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柚子子
2023-04-21 22:46:48
10133文字
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単発夢小説
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祝福は春の底より
治と幼馴染夢主。タイトルは<a href=
http://and.noor.jp/e/>エナメル</a>様よりお借りしました。関西弁は本当になんちゃってです。許してください。
閉店した後の店のカウンターに、酒のつまみが何種かと、私が持ち込んだ缶ビールが並んでいる。
治の店ではアルコールのたぐいは出さないが、内輪で宴会をするときのため、一通りの飲み物を揃えてはいる。ただしそれは大人数を招いたときのための用意なので、こうして私と治がふたりで飲むときには、たいてい私が行きがけに買ってきたビールや酎ハイを飲むことになる。
今、カウンターの上にはからになった缶が三つ。二つは私が飲んだあとの、残る一つは治が飲んだあとの缶だった。つまみの皿はあらかた片付き、空腹はしっかり満たされている。
「と、まあ、そういうわけよ」
お行儀悪くカウンターに肘をつき、私は話を締めた。
「ほぉん」
治が適当な相槌を打つ。
今日の治は、仕事着からエプロンだけ外した、見なれた格好をしている。動きやすく着古したシャツはぴたりと身体に沿っていて、治のほどよく鍛えられた身体の線を、くっきり浮かび上がらせていた。
いつか治が「飯屋も身体が資本やしな」と言っていたのを思い出す。本格的なスポーツからは遠退いたとはいえ、怠けや身体のたるみとは無縁だということが、その引き締まった身体つきから分かる。
治のおにぎりは味と中身の独創性に定評がある。やや行きすぎなまでの食への執着が功を奏したのだろう。数年前に店をオープンし、ほどなく、地元メディアに取り上げられる地域の人気店となった。
客の大半は純粋におにぎりの味を楽しみに来店する。しかし中には、店主である治を目当てに来店する者もいる。
まあ、その気持ちは分からんでもないのだけれど。
治の太い腕を見て、内心で首肯した。何せ幼馴染の私でも、治にはときどきうっとりしてしまうのだ。接客用の愛想全開スマイルを向けられた女子たちが、ころっといってしまうとしても、何の不思議もない。
しみじみ思いながら缶を口許に運んだやさき、その手を腕を伸ばした治が制した。
「おまえ、今日飲みすぎちゃう?」
心配というよりは呆れ顔で、治はぺちぺちと私の頬をたたく。その手を冷たく感じたことで、自分の顔がずいぶん熱くなっていることに気が付いた。
私は首をそらし、治の大きな手のひらから逃げた。
「なーにー? 言っても、まだ三缶目よ」
「缶の数やない、ペースが速すぎる」
「うーん、そんなことないと思うけど」
返事をしながら、ちびりと缶を傾け啜る。治が溜息を吐き出した。
「おまえの寝ゲロの面倒見んの、おまえんとこのおかんやぞ」
「治は片付けてくれないんだ」
「なんで俺がおまえのゲロ片付けなあかんねん」
「だってこの年齢になって親呼ばれるの厳しすぎるでしょ」
「俺にゲロ片付けられるのはええんかい。
……
そう思うんやったら、もう飲むのやめとけ」
私の手から半分ほど中身の残った缶を受け取った治は、そのまま中身をぐいっと飲み干した。濡れた口元を手の甲で拭う姿を、私はぼんやり見るともなく眺める。何気ない仕草ではあったけれど、治の挙動はいちいち色気をたたえていた。
治と侑とは幼馴染で、だからお互い、物心つく前から知った相手ではある。けれど、こうして見るとやはりというか何というか、治の顔は整っているのだと再確認するようだった。小さいころから変わらず大きな眼と、すっと通った鼻筋。重ための瞼だって、見ようによっては物憂げだとか、思慮深げに見える。
実際のところ、治の頭には食い気のことしかないんだけど。
