2024-06-18 20:40:37
2145文字
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そうして彼は本を焼く 2

鯉をしてしまった、ようすのおかしいひとふり。

底がみえない後悔と、海より深い反省と、はかりしれない面目無さ。幾ばくかの面映ゆさ、いたたまれなさ。
それから厄介なのが、植えついて根をはり確かに芽生えた、この感情。
主人から『くわしい話』を聞くまで単なる小さなささやかな好感なのだろうと勘違いしていた、この感覚。
知らなかったうちはまったく気付かなかったということが、主人の聞かせてくれた『くわしい話』は事実であるというなによりの証左となった。

万屋の通り とおりに赤いカーネーションがたくさん飾られているのを眺めて思う。まだ見たことはないが、あのくらいの赤なんだろうかと。
味噌汁の椀も赤。同志のかわいい爪も赤、瞳も赤……いや、それを重ねて眺めてしまってはばつが悪い、じっと見られたからだろう、不思議そうな顔をさせてしまったこといささか申し訳なく思いつつ軽く詫びを述べて以降は同じかもしれない赤い彩りを持って顕現をした刀たちの瞳や髪をながめて連想したり思い浮かべてしまうことは意識的に自粛をすると決めておく。あの本には、真っ黒ではないと記されていた。その黒髪は、光を受けたらわかる。この髪を黒とするならそれとは質の違う黒髪、ほんのすこし茶色がかっているらしい。そして癖毛。すこしはねていて、けれどさわると存外やわらかい。その黒髪は片側に、朱があるのだと。おかげで、つい、考えてしまう。赤いものを見かけると。自分の鞘までまじまじと眺めて、ああ、もしもこのぐらいの赤なら揃いになるんだろうかと思えてすこし笑ってしまうほどだから、ずいぶんとあの一冊には毒された。毒された。毒……毒するものであるというのなら効果が出るまでわからない。侵されているとは気付けない遅効性の毒、か。今なら思うそう、なにも知らなかったら気付かなかったと本気で思う。
頭の中を、それほどまで「そいつ」に占められていた、ということ。そして、そのことに対してなんの疑問も抱かなかった。
自分が「その刀」のことをずっと考えているのはごく普通のこと、日が昇りまた沈むのと同じ。「その刀」について想いを馳せ、こうして胸が締め付けられて、その感覚がなんとも心地好く幸せでちいさな溜め息が出たなら、また息を吸って吐くのと同じそのぐらい、あたりまえのこと。



………は?



いったい、なにが「あたりまえ」だ?

この本丸に居もしないひとふり。話したことはない、演練で他本丸の個体を見かけたこともない、在ること。居ること。顕現し得る刀だとは知っていた。しかし、進んで容姿を確かめようとまで考えることはなかった。そう、 やっこさんが人の身を得たならどんな容姿となる刀なのか……すがたを見たこともなかった。資料を見た、写真を見た、似顔絵を見た。そのときまでは、わざわざ「確かめよう」とは特には思わなかったのを。
どんな容姿か気になった。顔を見てみたくなった。辛抱たまらず検索で調べたああ、こんな姿なんだなあ、俺の……………
俺の つがいは。

ちょっと待った、と。それはどういう理屈だ、と、冷静に疑問を持ちもしなかった自分がすこし、おぞましい。疑問を持つ、という感覚がない。むしろ、 つがい…… つがいだ、などという言いまわし。いくらなんでも大胆じゃないか?その括りかたをされてイヤがらないだろうか?そういう、思考のめぐりかたをしている。
考えるだけで、心地好い。不快感が微塵も伴わない、ただただただ、心地好い。そんなもの、ほかになにがある。春先に初めて肉眼で見つけた桜の蕾、料理上手な厨の面々が振る舞ってくれた蕗の薹 ふきのとうの天ぷら、揚げたてをちょいと流し込んだ旨い酒、……酒は好きだろうか、出が土佐というなら酒は強いかもしれない。いや、今この本丸に顕現している土佐のほうの刀はひとふり、下戸だ。聞いた話では元ご主人さんの逸話由来らしかった……歴代の持ち主たちに下戸の逸話はあっただろうか個体差でブレがあるかもしれないか?いけるクチなら嬉しい、これからの季節、日本酒だったら暑い日は冷やをキュッといくのが旨いしジョッキの麦酒もキンキンに冷やしたらじつに良いもんだ。呑めない個体でもいい、呑める モンと呑めない モンにだけ味わえる良さだって、いくらでもある。……
ほら。これだ。さっき、かろうじて、おぞましさを思えたが。それも「ようすがおかしい自分に対して」のおぞましさだ。ひとたび、……ひとたび、ひとふりが関わってくると、世界が変わる。そのひとふりと共に在るなら、傍らに居てくれるなら、なにもかもが「悪くない」ものへと、「幸せ」なものへと、たちまち変わっている。『ようすがおかしい俺』も例外じゃあないらしい、となりに居てくれるなら、俺のようすがおかしいぐらい、なんてことはない。
なんちゃあない、と、笑っていた耳に心地好いやわらかい声を思いだす。あのが土佐だ、訛りも良い……あのほど訛るかはわからないな。下戸の先生は土佐だが訛りを聞いたことはない。俺だって美濃訛りは、

……そら、もうおかしいぞ。主人から聞いた『くわしい話』のとおりだ。

あの本に出てくるあいつと俺は相思相愛の恋仲だ。