千代里
2024-06-21 08:33:11
8201文字
Public ネイスの話
 

魔女の心配事

性癖パネル用の短編。庇って負傷する、ないしは庇われて負傷される、でした。

閉塞感に息を呑む暗闇の中、魔物の雄叫びがこだまする。ただでさえ光が少ないこの場所で、雄叫びは何重にも響き渡り、ヴィエラ族特有の鋭敏な聴覚には強烈すぎるほどに響く。おかげで、ネイスは己の頭が揺さぶられたような感覚に晒されていた。
周囲が闇に包まれている原因ーーそれは、今が夜だからではない。そもそも、この世界ーー第一世界とネイスが呼ぶ世界には、夜が訪れなくなって久しい。常に光が降り注ぐ世界において、夜の暗闇などというものは存在そのものがあり得ない。
ならば、なぜこんなにも周囲が暗いのか。なぜ、自分の長い耳が痛くなるような叫び声が反響するのか。
「ネイス、前方右の妖異に注意して!」
同行者の女性ーーヤ・シュトラの声に、ネイスは思索に沈みかけていた思考を断ち切り、顔を上げる。手にしていた大剣を構え直し、振り下ろされた粘質な巨腕を受け止めた。
腕に痺れが走り、ネイスは歯を食いしばる。泥を固めたような見た目をした魔物は、その外見に反して存外に攻撃の一つ一つが重い。
「この暗さだと、敵がどこにいるか分かりづらい……!」
「残念ながら、ここにはランタンは残っていないようね。上にはまだ生きた照明があったようだけれど」
照明がわりに、横合いから飛んできた炎がネイスに襲いかかっていた妖異を焼いた。ヤ・シュトラが得意としている炎の魔法だ。
広範囲に広がった炎は、ネイスが牽制していた妖異以外も、複数の妖異をまとめて焼き払っていく。ぎいいと耳障りな高音を響かせて、妖異はその歪な生命にふさわしく、跡形もなく消えていった。残ったのは、溶けた砂だけだ。
目につくところに敵がいないことを確かめて、ネイスは大剣の構えを緩め、ふうと一息つく。彼の背後では、闇にふさわしい黒の衣を纏った魔女が、同じように軽く息を吐き出していた。
「坑道の崩落に巻き込まれて落ちたというのに、怪我らしい怪我をしていなかっただけ、私たちは幸運ね」
「幸運だというのなら、俺は巻き込まれないほうが良かったと思う」
「そうは言っても、落ちてしまったものは仕方ないでしょう。こんな状態のあなたを一人にしておかなくて、本当に良かったわ」
話をしつつ、ヤ・シュトラはぐるりと周りを見渡す。
彼女の白く透き通った瞳に、光は意味を持たない。彼女の本来の視力は、ずいぶん前に失われてしまっていたからだ。
代わりに、ヤ・シュトラは周囲のエーテルを認識して、ものを見ている。視力の代わりに、エーテルの位置や揺らぎで、誰がどこにいて、何がそこにあるかを見ているのだそうだ。それがいったいどんな世界なのかは、少しばかり『超える力』などという異能を持つだけのネイスにはわからないことである。
「出口はわかりそうか」
「大体は。出口というより、皆のいる方角なら掴めそうよ」
ヤ・シュトラの言葉を聞いて、ネイスは今度は安堵から肩の力を抜く。
二人は、何も好き好んでこのような明かりもない坑道のど真ん中にいるわけではない。元はと言えば、二人は仲間たちと一緒に、この『マリカの大井戸』と呼ばれる元鉱山の竪穴にやってきていた。その目的は、この地域一帯を飲み込む光の発生源ーー大罪喰いと呼ばれる魔物を討伐するためだ。
大罪喰いの討伐自体は今までも何度か繰り返しており、その度に一部の地域とはいえ終わりなき光が払われ、この世界にも正しい形で夜の闇が訪れるようになった。
今回も、繰り返してきた討伐の延長線上であると甘く見ていたわけではなかったのだが、ネイスと仲間の一人であるヤ・シュトラは、坑道の上層に住み着いた巨大な魔物との戦闘中に生じた崩落に巻き込まれて、仲間から逸れてしまった。
