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ユコ
2024-06-20 21:35:10
9552文字
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名の失われた食事
お題:いっぱい食べる君が好き
故郷の料理を再現する教授と無自覚な教授の愛に気づいてしまうアベンチュリンの話
青い車の屋台に据えられたガラスケースの中には、洗い立てなのか瑞々しく水滴をつけたカットされた色鮮やかな野菜たちが所狭しと並んでいる。
向日葵の花のように明るいパプリカの黄色、薄くスライスされたピクルスの断面の薄緑、トマトの血のように鮮やかな赤に、目に眩しいほど輝く玉ねぎの白。
そんな祭りで掲げられる万国旗のような色彩と共に、僕を出迎えるショーケースの野菜たちを前に僕は戸惑った。けれど、僕の前に立つ博識な友人は迷うことなく、まるで教壇で教鞭を振るうが如く、すらすらと店員に指示を出していく。
「レタス、トマト、玉ねぎのスライスに、生ハム。あとオリーブを追加。シュレッドチーズをトッピングにブレッドはハニーオーツを、仕上げはフレンチドレッシングで頼む」
第一真理大学の広場には、お昼時になるとたくさんの屋台が集う。昼食も取るのも勿体無いと感じる研究熱心な生徒や教授たちはここの屋台で弁当やパンを買って、自分の研究室で短い食事を取ってすぐに研究に戻るのだそうだ。
中でもサンドイッチは片手が空くから効率がいい、とはレイシオの談。本を片時も手放せない病気のような男にとっては、これ以上のご馳走はないのだろう。中でもこの屋台のサンドイッチ屋は、レイシオの一番のお気に入りらしい。
今日、僕が第一真理大学までわざわざ乗り込んだのは、なかなかレイシオがピアポイントで予定されている会談への参加の連絡を寄越さなかったからだった。どうせこちらの連絡に目も通していないんだろうと思ったが、ジェイドから「ぼうやが呼んだら教授はくるだろうからいってらっしゃい」と言われれば、僕は従うしかない。事前に言っても無駄なのだからと会談当日に乗り込んだら、「こんな昼時に迎えにくる奴がいるか」「昼食を食べる時間もない」などと連絡を寄越さなかった向こうが悪いはずなのに、永遠と尽きない文句を言われる。それじゃあ、とレストランを抑えようとしたら「昼から君の悪趣味なくどい店のコース料理など食う気も起こらない」などと失礼なことを言うので、じゃあもう好きにしてくれと投げたら、このサンドイッチ屋に連れてこられた。
「君は?」
「え? 僕はいいよ、昼飯は普段食べない」
「君は相変わらず不健康が歩いているような生活をしているな。急いでいるから君の分も同時に頼む。食べたいものは?」
「いや、食べたいものって言われても
……
」
問答無用で食えと言うことらしい。
しかし、こんな無数の食材を前に美味しい組み合わせを即座に選べと言っても、レイシオのようにできるわけがない。とは言え、レイシオの馴染みの店前で迷うのも格好が悪い。僕はこういう時の定番の答えを彼に返した。
「君が頼んだものと同じものでいいよ」
「わかった。もう一つ、パンをホワイトに変更、中身のハムをツナに変更したものを追加で頼む」
「承知いたしました」
同じ物を、と言ったはずなのに。なぜか中身を変えてレイシオは店員に僕のものを頼んだ。
上がってきた二つのサンドイッチの片方を、レイシオは無言で僕に差し出す。ずっしりと僕の手に乗っかる質量はサンドイッチの軽さではない。確かに包むグラフィン紙から覗くパンの間には溢れそうなぐらいの野菜が挟まれている。レイシオが贔屓にする店な訳だ。
