松本は地方都市に住む大学生だ。郊外にある大学へはバスで40分ほどかけ通っている。最寄りのバス停から近道として夜の繁華街を抜け、自宅へと帰る。
そんなある時、寂れた雑居ビルの建物の隙間に人が倒れているのを発見した。上下ともスーツのビシッと決めていたであろう格好で、ゴミ袋をクッションにして転がっている。仕事帰りに飲んで泥酔でもしたのだろうか。あんな大人にはなりたくない、そう目を背けようとするもある事に気付く。ベストから覗く白いYシャツが赤く変色していた。もしかしたら怪我でもしているのかもしれない。
男に駆け寄り、傷に触れない様気を付けつつも肩を力強く揺する。
「オイ君!大丈夫か!?」
息は浅く荒いもので、時々痛みを逃す様に弱々しく呻くぐらいだ。薄っら反応はあるもの意識が混濁しているのかもしれない。発熱しているのか少し触れるだけでも高い体温が手に伝わってくる。
病院っ……いや警察の方が良いのか……?焦りながらスマホを取り出す。今怪我しているから先に119番と考えボタンを押そうとすると、下から弱々しい声が聞こえてくる。
「ひとを呼ぶな……」
「いや何言ってるんだ!怪我してるじゃないか!」
「面倒だ……、やめろ……」
思ったよりも強い力で腕を払われると、手に持っていたスマホが2度ほどアスファルトの上を跳ねる。
「あっ」
「……ッ」
一方男は顔を歪めて腕を押さえる。
「おいっ無理するな!」
そう諌めつつスマホを拾いに行く。この程度の動作であの痛みの堪え様はやはり尋常ではない。
「大した事ない、放っとけ……」
よほど病院が嫌いなのか何か事情があるのか、目に見えて怪我をしているのに警察も病院は嫌だと頑なだ。松本は少し考えた後、男に怪我の程度を尋ねる事にした。
「……頭と右腕が焼けそうに痛い、背中も……。左ふくらはぎは撃たれた」
「撃っ!……分かった、文句言うなよ!」
想像もしなかった原因に言葉を失うも、やはり早急な手当が必要だと腹を括る。左隣にしゃがむと男の左腕を自分の肩に回させ、自分は男の腰を抱き勢いを付け持ち上げる。
「ッ、なにをするっ」
「何って、病院行かないならせめて家で手当しないと!」
右から聞こえる呻きと抗議を聞き流す。
「痛いのは申し訳ないけど我慢して貰えないか」
そんな遠くはない、もう少し辛抱してほしいと声を掛け、自分のアパートへと連れて行く。
部屋は1階にあるので扉の前まで行くのはそう難しくなかった。しかし右に負傷した男を密着させているため、右前面ポケットにある鍵を取り出すのには少し手間取った。
家に入り体格の良い男2人が狭い廊下を横並びに進む。部屋に入ろうとするもそう言えばと気付く。リビングで座るのとベッドで横になるの、どの姿勢が1番無理ないのだろうか。立ち止まり悩んでたのが伝わったのか、隣から声が掛けられる。
「右を上に横向きに転がるのがいい……」
「分かった、そしたらベッドに行こう」
自分の寝室に入り男を最初に倒れていたのと同じ体勢で寝転がらせる。
「……オレが、危ない人間だと考えないのか」
「ん、そうだな」
警戒したままの男に合わせ、相手の体をパンパンと軽く叩きボディチェックをする。途中傷に障ったのか、男が呻くと共に顔をしかめる。
「そんな怪我してる奴に襲われるとも思えない。危なさそうなものも持ってなさそうだし、回復してから考えるよ」
リビングに行き救急箱を手に取る。箱を開け手当をしようとするも、道具がない事に気付く。擦りむいたり包丁で切ったりする程度の軽い怪我用だ。大怪我を手当できる様な量は備蓄していない。
