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柚子子
2022-06-19 21:43:26
13067文字
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シリーズもの・長編試し読み
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赤葦と隣の席の女子 試読用第1話
全19話 サイトにて完結済
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「
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さんって、ブログやってる?」
唐突に話しかけられ、私は一瞬、自分に話しかけられてるものと気が付かなかった。鞄を机の上に置き、自席につきながら私は声の方に顔を向ける。まだ朝も早い時間だというのに、朝練後の疲労感もほとんど見せない赤葦くんが、その重たい瞳を私に寄越していた。
「え? え?」
困惑した私は、ただ壊れたように「え?」と繰り返す。こういうとき、咄嗟の対応ができないのが私の欠点である。
二年生の冬にもなれば、同じクラスの同級生とは大抵はそれなりに交流があるものだけれど、それはあくまでもコミュニケーション能力に難のない人間の話だ。この席になって一週間になるけれど、私は隣の席の赤葦くんと、事務的な会話以外は碌に言葉を交わしたことがない。これといって赤葦くんに話しかける気もなければ、多分赤葦くんから私に話しかける義理も理由もない。文科系帰宅部の私と体育会系期待の星の赤葦くんとではそもそも住む世界が違う訳で、同じ教室で肩を並べて勉強しているというくらいでは、容易に世界を行き来できるわけがない。
そんな微妙な距離感でこの一週間を過ごしていたはずなのに──これは一体どういうことだろう。まるでこれまで何度も言葉を交わしたことがあるような、親し気でフランクな話しぶり。正直、かなり困惑する。
「ああ、いきなりごめん。おはよう」
「お? おは
……
?」
「バグらないで」
挨拶もままならない私に、赤葦くんは冷静に突っ込みを入れた。
言わずと知れた強豪バレー部副主将である赤葦くんは、言わずと知れたモテ男でもある。これまで特定の彼女がいたという話を耳にしたことこそないものの、梟谷で一日を過ごせば、やれ一年生の美少女をすげなくフって泣かせただの、三年生のえっちな先輩を口にできないようなプレイで啼かせただの、彼の噂を聞かない日はないほどの注目されぶりである。前者はともかく後者は一体どういう事情で口の端に上るのか甚だ謎だけれど、火のない所に煙は立たぬというから、まあまったくの出まかせというわけではないのだろう。恐ろしい限りである。
そんな赤葦くんに対し、私はといえば平凡で一般的な女子高生だ。平凡な女子高生でしかない。その平凡をさらに細分化すると、どちらかといえば地味な部類に入るだろうか。量産品女子高生という感じ。
だからというか何というか、ほかの女子生徒がそうであるように私もまた、赤葦くんに対して少なからず憧れの念を抱いている。ただ、その憧れ以上に『身の程を弁える』ということを優先させているので、話したことがないのは仕方がないことである。
ともあれ、身の程を弁えここまで赤葦くんとの接触を最小限に抑えてきた私だけれど、しかし今回のことはノーカウントとしてもいいだろう。赤葦くんの方から不意打ちのように話しかけられたのだから、これは不可抗力のようなものである。不可抗力。そう、私はあくまで巻き込まれたに過ぎない。何に巻き込まれたのかと言われれば、モテ男のほんの気まぐれの戯れに、だ。
自分自身に予防線を張りつつ、私はもぞもぞとお尻を動かすと、慎重に赤葦くんの方を向いた。赤葦くんはどうやらずっと私の方を見ていたようで、視線が合うと余裕そうな表情でにこりと笑う。ああ、多分この笑顔が学校の女子たちを悩殺していくのだろうなと、多分に漏れず悩殺されながら考えた。
「それで、やってる? ブログ」
「ブ、ブログ? とは?」
いつもよりも回転の遅い頭で必死に返答を探すけれど、やはり鈍麻した頭では気の利かない返事しか思いつかなかった。いや、別に普段の私ならば気の利いた返しをできたということもないのだけれど、それは今は置いておく。