「あ、ありがと
……
、後で適当に信用ポイント送るね」
「君の適当は多すぎる、800ポイントでいい」
「ええ、安すぎない?」
「庶民の食べ物とはこういう物だ。君の金銭感覚がおかしいのを知れ」
座って食べよう、とレイシオは広場の片隅のベンチへと足を向ける。
あの権威あるDr.レイシオが、どう考えても大学の関係者ではない派手な男と屋外でサンドイッチを共に食べようとしている状況に、周りがちらちらと僕達の方へ視線を寄越している。まぁレイシオの気難しさは大学中の周知のことだろうから、この状況に首を突っ込む勇気ある人間もいやしないだろう。大学の人間に僕みたいな人間と関係しているのが周知されることで不利益を被るのはレイシオだけで、僕にとっては損も得もない。
僕はベンチに座りながらレイシオに尋ねた。
「ねえ、なんで中身変えてくれたの?」
「
……
ツナは魚肉だから食べれると思ったが、僕の理解不足か?」
頭のいい人間の返答って、ちょっと一足飛びしてるんだよな。
頭が良すぎるが故に、相変わらずの会話コミュニケーションが若干不成立している返事に、僕は問いかけ直す。
「それって、どういう意味? 僕はツナが好きなんて話、君にした覚えもない。別に君と同じ生ハムのままでも
……
」
「君の故郷のツガンニヤは
……
、いやエヴィキン人は肉が食べれないのではなかったか? 特に豚や牛はNGだと」
「
……
、僕そんなこと、君に話したっけ」
もうこの宇宙では失われた知識をさらりと口にするレイシオに、僕は戸惑った。
困惑する僕を見て、教授は首を振る。
「ただの個人的な考察だ。君の故郷のツガンニヤは気候が厳しい乾燥地帯で、放牧が中心で農作物も豆や芋などぐらいしか育ちにくい。かつ星神信仰ではない独自の信仰を持つ文化では、食文化も僕たちと違う厳しい戒律がある土地が多いからな。
……
あとは君たちと対立していた民族の特性を考えると君は
草食主義
ベジタリアン
かと」
少し言葉を濁したが、ようするに彼は、エヴィキン人は僕たちと対立していたカティカ人とは違う風土をとっている民族だろうと仮定したらしい。
レイシオが仮定した通りだ。カティカ人は、凶暴で食欲が旺盛で、『肉』であればなんでも食べた。だから、あの砂しかない惑星で僕たちは牧畜も、兄弟も、祖父母も、父母も、最愛の姉も、何もかも失っていくしかできなかった。そんな僕たちの敵である民族と同じ物を口にしない風習が自然と僕たちの間で成り立ったのは、今思うと神などいなくても、当たり前の話だったのかも知れない。
無言になった僕に、レイシオは気分を害したのかと思ったらしい。素直な謝罪を口にする。
「
……
勝手な考察で気分を害したならすまない。思考が一人で先走りしてしまうのは僕の悪い癖だ」
「いや、だいたい当たってるよ。
……
学者っていうのはすごいね。見たように喋る」
案外、繊細な男だというのを仕事で組み始めて、僕はわかりはじめていた。
レイシオは僕を皮肉ったり、馬鹿にすることは多々あれど、僕が接してきた他の人間と全く違うのは僕の過去への弁え方だ。エヴィキン人としての僕の過去に無闇に土足で踏み入ることを彼は配慮するし、踏み込んだ時は謝罪を平気で口にする。僕を嫌いだと言いながら、僕を個として尊重する意識を忘れない、糞真面目な男。
そう言った彼の繊細な部分に触れるたび、きっとこの男は普通の鈍感な人間なら傷つかないもので、傷ついてきた男なんだろうな、と僕は商人の目で冷静に彼を観察して思う。人に配慮ができる人間は、大抵配慮されなかった側だからだ。誰もが初見で戸惑う石膏頭なんてもので彼の心を存護することなんかできやしないのに、彼は頑なに今もそれを被る根幹の理由はそこにあるんだと思う。