黙っていればイケメンという言葉があるけれど、治の場合、黙っていればイケメン、口を開けばただの食いしん坊だ。それを悪いとは思わない。むしろ私が知っている治は食いしん坊の方が先にあって、イケメンはあくまでも、成長後に生えてきた後付け要素にすぎない。
「何?」
その声に、はっと我に返った。ぼんやり見ていただけのはずが、いつのまにかまじまじ治を見つめてしまっていたらしい。怪訝そうに目を細め、治が私の顔をのぞきこむ。
「あんたの顔のこと考えてた」とは言いづらい。短い葛藤ののち、私は口を開いた。
「いや、治の顔って得だよな、と思ってた」
「は?」
治が眉根をむっと寄せる。得、という言葉の説明は省き、微妙に話をずらした。
「治さぁ、高校のときに同級生だったーーちゃん覚えてる?」
「知らん」
「あなたはまあ、そうでしょうねえ」
うむうむ、と私は頷く。くだんのーーちゃんは可愛かったし、当時はかなり目立つ女子だったはずだ。しかし、だからといって、治の記憶に残るかと言われればそういうわけでもない。
治が覚えていないことくらいは想定していたので、そのまま話を続けた。
「ーーちゃんがさ、高校のときあんま話したことない隣のクラスの男子に告白されて、今は好きじゃないけどこれから好きになるかもと思って、付き合ったってことがあったんだけど」
「そんなもん長続きせえへんやろ」
先を読んだように治が言う。私はまた頷いた。
「そう。結局好きになれなくて、顔が好きじゃないからキスもできない、というかしたくないって言って、そんで別れてた」
「あほくさ」
治が子どもっぽい顔で悪態を吐いた。一切共感するところがないらしい。
昔からモテる治、というか双子だが、侑と比べると治の方は、あまり自分の見え方に頓着しない。彼女がいたこともあったけれど、花より団子を地でいく治の恋愛は、たいてい長続きしなかった。
治のことを好きになる女性というのは、治の望むような付き合い方では満足しないことがほとんどだ。しかも治は煩わしいこと、鬱陶しいことを厭う。彼女の側が少しでも別れをちらつかせれば、それで関係はおしまいだった。絶対に、治が縋ることはない。
「それで言うと、治は『顔が好きじゃないから』とは絶対言われなさそうだなと思って
……
」
「顔がよければええってもんでもないやろ」
「だから治はふられるんだよね。顔がいいのに」
「うっさ」
「でも実際、顔が好きかどうかって結構大事なんじゃないの」
治がかつて付き合った女性の顔を思い出し、私は溜息を吐いた。
幼馴染として双子とかなり親しくしてきた私は、時には彼女たちから目の敵にされ、時には懐柔作戦をとられてきた。私のことをまったく気にしないという彼女は皆無で、しかしまあ彼女たちの立場からすれば、たしかに私は邪魔な女だっただろうと納得もしている。
侑と治、二人分の恋人となるとそれなりの人数になる。けれど、いずれ揃って私など足元にも及ばないほどの美人たちだったことは間違いない。顔がいい人間には、顔がいい人間が寄ってくるものなのだろうか。美しい人間は、パートナーにも相応の美しさを求めるのかもしれない。それでいくと、侑も治も、彼女たちのお眼鏡にかなったということだ。
性格よりも顔を重視するというのなら、多少の性格の難については、顔の良さでカバーできるということになる。治が歴代の彼女に振られるのは、だから顔の良さではカバーしきれない何かがあったということだ。
もしも治がもう少しだけでも彼女たちに心を砕いていたなら、と部外者ながら、そんなふうに考えたことはこれまで一度や二度ではない。顔の良さと性格の良さが合わされば、少なくとも相手から一方的に振られることもなかったはずだ。
「顔がいいってのは、間違いなく加点要素だもんねぇ
……
」
しみじみ言うと、
「面食い」
治が口を歪めて笑った。まさか自分の過去の恋愛を反芻されているとは、思いもしないのだろう。完全に私を馬鹿にした顔だ。だが私が面食いであることもまた、紛れもない事実だった。
「まあ、それはそうだよ。だって私、あんたたち双子を見て育ってるからね。そんじょそこらのイケメンには心動かされないよ」
