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柚子子
2022-12-12 23:25:36
14369文字
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単発夢小説
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シャディクに婚約を持ちかける話
アニメ本編開始一年前(シャディクが二年生)の話です。例のごとく捏造しかない。
名前
苗字
苗字
苗字
苗字
苗字
苗字
二年に進級して数日。寮長になるより前から特権的に与えられていた、ほかの生徒の私室よりもややゆとりある造りの一人部屋で、俺はソファーのクッションに背をあずけた姿勢でぼんやりと、一片の便箋を眺めていた。
今日の放課後、ロッカーにこれが入っているのを見つけた。授業の演習のさいに利用した、更衣室のロッカーだ。寮外ではあるものの、ロッカーの利用が短時間であったこと、また貴重品のたぐいは何もあずけていなかったことから、ロッカーに施錠はしていなかった。
演習後、ふたたびロッカーを開けたところで、俺はこの便箋を発見した。
適当に入れた荷物の一番上に、添えるように置かれた便箋は、封筒にすら入れず剥き出しのまま、中央で一度折りたたんだだけの状態で置かれていた。内容は、曰く『今夜二十二時、使用されていない温室の前で。内内にお耳に入れたいことがございます』。その下には、本文と同じく流麗な文字で、イニシャルと思しき文字が連なっている。
(普通に考えれば、無視するところだが
……
)
明らかに学園内で調達したものではない、高級な便箋をそっと顔に寄せた。艶めいた秘密をにおわせるような、そそられる
芳
かぐわ
しさはない。筆跡と直感から、送り主が女性であろうという気はしたが、その用件まで推理することは難しい。
俺がこの学園に入学して、一年と少し経つ。グラスレーの御曹司と知って、俺にアプローチをかけてくる女子生徒は少なくない。家族からの指示を受けている場合もあれば、本人の野心によることもあるだろう。あるいは、単純に俺に好意を寄せているだけということもある。
だが俺は今のところ、特定の相手と持続的な関係を持つ気はなかった。
俺の本心がどうであれ、俺には今年入学してきたミオリネという花嫁を奪い合うため、いつでも決闘に身を投じられる身軽さが求められている。決まった相手をつくってしまったら、そうそうミオリネ争奪戦に参加することもできない。
もっとも、俺に決闘に挑む意欲はない。ミオリネを手にする権利は、おそらくはグエルあたりのものになるだろう。それでいいと思っているし、それがいいとも思っている。
(さて、どうしたものか)
便箋から顔を上げ、壁の時計で時刻を確認した。もうじき手紙の送り主が指定した二十二時だ。温室までの移動時間を考えれば、今出てぎりぎりというところ。遅れて到着するのは、駆け引きのうえで問題ないとして
……
。
結局、好奇心が警戒心に勝った。いや、じゅうぶんに警戒はしているわけだから、呼び出しに応じて得られるかもしれない利が勝ったというべきか。これでも腕っぷしに自信がないわけじゃない。いざとなればどうとでも対応できるだろう。
便箋を折り畳み、制服のポケットにしまう。談話室から聞こえる寮生たちの笑い声に背を向けて、俺は足早に寮をあとにした。ポケットのなかで、紙きれがくしゃりと乾いた音を立てていた。
すでに使われなくなって久しい温室は、土や草木のにおいをさせることもなく、ただ打ち捨てられ忘れ去られた施設の名残として、その場所に放置されていた。いずれまた、誰かがこの場所を使用することもあるのだろうか。地球寮の生徒のようなイレギュラーはともかく、この学園の生徒たちの大多数は名家の子息だ。彼らのなかの誰かが、今更土いじりに興味を示すとも思えない。
俺を呼び出した人間も、だからこそこの場所を指定したのだろう。こんな場所に、それも夜間に近寄る物好きはいない。
温室の前に到着したのは、指定の時刻を数分過ぎた頃だった。わざと足音を立てれば、その音に誘われるように、そばの木陰から黒い影がひとつ、ゆっくりと月明りの下に姿をあらわす。
「お待ちしておりました、シャディク
……
先輩」