だからこのパンは、彼の繊細すぎる頭脳が先回りに導き出してしまった不器用な優しさだ。食べれないものは? と僕に直接聞くだけでいいのに、それをしないのがレイシオがレイシオたるところだ。
──賢すぎてコミュ症とか、宇宙広しと言えど君ぐらいだよ、教授。
そんな男の配慮されすぎた不要な優しさに、苦笑しながら僕は肩を竦めた。
「一つ、知識が大好きな教授のために訂正しておいてあげるよ。僕たち、エヴィキン人は確かに豚や牛は食べなかったけれど、牧畜である山羊だけは食べた。月に一度の祝日に、飼っていた牧畜の山羊を処分することが地母神の恵みで許されるんだ。山羊の命を奪うことが本当に神様に許されていたかは知らないけれど、僕たちはそうやって自分を許していかないと満足に食事もできなかったから。だから、エヴィキン人は肉を食べないわけではなく、食べるものがなかっただけだ。
……
あの砂漠の土地では、こんなみずみずしい葉物の野菜も食べれなかったしね」
そう言って、僕はありがたく大口を開けてサンドイッチに噛み付いた。
しゃり、と野菜のみずみずしい食感が口の中から響いた。噛めば噛むほど芯を感じるレタスの葉に、トマトの果汁の甘味が混ざる。そこにドレッシングの酸味とオリーブのしょっぱさとツナの脂身が混ざり合って、舌の上で一つになって広がった。
「
……
うま」
レイシオの謝罪と同じぐらい素直な感想が、つい口を出た。
思わず口元が綻ぶ。ただ野菜をパンで挟んでいるだけなのに、この味わい深さは不思議だった。
「すごい、パンがふかふわして柔らかい。野菜も一流のレストランに劣らないな。いやそれ以上かも」
「君は味覚は阿呆ではないんだな。これは生物生産科学学科の研究の代物だ。野菜の甘みを強める遺伝子操作をされた野菜で、校内の畑で朝取れたものを使っているのでどこの一流レストランにも劣らない新鮮さを誇っている」
「へえ、すごい」
凡人の代表みたいな当たり前の感想が出た。
でも、それぐらいシンプルに美味しい。
もう少し味を堪能していたいけれど、会談が予定されているピアポイントに戻るための星間列車に間に合うためにはあと十分も時間はない。二口目、三口目を必死に咀嚼していると、隣ではレイシオはとっくに食べ終わっていた。学者の昼飯にかける時間は短いというのは本当のようだ。
さっさとしろ、と怒られるのかと思ったが、何故か僕の顔を見て、レイシオは少し困った顔で笑った。
「君は意外とテーブルマナーは綺麗なのに、こういう食べ物の食べ方は凡人だな」
「何?」
「口の周りがソースだらけだ」
ついてる。
そう言って親指で僕の唇をレイシオが拭った。
ざわ。
目を背けようとした周りの視線が僕達に一気に食いついた気がするけど、無視をしよう。僕に不利益はない。不利益があるのは学生たちのむやみな噂のターゲットになるレイシオだけ。そう胸の内に言い聞かせて平静を保つ。
人の口の周りに残った食べこぼしを指で掬うベリタス・レイシオの姿なんて、この宇宙にあってはいけない。僕が手元のパンを地面に落下させなかっただけ褒めて欲しい。
自分が白昼堂々と何をしているのかの自覚もない教授様は、指についた汚れをナプキンで早々に拭いている。僕は口元のパン屑を手の甲で慌てて拭いながら言った。
「う
……
、うるさいな
……
、 ジェイドから教わったのはテーブルマナーだけだし、こういうものは普段あまり食べないんだよ」
人の価値を初見で決めるのは所作やマナーよ、だって醜くて輝かない宝石は誰も欲しがらないでしょう?
