匣舟
2024-06-18 20:17:24
6124文字
Public WB
 

膨らんでいく春を飼ってた

たくさんのはじめてをあなたとの前日譚のようなもの(※これ単体でも読めます)。
好きとか恋を知らない桜が他人から初めてそれは恋だよと教えられて自分が恋していることを初めて自覚する話。
かめさく とがさく

膨らんでいく春を飼ってた

 最近、自分が変だと桜はどこか思っていた。気づけばドクドクと心臓の音がうるさいし、熱か?と思って自分の額に手を当ててみたけれど熱特有のあたたかさは額から感じられなかった。
 じゃあ、この胸のドキドキはなんなんだ!とひとりでずっと悩んでからかれこれ数週間は経過している所である。もし、悩み事があるのならば、誰かに相談するという選択肢を誰しもが持っているはずであるが、桜には相談するというコマンドが備わっていないので、選択肢に出現すらしないのである。
 ずっとひとりだった桜はボウフウリンの一員として商店の人を助けたりした時、ありがとう。とお礼の言葉を言われるとまだ胸がドキドキして顔が赤くなったりはしてしまうけれど、またそれとは違うドキドキが桜を襲うのだ。なんだか心の奥底からむず痒い感覚によって満たされる感じ。ある特定の人物を見ただけで無意識に彼のことを目で追うようになったり、彼が自分の名前を呼ぶ時に真っ赤になってしまったり。人はそれを恋と呼ぶが、桜は恋を知らないし、恋がどんなものかも知らない。
 こんな胸の高鳴りに感情を付けられるほど、桜はまだいろんな経験が足りていないのだ。桜はずっと、普通の生活など送れていなかったのだから。
 周りから髪の色と目の色が異質と見られ、拒絶、排除された彼が、自分が恋をしていると気づいていないのは彼が生きてきた人生がそれを物語っている。だから、きっと彼は他人から助言されない限り自分が恋していることに気づかない。恋を知らない人間が自分が恋をしているなど自覚することなどゼロに等しいだろうし、誰にも相談しない限り桜は初めて人を好きになったことを知らないまま、初恋を終えるだろう。

クシュッ、風邪か?気をつけねぇと

 偶然、運良くくしゃみをした桜は原因不明な胸の高鳴りを風邪ということにして押し通そうとしているが、この時の桜はまだ知らなかった。
 桜が恋をしている相手が、桜のことを好きなことに。そしてその相手が桜の気持ちを知って、自分の同じ気持ちだと気づいてもらうために色々していることを。

「桜、いらっしゃい。今日は何食べるの?」

おむらいす。」

「じゃあそこで座って待ってて。すぐ作るから。」

「ん。」

 事の発端は、いつもと同じようにことはが経営するポトスで朝食を取っていた時のこと。カウンターが定位置になりつつある桜が普段はしないようなため息を数回吐いていることをことはが疑問に思ったのがはじまりである。
 無意識にため息を吐いている桜に、ことはがそんなにため息付いてどうしたの?と聞くとピヤッと猫が驚いたように反応した彼を本当にどうしたのよ?と心配そうに覗き込んだ。

べっつになにも、ない。」

「絶対嘘でしょ、あるからため息吐いてるんでしょーが!」

 桜が嫌って言うなら聞かないけど、悩みがあるなら言った方がいいわよ。ちょっとでも心が軽くなるだろうしね。と言った彼女に、桜は少し悩んだ末に、ずっと悩んでいることを言ってみることにした。

「さ、最近ずっと胸が痛くて、」

 顔を少し赤らめて喋り始める桜にこれはと思ったことはは、オムライスを作る手を止めて桜の話を聞くことにした。

どんな時に?」

分かんねぇ、色んなときに、来る。」

じゃあさ、その色んな時にいつも桜と一緒にいる人は、いる?」

 一緒にラムネを飲んだ時や、ゲーセンに行った時とか、銭湯に行った時とか。たまーに散歩してたら会って色々話したり。初めて喧嘩という名の対話をして、色んなことがあったけれど友達になった彼。さくらぁ。とゆっくりめにいつも自分の名前を呼んでくれる彼のことが思い浮かぶ。いるには、いるけど……。と答えると、ことははそっかぁ、桜にも春が来たんだね〜。とニヤニヤしながら微笑んでいた。