「いや、実は俺、ネットで意味不明なブログを探すのが趣味なんだけど」
「趣味」
赤葦くんの前置きを、私は思わず繰り返す。赤葦くんはゆったりと頷く。
「うん。ほら、ブログって匿名だから。おかしな趣味の人とか変な性癖の人とか、案外ごろごろいるんだよ。たとえば古今東西いろんな材質のものをひたすら味噌汁にしてレポート上げてる人とか、どこに生息してるのか分かんなような生き物の飼育ブロガーとか」
「詳しいんだね」
と、当たり障りない返事をする私。このSNS全盛の時代に、ブログというインターネット文化は確実に廃れつつある。少なくとも現役高校生の私からしてみれば、ブログというのはあんまり身近ではない。芸能人のブログくらいなら読むけれど、それだってTwitterとかインスタにしたらいいのにと思うくらいだ。
「芸能人とかじゃない、一般の人のブログもよく読むの?」
「というか芸能人のブログはむしろ読まない」
「ふうん。なんだか不思議だね。中学の頃とかはブログやってる子もいたけど、今時みんなSNSでしょ?」
「中学のときから続けてる趣味だから」
「え? そんなに?」
「うん。あんまり周りには話してないけど」
「そうだね、話さない方が無難だと思う」
言葉を選びつつ、私はそうコメントした。
人のブログを読むということは、女子だと比較的よくある趣味のような気もするけれど、男子でそういうことをしている人を私は知らない。もちろん仲間内の雑記のような記事だったり、それこそSNSだったりをフォローしているというのはままあることなのかもしれないけれど、見ず知らずの誰かのブログを、わざわざブログを読むことを目的に訪問することはそうないだろう。男子高校生の趣味としては、些か以上にマイナーな部類の趣味だと思う。
「ブログってすごいよね。絶対に現実社会だと口にできないようなことも、結構平然と書いてあったりするし。俺自身はそういうのを書こうとは思わないんだけど、読むのは本当に楽しいよ」
「へえ、そうなんだ」
「ごくまれにものすごい逸材がいたりするしね」
逸材。聞くだに凄まじい響きだ。とはいえインターネットの世界は国境を越えて全世界に広がっているのだから、私の持つ常識とはかけ離れた常識を持つ人がいても不思議ではない。
「でも、赤葦くん。そんな秘密の趣味を、どうして私に教えてくれるの?」
と、私はようやく最大の謎に思い至った。
私と赤葦くんは全くと言っていいほど親しくない。同じクラスの同級生という言葉で想像する関係の、多分その半分も親しくない。まともに話すのも今がはじめてだ。
そんな私に対し、赤葦くんともあろう人が、あまり公言していない趣味を明かす理由が分からなかった。私に同じような趣味があるならともかく、私はSNSにすら碌に投稿しないようなタイプの人間である。
私の困惑を感じ取ったのか、赤葦くんは逡巡するように視線を彷徨わせる。言うべきか、言わないべきか。そんな素振りのように見えた。
けれどすぐに瞳を輝かせ、私に視線を戻す。気のせいだろうか、赤葦くんの重心がこころなしか私の方に寄ってきているような気がする。
「昨日、いつものようにブログサイトを巡回してたら、ひとつ見たことないブログへのリンクを見つけたんだ」
赤葦くんは、そう切り出した。落ち着いたトーンはいつも通りだけれど──何故だろう、私にはひどく圧迫感を感じる。
「それでそのブログを見てみたら、まあ内容自体は割とよくある普通の趣味ブログだったんだけど──ただ、記事に載せてる写真にうちの学校の女子制服が写り込んでて、それで俄然興味が湧いてきてさ」
背中を一筋の汗が伝った。真冬だというのに、じっとりとした感覚が制服の中で私の身体を包む。
「それでこれはと思って過去ログ漁ったら、やっぱりうちの生徒っぽくて。行事の日程とか、ぼかしてあるけど大体一致するし」
「へ、へえ」
「うん。で、そのうちのいちまいの写真に、ちょうど
苗字
さんが使ってる鞄のキーホルダーがついてたから、もしかして
苗字
さんがあのブログの投稿者かと思ったんだけど──だってそのキーホルダー、手作りっぽいし」
赤葦くんが、にやりと一際笑みを深めた。
質問の体を装っているけれど、最早事実を確認されているだけだった。私の鞄についているキーホルダーは、高校受験のときに裁縫上手の母がつくってくれた一点もののお守りである。ご利益があったのでそれをそのまま通学鞄に付け替え使っていたけれど、まさかこんなところから身元を特定されるとは思わなかった。あまりにも迂闊だった。