少しでも品のない食べ方をすれば、そう言って微笑むジェイドの氷のような視線が待っていたので、僕は自然とナイフとフォークの使い方がうまくなった。でも手掴みでの美しい食べ方というのはジェイドから教育されていない。
「僕たち、エヴィキン人はほとんど手掴みで食べるような食事ばっかりだったし。こんなふうにパンに挟む食事も最早上品なぐらいだ」
「なら、君たちはどんなものをよく食べたんだ? 豆や根菜類が主食だったというが調理は必要だろう。あのような土地では調理法も限られると思うが」
教授の問いに、僕は古い記憶を掘り返す。
──カカワーシャ、できたわよ。
記憶の深淵で、姉さんが僕の名前を甘く優しく呼ぶ。その手にある皿に乗っていたものは一体何と呼ぶべき食事だったんだろうか。
「うーん。あの料理、名前なんて言うんだろうなぁ
……
、ひよこ豆を潰して練ったペースト状のやつ。味が少し甘かったから蜂蜜が入っていたんだと思う。子供の頃は、小麦粉で作った薄いクレープの生地のようなパンにそれをディップしてよくおやつがわりにした。素朴な味で、悪くなかったな」
それは、しょっちゅうお腹の音を鳴らしていた僕を不憫に思ったのか、姉さんが僕によく作ってくれた料理だ。
砂漠の蒸し暑い中でひよこ豆をペーストするために、汗だくになりながら鍋に火をかけ、煮て柔らかくしたひよこ豆をすり潰す。僕の家の『それ』は他の家庭料理とは味付けが少し変わっていたみたいで、姉さんのレシピの隠し味は蜂蜜だった。だって、カカワーシャは甘い方が好きだものね、なんて子供扱いする姉さんに僕だって苦いものもたべれるとスパイスを適当に振りかけて、泣いたこともある。
今思うと、ネックレスなんかよりもよほどあの蜂蜜は貴重だったんじゃないだろうか。姉さんがどんな思いで僕にそれを用意してくれていたのかを、大人になった僕はいまさら思い知る。それが、彼女の愛だった。僕も本当は同じものを返したかった。食べたいものだって、欲しいものだって、なんだって今の僕なら彼女に与えられるんだろう。
──でも、もう遅い。
心臓の端っこをきゅっと握りつぶされるような寂しさを堪えて、僕はいつもの笑顔を唇に浮かべた。
「
……
小さい頃の僕にとっては、あれでご馳走だったんだ」
僕を迎える目に鮮やかな色とりどりの野菜より、何でも選び放題のサンドイッチの具材より。僕には手に入らない、永遠の贅沢。
レイシオは僕の話にそうか、と短く返事をするだけで、それ以上何も問わなかった。
レイシオは人の観察は得意だけれど、僕の深淵に自分からあえて踏み込んでやこないし、ましてやそこまでの僕への興味はないはずだ。
ちょっと感傷的な話をしすぎてしまったけれど、きっと賢い彼の頭はすぐに新しい知識や興味で埋まるだろう。それが学者という生き物だ。彼らの求める利は分かりやすくて、僕にとっては好ましい。
僕は食べかけのサンドイッチを片手に、腕時計の文字盤をレイシオに見せる。
「ねえ。ところでそろそろ移動しないと間に合わない」
「君の時間配分はやっぱり問題だな。僕一人なら十分で食事を済ませられた」
「君が質問してきたくせに。そもそも、こんなサイズが大きいサンドイッチ、十分で完食は僕には無理だよ」
口の中がパンでみっしり詰まっていて上手く噛めない。僕はあと残り三分の一程度になったパンを無理やり口の中に押し込もうとする。けれど、レイシオはそれを制した。
「別に急がなくていい。ゆっくり食べろ」
「へ?