「人のせいにすんな。大体、どや顔で言うことちゃうやろ」
「私は、そんじょそこらのイケメンには
……
心を、動かされ、ない
……
っ!」
「溜めて言うことでもないわ、アホ」
ぺしん、と治の大きな手が私の頭のてっぺんを軽くたたいた。治はそのまま、気安い仕草で私の髪にふれ、頭のてっぺんのあほ毛を引っ張ったりしている。
「やめなさいよ」
「ええやん、減るもんでもなし」
「減ったら困るよ」
楽しそうに人の髪で遊ぶ治に、私はしばらくされるがままになっていた。治の手つきに遠慮はないが、それでもそこはかとなく優しい。恋人にふれるときもこんなふうなのだろうか。さわられている側としては、どちらかといえば貴重な食材を手触りで確認しているときに近いような気がしている。
治にとっては恋人も食材も大差ない
……
いや、これは単に私のことを異性としてカウントしてないだけか。
そう気付き、呆れた気分になった。これで甘い言葉のひとつでも囁けば、なんとなくそれらしい空気になるのかもしれない。けれど残念ながら、私と治のあいだにそういう色気は皆無だった。
と、ふいに、
「で?」
治の短い声が、私に投げかけられる。髪にふれられたまま、私は首を傾げた。
「で? とは?」
「さっきからおまえ、俺の顔を穴が開く勢いで見てたやん。話の流れ的に、キスできるかのジャッジしてたんちゃうんか」
突拍子もないことを言い出す治。私は慌てて胸の前で両手を振った。
「や、いやいや、いやいやいや」
「なんや、ちゃうんかい」
「ないない! ていうかさすがに幼馴染相手でも、そんな失礼なことしないから」
我ながら、声に必死さがこもっていて、やや気持ち悪い感じになっている。
しかし他人の顔を見て、それも親の顔と同じくらいよく見た幼馴染の顔を見て、この顔とキスできるかな? なんて考えるほど、私は恥知らずではない。かりにそんなことを考えていたとしても、それを治本人に伝えるほど厚顔無恥でもない。
それとも、これも異性としてカウントしていないからこその、軽いノリの質問なのだろうか。あるいは酒の席のセクハラまがいなノリ? 治とはこれまで数えきれないほど一緒に飲んでいるけれど、そういう酔い方をするタイプではないはずなのだけれど。
戸惑う私に、さらに治が言った。
「ジャッジでも何でも、好きなだけすればええやん。それこそ今更やろ」
「えっ!?」
「ツムと俺、どっちの方が好きとか、どっちのが彼氏として良さそうとか。そんなん今まで飽きるほど言われとるし」
「あ、そう
……
」
言われてみればたしかに、それもそうだった。治は侑とふたり、イケメン双子バレー選手として散々持て囃されてきたのだ。その騒がれ方はそこいらのアイドルなど目ではなく、その分だけ不躾で無礼で、無遠慮な目にも晒されてきている。
一度外した視線をふたたび治に戻す。治は気分を害した様子もなく、それどころかうっすら目元に笑みを滲ませ、私に視線を投げていた。
ごくりと唾を飲み込んだ。わざと疑いの目で治を見るが、観察したかぎりでは、治は本当に気にしていないらしい。好奇心なのか何なのか、本当に単純に私の答えを待っている。
私が治とキスできるのか、できないのか、その答えを。
「んー、」
「おうおう、じっくり見てみ」
改めてじっくりと治を観察し始めた私に、治は口の端をちょっと上げる。そのどこか挑戦的な表情に、思わず胸がどきりと鳴った。ここのところあまり見ていなかったが、高校まではよく、治もこういう顔をしていた気がする。そして私は、そういう治の顔がとびきり好きなのだった。
どきどきと騒ぐ胸は、それだけで治に問われた問いの答えになっている。けれどそれをそのまま伝えるのはさすがに恥ずかしく、私は敢えておどけて笑った。
「うーん、非のつけどころのないイケメンだ」
「おまえにイケメンとか言われんの、なんかアレやな。ぞわぞわすんな」
「聞いておいてそれはないでしょ」
「で、キスはどうなん」
「ちなみに治はできんの?」
「できるんちゃう?」