は?春は今だろ?」

「季節の話をしてんじゃないの。まあいいわよ、それは。桜。あんたのその悩みにあたしが答えてあげる。」

 ニヤニヤ顔が止まらないことはに少しイライラしながらも答えを待つ桜に、ことはがもたらした答えは桜が考えもしない答えだった。
 
「それって、恋じゃない?」
 
は?」
 
「だから、恋よ、こ・い!」
 
「こっ、ここここい!?」

 恋愛センサーが反応して慌てふためく桜を他所に、ことはは恋がどういうものかを桜に説いてゆく。恋って、その相手を見たら胸がドキドキするでしょ?で、顔が赤くなっちゃうでしょ。まあ顔が赤くなんのはアンタはいつもだけど、また違うって自分でも分かってるわよね、きっと。そしてその人のことしか考えられなくなる。もっと自分のことを見て欲しいとか色んな感情が混ざりに混ざって胸の中に収まってんの。

「桜はさ、今その人のことでいっぱいいっぱいになってるのよ、その人に恋をしてるから。どう?全部図星でしょ?」

 そっかあ、桜が初恋かあ〜。甘酸っぱいわねぇ〜。と頬杖を付きながらキッチンからカウンターに座る桜を見つめることはに、桜は真っ赤になりながらち、ちげーし!と叫んだ。

「違わなくないわよ。」

「ちげーもんはちげー!」

「なによ〜、照れてるの?かわいいわね〜。」

「かわいくねー!」
 
 違うと否定しながらも、桜の頭の中は彼がいっぱいだった。これが恋なのか?とまだ少し信じられない気持ちもあるものの、ことはがいう通り、今彼のことしか考えられなくなっているし、顔が熱くなるのも分かるからきっとこれは恋なんだろう。
 でも、この好きという気持ちを彼に伝えるのか?と悩み始めた桜を他所にことははオムライスを作り終えたようで、ほら出来たわよ。冷めないうちに食べちゃいなさい!と桜の前にことりと音を立てて皿を置いた。

「い、いただきます……。」

 手を合わせてからオムライスを食べ始める桜を見てことはは、桜の恋が実るといいわね〜。と微笑み、恋が実る……?と言いながらハテナを頭の中にいっぱい浮べる彼にふふっと笑った。
 それからポトスを後にした桜は、途中で楡井と蘇芳と合流して学校へ行き、日課の見廻り等をこなして気づけば、もう夕方になっていた。いつもなら見廻りをして誘いがあれば楡井、蘇芳、柘浦、桐生たちとご飯を食べに行ったり、それがない時はまっすぐ家に帰っていることがほとんどなのだが、今日はなんとなくソワソワしてまっすぐ家に帰る気にもならなかったのだ。

っ、クソ、」

 なんとなくソワソワしている原因は桜自身がよく理解しているからこそ、こんなにも苛立っているわけだ。今日の桜くんは上の空だねぇ。なにかあった?と蘇芳に言われたし、終いには楡井に今日の桜さんは変ですよ!何かありましたか?ほらほら、話してみてくださいよ!と言われてなにもねーよ!と逃げ回ったこともあったから桜にとって疲労が溜まった一日だったのだ。
 蘇芳や楡井に変だと言われた原因は分かっている。今朝、ことはによって桜の感情にひとつ組み込まれた”好き“という感情が原因で、桜はキャパオーバー寸前になっている。
 好きという感情も、恋をするのもはじめてでどうしたらいいのか分からないのだ。想いを伝えようにも、何から手をつけていいのか分からない。というか、好きという感情の先にその相手とどうなりたいのかなど愛されたことがない桜には分からない。