いや、私が迂闊なのではない。お守りは母の手作りだからこそこれといって気に留めていなかったけれど、しかし基本的に私は、ブログに投稿する写真は常にチェックすることにしている。制服が写っていたりしたら、そんな写真をネットにアップするはずがない。だからもしも赤葦くんが言っていることが事実ならば、私が気が付かないほどうっすら小さく映りこんでいたか、たとえば何かに反射したものとか、そういうレベルのはずなのだ。まさか、赤葦くんがたまたま目にしたブログに使われていた写真の写り込みから私という本人を特定されるとは想像もしない。
背中を伝っていた汗は、今やだらだらと流れていた。毛穴という毛穴から汗が噴き出しているような気がする。
「記事、面白かったよ。おかげで今日はちょっと寝不足。いくらブログ漁りが趣味って言ってもブログを漁るのってきりがないから、いつもは適当なところで次の日に持ち越すんだけど、
苗字
さんのブログは二時過ぎまで読んでたよ」
「そ、それはどうも
……
」
「しかもそこまで頑張って読んだのにまだ全然、半分も読めてない」
「も、もうそこまでで
……
」
我ながらか細い声だった。当然、赤葦くんはそのか細い抗議をスルーした。
「でも新鮮でよかったよ。俺、
苗字
さんにまさかああいう趣味があったとは思わなくて。意外だった。通わせてもらうよ、
苗字
さんの『うちのケイジくんブログ』」
もはや私は沈黙するしかなかった。
★
誤解なきように言っておくと『ケイジくん』というのは、私の育てている赤松の盆栽のことである。
元々は死んだ祖父が趣味としていた盆栽だったけれど、祖父の死に伴い処分されそうになっているところを私が譲り受けた。別段盆栽に興味があったわけでも、植物が好きだったわけでもない。盆栽を譲り受けたことにこれといった意味はなく、それでも理由を挙げるとするなら「何となく」としか言いようがない。気まぐれのようなものだ。
盆栽は、祖父が育てていたものそのままに譲り受けたわけではなく、祖父がまさにこれから育てようと新しく購入したばかりだった苗木をもらった。祖父が丹精込めて我が子のように可愛がっていたものは、今も祖父の家にそのまま残してあって祖母が手入れをしている。
放課後、今日はバレー部の部活がないという赤葦くんとともに、私は学校から二駅離れた駅の喫茶店に来ていた。もちろん、私から声を掛けたわけではない。赤葦くんの方から誘ってきたのだ。ブログについての詳細を教えてほしいけれど、学校ではあまり都合が良くないから場所を移動したいと。
学校では都合が悪いというのは、赤葦くんが自分についての周囲からの評価を正しく把握していると言うことだ。私が必要以上に赤葦くんと親しくすれば、私は否応なく注目されてしまう。私が平穏無事に、波風立たないようにと気を付けていた高校生活は、赤葦くんと親しくしているというただ一点の理由から即刻破壊されるだろう。赤葦くんは赤葦くんなりに私に気を遣ってくれているということだ。
「それで、一体どうして盆栽に俺の名前を」
キャラメルマキアートを飲む赤葦くんは、真っ白いマグカップを持ち上げ小首を傾げた。その仕草があまりにも様になっているので、私はソイラテをうっかり落としそうになる。普段から男子との接点がほとんどない枯れた高校生活を送っている私にとって、赤葦くんの存在は何というか、目に毒だ。こうして同じ空気を吸っているだけで、なんかうっかり好きになっちゃいそうな気がする。『身の程を弁えよ』という自らに課した戒律も、赤葦くんの前ではあっけなく飛んでいってしまいかねない。
そんな己の煩悩を振り払いつつ、私は答える。
「その盆栽をはじめて見たとき、なんとなく赤葦くんっぽいなと思ったから」
「俺っぽい?」
私は頷く。ソイラテの表面がふるりと揺れた。
「まずもう『赤松』って品種名がそれっぽいんだけど。あと、なんかこう、苗木の割には太々しい感じがして、それが赤葦くんっぽいと思ったんだよね」
「つまり
苗字
さんは俺のことを太々しいと思ってるってことか」
「えっ、あ、いや、そういうわけでは」
「
苗字
さんは嘘を吐くのが驚くほど下手だな」
苦笑いをされ、思わず俯いた。別に貶す意図があったわけではないけれど、これではいきなり「赤葦くんのこと、大して知らないけど太々しいやつだと思ってた!」と言っているようなものである。どうにかして挽回したいけれど、下手に言い訳をすると余計に墓穴を掘りかねないので黙っておくことにした。