軽く答えを返されてしまい、柄にもなく照れて言葉に詰まった。
「そっちは?」
答えを急かされ、私はついに腹をくくった。
「まあ、できるでしょうねぇ」
「はは」
私の答えに、声を立てて治が笑った。つられて私も笑う。照れで熱くなった顔を、手でぱたぱた扇いだ。なんだか妙な話の流れになってしまったけれど、ひとまず話題が一段落しそうでほっとした。これで気まずい感じになってしまったら、それこそ目もあてられない。
幼馴染の立場から、双子に優劣をつける気はまったくないけれど、それでも今、より私の生活に近い場所にいてくれるのは治だ。プロのバレーボール選手として活躍する侑は、なんだかんだでやっぱり遠い。だからというわけではないけれど、そばにいる治との関係は極力まずくしたくなかった。
それに、侑と比べて治の方が扱いが難しいところがある。分かりやすい侑に比べ、治は機嫌を損ねるポイントが難しく、一度機嫌を悪くすると対話を嫌がる悪癖があった。高校までは侑と治の乱闘もたびたび見かけたが、あれは喧嘩の相手が分かりやすくて手も出る侑だからであって、私と治ではそういうわけにはいかない。
高校卒業後、私は大学生活の四年間を東京で過ごした。だから治との幼馴染としての付き合いも、厳密にいえば四年間のブランクがある。
東京に軸足があった四年間、治はずっと感じが悪かった。侑も「東京ォ? やめとけやめとけ、おまえは行けてせいぜい滋賀までやって。おまえに琵琶湖は越えられへん」とかなんとか勝手なことを言っていたけれど、治はむっつりした顔をして、帰省時にもほとんど口を利いてくれなくなった。
今のこの関係に戻ったのは、だから私が大学を卒業し、地元で就職してからだ。兵庫の実家に私が戻ってくると、治はころっと機嫌をなおした。四年間の仏頂面はなんだったんだと言いたくなるような、呆れるほどの変わり身のはやさだった。そういうところばかり、双子は似ている。
そんな経緯を経て、しかし私は痛感した。
物心ついた頃から、当たり前みたいに私の近くにいた双子。四年間、治と疎遠になったのは、自分で思っていたよりもずっと堪えた。ぶちぶち言いつつも変わらず付き合ってくれる侑と違って、治はいったん臍を曲げるとなかなか元に戻らない。せっかく修復した治との関係に、今また新たな亀裂を入れることだけは、絶対に、なにがなんでも避けたかった。
この気持ちの原動力が何かは、まあ別の問題として
……
。
ほっと安堵しつつ、テーブルの上の缶ビールをとろうとして、そこに空き缶しかないことに気が付いた。ふらふらと缶を求めさまよう手に、治がいつの間に淹れたのか、「ん」と熱いお茶の入った湯呑を寄越す。
「ありがと」
「火傷すんで。冷まして飲み」
「おかあちゃんだ」
「こんな手のかかる娘、死んでもいらん」
湯呑を口許に持っていき、言われたとおりふうふうと冷ましながらちびちび飲んだ。じんわりと喉が熱くなる。火照った顔の熱が全身に広がっていくようで、それがなんだか気持ちよかった。
治が当たり前みたいに世話を焼いてくれる。そのことが、胸をさらにあたためた。ゆるやかな熱は幸福を帯び、ゆっくりと私の全身をつつんでいく。侑といるのも楽しいけれど、きっとこの熱は治といるときにしか発しない。
ふいに治が、私の背に手のひらをあてがった。
「おまえ、ほんまに酔うと隙だらけやな。背中丸まっとるし。骨とけてんちゃう?」
服の上から背骨をさすり、治は言う。強めに押し付けられた手のひらに、その手指の太さや固さを、私はいやでも感じた。それでも、嫌な感じは少しもしなかった。治の手なら、昔からずっとよく知っている。異性の手だと分かっていても、そこに怖さや嫌悪は宿らない。
「溶けてないし、骨が溶けるってコーラでしょ」
「コーラでも骨は溶けへんやろ」
「小さい頃信じてたじゃん」
「じゃん、って」
そこで治は言葉を切り、ほんのわずかに目を細め、私をじっと見据えた。
背中に置かれた手はそのまま。探るようにしばらく私を見つめた治は、
「なあ、おまえ、いつまでその喋り方でおんの」
脈絡なく、そう切り出した。
「喋り方って、
……