その上、落下してすぐに数体の妖異に襲われ、ようやくそれらを撃退したというのが、今の彼らの現状だ。
「ヤ・シュトラ、ありがとう。ヤ・シュトラのおかげで、出口もわかる。さっきも助かった」
「どういたしまして。けれども、私の魔法はあなたが前線で体を張って敵を惹きつけてくれるからこそよ。頼りにしてるわ、闇の戦士様」
「ああ、俺もヤ・シュトラが安心して魔法を使えるように頑張る」
年上らしい程よい揶揄いのおかげで、ネイスの体に残っていた強張りも少しずつ解けていく。
ネイスにとって、ヤ・シュトラは出会った時から頼りになる女性という印象が強い。豊富な知識に、どんな時でも落ち着いて行動する姿。それらは、ネイスでは到底持ち得ないものだ。
だが、彼女とて坑道に落下して迷子になっていることに変わりはない。それに、自分は彼女の言う通り、後衛の盾となる戦いをする立場だ。
道案内のために先導して歩き始めたヤ・シュトラに寄り添うように、ネイスはゆっくりと歩み始める。
「早く戻らないといけないわね。あの子……リーンのためにも」
「リーンのために?」
リーンとは、仲間の一人である少女ことだ。彼女はこの世界で光の巫女として生を受け、数多の苦難を経て、ネイスたちと行動を共にしている。彼女の力のおかげで、此度の大罪喰いがどこに潜んでいるのかも分かったのだ。
「自分の在り方を見つめ直して、新たな名前も得て……その後に続く物語がこれでは、彼女のことだから余計な責任を感じてしまうかもしれないでしょう」
「そういうことか。確かに、新しい名前の後には楽しい話が続くほうがいい」
話しながら、ネイスはかつて自分が違う名前で呼ばれていた時のことを思い出そうとする。
だが、それはあまりに昔のことだったために、名前が変わったことそのものは思い出せても、どのようなやり取りの末に名前が変わったのかは思い出せなかった。
「その口ぶりなら、ネイスは名前を変えたことがあるようね。ヴィエラ族は、度々名前を変える習慣があると聞いたことがあるけれど、あなたも昔は違う名前で呼ばれていたのかしら」
「違う名前だったことはある。でも、随分昔のことだから、俺もよく覚えていない。今の名前は、俺のマスター……師匠がくれたものだ」
「覚えてないほど昔……そうだったのね。この魔女の目も曇ったのかしら。私は、てっきりーー」
ヤ・シュトラが続く何かを言いかけたものの、ネイスがそれを聞くことはなかった。
闇の向こうに蟠った気配。それを察知した瞬間、ネイスは数歩前へと駆け出し、
「ヤ・シュトラ、伏せろ!!」
声と共に、ネイスは己の内に巡る魔力を一気に高める。負のエネルギーとも呼ばれるそれらは、坑道の暗がりよりなお暗い闇の壁となり、降り注ぐ岩石から二人を守った。
「ごめんなさい、魔物の接近を見落としてしまうなんて」
「いや、かなり遠方にいる。でも、すぐに近づいてくる。離れていてくれ」
警戒の声を放ち、ネイスはヤ・シュトラを庇うように立つ。
程なくして、ヤ・シュトラの目を借りずとも、地面を響かせる足音がネイスに敵の接近を教えてくれた。ぐっと、奥歯を噛み締め、近づいてくる敵に合わせるようにして大剣を振りかぶる。
地面を蹴り、大上段からの一撃。衝突したのは、岩とも思えるような硬さの魔獣だった。
暗闇に慣れた目のおかげで、それが先だって上層でも戦ったアルマジロと呼ばれる魔獣と分かる。
前方からやってきたのは、二体のアルマジロだった。一体はネイスの突進によって足止めされたが、もう一体はネイスの脇をすり抜けていこうとする。
「させるか!」