他に現在の食べ物の在庫を確認し、財布とトートバッグを掴み寝室に声を掛ける。
「ちょっと救急道具と食べる物を買ってくる。なにか欲しいものはあるか?」
堪えるような荒い息は返ってくるものの、特に返事はない。
「なるべく早く帰ってくる。留守番をお願いするよ」
松本は帰って来てすぐ男の服を脱がし手当を行った。男が着ていた衣類は血と多分ゴミ袋の生臭さとアルコール臭が強かったので洗わせて貰う。物資を購入してきたのは1番近場の小ぢんまりしたドラッグストアだった為、肌着以外で着られそうな衣料品はなかった。体格は同じぐらいだから、自分のシャツで我慢して貰おう。クローゼットから脱ぎ着しやすく比較的新そうな衣類を探す。
全身を見分しガーゼや保護テープで傷口を保護し、ねじると痛いと言う右腕は痛みのある方向へ曲がらない様固定する。曲げる際変に引っかかるところがなく、電気が流れる様な痛みもないと言うので、今のところ骨折や神経に異常はないと思われる。
「腕は強く捻っただけで、骨は多分大丈夫だと思う。俺に怪我の経験があってよかったな」
「ケンカでもやったのか」
「そんなわけないだろ。バスケやってたから、怪我の固定はよくやってたんだよ」
でも病院にはちゃんと行ってほしい、一応念押しをする。
買ってきた食べ物を漁り、パンとお湯を入れて混ぜるだけのスープを用意する。レトルトタイプのお粥やゼリー飲料も買ってきたが、普通に食べられると言うのでこれらはそのうち自分が消費する事にしよう。しかし男はベッドから体を起こしたものの、ローテーブルにある食事を見つめたまま動こうとしない。
「傷が痛むのか?食べさせようか」
松本はそう言って親切心からスプーンを手に取り、スープ掬って男の口元へ持って行く。
「ほら、口開けて」
「…………」
「あっ」
男が無言で腕を払うと掬ったコンソメスープが溢れる。
「食べれないんだろ?遠慮しなくていいぞ」
「……自分で食べる」
松本が溢れたスープを拭き再び掬う前に渋々と言った返事が返ってくる。スプーンを受け取り怪我をしてない左手でぎこちなく口に入れる。それ見た松本は自分も夕飯にしようかと部屋を出ようとするが、振り返り聞き忘れていた事を尋ねる。
「あ、せめて名前ぐらい教えてくれないか?君とかお前じゃなくて名前で呼びたいんだ」
そう言うと男は少し考える様に沈黙した後口を開く。
「……深津だ」
「深津か、よろしくな。俺は松本だ」
本名でもニックネームや偽名でも良かったけど、まともな返答に少しでも心を開いてくれた気がして嬉しくなる。
「俺はリビングにいるから、何かあったら遠慮なく呼んでほしい」
次の日、朝食と傷の様子を確認しに深津のいる自室へ入る。血液を吸収し赤くなったガーゼを交換しながら、気になってはいたものの聞きにくかった質問を投げかけてみる。
「……言いたくなきゃ言わなくていいんだけど、何でそんな目に遭ったんだ?」
深津は逡巡するも答えてくれる。
「……面倒な客と揉めた」
「面倒なって……そんな酷い客なのか?!」
「カチコんできたから、そこにあった椅子とかビンでこう」
深津は淡々と説明をしながら、下ろした左手で細いものを掴みそのまま振り被る仕草をする。
「ヒェッ……」
警察に密着したドキュメンタリーやアウトローものの映像作品でしか見た事のない状況に、松本は目を見開き信じられないと言った表情する。
「だから、正直匿ってくれるのは有難い」
「っわかった!安全が確保されるまで全然家にいてくれ!俺大学で日中はいないけど、テレビもクーラーも自由に使ってくれて構わない」