ああ、標準語のこと?」
「おまえがその喋り方してんの、ほんまにきしょいな」
「きしょい言うな」
私は笑ったけれど、治は笑わなかった。
生まれも育ちも関西だから、大学で東京に出ていくまでは、私も双子と同じく関西弁を話していた。四年間で標準語を会得したのは恋愛にまつわるあれこれの事情によるものだが、それについて治に話したことはない。
けれど私が何も言わなくたって、治はうっすらと事情を察しているようだった。だからだろうか、治がいつになく面白くなさそうにしているのは。
私の恋愛事情で治が腹を立てる理由は
――
分かる気もするし、分からないような気もする。分かりたい気もするし、分からないふりをしていたいような気も、する。
仏頂面で不満げな顔と、背にそえられた優しい手のひら。
一度は私に腹を立て、今は何事もなかったように私に優しくする、幼馴染のひとり。
「大学四年間東京出たくらいで東京にかぶれよって」
拗ねた声に、なぜか胸がうずいた。
「そもそも東京の大学行くとか、聞いてへんかったし」
隣に座った治の方に、身体ごと向き直った。くっつけた左右の膝がしらが、治の広げた足と足のあいだにおさまっている。
カウンターの席って、こんなに近かっただろうか。そう思い、席が近いのではなくて、治が腰を浮かせてこちらに身を乗り出しているのだと気が付いた。
「思い出したら腹立ってきたな」
「そんな勝手な」
「勝手なんは、おまえやろ」
あいている方の腕を治が持ち上げ、私に近づけた。さっきみたいに髪にふれられるのだろうか。それとも頬にでもふれられるのだろうか。
そんなことを考えた刹那、治の手が私の耳をかすめ、そのまま後頭部に回された。あ、と思うより早く、背にそえられた手と頭の後ろにあてがわれた手、両方で治の方に引き寄せられる。
次の瞬間にはくちびるを乱暴に重ねられ、ひときわ強く、ぐ、と押し付けられた。
鼻先をかすめる治のにおい。咄嗟のことにうろたえ開いた口に、容赦なく舌をねじこまれた。くちびるの動きでさらに大きく口を開かされ、くちゅりと唾液が混ざる音がした。
「んっ、んん! んんーぅ!」
首をそらし、治の肩をどんどん叩こうとする。けれど私を捕まえた治の腕はびくともせず、身体の距離が近いせいで抵抗もままならない。
私の抵抗を一顧だにせず、治はさらに口づけを深めた。ぶあつい舌はねっとりと口のなかを撫ぜ、呼吸も何もかも、私ごと食いつくそうとするようだ。
舌の先をとがらせて、治は上顎をねろねろと舐め上げる。たまらず身体がぴくりと反応したのとほとんど同時に、背にそえられた治の手が、私の腰をいやらしく撫で上げた。
「んぁっ、」
塞がった口から、自分の意志と無関係に、恥ずかしい声がほとばしる。久しくあげていなかったたぐいの、期待に満ちた声だった。
このままではまずい。悪ふざけにしては、やりすぎだ。そう思い渾身の力で身をよじる。
私の本気の抵抗を察してか、治が力をゆるめた。その機を見逃さず、私はさらに治から身体を離す。勢いあまって椅子から転がり落ちそうになったものの、どうにか治の腕から逃れた私は、背中を丸めて乱れた呼吸を整えながら、顔だけ上げて治を睨みつけた。目の奥がかすかに熱い。頭が沸騰しているみたいだった。
「何してんの!?」
噛みつく勢いで叫んだ声に、治がうるさそうな顔をした。
「キスできるって言うたのそっちやろ」
「できるとは言ったけど! 『できる』と『する』は違うでしょ! 好きでもない相手とキスなんかしないよ!」
自分で言いながら、その言葉が妙に上滑りしている自覚があった。案の定というべきか、治はまったく納得していなさそうな顔つきで、じろりと私をねめつける。重たい瞼の下から覗く、もの言いたげな瞳。その目に、私はうっとたじろいだ。
ややあって、治が低く呟く。
「好きとちゃうんか」
「え、」
淡々と紡がれた言葉の意味を、束の間、理解できなかった。私はぽかんとして治に釘付けになる。
スキトチャウンカ。スキ、チャウンカ。
スキ? 好き? えっ、誰が、誰を? 私が、治を?
好きって、キスとかできる方の、好き?