「キミかな。俺のロッカーにラブレターを入れてくれたのは」
「ご無礼を失礼いたしました」
堅苦しい話し方と、俺を先輩と呼んだことから、目の前にあらわれた彼女が今年の新入生であることが察せられた。寮生の顔はだいたい覚えているが、彼女の顔に見覚えはない。もちろん名前も知りはしなかった。
彼女はひとつ、小さく息を吐く。緊張しているのだろうか。こわばった顔を上げると、緊張を振り切るように大きく一歩、彼女は足を踏み出した。大胆な足取りで数歩、俺との距離を詰めたのち、彼女は改めてぺこりと頭を下げた。
「唐突で失礼なお呼びだしをしてしまい、すみません。私は経営戦略科の一年の
名前
・
苗字
です」
「
苗字
……
」
その名には聞き覚えがあった。正確には、彼女の名乗った家名に覚えがある。
「というと、キミはジェターク社の傘下の筆頭企業の?」
「はい。御推察のとおりです。現在はジェターク寮でお世話になっています」
なるほど、と俺は頷いた。
苗字
――
苗字
社というのは、ジェターク社傘下のそれなりに大きな企業だ。それなり、というのはあくまで御三家との比較であって、単体の企業としては大企業と呼ばれるにふさわしい規模を持っている。
特筆すべきは、何よりまず優秀な技術者を多く抱えていること。その優秀な頭脳たちが、現在のジェターク社のMS開発を支えている。数年前に世代交代で彼女の父親が代表の座についてからは、何かときな臭い話が聞こえないわけでもなかったが、とはいえその程度で揺らぐような身代でもないのだろう。
と、彼女が俺の顔を少しだけ意外そうに見つめているのに気付く。首をかしげると、彼女ははっとして、それから顔を赤く染めた。
「ぶ、不躾に見つめてしまいました、すみません
……
」
「かまわないけど、俺の顔に何かついていたかな」
「いえ、そういうわけでは
……
。ただ、その
……
グラスレー社のご子息でいらっしゃるシャディク先輩が、グループ会社とはいえ、ジェターク傘下の父の会社をご存知だったことが、なんというか
……
」
「意外だったと」
「けしてシャディク先輩を、見くびっていたということではなく! 視野の広さにおそれながら感動しておりました」
「ははは、大したことじゃないよ」
実際、彼女の家の会社について知っていたのはたまたまだ。ちょうど俺の興味ある分野で名の知れた研究者が
苗字
社に在籍しており、記憶の隅に引っかかっていただけだった。場合によっては引き抜きも考えていたため、彼が現在在籍している
苗字
社について多少調べたに過ぎない。
が、そんな事情をわざわざ明かす必要はない。
「もちろん知っているさ。なにせ、優秀な技術員や研究員を多く抱えたジェタークの生命線。キミのご実家の会社がなければ、ジェターク社は明日にでも立ち行かなくなるだろう」
「そんなことは
……
」
口では否定していても、彼女の頬は明らかにゆるんでいる。「たしかに、祖父は人望があるひとで、優秀な方をいかすのもうまかったそうですから。私も彼らにいろいろなことを教わりました。そのおかげでこの学園に入学できたといっても過言ではないですし」
その言葉に、おや、と思った。彼女が嬉しそうに語るのは、先代社長である彼女の祖父と、優秀な実績をもつ職員たちについてだ。会社そのもの、あるいは現在の社長である父親については、誇らしげにするどころか言及のひとつもない。
俺の疑問に気付いたのか、それとも単に話が脱線していることに気が付いたのか。彼女ははっと表情を引き締めると、「そんなことよりも」と無理やりイニシアチブを取り戻そうとした。
「今夜ここにシャディク先輩にお越し願ったのは、先輩にひとつご提案をするためです」
「もらった手紙には、内々に耳に入れたいことがあると書いてあったが。何か情報の受け渡しがある、というわけではないんだな?」
「大変失礼いたしました。あれはブラフです。下級生の女生徒からいきなり呼び出しの手紙を送っても、シャディク先輩には相手にされないだろうと思い」
間違ってはいない。たしかに普通に呼び出されていたら、俺はあっさり手紙を無視しただろう。相手が何者か分からず、さも秘密ありげにロッカー内に置かれ、さらには文面に興味をそそられたからこそ、今夜俺はここに来たのだ。その意味では、俺は彼女の思惑にまんまと嵌ったといえる。
「一年生にしてはよく策を練ったね。更衣室にはどうやって? パイロット科でもない女子生徒が、男子更衣室に忍び込むのは難しかったんじゃないか?」