そんな危ない出来事から逃げているなら手助けをしたい。力強く宣言するも、漁って貰うと困る場所を思い出す。
「あ〜でも、貴重品とベッドの下は漁らないでほしい」
ちょっと……隠しものがあって、と気恥ずかしさから誤魔化す様に伝える。具体的にはベタな場所に大人向けな作品を保管していると言う事だ。
大学は夏休みだから朝食と深津の昼食を作り、部活のため大学へ行き3時頃に家へ戻る。いつもの様にリビングのテーブルで勉強していると、部屋から深津が声を掛けてくる。
「松本は仕事とかしているのか」
「俺はまだ大学生だから、今みたいな長期休みにバイトするぐらいだな」
「休みなのか」
「今は夏休みだな」
「……」
「あ、都合が悪いなら言ってほしい。図書館ででも時間潰せるから」
その後詮索する事はなかったが向こうから話かけてくる事も殆どなく、何事もなく1週間が過ぎた。
ある日松本が部活から帰ると、部屋に深津はいなかった。外出するなんて珍しい、そう思っていたものの日が暮れても戻ってこない。無事自宅に帰ったのだろうか、それともどこかで倒れたりしてないだろうか。傷口は塞がりつつあったとは言え完治するには時間がかかると思ってはいたが、大丈夫か心配になる。
昼夜問わずクーラーが要らなくなった頃、1人の男が松本のアパートを尋ねてきた。
「礼を返しに来たピョン」
「何の話か分かりませんが、結構です」
松本がドアスコープで確認するも、見覚えのない人物だ。どうせ宗教か何かだろう。にべもなく断ると、外の男が慌てた様に扉を叩き名を名乗る。
「松本待つピョン。深津ピョン」
フカツ、フカツ……聞き覚えのある名前だ、誰だっけ。俺が礼をされる何かをした……なんの話だ?ドアスコープのカバーを戻し松本が記憶を辿っていると、フカツと名乗る男がより詳細な情報を付け加える。
「怪我して世話になったからお礼をしに来たピョン」
「ああ!ごめん、思い出せなかった!今開ける!」
深津がいなくなって最初の1,2週間は心配だったものの、正直毎日の学生生活に埋もれて忘れてしまっていた。また以前深津の髪は緩く跳ねさせていたものの、目の前の男の髪は黒く短い坊主頭のため、雰囲気が違い気付かなかったのもある。とは言え、玄関を開けはしたが、わざわざ畏まったお礼を受け取るつもりはない。
「別にお礼はいらないぞ。俺が勝手にした事だし」
「礼をさせて貰えるまで帰らないピョン」
「そうは言ってもなぁ……」
どうやって帰って貰おうか……。松本が思案していると、深津が恐ろしい追い討ちをかける。
「出待ちと待機、荒事は得意ピョン」
これはテコでも動かないな。松本はそう判断し、ゆっくりできそうな場所をいくつか頭の中に思い浮かべる。
「じゃあ……、近くの喫茶店に来てくれるか?」
比較的大きな通り2つ向こうの喫茶店に移動し、取り敢えず飲み物を注文する。
「今は何してたピョン」
「今日は3時まで大学で、後はする事なくて家にいた」
「大学生は暇ピョン?」
「人によるかな。選択する講義次第で時間の空き方が違うんだ。水曜日なら昼食後の講義はあるけど、その次は1年の続き科目で俺は取れない。だけど最後の講義と部活があるから夕方まで学校で待機なんだ」
「面倒臭いピョン。なら一度帰ればいいピョン」
「帰ったらバスがなくて遅刻するんだよ」
だから似た様な人で集まって勉強するんだ。松本がそう言うと深津は黙り込んでしまった。分かったかどうか微妙な反応だ。
「じゃあ、今日の講義と部活はどうしたピョン」
深津が指摘する通り、今は夕方よりも随分と早い時間だ。