伸ばした手の先から、先だって盾としたものと同じ魔力が溢れかえる。それはネイスの掌から尽きぬ湧き水のように溢れ返り、巨大な水たまりーーもとい、闇だまりを形成した。
ソルトアースと呼ばれるその技は、地面を中心に円形に魔力を展開し、そこに足を踏み入れたものの体に染み込み、じわじわと内側から蝕んでいく技だ。
ネイスの脇を通り抜けようとしたアルマジロは、闇の罠に足を取られ、ぎいぎいと耳障りな悲鳴と共に急制動を余儀なくされる。
無論、自分が押し留めているアルマジロの相手も忘れてはいけない。ネイスの身の丈など優に越している巨躯がのしかかってきていることに気がつき、ネイスは咄嗟に後方へと跳ねた。
「サンクレッドがいることに、慣れすぎてしまったかな」
思わず呟いた名前は、自分と同じく前衛を受け持っているものだ。
彼と敵を二分して受け持つのに慣れてしまっているせいか、たかだか相手は二匹であるというのに、緊張から冷や汗が背中を流れ落ちる。
「でも、これぐらいなら……一人でもできる」
サンクレッドがいなかった頃は、一人でも多くの敵を食い止めていたのだ。ならば、今の自分にできない道理はない。
アルマジロの爪や強靭な尻尾の一振りを大剣でいなし、それとなく敵を誘導する。足を焼かれていたもう一匹が体勢を立て直し、再びこちらへと肉薄してくる。
二匹が自分の視界に重なった瞬間、ネイスは大剣に魔力を集中させた。
……まとめて吹き飛べ!!」
大剣を振り下ろすと同時に生み出された漆黒の波動が、坑道の闇を切り裂いてアルマジロをまとめて焼き尽くす。
斬撃そのものを打ち出すような一撃は、アルマジロの硬い表皮すら容易く切り裂いた。叩き割るのではなく、食い破っていくような傷跡は、暗黒騎士独特のものだ。
(倒せたか……? いや、まだ、動こうとしている!)
坑道に迷い込んだ格好の獲物を逃さじと、アルマジロたちが再び立ちあがろうとする。しかし、黙って見逃すほどネイスの背後に控えた魔女は優しくない。
横合いから飛んできた雷球。それは、アルマジロの中心に着弾したかと思いきや、雷の爆発となってアルマジロをまとめて焼き払った。
ネイスが耳を塞ぎたくなるような巨大な断末魔が響き、周囲に静寂が戻る。辺りに残っているのは、ヤ・シュトラが放った雷魔法の残滓が時々小さく破裂する音だけだ。
「ありがとう、ヤ・シュトラ。さっきの魔法で倒せたみたいだ」
「助かったわ。遠距離から投石をするなんて、原初世界ではあまり類例のない魔物のようね」
「ここは岩が沢山あるから、狩りの仕方を変えたのかもしれない」
「純粋な生態としての進化ではなく、生きるために狩猟法を会得したということ? それはなかなか、興味深いテーマね」
「ヤ・シュトラ、研究は後にしてくれ。今は」
「分かっているわ。皆のいる方角はーー」
ヤ・シュトラが続く道を示そうとしたときだった。
半ば直感めいたものが、ネイスに示す。
まだ何かがここにある、と。
自身の長耳に、魔物が接近してくる足音は響いてこない。ならば、一体何が自分に警戒を促す原因になっているのか。
咄嗟に自分の足元を見やり、ネイスは目を見開く。
「ヤ・シュトラ!!」
彼女の名前を呼ぶと同時に、ネイスはヤ・シュトラの手を引いて、自身の背へと庇った。
足元から急速に湧き上がってくるのは、土塊をまとめ上げて作ったような不恰好な人形ーーそう見えた。地面から頭と手だけを出したような姿は、作りかけの人形めいていて、一見するとユーモラスな姿にも思える。もし、子供が作った砂人形なら、さぞかし愛らしく見えたかもしれない。
ただし、それが、自分の身の丈に迫る大きさであり、あまつさえ土塊でできた手が高速で自分で振り下ろされていなければの話だが。
(間に合えーー……!!)