「この時期はどこも迷子の一年生がうろうろしていますから、案外怪しまれないものですよ。授業中であればなおさらです」
「なるほど」
彼女の立場を考えれば、ほかの人間を使うこともできただろう。だが他人を頼らなかったのは、見た目によらず豪胆なのか、それとも他人を信用しない性格なのか。まさかリスクを度外視する馬鹿というわけではなさそうだが。
疑問はひとまず脇に置いて、俺は話を進めることにした。
「それでは、更衣室に忍び込むほどのリスクを犯してまで、キミが持ち掛けたかった提案とやらを聞こうか」
「はい」
俺が水を向けると、彼女がきゅっと一度、くちびるを引き結ぶ。緊張を気取られまいとしていても、そうした所作の端々には、途轍もないプレッシャーを感じていることのだということがはっきり浮かび上がっている。
そもそも年頃の女子がひとり、夜更けに男を呼び出すことからして、普通ではない。それほどのプレッシャーに耐えてまで、彼女は一体何を俺に語ろうというのだろう。身じろぎせず、けれど変に力も入れず、俺は彼女の言葉を待った。
夜風が一陣、ざわりと吹き抜ける。
その風に押し出されるように、彼女は固い声で言った。
「シャディク先輩、私と婚約してくださいませんか」
夜の帳の内側で、俺と彼女の間に奇妙な沈黙が落ちる。
「
…………
」
「
…………
」
「
………………
」
今、なんだか、途轍もなくくだらない提案をされたような気がするのだが
……
。そう思い彼女の顔に視線を注げば、彼女はいたく真剣な表情で俺の返事を待っている。闇の中でも分かるほど、まなじりが赤らんで見えるのは、羞恥心による赤面のためだろうか。
ひとけのない場所に、深夜の呼び出し。言われてみれば、告白するのにおあつらえ向きなシチュエーションではある
……
あるのか?
張りつめていた空気が、急速に弛緩するのが分かった。額にかかった髪をひとふさ掻き上げる。そして俺は、普段アプローチを仕掛けてくる女子にするように、爽やかで穏やかな笑みを浮かべ
――
「
……
キミの気持ちは嬉しいよ。しかし申し訳ないが」
「お待ちください」
俺の拒絶を遮るように、彼女は静かに低く、それでいて素早く口を挟んだ。
「誤解なきようお伝えしておきたいのですが、私はシャディク先輩に思いを寄せているわけではありません。それについては保証します。ですからどうか、続きを聞いてくださいませんか」
必死に言い募られ、ひとまずは口をつぐむことにする。もちろんここで話を打ち切ることも俺にはできる。が、彼女の剣幕は、どうやら愛の告白ではないらしいことを必死で俺に伝えている。
逡巡の後、俺はもう少しだけ彼女に付き合うことにした。もしもこれが密議の態をとった愛の告白なのであれば、かえって話は単純だ。後からどうとでも言いくるめられる。
「分かった。とりあえず、キミの話を最後まで聞こうか」
「
……
ありがとうございます」
夜闇のなか、彼女はほっと安堵の表情を浮かべた。そのときふと、今更ながらに彼女の容貌に俺の意識が及んだ。
小柄な体躯を、少しだけサイズの大きな制服に包んだ彼女は、目を惹く美貌を持っているわけではない。むしろ、どちらかといえば野暮ったいとすら言えるだろう。洗練とは程遠い。
だが、今俺の目のまえで必死に緊張を押し隠そうとしている彼女は、不思議と他人の注意を惹く目をしていた。そういう目をしている人間を、俺はもうひとりだけ知っている。
目の前の彼女に気を許す気は
毫
ごう
もない。とはいえ話を聞く気になった気まぐれの裏に、その瞳が無関係とも言い切れなかった。
話が長くなりそうだと彼女が言うので、とりあえず手近なところに設置されたベンチに移動することにした。並んで歩いていると、彼女の小柄さをひときわ意識する。
よく分からないところはあるものの、彼女も妙齢の、それも良家のご令嬢だ。あまり遅くなりすぎる前に、彼女をジェターク寮へ返すべきだろうか。
そんなことを思っていると、
「あまり遅くまでシャディク先輩をお引き留めするのも悪いので、できるだけ手短に頑張ります」
彼女が先にそう言った。曲がりなりにも良家の娘だろうに、自分の身の安全よりも俺への申し訳なさが勝つのか、と呆れ半分で笑ってしまう。新入生の彼女は知らないのかもしれないが、学園内とはいえ治安がいいとも言い切れないのに。
