体に掛けた。薄汚れた白地の着物が、体内から流れ出る血と滲出液で濡れていく。


陰鬱な雲の隙間から、鈍色の月が僅かに顔を覗かせた。沈黙が押し寄せる。

 なあ、丹楓も何か言ってくれよ。頼むから

応星の語尾が掻き消える。丹楓は口を引き結び、空を見上げた。雨の匂いがする。

 白珠

慈雨がしとしとと濡らし始めた。あちらこちらから上がる煙が、長きに渡る死闘の終焉を告げていた。応星の呼びかけに彼女が答えることはなかった。訪れた断絶が骸を緩やかに冷やして行く。焼け爛れた白珠の瞼の上を雨粒が滑り落ちる。応星の指先が優しくそれを撫ぜた。白珠だったものを抱きしめたまま項垂れて動かない彼に、丹楓が問いかける。

 其方は、地獄に堕ちる覚悟はあるか。

凍てついた声音だった。応星は瞠目して息を呑んだ。時雨を受け、丹楓の身体は薄らと発光している。倏忽との戦いで力を全て使い果たしていた。だが、彼女の命と引き換えに生き残ってしまった己の愚昧さと憤怒の念だけが、今、丹楓を駆り立てている。

 もう一度、問おう。白珠の躯が腐敗して使い物にならなくなる前に決めねばならない。応星。余と共に地獄に堕ちる覚悟はあるか。

馬鹿げていた。禁忌を破ろうとしているのか。この狐族の少女のために。丹楓はだらりと下がった自分の右腕に視線を落とした。腱がずたずたに切れていた。傷が癒えたとして、今まで通りに撃雲を操ることはもう出来ないだろう。本来なら生きてここに立っているのは彼女だったかも知れない。化龍して本相を曝け出してもなお、使令に敵わなかった。死すべきはきっと自分だったのだろう。切り札を抱えて散るのは、本来なら丹楓の役目だったのだ。天災や人災では転生は叶わない。だが、例え魂に深い傷を負ったとしても、その僅かな可能性があるのは自分だけだった。
これは賭けだ。己を心酔する一部の丹士と共に、秘密裏に研究してきた龍化妙法を応用した術。そう、今ここに白珠の遺体があるということが奇跡だった。景元と鏡流には到底相談できる事ではない。短命種である応星を除いては。

 丹楓、何言ってんだ
 代々の龍尊にだけに伝わる秘術を用いれば、あるいは。だが、それにはお前の協力が必要だ。

応星の喉がごくりと上下するのが分かった。雨足が強くなってきた。大粒の雫が正気に戻れと頬を打つ。低く重々しい音が遠くでした。遅れて稲光が走る。

 俺は

応星が口を開いた。丹楓は瞑目した。
 
 巻き込んですまない。礼を言うぞ、応星。











 ゆらゆらと揺蕩うように記憶の断片が押し寄せる中、丹恒は目を覚ました。
 あれは、あの惨劇の発端は。きっかけはどうあれ、丹楓から持ちかけたのだ。口の中に苦々しさが広がった。手のひらで額の汗を拭う。思い出したくない事実ではあったが、一つ吉報と言えることもあった。丹楓を心酔していた丹士の存在。既に転生しているかもしれないが、丹恒がまだ幽閉されている時に何度か顔を合わせたことがあった。数年に一度、ごく短時間だけ丹恒の様子を見に来る持明族の女がいた。会話や要求などは一切無かった。羅浮から追放される直前、最後の邂逅となった時初めて声を掛けられた。『何かお困りの事があればお頼りください』とその女は静かに言い残して去って行った。あの時の丹恒には、己の中に残された龍尊の力を利用しようと擦り寄ってくる有象無象の輩にしか思えなかったが。
 以前は疎ましく思っていた前世の自分。丹恒は視線を右手に落とした。夢で見た丹楓の傷跡。ジクジクと血を流しながら、あの魂は怒りと悲しみに支配されていた。その苛烈な炎は、今自分の中にも受け継がれている。そう、はっきりと自覚することが出来た。

 ベッドから降り、軽く身支度を整える。ふと窓の外を見やると惑星ブルーが巨大なスクリーンのように鎮座している。丹恒はブラインドを下げた。ここは宇宙ステーション“ヘルタ”だった。
 現在、丹恒と穹は星穹列車を降りてここに滞在している。