そうして黙っている間に、改めて赤葦くんのことを観察する。
顔がいい。眉毛がきりっとしているし、短い前髪の下から露出している額の形もきれいだ。額の形がきれいな人はそれだけで財産だと、死んだ祖父も言っていた。祖父の額も大層きれいだったので、あれは遠まわしな自画自賛だったのだろう。
とはいえ赤葦くんの長所は別に額に限ったことではない。特別に美形というわけではないものの、しかし賢そうな顔立ちだ。というか実際賢いのだろう。これならば学年を問わずモテるというのも頷ける。多分おばあちゃんとかにもモテると思う。
そんなことを思っていると、赤葦くんが私の顔を覗き込んで首を傾げた。自分では俯いていたつもりだったけれど、何時の間にかすっかり顔を上げて赤葦くんの顔を凝視していたらしい。
「俺の顔に何かついてる?」
「えっ!? あー、いや
……
モテそうだなと思って」
嘘をついても吐くのが下手なことは、すでに先ほどバレている。ここは正直に白状した。
「モテそうというか、赤葦くんってモテるよね
……
?」
「まあ、うん」
「あ、否定はしないんだ」
「否定した方がよかった?」
「いや、しない方がよかった」
今度も正直に伝えた。赤葦くんは楽しそうに笑っている。
赤葦くんがモテるという事実は、今や梟谷女子ならば誰でも知っているような事実だ。単純な人気という意味では三年生で同じくバレー部の木兎先輩が一歩リードしているものの、恋愛絡みとなれば順位は逆転し、赤葦くんがトップに躍り出る。かといって男子からねたまれるようなこともなく、赤葦くんの人気は盤石だ。今更、私ごとき小市民ならぬ小生徒に、ポーズだけでも謙遜する意味はないのだろう。こちらとしても、そういう無意味な肚の探り合いや建前だらけの会話をしたくもないので、正直に話してくれた方がだいぶ助かる。
「
苗字
さんって考えてることが顔に出るよね」
口許に笑みをたたえ、赤葦くんは言う。
「そうかな!? 全然そんなこと言われたことないけど」
「それは多分、周りの人が
苗字
さんに気を遣って言わないでいてくれてるんだと思うよ」
そう言う赤葦くんの瞳は、ともすれば私を値踏みしているように見えなくもない。けれど不思議と、その視線を不快に感じることはなかった。こういうのも人徳というのだろうか。
それはともかく、私の話である。私の考えてることが顔に出ている、それを指摘されなかったことは、ただ単に私の友人たちが皆一様にそのことを黙ってくれているからだと、赤葦くんは言う──何というか。
「それはそうかもしれない。私の周り、みんないい子だからなあ
……
」
そう言うよりなかった。
私が実際にどうであるかは別として、私の友人にすこぶるいい子が集まっていることはたしかだ。みんなそれほど目立つタイプではないけれど、しっかりしていて優しい自慢の友人ばかりである。かりに私の考えていることが顔に出ているとして、それでも私がそのことに気づいていなさそうだったら、私の友人たちならばわざわざそのことを私に言ったりはしないだろう。それで私が損を被ることがあるわけでもない。
けれど、だからといって赤葦くんが私の考えていることを読めるのは、私の事情、というか問題ばかりが理由でもないだろう。いくら私がポンコツだからといったって、さすがにそれほど親しくない男子相手を前に普段友人たちにしているようなあけっぴろげな感情の発露をしているわけではない。これでもそこそこ気は遣っている。
「私の友達はたしかにいい子ばっかりだけど
……
でも、多分それだけじゃないよ。赤葦くんがきっと、人のことをよく見てるんだと思う」
私がそう言うと、赤葦くんはぱちくりと瞬きをして私を見た。
考えていることが顔に出やすいというのは事実かもしれない。それはまあ、自分で自分が話している時の顔を見ることもそうそうないから、私に判断することは難しい。けれど、そもそも赤葦くんの観察眼がすぐれているというのも、私の考えていることが赤葦くんに読まれてしまうことのひとつの理由だと、私は思う。普通の男子高校生は隣の女子の鞄についている、何の変哲もないキーホルダーを気にして覚えていることなんてない。赤葦くんがそれを覚えていたのは、普段からそういう些細なことをよく見ているからではないだろうか。そういう習慣や観察眼を、彼は普段から使いこなしているのではないだろうか。