ともあれ、ベンチに腰をおろした彼女は、膝の上で組んだ指をこまかく動かしながら話し始めた。
「まずはじめに、こちらの事情からご説明してよろしいでしょうか」
「こちらというのは、キミのこと? 家のこと? それとも、ジェターク社まで巻き込んだ話かな」
「その三つ全てです」
「分かった。聞こう」
すうはあと数度、彼女は深呼吸で調子をととのえる。
「私の父の会社がジェターク傘下筆頭であることは、シャディク先輩もご存知のとおりです。となると、私がどのように育てられたか、先輩ならお分かりではないでしょうか」
唐突な問いかけだ。しかしその問いに答えることは、俺にとってそれほど難しいことではない。ある程度の階級の家ならば、各家庭で多少教育の方向性に違いはあれど、その方向そのものがある程度パターン化されている。
彼女は今年の新入生。新入生の名簿にはひととおり目を通している。かりに彼女が家業の後継者であるのならば、俺は彼女の家の名だけでなく下の名前まで覚えていたはずだ。とすれば、家を継がない良家の子女にほどこされる教育は。
「将来はグループ内でも釣り合いがとれ、なおかつ年回りも丁度いいグエルあたりに嫁ぐものとして、そのために必要十分な教育を受けてきた、かな」
「御明察です」
そう言って、彼女はほろ苦く笑った。
「私はもともと、グエルさんの婚約者になるだろうと
……
いえ、グエルさんの婚約者に何としてでもなるのだと、幼いころから繰り返し教え込まれて育ちました」
俺をシャディク先輩と呼びながら、グエルのことはグエルさんと呼ぶ。そこに、彼女がグエルと旧知の仲であるという親密さのようなものを感じ取ったのは、けして勘違いではないだろう。
「といっても、私はグエルさんのことが嫌いではありませんし、そういうものとして教育を受けてきた期間があまりにも長いこともあって、今更そのことに不満を抱いたりもしておりません。このまま卒業後はグエルさんに娶ってもらえるのであれば、私としてもこうして行動をおこすことはなかったでしょう」
「しかし、そうはならなさそうだね」
「はい」
彼女はわずかに憂いを帯びた瞳を、そっと伏せて見せた。
「何せグエルさんは現在、向かうところ敵なしのホルダーです。順当にいけば、グエルさんは卒業後、ミオリネさんを花嫁として迎えることになるでしょう」
決闘自体はもとからこの学校に存在した既存のシステムだ。それを、レンブラン総裁がうまく利用した。
角を立てることなく花婿を決める手段として、決闘はけして悪くない。パイロット同士の切磋琢磨を見込めるだけでなく、グループ内でのMS開発の技術向上まで狙える。
俺個人の見解としては、決闘など前時代的かつ野蛮な方法だと思う。だがこの方法ならば、それぞれの家の支援を受けたうえで、真に力を持つ者だけがミオリネを手に入れることができる。逆に決闘という実力主義の方法をとることで、レンブラン総裁のお眼鏡にかなわない悪い虫は、自動的に排除できる。
野蛮であることさえ除けば、この方法に悪いことはひとつもない。本来最重要であるはずのミオリネの意思は、この場合そもそも求められていない。だから問題はないと言っても差し支えない。
しかし目の前の彼女は、思いがけず皺寄せを受ける立場に追いやられた。
「キミにとって、グエルがホルダーとなるのは歓迎せざる展開、というわけだ」
「いえ、もちろんグエルさんとミオリネさんがご結婚なさるのであれば、私としてもこれ以上ないおめでたいことだと思います。私はグエルさんに恋心を持っているというわけではないですから、ミオリネさんに対して思うところ、含むところもありません。ジェターク傘下の企業の関係者としても、喜ばしいことだと思います」
慎重に言葉を選んで、彼女は俺の軽口に応じた。その慎重さがいじらしい。さてはグエルあたりから、俺のあることないこと吹き込まれているに違いない。
彼女が俺をどう見ているのか気になるところだが、そこを深掘りするのは、少なくとも今ではない。俺はさらに先を促した。
「キミ個人の屈託については、ひとまず置いておこう。ともあれ、そうなるとキミの結婚相手はグエルから別の誰かにスライドする。家格を考えれば、さしずめラウルあたりかな。キミの婚約者候補として白羽の矢が立っているのは」
「いえ、それがラウルさんではだめだというのが、父の言い分でして