−−穹の身体の活動期限が近づいていた。

 彼の不調は日に日に目に見えるようになっていた。最初はよく躓くようになった。戦闘中にも関わらず呆然と突っ立っていることが増えた。バットが握れず落とすようになった。食事すら摂らず、電池が切れたように何十時間も眠るようになった。早急に宇宙ステーションに立ち寄り、穹のメディカルチェックを受けさせようと、姫子達と相談していたところだった。カフカと共に、見知った面立ちの少女が列車に来訪した。彼女は穹と同じく〈容れ物〉ベクターだという。名は星と言った。カフカ曰く、脚本家は穹ではなく、星を選んだのだと。これからは星が物語の主役だと告げた。呆気に取られた。星核ハンターの思惑とやらは知らないが、カフカは相変わらずの感情の見えない声音で言い放った。

『穹、今までお疲れ様。列車に残るのも降りるのも、最後は君の好きにしていいわ』

 それに憤る姫子と三月を、穹は静かな声で制した。あの時の表情を丹恒は忘れることは出来ないだろう。穹は安堵とも言える微笑を浮かべていた。その表情は、訳も分からず放り込まれた舞台から解放されたこと対してなのか。それとも、自分の片割れとも言える存在に出会えたことに対するものなのか。丹恒には慮るばかりで何も言うことが出来なかった。

 それから矢継ぎ早に事態が動いた。カフカによって穹の中にある星核、壊滅と存護の力は取り除かれ、星に移された。容れ物としての穹の役目は終わった。本来ならばすぐに回収されるところを、機能が完全に停止するまで好きにしていいというのは、カフカからの最後の温情だった。数ヶ月間体内に星核を宿していた残滓が、今の穹を動かしていた。彼は、その場で列車から降りることを選択した。




 その夜、灯りの消えたラウンジで穹の白い影を見つけた。いつもなら就寝前はなのかやパムと騒がしく過ごしているか、丹恒の資料室に突撃してくる時間だった。だが、今日ばかりは早々に消灯され、誰もこの場に出てくる者はいなかった。

「穹。まだ起きていたのか」

 丹恒が声を掛けると、ぼんやりと星を眺めていた視線が向けられる。ここ座って、と手招きされた。丹恒がソファに腰を下ろすと、穹が口を開いた。

意外だった?俺が列車から降りること選んだの」
「いや、お前の選択だ。尊重する」
「えー白状者〜!止めてくれないの」
「俺が行くなと言ったところで、お前は考えを改めたりしないだろう?」
はは、さすがは心の友。よく分かっていらっしゃる」

 穹は背伸びをしながら立ち上がった。軽やかな口調だったが、明らかに無理をしている。

その代わり」

 丹恒は静かに口を開いた。

「その代わり、俺も一緒に列車を降りよう」
「は?」

 穹が慌てて振り返る。

「ちょ、何言って
「お前は俺の一部だ」
「待って待って。それって単に言葉の綾だったんじゃないのか?なんていうか、あの場の流れで
「俺がその場しのぎで物事を決める性格ではないと、お前もよく知っていると思うが」
え?でも、いや、何で?ちょっと待って」
「俺達は相思相愛だと思っていたが、どうやら認識が違っていたようだ」

 唐突すぎる告白に、疑問符を浮かべて慌てふためく穹。それを見て丹恒は自然と微笑んだ。

「うったんこぉー
「何だ?」
「その顔、反則
?すまない、あまり笑うのに慣れていない。おかしな表情だったら改めよう」
いや、そうじゃなくて

 俺以外に、その顔しないで。

 小声で、恥ずかしそうにそっぽを向きながら言う穹。その姿に丹恒は雷に撃たれたような衝撃を受けた。

「参ったな。お手上げだ」
?丹恒?どうした?」
いや、問題ない。噛み締めていた所だ」
「え?」

 突然訳の分からない事を言い出して一人で納得している丹恒を、怪訝そうに穹が見やる。丹恒は手を伸ばし、穹の指先にそっと触れる。「穹」と静かに呼ぶ。

「お前にはずっと笑っていて欲しい。願わくば、俺の隣で」
ほんとお前って変な奴だよな。俺、もうすぐ消えるよ?明日かもしれない。それでも良いの?」
「共に在ることの理由か。俺がただそうしたいからだ。お前のことを大切に思っている。それでは足りないだろうか」
……ッ」