どうすればいいんだよ。」

 独り言を零しながら体が向いている方向に歩いていると、いつの間にか獅子頭連のシマの前まで来てしまったみたいだ。そろそろ日が落ちて来た頃だし、晩飯も買わないと行けないからそろそろ引き返さねぇと。とくるりと逆方向に体を向けたと途端、さくらぁ。とゆっくりな声が後ろから聞こえる。

「おーい、さくらだよねぇ〜?」
 
 今、一番会いたくない相手が目の前から自分の名前を呼んで、手を振っているのが見えた。今朝までその感情の名前すら知らなかったのに、ことはに教えてもらったことで目の前の男に抱く感情が恋と分かってしまった桜はみるみると顔が赤くなってゆく。ああ、逃げないと。と思っている足は地面にくっついているかのように動かない。

と、がめ。」

 桜が恋をしてしまった相手は、かつて敵対していたチームの副頭取である十亀条だった。彼のことを好きになったのはいつかなどはっきりと分かっていない。だってこの感情に気づいたのが今日だから。
 でもタイマン後、友達になって遊ぶようになって色んな場所に連れてってくれて、色んなことを教えてくれた十亀のことを好きになったのはきっとすぐだった。十亀が笑うと自分も嬉しくて、十亀が自分の名前を呼んでくれるのも嬉しくて。
 けれどそれが恋心だと気づかなかった桜は十亀に抱いたこの気持ちがなんなのかずっと分からなくて、でもようやく今日、この感情がどんなものなのかを教えて貰って、分かったのだ。だけど、十亀になんて言えばいいのか分からない。
 好きだ。と伝えるのは簡単だ。言ってしまえばそれまでだから。だけど、目の前の彼が自分をどう思っているのかが分からないから怖い。それこそ、十亀に想いを伝えたとして昔、されてきたように拒絶されてしまったら、もう十亀と友達にすら戻れない気がする。数少ない友達をこんな想いの為に減らしたくは無いけれど、でも好きという感情はどんどんと十亀を目の前にしてしまったら募ってゆく。じゃあ、どうすれば。なんて八方塞がりな桜を他所に、桜を見つけて嬉しそうな十亀は彼に駆け寄ってゆく。

「奇遇だねぇ、さくら。俺の名前なんかいつも呼んでくれないのにどうしたのぉ。」

 十亀が桜の顔に目線を合わせ、瞳と瞳がかち合った途端、ぶわっと桜の恋愛センサーが反応したのだ。桜の目の前にいる十亀の感情に気づいてしまった。
 これは、この感情は。桜の脳内には、さっきことはに言われた事がリピートで脳内再生されている。

”恋って、その相手を見たら胸がドキドキするでしょ?で、顔が赤くなっちゃうでしょ。そしてその人のことしか考えられなくなる。“
 
 図星でしょ、桜。とことはに言われた時のように顔を真っ赤に染めながら十亀を睨みつけるように見る桜に十亀は一瞬キョトンとしつつも、瞬時に桜の感情を理解したのかニタァとホットケーキ上のバターがでろでろに蕩けたような表情でやっと、俺の感情に気づいてくれたんだぁ。と笑った。さっきまで、拒絶されたらどうしようだの、もう友達にすら戻れないかもしれないだのナイーブなことを桜の脳内は考えていたくせに、そんな暗い感情をぶっ飛ばすぐらいの十亀の甘い、あまーい目線に桜は目を逸らす。

ッ!」

 防衛本能が瞬時に発動した桜は逃げようと十亀の手を振り払おうとしたが、逆に絡め取られてしまう。離せッ!と桜が叫んでも、体格差は歴然なので、桜は十亀から逃げられるわけなどなかった。
 
「こらこら、逃げるなんてだめだよぉ。」

 やっと、さくらに気づいて貰えたんだから逃すなんて事しないよぉ。とニコニコと笑う十亀がなんだか怖かった。一歩、二歩、引き下がった足が何かに当たる。
 桜は後ろが見えていないけれど、これ以上足が後ろに行かないということは壁に当たってしまったと理解した桜は完全に逃げ道を塞がれたことにより、この真っ赤な顔を見られないように必死で下を向いた。