そんな持論を私が展開すると、赤葦くんはふうむと唸った。
「
……
そうかな? まあたしかに、部を纏めることもあるからそういうのは気にするようにしてるかもしれないな」
「すごいよね、私そういうの疎くて、その時は気にしなくても後から後から『あー、あの時怒ってたかも』とか『余計なこと言っちゃったかな』とか考えるタイプで」
「何となく想像がつくよ」
「そうでしょ?」
何となく分かられてしまうのも恥ずかしいものがあるけれど、分かられてしまうものは分かられてしまうのだから仕方がない。頭を掻き笑っておいた。
学校の最寄りではないとはいえ、通りに面した店のガラス窓からは時折、梟谷の制服を着た生徒が歩いていくのが見える。だれも店の中に視線を遣ったりはしないので私と赤葦くんがここにふたりでいることには気付かれてい無さそうだけれど、もしも気付かれたらそれはそれで明日には噂になっていそうだとぼんやり思った。
それでも、こうして赤葦くんと話をしてみると、赤葦くんは想像していた以上に気さくでとっつきやすい人だった。噂になるのも困りものだけれど、あんまり難しいことを色々考えずにさっさと話しかけておけばよかったと思わなくもない。
よくよく考えてみれば、赤葦くんはそりゃあもう大層おモテになるのだけれど、しかし決まった恋人がいるわけではない。だからというか何というか、赤葦くんに憧れを持つ女子もまた、ほんのりとした憧れを持ったり噂話に花を咲かせるだけで、これといったアクションを起こす層はごくごくわずかだ。
私と赤葦くんが少しくらい親しくしたところで、噂にこそなれ、別にどうということはないのかもしれない。いや、噂になるだけでも私にとっては凄まじいことなのだけれど、何というか、ドラマや漫画でよく見る一部過激なファンにリンチにされる的なことはなさそうだ。そもそも梟谷は基本的に根が明るく裏表のない生徒が多い。いじめじみたことが起きにくい校風なのだ。
「もっと早く
苗字
さんと話してみたらよかったな」
まるで私の思考とシンクロするようなタイミングで、赤葦くんがふいに呟いた。その表情は相変わらずうっすらとした笑顔だけれど、しかし冗談で言っているような雰囲気でもない。多分、本心からそう言ってくれているのだろう。
だとしたら、冗談で言われるよりももっと余計に恥ずかしい。
「な、なんだかそんなことを言われると照れてしまうんだけど」
「そう?」
「そうだよ、だって私、赤葦くんにちょっと憧れてたから」
言ってしまってから、言い方が悪かったと気付く。案の定リアクションに困っている赤葦くんに、私は慌てて首をぶんぶん横に振った。
「あ、でも変な意味じゃないんだよ!? ほら、赤葦くんって静かな人気をお持ちじゃない!?やっぱそういうのはさ、女子の端くれの私からしてみたら近づきがたいみたいな! いや、でも話してみたら全然気さくでいい人だったけど! あれ、ていうかこれまた失礼なこと言ってるかな!? あああ、どうしようお気を悪くさせたらごめんなさい
……
」
「すごい、感情が慌ただしいな」
苦笑されてしまった。同級生の男子相手に考えていることを読まれたり苦笑されたり、なんだか今日の私はひどく情けない感じだった。普段は情けなくないかと問われれば、別段そんなこともないのだけれど。
慌ただしく弁明したりへこんだりしていた私を一頻り眺めた赤葦くんは、やがて自分はゆったりとした口調で
「大丈夫だよ、別にどうこう思ったりなんかしてないから」
とフォローしてくれた。
「ほ、本当?」
「本当。俺、あんまり嘘とかつかないよ」
「本当!?」
「それは失礼だろ」
「ごめん
……
!」
すぐさま失言する私だった。本当、情けないというか駄目すぎるにもほどがある。せっかく赤葦くんが気を利かせてくれたのに、一瞬でそれを無駄にするなんてとんでもない話だ。
赤葦くんと一緒にいると、どうにもこんな具合になってしまう。自分のポンコツさを赤葦くんのせいにするわけではないけれど、しかし彼にはどうも人を駄目にする何らかの力が宿っているのではと疑ってしまう。これも彼の魅力故といわれればそれまでだけれど、こちらとしてはうっかり人前でポンコツぶりを発揮してしまうわけだからたまったものではない。いや、本当に赤葦くんのするつもりはさらさらないけれど。でも、多少は赤葦くんに原因があるんじゃなかろうか?