 穹は弾かれるように目を見開いた後、また下を向いてしまった。

お前に迷惑、かけたくない」
「そんなのは今更だろう?お前とあの宇宙ステーションで出会った時から、トラブルだらけだ」

 口元を緩めた丹恒は、震える穹の指先を強く握った。

「例え明日消えるとしても。それでも今、お前の側に在りたい。許してくれるか?」
、許すも何も、ないだろ。そんな風に言われたら」

 そのまま抱き寄せると、穹はかぶりを振った。大丈夫だと言うように丹恒はその背を優しく撫でた。穹は丹恒の肩口に顔を埋めてしまう。

俺には何にもないよ。からっぽだ」
「そうか?少なくとも今の俺は天にも昇る気持ちだ」
もうやめてくれ。耳が溶ける」

 グリグリと頭を擦り付けて来る穹が、大きな犬のように見えて丹恒はつい笑ってしまった。

「お望みとあれば、グズグズに溶けるまで浴びせてやることも出来るが」
いや、それは謹んで遠慮しますって、丹恒なんか尻尾出てるッ!」
「ふ、龍に見初められたことを後悔するなよ」

 何だそれ、と顔を赤くした穹がやっと顔を上げた。丹恒はたまらない気持ちになり、穹の髪を撫で耳の後ろをくすぐる。それに穹は気持ち良さそうに目を細めた。二人は静かに口付けした。

 持明族は総じて、心の機微に関して淡白な種族だと言われている。生殖行為での繁栄は出来ないため、恋や愛だのを育む必要がないからだ。寿命がくれば卵に帰り、再び生を受けるその時まで待つ。自己完結出来てしまう種族。もちろん個人差もあり、それに当てはまらない者もいる。普段が淡白が故に、一度情念の味を知ってしまったなら最後だ。底なし沼のように深く重く、愛着がやがて執着と言う名に変わろうとも、火種はその者の今生が終わるまで燃え続ける。丹恒自身、穹に対しての気持ちを自覚するには少なくない時間を要した。実際、はっきりとした好意を口に出来たのはほんの先ほどだった。

−−丹楓。今ならお前の気持ちが少しは理解出来そうだ。俺は、穹を失いたくない。

 持明族の伝承では、不朽の力が最も強く現れる龍尊となる者には、生涯にただ一人だけ『魂の番』にすることが出来るという。輪廻転生の理を超え、脱鱗をしても契約を交わした者のことを覚えていられると言うものだ。また、その相手となる者も種族や寿命を超えて持明族と同等の存在、つまりは死する際に転生が可能な者として生まれ変わる。これは丹恒が自族について調べていた時、たまたま目にした文献に書かれていたものだ。口頭伝承故に、肝心なその方法について詳細は記録には残っておらず、眉唾物かもしれなかった。だが、穹をその魂の番にしたい、などと丹恒が言い出せば彼はどんな顔をするだろうか。魂の永遠を誓い合う契約。魂の番。龍尊の記憶と血。すなわち、龍血を用いて行う儀式

−−龍化妙法。

 丹恒の頭の片隅でジリジリとその言葉が燻っていた。自分が穹を生かすために縋れる方法は、たった一つしかない。あれほど忌避していた、解り合えないと思っていた前世の自分に初めて心底感謝した。ごくり、と唾を飲み込む。自身の内側から、沸々と不穏なものが湧き出て来る。理性と本能が鬩ぎ合う。早鐘を打つ心臓の音。
不思議なことに、子種を作る機能はないのに体を繋げて愛し合うことは可能だった。だが、それだけでは全く足りないのだ。貪欲な龍は、魂ごと。このまま、腕の中に閉じ込めて理性を溶かして魂ごと、自分の物にしてしまいたい。欲に濡れた甘美な睦言を吐きながら、穹の全部を喰らってしまいたい。丹恒は穹の白い鎖骨に噛み付く。優しく。甘く。獲物を仕留めるように慎重に。ビクリ、と穹が震える。熱い吐息がその唇から溢れる。もっと。もっと聴きたい。全部溢さないように、飲み込みたい。ぐらぐらと理性が煮え立つ。丹恒は穹の薄らと開いた唇に舌を捩じ込んだ。くぐもった水音と鼻から抜ける息遣い。龍の尾が、丹恒の獰猛な欲望を表すかのように穹の腰に巻き付いた。