理解に要すること数秒。やっとのことで治の言葉に思考が追いついた。同時に、聞きたいことや言いたいことがわっと胸を覆いつくす。けれど何から口にしていいか分からず、私はただ池の鯉のように、はくはくと口を開いては閉じるばかり。
そんな私に、治がさらに畳みかけてきた。
「俺は好きやけどな」
「えっ、えっ」」
「ガキの頃はともかく、ここ何年かはただの幼馴染とちゃうって、普通に思てたし。せやから俺にとっては、好きでもない相手ちゃうし」
「えっ、えっ、えっ」
思考が、理解が、追いついたと思った途端にまた引き離される。膝の上に置いた手が震えた。それでも治から目を逸らすことはできず、私たちはしばし無言で、互いの顔をじっと見つめ合っていた。
音のない店内の静けさが、私の心を圧迫する。治は言いたいことを言い切ったのか、もはや何も語らずといった様子で私の正面に鎮座している。
分かりやすく、治は私の返事を待っていた。
ごくりと私の喉が鳴る。いや、けれど、だって。
この状況で、この空気で、一体何を言えばいいというのか。
「いやー、あはは
……
」
乾いた笑いが口から洩れたが、それが悪手であったことは治の表情から一目瞭然だった。思わず私はくちびるを噛む。気まずい空気を笑って誤魔化すとか、そういう小手先の策を治が好まないことは、重々承知していたはずなのに。
言葉を探し、頭を必死で働かせる。顔が強張り、口の中が渇く。治に好きと言われて嬉しいはずなのに
――
、そこまで考え、私は気付く。
そうか、私、治に告白されて嬉しいのか。
幼馴染だけど、治だけど。キスはできるし、多分その先だってできる気がした。考えてみれば、治相手ならば私には全然なんにも、されて嫌なことなど思い付かないのだった。遠ざけられたくないとは思うけれど、それだけ。近いぶんにはどれだけ近くても嫌じゃない。
だが、と私は思考に歯止めを掛ける。
私だっていい加減、いい年齢の大人だ。当然いくつか恋は知っている。それらの恋のいずれとも、今、私が治に感じる思いは違っている気がした。恋心というのとは、こんなに淡くて、おだやかで優しいものだっただろうか。
私の胸中を見透かしたように、治が問う。
「おまえは? 俺のことなんで好きにならへんの」
「えっ、な、なに!? それ、どういう質問!?」
「だっておまえが俺のこと好きやないことくらい、とっくに知っとるし。けど、そうは言うても今後まったく俺のこと好きになる可能性がないとか、そういうわけでもないやろ。少なくともおまえ、俺の顔は好きらしいしな」
意地悪な表情を浮かべて、最後の言葉を付け足して、
「これから好きになることもあるかもしれんなぁ」
治はにやりと悪い顔で、私に微笑んだ。
ごくりと、またぞろ喉が鳴る。それだけではなく、どきどき鳴る胸の高鳴りが再開され、かっかと身体が火照り始めた。
酔いなどとっくに醒めている。だから今、私の身体を熱くしているのは、昔からよく知った相手である治の、見なれない、ずるい表情。そして私を挑発するような声だった。
「そ、そう
……
そういうのは、長続きしないって、治、さっき言ってなかった?」
「おまえの言うなんとかちゃんのことは知らん。けど、おまえが俺のこと好きにならんとは思えへんし」
精一杯の抵抗もあっさり打ち砕かれ、私は言葉を失う。悔しいのは、治の言い分が正しいのだということを、私自身が予感していることだった。
キスできるか、どころの話じゃない。さっきの深いキスを思い出すだけで、腰の奥がじんとする。ついぞ治に抱くとは思わなかった欲が、揺さぶられて掘り起こされてしまう。
淡くて、穏やかで、やさしくて
――
治に抱く気持ちは、家族愛の延長線にあるような素朴なものだ。それなのに、あのキスはそういう静かな恋しさをすべて包んで薄膜の向こうに追いやってしまう。
幼馴染として培ってきたすべてが、どんどん小さくなっていく。それは途轍もなく、怖いことだった。でも多分、恐ろしいよりもっとずっと、嬉しい発見でもあった。
なあ、と治が私を呼ぶ。視線を上げて、私は治に目で問いかける。正直なところ、まだ戸惑っている。けれど治はもう、心を決めた顔をしていた。
私の顎にそえた手で、くすぐるように私にふれ、治は私の目を覗き込んだ。
「とりあえず、もっぺんキス。ええやろ? なぁ」
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