「午後最後のコマは休講。バスケは今……ちょっと、できないんだ」
視線を彷徨わせ言い辛そうに言葉を濁すと、深津の黒い瞳が松本を見据える。
「サボりピョン?」
「脚を怪我して。ドクターストップ」
テーピングで補助しているとは言え痛いものは痛い。深津が納得した様に頷く。
「だから歩き方が可笑しかったピョン」
「そう、療養中だしなるべく脚を休めたかったんだ。早くバスケしたいしな」
治るまでバスケできない走れないなんて耐えられない、一刻も早く治さないと。復帰に燃える松本を見て深津が喜色を表す。
「じゃあ手伝うピョン」
「それには及ばないよ。安静にしてれば3ヶ月で治るとは言われてるんだ」
松本は苦笑しつつ、今日深津と再会してから疑問に思っていた事を恐る恐る口にしてみる。
「ちなみに……その、ピョンって何なんだ……?深津、前はそんな喋り方じゃなかっただろ……?」
「オフの切り替えとマイブームピョン~」
深津は無表情のまま声だけを弾ませピースサインを作る。変な奴だ……。
「そういや深津は学校……いや仕事か、行かなくて大丈夫なのか?」
「仕事は夜からだから日中は休みピョン」
「そうなのか。いや、そしたら本来寝てたりする時間じゃないか?俺といていいのか?」
松本は何の疑いもなく深津も日中に活動するものだと思っていたため焦る。睡眠時間を削ってまでお礼をされるのは流石に困る。
「普段からこの時間は起きてるピョン。休みに友達といたら駄目ピョン?」
深津は平然と告げる中、友達という単語をのみをぎこちなく口に乗せる。思いも寄らない言葉に、松本は目を瞬かせる。
「えっ?」
「わざわざ礼に来たのは松本を気に入ったからピョン。じゃなければ来ないピョン」
変わらず無表情ではあるものの、先程まで真っ直ぐ見つめてきた深津の吸い込まれそうな瞳が僅かに揺れる。
「ん、……じゃあ、そうだな。お礼というかお願いだ。友人としてたまに会ってくれないか?」
昼間の長さが段々と短くなり、夕方にはまだ早い時間にも関わらず傾いた日差しが目に刺さる。
松本と深津は松本のアパート近くの川沿いをぶらぶらと歩く。歩くと言っても店が並ぶわけでもなくまだ松本の脚の怪我が治ってもいないため、少し移動して寒い中ほとんどをベンチに座って喋っている。
この川に面した木々は現在葉のない幹と枝の姿ではあるが、春になると淡いピンクで彩られて綺麗なんだと松本が紹介する。ただ、この休憩スペースから見える橋の隣にある木が、他と比べ元気がなく気掛かりだと言う。
「木自体はそんな大きくないから寿命じゃなさそうだし、虫とか病気じゃなければいいんだけど」
「場所の問題ピョン。他の木と比べて周りコンクリで囲ってあるし伸びた根も人と車に踏まれてるピョン」
そう言う深津は興味なさそうだ。一方それもあると思うけどと言う松本の態度は煮え切らない。
「よく見る桜はクローンなんだって。だから病気になりやすいし流行ったら全滅だし、接木で増やす事は出来ても種を作る事はできないんだ」
だから心配なんだ。気を揉む松本に深津は理解できないと訝しがる。
「新しく生み出せない一瞬しか咲かない花に、何をそんな有り難がるピョン」
深津は首を傾げ、香具師に俺達は儲かるけどと心の内で思うも口にはしない。
「そりゃ綺麗だからじゃないのか」
そう言う松本は満開の桜を思い浮かべているのか、満面の笑みで目を輝かせる。
「寒い冬が終わって一春が来たぞ〜!って楽しい気分にしてくれるし、咲くのも散ってしまうのもあっという間なのに、全力で楽しませてくれる。その一瞬が綺麗だろ?」
それだけで十分じゃないか?