……
。というのも、私には兄がいるのですが、すでに兄がグエルさんたちの姉君と婚約しておりまして」
「ああ、そういえばそんな話を聞いた気がするな」
そう答えながら、俺は記憶の奥を探った。あまり目立たない人ではあるが、グエルにはひとり、年の離れた姉がいる。その彼女の嫁ぎ先が決まったと、そういえば父から聞いたような気がした。
父から聞いた話によれば、婚約と言ってもまだ内定しているという段階で、近々正式に発表があるらしい。御三家の次世代の顔として、俺も結婚披露パーティーには呼ばれるだろうという話だったはずだ。
彼女は苦笑をたたえ、浅く頷いた。
「ですからその、
……
ジェターク社の代表のご子息に対して、はなはだ無礼な物言いではあるのですが、跡継ぎではないラウルさんに娘を嫁がせてまで、我が家は今、ジェタークとの姻戚関係を強めなければならないというわけでもないのです。近く義姉になる方がうちに嫁いでいらっしゃるわけですから」
「じゃあキミのお相手は、まったく白紙の状態から新たに見繕うことになるのか」
「そうなります」
ここまで聞けば、だいたいの事情は呑み込めた。
姻戚関係を結ぶことで政治的な繋がりを強めるなど、今の時代においては旧時代の悪弊としか言いようがない。だが一方で、その悪弊が未だ一定の影響力を持つこともまた事実だ。
我が養父は血縁にこだわらないが、世間的に見れば父は少数派だ。上流階級であればあるほど、彼らは家同士のつながりを重要視する。そしてまた、父のように血縁や姻戚にこだわらない男ですら、姻戚を軽視してはいなかった。自分が価値を見出していない政治の方法であっても、価値を見出す人間がいる以上は、道具として利用できるものなのだ。
「率直に聞こう。キミが俺と婚約したいのは、キミのお父上の意向か」
ジェターク社の御曹司に娘を嫁がせると決めて育てるような父親だ。彼女の父親が悪弊にとらわれていることは、想像にかたくない。
しかし彼女は、厳然と首を横に振った。
「いえ。それは違います。父はこの件に関して、まったく何も知りません。シャディク先輩をお呼びだてしたことも、すべて私の独断です」
「だが、結果としてキミは父上にとって都合がいい相手として俺を選んだ?」
「そればかりではありませんが、
……
父に反対されない相手を探していたのは事実です」
そう言いながら、彼女はしゅんと申し訳なさげに眉を下げた。その悄然とした様子を、俺は意外なものを見る気分で眺める。
社交界に出ていれば、いやこの学園で少しでも揉まれていれば、この程度の『御曹司扱い』で俺が傷ついたりしないだろうことは分かりそうなものだ。しかし彼女は、自分が俺をひどく傷つけていると思い込んでいるようだった。
そもそも俺が御曹司の立場に固執していること、ゆえに『御曹司扱い』されることはまったく苦ではないことは、まったく彼女の頭にはないらしい。
最初に抱いた印象よりは、もしかすると彼女はずいぶん分かりやすい性格をしているのかもしれない。もっとうまく立ち回らなければあっという間に潰されるぞ、と柄にもなく注意をしたくなるほどに。
「ご気分を害されましたよね。申し訳ありません」
「いや、かまわないよ。この程度で気分を害するほど狭量じゃない」
俺はまったくの本心からそう答え、
「それより、今のがキミの話? それとも家の話?」
ふたたび話を本筋に戻した。彼女もまた表情を引き締め、気を取り直す。
「家の話であり、会社の話でもあります」
たしかに先の話に、彼女個人の感情の話はほとんど含まれていなかった。グエルとミオリネが婚約者になることに不満はない、とは言っていたが、彼女がどういう理由で俺を選んだのかについては、一切触れられていない。
俺としてもまずは感情を排して損得ずくで話をしたかったから、ありがたいことではある。
「シャディク先輩は先ほど、父にとって都合がいい相手として私が先輩を選んだのかと聞かれましたね。もちろんそれは事実なのですが、シャディク先輩にとってもメリットのある話だと踏んだうえで、私は先輩にお手紙を差し上げました」
「へえ。俺にどんなメリットがあるのか、聞かせてもらえるかい」
組んでいた足の上下を組みかえれば、彼女は緊張しているときの癖なのか、舌でぺろりとくちびるを舐めた。
「確認ですが、この話は私がグエルさんの婚約者を外れる
――