自身の中の負のエネルギーを高め、周囲一帯に障壁を構築する。振り下ろされた片手の一撃は、それで凌げた。しかし、それが『手』という形状である以上、対をなすもう片方の手が存在するということで。
「ヤ・シュトラ、まだ後ろにいてくれ! もう一撃くるーーーー」
障壁を構築し続けていれば、この攻撃を凌げる。
だというのに。
不意に体の芯がーー揺らいだ。
…………っ!?」
突如湧き上がった、身の内側を焼くような痛みに、集中が途切れる。障壁が消えたと分かっていても、今はそれどころではない。
体の内側にいきなり刃物を突き立てられて、無茶苦茶に切り付けられているかのように全身が痛む。同時に、抑えきれない何かが腹の内側から湧き上がろうとしていた。
脂汗がどっと吹き上がり、思わず口元に手を当てた。込み上げるものを抑えようと、今はそれだけを考えてしまう。
ーー敵が、目の前にいるというのに。
「ネイス!!」
ヤ・シュトラの悲鳴。同時に、自分の体が横へと吹き飛ばされた。
宙を浮いた浮遊感。刹那、地面に叩きつけられる衝動に息が詰まった。
はっ、はっと荒れた息が漏れる。だが、衝撃のおかげか、体の内側から何かが溢れ返りそうな衝動はおさまっていた。同時に、突如浮かび上がった痛みも嘘のように静まっている。
(急所は回避できたのか……? でも、殴られた割には殴打の痛みがなさすぎるようなーー)
手に持ったままだった大剣を手にとり、ネイスは立ち上がる。
そして、彼は気がつく。
……ヤ・シュトラ?」
自分と同じように吹き飛ばされてきた女性が、地面に転がったまま動かないことに。暗闇ではっきりと分からないが、微かに漂ってくるのは嗅ぎ慣れてしまった血の匂いだ。
「ヤ・シュトラ! まさか、俺を庇って……!?」
だが、動揺している暇はない。足元から湧き上がった土塊の魔物は、今もこちらに向かって向かってきている。
古い時代に作られた防衛機構なのか、それとも自然に生み出された魔法生物なのか。どちらにしろ、ネイスには関係ない。
……すぐにこいつを倒して手当する。だから、待っててくれ」
今のネイスがするべきは、彼女にとりすがって涙することではない。そのようなことをしても何の意味もないのだと、ネイスは冒険者になる前から重々承知していた。
だから、自分がするべきは、剣を持ち、戦うことだ。
魔物は生み出した岩の両手で近くにあった岩塊を掴み、手当たり次第に投げつけてくる。それらをヤ・シュトラと自分の射線上にあるものだけを選んで大剣で薙ぎ払い、ネイスは相手へ肉薄する。
敵は岩でできている。ただ剣を叩きつけるだけでは、先に剣が駄目になる。だから、今載せるのは自身の腕力ではなく、己の魔力だ。そして、それを引き出す源は、自身のうちに眠る負の衝動。
「お前なんかに、俺の仲間をこれ以上傷つけさせるものかーー!!」
これは、前に向かって走るための正の衝動ではない。
これ以上、自分の大事なものを失ってたまるものかと、己が傷つくことを恐れるがゆえに吼える。その負の衝動こそが自分の武器になると教えてくれたのは、己と同じ姿をしたもう一人の影だ。
大上段に振りかぶった大剣に、沸き立つ黒いエネルギーを載せる。圧倒的な魔力の本流を受けて、本来の鉄の輝き以上に黒く輝く剣ーーそれを、ネイスは勢いのままに叩きつける!
魔物がたじろぐ姿を見て、今度は休む間もなく、横から更に一撃を重ね、
「これで、終わりだ……っ!!」
さらに下から抉るような斬撃が、魔物を真っ二つに切り裂く。カーヴ・アンド・スピットと呼ばれる大剣の連続攻撃は、確かに魔物を完膚なきまでに砕き切った。
だが、魔物が崩れ去るのを確かめても、ネイスは肩の力を抜くような真似はしなかった。すぐさま踵を返し、
「ヤ・シュトラ!」
「まったく、そんなに大きな声を出すものではなくってよ。あなたの大声で更に崩落したら、一体どうするの。皆と合流するのが更に遅れてしまうわ」
幼子を嗜めるような魔女の声に、ネイスは目を見開く。慌てて駆け寄った先では、土塊に塗れながらも、ヤ・シュトラがゆっくりと立ち上がるところだった。
「ヤ・シュトラ、さっきの怪我は……!?」
「問題ないわ。少し頭を打っただけよ。咄嗟に魔法で障壁を張ったのだけれど、完全な防御には至っていなかったのね。迂闊だったわ」
「でも、怪我をしていた。どうやって治したんだ」