「……あまり考えた事なかったピョン」
深津にとって栄華を誇った花が一瞬で散る寂しさと、事務所の湧いて出る花びら掃除と別の掃除の連想及び終わりの見えなさから、あまり桜が好きではなかった。だけどこの陽だまりの様な男が言うのなら、多分悪くはないものなのだろう。
「今度楽しむ様努力してみるピョン」
「ははは、そこまでするもんじゃないだろ」
既に陽は影ってしまってるのに、それを引き戻す様な眩しい笑顔で笑う。
「……松本みたいな奴は初めてピョン」
「ん?」
「院にいた時は、こんな穏やかな事はなかったピョン」
深津が正面を向きながらもどこか遠くを見る様に呟く。
「イン?深津、大学院じゃなかったよな?」
「少年院ピョン」
あ、これは聞いて良い話なんだろうか。松本は息を詰め静かに焦る。
「そうなのか」
「追い出されてからは全て自分で面倒見ないと生活もままならないからこんな余裕なかったし荒れてたピョン」
「……そうなのか」
思わず手が自分より少し下にある頭を撫でていた。撫でられた深津は反射的に振り向き、驚いた様に目を白黒させる。
「ピョン」
「あ、ごめん。頑張ったんだなって思ったんだ。荒れてたかもしれないけど、一生懸命頑張ったから今の深津があるんだろ」
だから、1人きりで頑張ってた時の分も今褒めようかと思って。以前より少し髪が長くなり、くるくると跳ね出した毛先をなぞる様に指を滑らせる。
「……ピョン」
深津は頭をされるがままに、視線を下ろし少し考えてから噛み締める様に微笑む。
「松本に会うために頑張ったのかもしれないピョン」
「おっ?それは嬉しいな!」
♢・♢・♢・♢
木の葉が降り積もり、隠したものが見つかりにくくなる時期。人気のない山、いつもの処分先。目の前には2人の仕事仲間と連れてきた男がいる。
深津が松本と遭ったのは運営を任されてるカジノのガサ入れがあった日。当然合法的ではないところだ、俺は客を誘導しボディーガードが警官と取っ組み合う。やるかやられるか、怒声とぶつかる音が絶え間なく続く。捕まりはしないしただ捕まるのでは面子が立たない。俺達はその辺の物を引っ掴み武器にして戦った。
組織の者は大方逃げ果せたものの、残りは病院か留置所で、目の前の男はどういう事か他の客よりも相当早く釈放された。その後も何度か店を窺う様に通り過ぎはするものの、流石に入ってくる様な面の厚さはなかった様だ。事情を聞こうと訪問したら逃げ出した為、少々手荒に眠らせ小旅行となったところだ。
徒歩で山を登ればそこは人里離れた森の中。生い茂る緑と葉の落ちた視界を遮る枯れ木の様な大木や、層となった乾いた木の葉が人の手の入らなさを教えてくれる。担いだ男を地面に放り投げ、目覚めの一発を入れる。腹を押さえ痛みに悶える男をうつ伏せに転がし、帽子を被った仲間が乗り上げ両手を捻り上げ後ろ手に拘束する。
「オイ起きろ、質問に答えるんだ」
連れてきた男は飽きることなく泣き叫ぶ。猿轡をしているというのに意味のない雄叫びの様な悲鳴を絶え間なく発する。足や拳を入れてやれば静かにはなるが、色んな体液を吐き出し汚れる為あまりやりたくはない。
最初は指と爪の間にカッターの刃を刺していたところだが、焦ったくなったパーカーが指をまとめて2本程折った。そのうち地面をのたうち回る男の拘束が面倒になった為、その辺の木から逆さに吊るして縛った。トマトになって押し黙った後は頭から血を吹き出しながら青くなっている。とっとと話せばいいと言うのに強情な事だ。
組織内の仕事としては老人から金を毟り取り、金持ちの機嫌を取りつつ巻き上げる事だ。今回はその資金源の1つを潰された。
顔も知らない上流の組織の奴等は何より大事な面子を潰された。普段偉そうにしてるウチの上の奴等はペコペコ低姿勢が傑作だった。しかし一時的に資金源と遊び場を潰されたものの上納金は変わらず、ウチだけでなく場合によっては上流まで捜査の手が回るかもしれない。要するにこちらも必死だ。
無実だとしてもこいつを主犯に仕立て上げれば良い。ただこいつが元凶なら方法や警察の情報をできる限り入手したい。死んでしまっては元も子もない為、吊り下げていた縄を切り男を地面に落とす。
芋虫の様に転がる男は最初と比べて大分生気を削がれ、息も絶え絶えに懇願してくる。
「しゃべれば……帰してくれますか……」
「さあ?内容にもよるな」