丹恒ッダメだって

 咎めるように丹恒の胸を押し中断させようとする穹だったが、力が入らない。そのままソファに押し倒され、丹恒の尾に腕を絡め取られてしまう。口元がお互いの唾液で濡れている。その形の良い唇がうっとりするほど蠱惑的に吊り上がり、「穹」と甘く優しく声音を刻む。けぶる睫毛の間から、龍の瞳が爛々と輝く。余りの熱量に穹は当てられ、視線だけでわずかに喘いだ。いよいよ丹恒の手が衣服の中に侵入し弄って来た所で、我に返った穹は丹恒の唇を思い切り噛んだ。

「ッ!」
だーめ、」

 上がる息を抑えながら、穹が濡れた瞳で見上げる。丹恒の血液で赤く染まった唇をぺろりと舐めてから笑った。痛みで正気を取り戻した丹恒は、自分の余りの余裕の無さに狼狽えた。

すまない、俺は
「はは、こんな大胆な丹恒初めて見た」

 気まずそうにする丹恒に穹は笑う。眉間に寄った皺を人差し指でグリグリと伸ばした。

「仕方ないから甘やかしてやるよ」

そう言って、穹は上体を起こし丹恒を強く抱きしめた。黒い髪に顔を埋め、囁く。

部屋行こ?」

 瞬きをした後、丹恒はギクシャクと体を起こした。「重いな」と言いながら軽々と穹を抱き上げ、ラウンジを出た。静まり返った廊下に足音が響く。腕の中の熱すぎる体温と、重なり会う二人分の鼓動が資料室までの足取りを早くさせる。部屋に着いて、丹恒は布団の上に穹を下ろした。明かり付けようと、立ちあがろうとした所を穹に引っ張られてバランスを崩す。「丹恒、」そう悪戯っぽく笑って丹恒の上に馬乗りになった穹が、両手で丹恒の頬に触れた。

「ちゅーしてもいい?」
「ああ、いくらでも」

 穹の鼻先が丹恒の頬を擦り、少しだけ鼻の頭を齧られた。笑い声を飲み込むように口付けた。お互いの指が不器用に絡み合う。穹の頬が静かに濡れていた。丹恒はその雫すら惜しくなり優しく舐め取った。己の体に関して、丹恒は生殖行為の真似事など一体何の意味があるのだとずっと疑問に思っていた。だが、今。この瞬間に湧き上がる感覚は。

−−穹と一つに繋がりたい。

愛し合いたい。
与えたい。
慈しまれたい。

(離したくない)
(置いていかないで)


−−やっと、お前を見つけたのに。


 現状は絶望的だ。自分の記憶の中に残っているであろう、手掛かりを都合よく掴めるだろうか。そして運良く手段を得たとして、穹が助かる確証などどこにも無い。全てが暗澹としている。
 だが、それでも。藁にでも縋ってでも成し遂げなければならない。これは裏切りだ。前世でも、今生でも。丹恒は心底思い知る。この愛は毒であり、己の業だ。だがそれでも良かった。穹と一緒に居られるなら。丹恒は決して祈らない。神も信仰も役には立たない。唯一許しを請わなければならないのなら、それは彼だけだ。

「丹恒」
「ああ」
「笑ってるのか?」

 問いかけには答えずに、穹の指を優しく食んだ。


丁寧に広げて、固く繋がる。渇きを癒すように。
埋められない痛みを分かち合うように。
どうしようもないくらい苦しいのに、この言い表せない多幸感は何だ。
溶け合って、寄せては引いていく波のように、何度も何度も快楽に溺れる。














疲れ果て、やがて泥濘の衣に包まれる。
抗う術すら思いつかず身を委ねてしまう。
暗転する意識の狭間で⬛︎は掠れた声で囁いた。

心の場所ってどこにあると思う?
頭か、それとも心臓?
もし俺が俺でいられなくなるなら
その時が来る前に
お前の手で⬛︎⬛︎してくれないか













二、落花







 翌朝、二人は列車を降りるため身支度をしていた。
 姫子達と相談後、最寄りの惑星で下車する手筈になっていた。そこは仙舟やこれから向かう予定のピノコニーに比べれば辺境の星だった。だが比較的治安も良く、しばしば商談の場としても利用されているらしい。姫子の昔馴染みが住んでおり、勝手ながらそれを頼りに身を寄せようと思っていた。そんな折、丹恒の携帯にメッセージが入る。端末を見た丹恒は意外な人物からの連絡に驚いた。差出人はミス・ヘルタだった。