「ネイス、お忘れかもしれないけれど、私は癒しの魔法も扱えるのよ。自分の負傷ぐらいは、自分で治してみせるわ」
ヤ・シュトラの苦笑混じりの言葉に、ネイスもハッとする。
確かに、近頃のヤ・シュトラは攻撃魔法を主体としているが、出会った当初の彼女は癒しの魔法を使っている場面が多かった。戦闘の仕方を変えたのだとしても、彼女から魔法を扱う才能が損なわれたわけではないのだ。
「そう……だったな。ごめん、俺が一人で慌てすぎた」
「謝ることではないわ。でも、そうね。一人で無理をしすぎないでほしいという意見には、私も賛成よ」
自分より一回り以上も大きいネイスを、ヤ・シュトラは、まるで子供でも見るような目でネイスを見つめている。もしネイスの頭がヤ・シュトラの手の届く位置にあったなら、彼女に頭を撫でられていたかもしれない。
「では、そろそろ行きましょうか。安心なさい。サンクレッドたちの気配は、すぐそこよ」
「そうか。じゃあ、今度は俺が先頭に立つ。ヤ・シュトラは進む方向だけ教えてくれ」
「分かったわ。頼りにしているわよ、闇の戦士様」
わざとおどけたような物言いをするのは、先ほど自分が庇いきれなかったことを気に病まないようにとの配慮だろう。
魔女の優しさに感謝しながら、ネイスは頷き、再び大剣を構えて歩き始めた。

***

(先ほどのネイスの様子……やっぱり、気のせいというわけにはいかないわね)
エーテルを見ているヤ・シュトラの目には、ネイスの放つ輝きは眩しすぎた。それは、比喩ではなく正真正銘、彼の放つエーテルが輝いて見えているのだ。
言葉だけを聞けば、原初世界で光の加護を受けている彼らしい輝きだと思うかもしれないが、実態は違う。その輝きは、もはや加護の領域を通り越して、目の前の青年を蝕みつつある。
(このまま、大罪喰いを討伐し続ければ、いずれ……
最悪の予測は、容易に打ち立てられる。だが、それを解決するための方法が見つからない。可能性を模索し続けても、ヤ・シュトラの目にはいまだに正解の糸筋が明瞭に浮かばない。
「ヤ・シュトラ。見てくれ、光が見える。出口だ!」
「なら、きっとあそこにサンクレッドたちもいるわね。急ぎましょう」
「ああ。でも、足元に気をつけてくれ。岩があちこち出っ張っていて、転びやすくなっている」
「ありがとう、ネイス。あなたはエスコートが上手ね」
「そんなことはない。俺は、まだまだだ」
ヤ・シュトラの冗談混じりの賛辞であっても、ネイスは頑なに首を横に振って見せる。生真面目というには、どこか張り詰めたものを感じさせる否定に、ヤ・シュトラは先ほどとは違う意味での苦味を感じていた。
(光の戦士として、解放者として、あなたは目をみはるような活躍をしている。この世界を覆う光も、本当に何とかしてしまえるかもしれない。だけれど……それは、本当に『あなた』の望みなのかしら)
出会った当初から、ヤ・シュトラはネイスからわずかな違和感を覚えていた。
前へ前へと走り続ける背中は、確かに思わず手を伸ばしたくなるような輝きを放っていた。彼なら、さまざまな問題を鮮やかに解決してくれると、無責任にもそんな期待を抱いてしまった。
けれども、長らくそばにいれば見えることもある。ネイスの中には、もしかしたらもっと違う何かが眠っているのではないかと、確証はないがそう思うことは何度もあった。
それが何かはわからない。けれども、いつか。
(そう、いつか……あなたが、もっと肩の力を抜いて私たちと向き合ってくれる日が来たら……なんて願ってしまうのは、私の傲慢かしら)
ちょうど、リーンがそうだったように。いつか、ネイスが心の底から掘り出した『自分』を見つけてくれたら。
「おーい、ネイス! ヤ・シュトラも、そこにいたのか!」
「ちょっと、二人とも! 一体どこに行っていたのよ! リーンなんか、心配で泣きそうになっていたのよ!」
「おや、そうだっただろうか。二人が怪我して動けなくなったらどうしようと一番に心配していたのは、アリゼーだった気がするが……ともあれ、二人とも無事でよかった」
「アルフィノ、余計なことは言わなくていいってば……!」
「二人とも、怪我はありませんか?! 今、手当しますね」
駆け寄ってきた仲間たちに向けて手を振るネイスの後ろで、魔女もまた小さく手をあげる。
胸の内に抱いた小さな願いが叶うことを、人知れず祈りながら。