「もしかしたら帰れるかもしれねぇ、それぐらいだな」
「……!?かっ……、金を渋るからチクったんだよ!活でもっ入れてやろうと思って……!こっちは高い会費払っ……」
逆上した男が言い終わる前に顔面にパーカーの拳が入る。
「チクったのがこいつならも~必要ねぇよなァ?」
「ちゃんと詳細を聞き出せよ」
深津は一応忠告をするものの止めはしない。俺より体格は劣るものの弱い者を甚振るのが趣味の奴だ、楽しむ分時間は掛かるだろう。
最初こそ深津は様子を眺めていたものの、すぐに興味をなくしキョロキョロと周囲を見回す。伸びる緑の合間から、左右の木に被さる様に枝を伸ばす葉のない大木を見つける。ああそうだ、確かこの木だ。
初めて仕事に連れられてきた日、今にも消えそうな命と雄大な緑と茶色、滅多に見ない白の上に倒れる黒と散った赤それに舞い落ちるピンクを覚えている。眼の前の美しい光景に鳥肌が立った。
この木の下にしよう。
『桜って綺麗だよな!』
松本の笑顔を思い出しながら木の根元近くに穴を掘る。根にぶつかり石を掘り当てながらも一心不乱に掘り進める。掘り返される事のなかった土は固い。汗をかき段々と腕や背中に筋肉痛が現れる。上着を脱ぎ捨て、下半身が隠れる深さまで掘ったところでパーカーと帽子の男がやって来た。
「逃げたかと思ったぜ」
「わざわざ新しいところに掘ったのか」
「ご苦労なこった。その辺に転がせばいいだろ」
「来る時枝を切った跡があった。放置された山のはずだがハンターかベトナム人でも来てるかもしれない」
穴の中に死体を隠す事について、尤もらしい理由をでっち上げる。
「だからって根が張ってるところに掘らなくていいだろ」
「おう、いつものところあるだろ」
「ここまで掘ったんだ手伝え。俺は疲れたから休憩する」
持っていたスコップをパーカーに押し付け、手足を伸ばし土埃を叩いて落とす。元の場所に戻り男を見下ろすと本来の顔が分からない惨状だ。
「派手にやったな」
ヒュー……、ヒュー……と小さく笛の音を漏らす男は虫の息だ。周りは男が出したあらゆる体液に塗れており、それらに触らない様気を付ける。ポケットを探り財布を開いてみるものの、カード類は端末の中のようだ。取り敢えず身につけてる換金できそうなものを外す。スマートフォンはしっかりと画面が壊れているが、欲しいのはデータだ。本体も中古として売るつもりではあったがまあ仕方がない。
嫌々ながら穴を掘る2人を視界の端に、松本と見る木々の春の姿を想像し息を吐く。身内贔屓だけな優しさじゃない。松本の幸せで包まれて育った暖かさが、深津の荒んだ心を癒してくれる。気に障る音の発生源を冷たく見下ろし呟く。
その木は何も生まない木だけど松本を喜ばせてくれる。お前は質の良い養分だったが組織に歯向かった時点で用済みだ。せめて綺麗な花を咲かせられる事を光栄に思うんだな。
男の足首を掴んで引き摺りながら休憩が多くなった2人に近付く。穴の深さを確認し男を虫の息のあるまま放りそのまま土を被せる。車を運転し帰路の途に就きながらこの後の予定を頭に浮かべる。報告をした後このまま用心棒だ。
♢・♢・♢・♢
<脚、問題ないって!>
松本からメッセージが送られてきてから、深津はそわそわととても落ち着きがなかった。人や廃棄物処理の仕事が入るのを今か今かと待ち望んだ。
最初は茶色く素っ気なかった木が、次行った時にはつぼみが膨らみ色の濃いのピンクに彩られた。その次は少し空いてしまったためまだ半分程開いたつぼみが枝全体まで広がり、喜びで仕事を忘れ斜面を転がって走り回って叫びたくなった。しかしそれと同時に次来る時にはもう満開で散ってしまうんじゃないか、そう不安で一杯になった。
それから深津は毎日の様に桜の状況確認に通った。ガソリンと自由時間が驚く程減少したものの、使命感の様なものに燃えていた。
当然、仕事先で仮眠する事が増えた。しかし同時に、何か良い事があったのか嬉しそうだとも指摘された。損得関係なくここの客全員大勝ちさせてやろうか、そう思うぐらいには浮かれていた。
<春休みに入った>
その後松本と会える機会が増え、すぐにでもあの場所を教えたくて仕方がなかった。しかし深津は、逸る気持ちを抑え桜が満開に近付くのを待った。うんと暖かくなった日、まだ茶色が目立っていたものが一気に花開き、木全体に鮮やかなピンクが広がった。
これは、満開と呼んで良いんじゃないだろうか!