『姫子から大体の話は聞いたわ。丹恒、あなたはすぐ穹を宇宙ステーションに連れて来なさい。いい?二度は言わない。私の時間を無駄に浪費させないで。どうせあなた達、行く宛すら無いのでしょう?』



「ごめんなさい。余計なことだったかも知れないけど、私があんたに出来ることはこれくらいだったから」

 穹と丹恒がラウンジに現れると、カウンター席に座っていた姫子が声を掛けてきた。彼女は穏やかに微笑んだが、その瞳は揺れていた。

「ありがとう、姫子。俺だってこのまま何もせずに終わるつもりなかったから。ヘルタに隅々までチェックしてもらうよ。もしさ、また元気になったら列車に戻ってきても良いか?」

 冗談めかして穹が言う。

「そうね、いつでも大歓迎よ」

 姫子は眦を緩めて頷いた。数ヶ月とはいえ、列車に身を寄せて苦楽を共にした末っ子を案じてくれていた。

「本当に感謝してる。右も左も分かんなかった俺を列車に乗せてくれて」
「あんたのこれからの旅に、どうか開拓の加護が在らんことをあら、嫌ね

 姫子が大粒の涙をこぼした。そのまま両手で顔を覆ってしまう。

終着点に、一緒に行けなくてごめんなさい」
「姫子が謝ることじゃない」

 穹は胸が痛んだ。自分のために泣いてくれる人がいる、それだけで十分だった。肩を震わせて俯く姫子の肩を抱きしめる。ふと、横から綺麗に畳まれたハンカチが差し出される。ヴェルトだった。姫子は礼を言いそれを受け取った。

「穹。列車はいつでもお前の帰りを待っている。そして丹恒、彼を頼んだぞ」
「ああ、承知した」

 丹恒とヴェルトが固い握手を交わすのを見て、涙ぐみながら姫子が微笑んだ。その後、間近に穹の顔がある事に気づき少し赤面する。

「穹。ごめんなさい、ちょっと離れてくれないかしら。お化粧が
「姫子は泣いていても綺麗だ」
全くあんたって子は」
「なになに!?何の話ー!?あッ!!穹が姫子のこと泣かしたのー!!??」

 ドタバタと賑やかな音をさせて、なのかとパムがラウンジにやってきた。ふんわりと香る焼き菓子の甘い香り。なのかは、えへへ、と照れくさそうに笑って可愛くラッピングされた箱を穹に差し出した。

「これ、アンタに。ウチとパムで一緒にクッキー作ったんだ。結構可愛く出来たんだよ。ウーウーボに諦聴ちゃんにシッポに、ゴミケーキにううう、やっぱ寂しいよ。穹の馬鹿馬鹿馬鹿ッ!!!」

 なのかの大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。「ウチも連れてってよぉ」と小さな子どもの様にしゃくりあげて泣き始めた。パムがオロオロと慌てて彼女を見上げる。姫子が「三月ちゃん」と労るように声をかけて抱き寄せた。

「ほんと、列車組はおせっかいで涙脆いメンバーばっかりだ」

 穹はなのかの頭を優しく撫でた。

「ううう分かってる。分かってるよ。穹が、アンタが一番辛いもんね」
「なのごめんな」
「謝んないでよ。アンタは何にも悪くないよ」

 グス、と鼻を啜りなのかは自分の頬を軽く叩く。それから精一杯の笑顔を穹に向けた。

「クッキーと、これ!!本当はスマホにデータで送った方が荷物も少なくて良いと思ったんだけど。ウチがどうしても作りたくて」

 なのかから手渡されたのは、穹が星穹列車に乗車してから仲間達と一緒に撮ったスナップ写真だ。片手で収まるサイズのフォトアルバムになっており、それ程嵩張るものではない。軽くページを開くと、なのかの手書きのメッセージと可愛らしいイラストやシールで飾られていた。穹は思わず顔を綻ばせた。

「時間も一晩しかないし、どれにするかめっちゃ悩んだんだよ!でもその代わり、すごく良く仕上がったんだ。世界にたった一つだけだよ。ウチから渡せる最大級のプレゼント」
「ありがとう、なの。後で必ず見るから」
「うん。絶対だよ。あと、一日に一回は必ず連絡すること!何ならスタンプだけでも良いから。約束!!」