つまり、グエルさんがミオリネさんとご結婚なさることを前提としています。言い換えれば、」
「ジェターク社が、ベネリットグループ内で圧倒的な権力を持つことになる前提の話。ということだね」
「はい。言うまでもなく、今の御三家の均衡は崩れるでしょう」
「なるほど、だから俺を選んだのか。このまま俺が決闘もせず静観を決め込み、ジェタークが力を持つことを阻止する気がないのであれば、今後のグラスレーはいかにして、ジェタークと対等に渡りあっていくかを考えなければならない。少なからずジェタークとのバランスをとる方向に、舵を切らねばならない。キミが言いたいのはそういうことだ」
「ジェターク社の生命線を身内に引き込めるというのは、なかなか魅力的ではありませんか。シャディク先輩」
彼女は言いたいことを言い終えたのか、口を引き結んだ。そして俺の返答を待つとでもいうように、緊張で割れそうな瞳で、俺をじっと見つめる。
月の明かりを瞳に宿し、彼女の深い色の眼がきらきらと輝いて見えた。密議のさなかとは思えない瞳の輝きは、彼女がまだ、ほの暗い権謀術数の世界を知らないことを示しているようだ。
ここで諾とすることは容易い。あるいは彼女を騙し、うまい汁を吸うこともできそうだ。この話が本当に彼女の独断専行ならば、俺はこの先の展開を如何様にも転がせる。
だが、今はまだ決断するには時期尚早だ。彼女の真似ではないが、慎重に言葉を検討しつつ、俺は切り返す。
「俺からもいいかな」
「どうぞ」
彼女が固い表情で頷いた。
「この話はグエルがホルダーであり続けることを前提にしている。だが、今後もしホルダーが別の者に取って代わったら、その場合キミはどうするつもりでいる?」
「ホルダーが変わると仮定するなら、新たなホルダーがシャディク先輩である場合と、そうでない場合に分けられますよね」
もしもミオリネを狙う、グエルと俺以外の者がいたとして、その人間が聞けば激怒しそうな発言だ。しかし彼女のプランの上では、別にミオリネが誰のものになろうがどうでもいいということでもある。ミオリネを射止めるのがグエルであるのか否か、そしてグエルでないのなら俺か、それ以外か。それだけ考えれば、十分だと思っているのだろう。
「といっても、そう難しいことはないのではないでしょうか。グエルさんがホルダーではなくなる
――
ミオリネさんへの求婚者がグエルさんでなくなるとすれば、後釜
……
いえ、新たな求婚者はシャディク先輩だと考えるのが、自然なことですよね」
「ありがたいことだが、それは俺を買いかぶっていないか?」
「そうでしょうか。御三家の皆さん以外にミオリネさんの花婿をつとめられそうな方がいないのは学園ではよく知られたことですし、実際、実力だって御三家の皆さんが突出していらっしゃいますよね」
「経営戦略科なのによく知っているね」
「経営戦略科だから知っているのですよ」
そこで彼女は、今日初めての愉しそうな笑顔を浮かべた。まるでうっかりこぼれ出たとでもいうような、淡くさりげない笑顔だ。だが、愉しそうな表情を浮かべるときの彼女は、なかなかどうして悪くなかった。
「経営戦略科には、わざわざ御三家の花嫁争奪戦に絡もうという命知らずはいませんからね。みんな高みの見物で、好き勝手なことを言っていますよ」
口許に笑みを浮かべたまま、彼女は続けた。
「ともあれ。シャディク先輩がミオリネさんを手に入れられたと仮定します。この場合は特に問題はありませんね。私は多分、そのままグエルさんのお嫁さんになるのでしょう。グエルさんだって、それでごねるほど子どもではないでしょうし」
彼女にとっては、すべてが本来あるべき場所におさまるということだ。ミオリネのあるべき場所が俺の隣であるかと問われれば、俺にはそうだと断言できるだけの自信はないのだが。
胸に浮かんだ屈折した思いに苦笑して、今度は俺が口を開いた。
「それじゃあ今度は、仮に俺以外の誰かがミオリネを手に入れる
――
キミはグエルと結婚できるが俺はミオリネを失う、となった場合を考えよう。その場合はどうする?」
「その場合はシャディク先輩に判断をおまかせします。もしも私との婚約を呑んでいただけるのであれば、そのあたりの条件は父にも納得してもらえるよう、私が責任を持って父を説得します。先ほども言いましたが、我が家は今無理にジェタークに私を嫁がせなくてもいい状況なので、シャディク先輩がこのまま婚約関係を続行するのおっしゃるのであれば、私も父も従うことになるでしょうか」