人目のない今度こそ、喜びの雄叫びを上げた。いつになくはしゃいだ気持ちで拳を握り小躍りする。早くこの光景を松本に見せてあげたい。できればゆっくり過ごしたい。仕事が休みの日を確認して松本に電話を掛ける。連れて行きたい場所があるとだけ伝え、互いの予定をすり合わせる。詳しく話したい気持ちを抑え、当日は山道を歩く準備と念のため防寒対策をする様伝えた。
当日、深津はこれまでになく上擦った気持ちで運転席に座り、アパートで松本を乗せて目的地へと走る。日陰は肌寒いものの陽が当たると暖かく、常時熱される車内は温室の様に熱が籠る。窓を開けると、柔らかい春の香りと生暖かい風が通り抜ける。
「とっておきのところまでドライブだピョン」
平常心を装う深津の声は弾んでいる。
「どこ行くんだ?」
「秘密ピョン」
「ふ~ん」
そう呟き松本は気にする事なく、ここ開けていい?と車内を物色する。
「深津って車持ってたんだな」
組織から中古で払い下げられた車ではあるが、普段から乗ってはいる。普段上の命で運転させられるだけなのが気分悪いからであって、運転自体は好きでも嫌いでもない。
「送迎時の運転は下っ端の仕事ピョン」
面倒臭そうに言うと、松本が納得した様に返す。
「あ〜。大学の友達も言ってたわ、1番下だから姉ちゃん達にコキ使われるって。だから運転上手いんだな」
「ピョン」
少しでも乗り心地が悪くなると蹴りを入れてくる上の人間のせいではあるが、松本に褒められると嬉しくなる。深津が安全運転を続ける傍ら、松本は近くの建物の特徴や看板の文字、畑に刺さってるカカシモドキなど、目に入った景色を報告してくれる。
段々と傾斜や左右のカーブがきつくなり平野から山里へと入ってく。コンビニやガソリンスタンドがなくなり街灯の間隔も相当広くなってくる。松本は続けてたお喋りから気もそぞろになり、キョロキョロと周辺の景色を伺う。
「ここ夜真っ暗だろうな……」
「怖いピョン?」
「いや、どちらかと言うと楽しいかな。こんな山道、学校の校外学習の登山とかぐらいでしか通った事ない気がする」
松本は言葉通り物珍しさから楽しそうにしている。相変わらず古い民家に似つかわしくない大きな車が止まっているだとか看板に歴史を感じるだとか、ゴミ集積場やポストを見つけては感動している。
仕事で人間を連れてくる時は気絶させていたし、起きた時は怯えたり暴れたりしている事が多い。
『何が目的だ早く降ろせ!』
松本にそんな事を言われたらちょっとしばらくは立ち直れなかった。目的地が地獄でないからか信頼されているからか。人の善性を疑いもしない松本の態度が、普段の奴等と違う事に少し安堵する。
広くなった路肩、車の休憩場所の様な場所に車を停める。
「車はここまで、ここから歩くピョン」
この辺りは霜が降りても雪は降らない。カラカラに乾燥した落ち葉のクッションを踏みしめながら山道を登る。最初深津は松本を振り返って確認していたものの、坂道ランと変わらないなんて言っているので脚の方は問題ない様だ。
少し歩くと枝の茶色や常緑木の緑に混じりピンク色が見えてくる。ここは山であるから大きく育てる事を前提とし、木の間隔が広く取られている。それでも桜の木が高く、緑の木の頭上から覆い被さるように大きくピンク色の傘を広げている。そしてそのピンクが見える部分至るところから、ひらひらと色の濃い桜吹雪が舞っている。