 小指を出して約束を迫るなのかに、「なんか重めの彼女みたいだ」と言うと、「やめてよ!もうっ!」となのかは吹き出して笑った。それからパムの合図で昼食を全員で摂った。穹は食後のケーキをいつも通りなのかと半分こにシェアして、お互い感想を言い合った。丹恒は姫子から特製のコーヒーを淹れてもらい、豆の挽き方や産地など質問している。そしてそれを優しく見守るヴェルト。列車での最後の時はいつもと変わらず、穏やかに過ぎていった。本来なら現役のナナシビトしか界域アンカーを使って移動することは出来ないが、姫子からの手向けとして開拓の力は授けたままでいてくれるという。
 最後の挨拶は「さようなら」ではなく、「行ってきます」だった。皆、笑顔で送り出してくれた。



 その後、宇宙ステーションに着くなり、ヘルタ側近のスタッフに穹はメディカルルームに連行された。これから穹の体に応急処置をするのだと説明を受ける。が、何がどうと理屈をヘルタがブツブツと話すがハナから人に聞かせるものではなかったため、丹恒は理解するのを諦めた。美しき天才は新しいおもちゃを得た子どものように目を輝かせている。

とにかく、丹恒。あなたは待っていなさい。悪いようにはしないわ」

 今はヘルタに全てを任せるしか方法がない。「よろしく頼む」と頭を下げる。彼女はそれを一瞥して扉を閉めた。
 残された丹恒は、事務スタッフにしばらくの滞在先となる部屋を案内してもらう。用意されたのは閉鎖区域の一角だ。ヘルタ曰く、『あなた達なら別に〈虫〉がうろついてる閉鎖区域でも大丈夫でしょう?それに人気がない方が逆に好都合なこともあるだろうし』と含み顔で言われてしまった。
 多くはない荷物を部屋に運び入れ、部屋の内部をチェックする。ベッドが二つにバスルーム、ミニキッチンも付いている。食事に関しては本棟に行かなくてはならないが、しばらくの滞在先としては合格点過ぎた。
 丹恒は装備を解き、ベッドに横になった。今の自分には待つことしか出来ないのが心底歯がゆい。部屋の明かりを消し窓の外を見やる。惑星ブルーが存在感を放ちながらも静かに佇んでいる。いつか穹と二人で行くことが出来るだろうか。そんな淡い思いと共に丹恒は目を閉じた。
 彼が前世の悪夢の中から、求める答えの尾鰭を掴むことになるのはこの数刻後だ。










 処置が終わったと丹恒に連絡が入ったのは、丸一日が経ってからだった。

彼の中に模擬星核私の作品を移植したわ。どうやら安定しているようで問題はないみたい。感謝しなさい。私は天才クラブに多大な貢献をしているの。これを造るリソースを提供するにあたって、彼らが反論する余地など与えないわ」

 徹夜をしようとも、人形の表情や声音は何ら変わらない。美しいマリオネットは艶やかな髪に指を絡める。医療カプセルの中で眠る穹に視線を送る。

「良く覚えておきなさい。これは星核本来の力の何万分の一、あるいは何億分の一程度に過ぎない。彼の中にあった星核の残滓に紐づけているだけ。せいぜい、活動期間を数ヶ月、多くて数年延ばすことしか出来ないわ。腹立たしいけれど、今、私に出来ることはここまでよ。これは私の制御下にあるから、暴走する危険もないわ」

 もう用済みと言うかのように、ヘルタは擬似星核の情報が収められている端末を放り投げた。悲鳴をあげて医療スタッフがそれを拾いあげる。

「ヘルタ、すまない。何と礼を言えばいいか
「ふん、この私が慈善事業で手を貸す訳ないでしょ。経過観察も含めて、宇宙ステーションで働いて貰うわ。まあ、この子はかなり模擬宇宙のデータ収集に貢献してくれてたから、先に特別休暇をあげても良いけど。申請する場合はスタッフに聞いて」

 そう丹恒に言って人形は軽やかに踵を返した。

穹、あなた中々面白い研究対象だったわ」

眠り続ける穹に、ヘルタはくすりと笑いかけ部屋を後にした。




(続く)