「そういうことになるのか」
「とはいえ御三家以外のどこかの誰かがベネリットグループのお姫様を手に入れたのであれば、御三家の均衡はそこまで大きく変動しないでしょうから、無理にシャディク先輩が
……
いえ、グラスレー社のご子息が、ジェターク傘下企業の縁者と縁づく必要はなくなりますね。もちろん、ジェタークと縁づくのがどのような状況でもある程度有用であることは、間違いないと思いますが」
そして、エランがグエルからミオリネを奪い取るということは、余程のことがない限りはないだろう。となれば、俺としても彼女の言い分に異論はなかった。
この提案での双方のメリット・デメリットはあらかた出尽くしたことになる。残すはあとひとつ。彼女の個人的な事情についてだ。
「今のがキミの言うところの、会社の話だ。さて、それじゃあ最後に、キミの話を聞かせてもらえるかな。キミ個人が、お父上の監視の及ばないところで工作してまで、この俺と婚約したい理由は?」
わずかに首をかしげ、俺は彼女に問いかけた。
正直に言えば、これに関しては俺にはほとんど興味も関心もない。今日はじめて会った相手の心情や希望など、俺にはまったく関係がないからだ。
とはいえ、相手が機械ではなく人間である以上、感情の問題を無視して話を進めるわけにもいかない。彼女の心情や、言葉にしないさまざまな感情を汲み損ねたせいで足元をすくわれる、などあってはならないことだ。
婚約するということは、ある意味で俺と彼女は運命共同体になるということでもある。だからこそ、不安の要素はできる限り潰しておきたかった。たとえそれが、現状ほとんど興味のない相手の、どうでもいい身の上話だとしても。
俺に目線を向けられながら、彼女はしばし黙りこくったままだった。時間だけがいたずらに流れていく。風でそよいだ葉擦れの音が、沈黙をさらに際立たせる。
目元に微笑みを滲ませて、俺は彼女の言葉を待っていた。多少の気詰まりさは感じるが、待つことは然程苦にならない。むしろ時間をかければかけるだけ、この手の駆け引きはうまくいく。
どれほど時間が経っただろうか。やがて、彼女はぽつりと独り言のように呟いた。
「自由が欲しいから
……
それではだめですか?」
「それはなんというか、また月並みな」
「月並みでいけないことはないでしょう」
俺の揶揄にも気分を害した様子はなく、彼女は淡々と応じた。その平坦な声に、自由が欲しいという彼女の言葉が、本心から紡ぎ出されたものではないことを悟る。
(彼女も俺を全面的に信用しているわけではないということか)
しかし考えてみれば、それも当然のことだった。損得ずくなのはお互い様だ。恋愛感情ありきで俺を選んだわけではないという以上、彼女の中には彼女なりの打算と損得勘定が働いている。そしてそれをすべて開示しなければならない理由は、今のところどこにもない。
相手を信用していないのはお互い様。本当ならば不安要素は潰しておきたかったところだが、ひとまずはこの程度の隠し事ならば先延ばしにしても問題ない。俺はそう判断した。なにせ家の問題と会社の問題という大きなふたつの理由では、互いに納得し合っている。大きなふたつの要因で折り合っている以上、もっとも小さな個人という要因が足掻ける余地は少ない。
いざとなれば家や会社という大義名分を掲げ、いくらでも彼女を思い通りに動かせる。
「まあ、今は月並みな返事でよしとしておくよ」
「私の言い分を先輩は疑うんですか」
彼女がわずかに、声に険を滲ませた。心外だとでも言いたげな物言いだ。
俺は微笑み肩を竦めることで、彼女の追及を躱した。
「キミの言い分は分かった。正式な回答を今返すことはできないが、おおむね俺に異論はないよ。自由なんて抽象的な理由はともかく、明確な利益があるぶん、俺にメリットが大きい提案だったしね」
「ありがとうございます」
「おそらくだが、話し方次第では父も頷くだろう。そこは俺に一任してもらう。もちろんミオリネの花婿の座を決闘で争うのを正式におりることはできないから、決定したところでしばらくは公にはできないが、それはそちらも承知済みのことだと思っていいかな?」
「もちろんです」
ほっと表情をゆるめた彼女に、俺は持ち上げた右手を差しだした。彼女もまた、戸惑いながらも腕を上げ、俺の手に自らの手を添える。