「うわすごい綺麗だな!よくこんなところ見つけたな!」
思わず口を衝いて出た松本の歓声に、深津は内心ガッツポーズをするも口ではぼかして返す。
「別に、仕事のついでピョン」
仕事内容はあまり詳しく教えてはいない。松本は知らなくていい世界だから。
「そっか、副業で林業してるんだっけ?じゃあ普段から目にしてるのか」
最近は開花状況の確認に私用で通ってはいたものの、元々仕事でこの辺には来る。
「そんなところピョン」
「でも、仕事場を俺に教えてよかったのか?部外者なのに……」
「松本と見たいから連れてきたピョン」
これは嘘じゃない、紛れもない本心だ。松本が桜を楽しみにしてたから俺も楽しみになったんだ。
「本当か?!嬉しいな!」
「……松本が見たいならいくらでも連れてくるピョン」
想像通り、いやそれ以上の喜び様に、こちらも嬉しくなってくる
「迷惑じゃなければお願いしたい!」
「すごいな……」「でっかいな……」
松本は遥か頭上の桜の花を見上げ、壊れた様に同じ言葉を繰り返す。そのまま木の幹に近付くと、腕を左右に広げ抱える様な仕草をする。松本の長い腕でも1周するには程遠い太さがある。
「どうしたらこんな大きくなるんだろう」
これに深津は若干誇らしげに答える。
「栄養ピョン。ここなら糞尿も死体だって全部吸収できるピョン」
そうなってほしくてこの下に埋めたから。少しは自分の行動も、松本を喜ばせる要因になってほしい。
「そうだよな、野生動物とかたくさんいるだろうし舗装されてないもんな……切られる事もないしだろうし悠々と大きくなれる」
ずっとここにいるのかな……すごいな……
目の前の光景に圧倒され感傷に浸っていた松本が、ふと気付いた様に呟く。
「これ河津桜、かな?」
「何ピョン」
「桜の種類だよ」
聞き覚えのない名前に、深津は目を白黒させる。
「よく見る桜じゃないピョン?」
「ソメイヨシノの時期はまだだし、花の色が濃いし多分別の種類だと思う」
「……ピョン」
桜は桜としか思ってなかった。もしかして松本が見たがってたものとは違うのだろうか。今の今まで喜んでくれていたと思ったものの、深津は冷や水を浴びせられた様に不安がよぎる。
「たしか寒い時に咲くみたいな……早咲きの桜だよ。街の桜はまだだから、俺達が花見1番乗りだ」
「ピョン」
俺にその種類の違いは分からないけど、松本は嬉しそうにしている。俺達が1番乗りなら他の人も、松本が他の誰とも見ていないわけで。ちょっと嬉しくなる。
日が短くなってきたとは言え、山の陰りは早い。まだ明るい内に車に戻ったものの、外は既に薄暗い。
「深津、ありがとうな。特別な場所を教えてくれて」
「見た時松本の顔が思い浮かんだから連れてきただけピョン」
「そっか、嬉しいな。仕事中も俺の事思い出してくれて」
「見たくなったらまた連れて来るピョン。いつもの桜並木も行くピョン」
車に乗る前に調べたところ、河津桜の花は咲き始めから1ヶ月程保つらしい。今はもう散り始めてはいるから分からないが、望めば明日だって来年だって一緒に見に行きたい。
もっと暖かくなれば、いつもの桜並木も花を付け出すはずだから。
「楽しみピョン」
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