「ありゃ、恥ずかしがり屋さんだねぇ。ほら、こっち向いてよぉ。」



「向かないかぁ。ならこうするしかないよねぇ。」

 最終兵器だとでも言うように言い切った十亀は、さくらぁ。と耳元で彼の名前を呼んだ。

ッ!」
 
  ああ、こんな感情知らなければずっとこの胸の高鳴りに感情があるなんて知らなかったのに、病気だと思っていればこんなに顔を真っ赤に染めることなんてなかったのに!と考えている桜だが、もう色々と遅いのだ。恋という感情を知ってしまった時点でもう、桜の負けは決まっているものだから。顔を真っ赤に染めながらキュッと目を閉じる桜は十亀に、さくら。目、開けて。とまた耳元で言われてしまう。
 十亀に名前を呼ばれる度に桜の胸は高鳴る。ああ、もう自分の名前を呼ばないで欲しい。この想いをさらに自覚させないで欲しいのに、彼を求めるこの体は自然と彼の言葉に従ってしまうのだ。
 ゆっくり、ゆっくりと瞼を開くと目の前には自分が好きな相手の顔が至近距離にあった。その顔を見てしまったらもうダメで、先程よりもっと顔が赤くなってしまうし心臓もバクバクと脈打っていてうるさい。
 ああ、クソ、うるさい!と自分の心臓の音を落ち着かせようとしているが、そんな桜の考えとは裏腹にどんどんと心臓の音はビートを刻むようにドク、ドクと高鳴る。りんごのように真っ赤に染まった桜のことを十亀は少し微笑みながら目を合わせて、蕩けるような甘い眼差しで口を開いた。

好きだよぉ、さくら。これからも変わらないきみをずっと隣で見させて欲しい。」

 いいかなぁ?と同意をこちらに求める十亀に、もうこれ以上ないぐらいに顔を真っ赤に染めた桜は、俺の、気持ちッ、知ってんだろ。と問いかけると、そういうのはちゃあんとさくらの口から聞きたいの。と十亀が言った。
 その言葉に桜はうぐっと呻き声を上げ、視線を下に向けたかと思えば覚悟を決めたのか十亀の目を見た。琥珀色と漆黒の瞳と、翡翠の瞳の目線が重なって、十亀の瞳を見つめたまま、桜は口を開いた。

俺も、好きだ。……十亀のこと。」

 桜からの告白を聞けた十亀は俺も好きだよぉ、さくらぁ〜。と嬉しさのあまり桜を抱き上げた。桜は突然の浮遊感にビクゥと肩を揺らしたが、下ろせ!と騒いでいる。さっきまであんなに甘ったるい雰囲気だったのに、今やただの猫のじゃれあいのようになっている。 好きという感情を、恋というものを知らなければ桜はずっとこんな感情を知らないままだった。最初は自分が恋をしているということに対してあまりいい印象を持っていなかったのだ。
 愛を知らない自分が、恋したところで何になるんだと思っていた。もし、拒絶でもされたらなんて思っていたのに、目の前の男は桜のそんな暗い気持ちを吹っ飛ばしたのだ。人を好きになるとは、恋とはこういうものかと桜はこの時初めて理解した。
 そして、初恋が目の前にいる十亀で良かったと、桜は思った。今そんなことを言う勇気はまだ桜には無いし、今言ったところでまた舞い上がった十亀に何をされるか分からないから心の内に留めておくことにした。そんな考えをしていることもつゆ知らず、やっと桜と両思いになれたことに舞い上がる十亀は、桜に向けてこう告げた。

さくらぁ、これからも俺と色んなことしようねぇ。」

 なんて、桜を抱き上げながら甘ったるい視線を自分に投げかけてくるもんだから、桜の顔はまたみるみる赤くなるのだった。

おわり