……
だって君、遅刻は嫌いだろ」
今、僕がこのサンドを味わうことを諦めてワープステーションの車両に飛び乗れば、隣の惑星のピアポイントには予定時刻に間に合うはずだ。
僕の指摘に、レイシオは溜息をついた。
「先についているだろうトパーズに、一報を打っておく。どうせ退屈な会談に現れる老人たちに僕の知識が必要なだけなんだろう。彼女なら上手くやってくれるだろう。無理して詰め込む食事ほど意味のないものはない」
「
……
ありがと」
ピノコニーから生還してからの最近のレイシオは、口から出る言葉は厳しいが、時折こんなふうに僕に甘い。
甘くてちょっと、胸焼けがするぐらい。
その甘さは姉さんがあの頃作ってくれた料理の隠し味の蜂蜜に似ている。だって、カカワーシャは甘い方が好きだものね。なんて姉さんの甘い声が脳内に蘇って、僕は心の中で否定した。
そんなわけない。
彼は僕を他の人間よりも、認めているだけ。
彼が僕にだけ甘いなんて、あるわけがない。
だって、それじゃあ──。
僕は上手く噛みきれないパンの欠片を、無理やり喉奥に押し込むように飲み込んだ。
*
そんなレイシオとの短いランチタイムから数日経ったことだった。
博識学会とカンパニーでの今後の戦略的活動のスケジュールの確認のため、僕は博識学会に赴いていた。
今日の会議の時間配分はぴったりで、予定より一時間も早く終えることができたし、午前中に面倒な会議を終わらせたおかげで、レイシオの大切な昼食をとる時間はたっぷりあるだろう。
とはいえ、僕としては早めに予定を終わらせすぎた。次の商談はピアポイントであるけれど少し時間が空いているし、こんなにも僕の会議が早く終わると思っていないだろう部下たちが寄越してくる迎えの便まではまだ時間がある。
時間潰しに滞在できるようなレストランで昼食でも予約するか、と端末を操作しているとレイシオのわざとらしい溜息を後ろから聞こえた。
「どうせ君の小さな胃袋では食べ切れもしないのに昼からコース料理など検索してどうする。料理を残されるシェフの身にもなれ」
「はは、だって博識学会の中で僕の居場所なんてあってないようなものだし」
博識学会の中の建物で『エイジハゾ・アベンチュリン事件』の当事者で大罪人でもある僕には、針の筵みたいな視線を浴びせられるばかりだ。正直、レイシオの研究室ぐらいしか居場所がない。たとえカンパニーの幹部にまで上り詰めたって、博識学会を巻き込んだ犯罪者である立場は変わらない。僕の犯した罪で何人もの学者が博識学会から追い出されたと聞いている。そんなこの場所での僕の肩身の狭さを知っているレイシオは言った。
「君の残飯処理をするつもりはない。時間潰しを探しているなら、僕の研究室に立ち寄ればいい。ちょうど昼食を用意しようと思っていた。君の分もある」
「え? 僕の分?」
「そうだ」
一体どういう風の吹き回しなんだ。
僕は目を瞬かせることしかできなかった。
*
レイシオの研究室に入ると、少し待っていろ、とソファーに案内された。
研究室に供えられた簡易のキッチンで彼は何かを用意し出す。この研究室は、気難しいレイシオのために大学側が何もかもを用意した特別室だ。風呂も過眠室もキッチンもある程度は兼ね備えられている。
事前から仕込んでいたのか、数分も経たないうちに準備を終えてレイシオは僕の前に皿を並べた。
そこには万国旗のように僕を出迎えた色鮮やかな食事はどこにもない。
クリーム色した練られたペースト状のものにオリーブオイルがかかった皿が一つと、その側には薄いパンとも呼べない皮のようなものがパンケーキのように積まれている。
この宇宙の誰もがこんな貧相なものを食事とは呼ばないだろう。けれど、僕には非常に見覚えがあった。
「
……
これ、何」
「パンはピタパンと言うらしい。こちらのペースト状のものは作れはしたが、正しい名称はよくわからなかった」
「いや、名前は聞いてなくて。ねえ、レイシオ」
「作ってみて理解したが、豆だけで確かにタンパク質がとれるのは非常に土地性に優れた料理といえるのだろうな。調理の汎用性も高く、組みわせる物を選ばない。なかなか興味深い逸品だ。一応、オリーブオイルを添えたが、味付けに物足りなさを感じるならパプリカパウダーやハーブの用意はある」
「おい、レイシオ!」
「なんだ」
説明を途中で止められたレイシオは不満そうに眉を顰める。
落ち着け。
僕は荒げた声を落ち着かせるように、息を吐く。そうして、もう一度丁寧に彼に問い直した。
「君はどうして、この料理を?」
「ツガンニヤは確かに過酷な土地ではあるが、同じく乾燥地帯の惑星は他にも多くある。その土地の風土料理とは気候や環境で決まる物だから、案外、違う惑星でも似た料理がその土地に馴染んでいることが多い。乾燥地帯の惑星の中で比較的アーカイブがデータとして残っている惑星から調査した。あとは博識学会の中でも過去、カンパニーが介入する前の下調べとしてツガンニヤを調査した歴史学者の伝も使った」
「
……
そうじゃない。そうじゃないんだ、レイシオ。どうやってこの料理の作り方を調べたかは聞いてない。どうして作ったのか、って聞いてる。僕の話は、君の知的興味がそそられるものだったの?」
「知的興味はない。ただ、また君が美味しそうに食べる姿を見たいと思っただけだ」
この男は、何を言っているんだ。
宇宙中で取り合いになるような賢い頭脳が。無駄に一切時間を使いたくないと豪語する君が。
──ただのビジネスパートナーが美味しそうに食べる姿が見たいが故に、名前もわからない、見たこともない惑星の風土料理を調べ、調理し、僕に用意をした?