夜闇のなか、手と手をしっかり握り合う。
契約成立の証だった。
「また父の返事をもらい次第、キミに連絡をつけるよ。ジェターク寮に直接メッセージを届けるのはまずいだろうから、ひとまず連絡先だけ交換しておこうか」
端末で連絡先を登録し合い、俺はふうと息を吐き出す。頭上を見上げれば、空はすっかり真夜中の色彩に変わっていた。
ロッカーの便箋を見た時には、まさかこんなことになるとは思わなかった。目の前に、俺の未来の婚約者がいる。そう考えてみたところで、実感らしきものは何ら湧いてこない。
彼女はまだ何かちまちまと端末を操作している。それとなく画面を覗き見れば、俺の登録名を偽名に変えているところだった。たしかに必要な工作だろうが、何も今俺の目の前でやらなくてもいいだろうに。これではまるで、いかがわしい密約を交わした直後のようだ。
(まあ、間違ってはいないか)
真剣な表情で端末を操作する彼女を、俺は月明りの下でじっくりと観察する。端末操作に夢中の彼女は、俺の不躾な視線にもまるで気付きそうにない。肝が座っているのはたしかだが、だからといって隙が無いわけでもない。俺の目から見れば、彼女はまだまだ甘っちょろい。
(その方が、俺としては助かるよ)
彼女がふと視線を上げ、ようやく俺が眺めていたことに気付く。ここで照れのひとつでも見せれば可愛らしいものを、彼女はただ怪訝そうな顔で「まだ何か?」と呟いただけだった。密議が済んで気が緩んだのか、先ほどまでの態度と比べるといささか太々しい。
「いや、大したことじゃない。そういえばキミはさっき、グエルがホルダーでなくなった場合、キミはそのままグエルの許嫁に戻ることができるという趣旨の話をしていたなと思って」
「ええと
……
ああ、はい。それがどうされましたか?」
「多少楽観的過ぎるものの見方だと思ったんだ。決闘で敗北することだけが、ホルダーでなくなる条件じゃないだろう?」
脈絡のない俺の話を、彼女は瞳を困惑に染めながら聞いている。じっと俺を見上げるその表情は、教師からの間違いの指摘に怯える生徒のようだった。
「グエルが死に、俺が繰り上げでも何でも、強引にホルダーになる。そういうことだって、まったく有り得ないわけではない」
「あ
……
」
さっと彼女の顔が蒼褪めた。頭の回転が悪いわけではないから、俺の言わんとするところが、彼女にはすぐに分かったのだろう。
「俺が手を汚すとは限らないが、そういうことは十分有り得ることだ」
彼女の提案は、たとえそれが決闘という野蛮なシステムを使用しているとしても、誰もが正々堂々と勝負することを前提としていた。おきれいな理屈だ。だが、これは結局のところ、大企業のグループ内の覇権を巡り競い合う競争なのだ。必ずしも誰もが正義を行使するとは限らない。
大企業の令嬢である彼女が、まさか権力闘争の場を美しいだけのものと思い込んでいるはずがない。彼女の瑕疵は、学園と企業を切り離したことだ。実際には、このふたつはあくまでも地続きの場所にすぎないのに。
「もちろん、俺がそんなことを
――
グエルを不当な手段で陥れるなんてことを、望んでいるわけではないよ。決闘というシステムを導入する以上、決闘以外の野蛮な手段は極力排除すべきだ。ただ、そういうあらゆる可能性を網羅してからでないと、キミは俺に駆け引きを申し出るべきではなかったね。俺たち御三家の人間以外に、ホルダー足り得る人間が現れないとも限らないのだし。キミの仮説には存外、穴が多い」
俺の指摘に、今度は彼女は顔を赤らめた。彼女が用意周到に練ったと思い込んでいた提案は、俺がこの短時間で穴を見つけて突ける程度には稚拙なものだった。彼女にしてみれば、恥ずかしいなんてものじゃないだろう。
唇を噛む彼女の頭に、軽く手を添える。抵抗されるかもしれないと思ったが、意外にも彼女は、俺の手をすんなり無抵抗で受け容れた。
「大丈夫。もしもグエルが死んで俺がホルダーとしてミオリネを花嫁にする、なんて事態になったら、俺はちゃんとキミへの責任は果たすよ」
「
……
そういうことを、言いたいのではないのですけれども」
「じゃあキミのプレゼンの反省会でもしようか?」
「結構です
……
」
俺に頭を撫でられながら、彼女は耳まで赤く染め上げ俯いた。
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