空いた口が塞がらない。
ぽかん、と間抜けに口を半開きにして机の上に広げられた料理をただ見つめることしかできない僕に、何を勘違いしたのか、レイシオは溜息をついた。
「まぁ、食べたくなければ食べなくていい。僕もこの味が正しいかは本物を食べたことがないからわからないしな。この味を美味しいと呼んでいいのかも僕にはわからなかった」
僕が呆然と固まっているのを、食べないと判断したのかレイシオが僕の前から皿を下げようとする。僕は慌てて彼の手を引き留めた。
「いや、食べる。これは僕のものだよ。
……
そうなんでしょ」
「
……
ならいい」
正直、レイシオが作ったツガンニヤの風土料理もどきは幼い頃姉さんが作ってくれたものと似ても似つかない味だった。近いのは見た目だけだ。でも、もう味なんてどうでもよかった。
姉さんがこの風土料理に蜂蜜の隠し味を入れてくれたのは、僕への愛だった。彼女のは僕のために困難なものを無償で用意してくれた。
目の前の男は、僕が美味しそうに食べる顔が見たいと言って、この宇宙では失われたはずの料理を再現した。
それを何と呼ぶのかが、わからないほど僕は愚かではない。彼岸で待つ僕の家族が、姉さんが、それを教えてくれたから。きっと自分を凡人と自称する教授様は、自分の行為の重さに、まだ自覚はないのだろうけれど。
「
……
ねえ、レイシオ。今度は君の故郷の料理を教えてくれない?」
相手の故郷の食事を知ったところで、交渉のタネにもなりやしない。
それでも、僕の口からつるりとその問いはこぼれた。
君のことが、知りたい。
何の利もなくても。
どうして、僕を知ろうとしてくれるのか。
彼が、何を考えているのか。
僕の問いかけの真意も知らずに、レイシオは口を開く。
「魚が君が苦手でなければ、今度振る舞ってやる」
「魚?」
「そうだ。僕の故郷は水資源が豊富だったから、魚や貝を使った料理が多かった。君の故郷とは真逆の環境だ」
「へえ、いいね。魚介は好きだよ」
君を知りたいと思うと、僕の世界が少しだけ広がるような気がする。
その知識はダイアモンドの歩もうとする存護の道の助力にもならないし、損にも得にもならない。僕の空っぽの人生に役には立たないのに。
でも、君を知らないと、僕は君に何も返せないから。
この感情をどう表現すればいいのか、まだ僕にはわからない。
けれど、失われた故郷の味を、気が遠くなるような広い宇宙の中で僕の舌と、彼の舌だけが知っている。そして、彼の無自覚なこの行動の原理を、愛を、僕は理解できる。あの日、姉さんが、僕を愛してくれたから。僕は口元に笑みを浮かべる。いつもの軽薄そうとトパーズによく言われてしまう笑顔とは違う笑顔に見えているといいと願う。
「君がよければ、また君と食事をしたいな、レイシオ」
この食事の意味をまだ理解できるこの身を、少しだけ幸せだと、初めて僕はこの日思った。
(名の失われた食事)
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