「今度は渋い顔をしてる」
「えっ、あ、渋い顔? 渋い顔してた?」
「してたよ。何かすごくのっぴきならない状況に追い込まれた人がしそうな顔をしてた」
「のっぴきならない
……
」
まあ憧れの男子の前で現在進行形で醜態を晒している現状はのっぴきならない状況といえなくもない。赤葦くんの観察眼はやはり侮れない。
「渋い顔したり失礼なことを言ったり、さっきから重ね重ねごめんなさい
……
」
テーブルの上に置かれた空のマグカップに額が付きそうなくらい、深々と頭を下げた。何を言っても最早悪手となりかねないので、ここはひとつ、頭を下げるという悪手になりそうにもない行為で凌ぐことにした。
というかそもそも、盆栽に無断で名前を借用している件についても私はまだ赤葦くんに謝罪していなかった。その謝罪も合わせ、ひとつ丁寧に頭を下げる。
果たして赤葦くんは困ったように「参ったな」と呟いた。困ったようにというか、発言からして完全に困っていた。頭を下げるという行為ですら赤葦くんを困らせてしまうという自分の行動の裏目具合に愕然とする。愕然とするけれど、赤葦くんは困ったように──しかしちゃっかりと付け加えた。
「じゃあ、謝らなくてもいいからひとつ俺のお願いを聞いてくれない?」
「お願い? 私にできることなら、何でも協力するけど」
この流れでお願いを断ることができるほど、私の精神は太くない。おとなしく頷く。
赤葦くんは私が首肯するのを確認してから、悪戯っぽい目で言った。
「うん、
苗字
さん、俺と友達になってくれないかな」
予想もしていなかったことを言われ、私は思わずヒエッと悲鳴を上げた。恐れおののきながら赤葦くんに確認をする。
「と、友達
……
!? 私が赤葦くんと!?」
「うん、友達」
平然と言う赤葦くんに、私は呆然とする。平然に呆然。いや、韻を踏んでいる場合ではなかった。遊んでいる状況じゃない。
どうやら先ほどの赤葦くんの発言は私の聞き間違いではなかったようだ。赤葦くんは本当に、私に対して友達になろうと言っているらしい。人気者の赤葦くんが、平凡で庶民の私に。そりゃあ驚く。そりゃあライムも削ってしまう。
恐れおののきつつ、私は恐る恐ると赤葦くんの様子を伺った。私が動揺しているのを知ってか知らずか──十中八九知っていて、しかし赤葦くんは悠々とキャラメルマキアートの残りを啜っている。どんな精神をしているんだろう。
「あの、赤葦くん」
「どうかした?」
「どうかしたっていうかその
……
よろしければ一体全体どうして、私なんかに白羽の矢を立てたのか、お教えいただけますか」
恐る恐るのあまり必要以上に下手に出てしまったけれど、これも赤葦くんは特に気にしないようだった。もしかしたら私が下手に出るのを当然と思っているのかもしれない。だとしたら既に友情関係は破綻しているけれど、こちらには赤葦くんの名前をつけた盆栽を栽培しているという弱みがあるので強く出ることもできない。
いや、そもそも私のような小生徒が赤葦くん相手に強く出られるはずがないのだ。学校内ヒエラルキーに基づく力関係を、まさかこのような形で実感する羽目になるとは思いもしなかった。
私からの問いかけの答えを考えていた赤葦くんは、探偵のように顎に手をやると、悩んでいるというポーズなのか一瞬宙に視線を彷徨わせた。そのポーズがまた様になっている。
「別に、これといった理由はないけど
……
強いて言うなら、こうやって話してみて楽しかったからかな。ここで友達になっておかないと、また学校で会ったときは今までみたいにスルーされそうだし」
「スルーなんかしてないよ、人聞き悪いな!」
すぐさま言い返すも、赤葦くんも負けていない。さらにすぐさま応酬してくる。
「いや、結構してたよ。話しかけるなオーラすごい出てるし」
「嘘でしょ!?」
「本当」
今日何度目かの愕然であった。たしかに私は赤葦くんとの身分差のようなものを感じていたけれど、だからといってそれで必要以上に避けたりはしていなかたつもりだ。必要以上に近付かない代わりに、必要以上に避けたつもりもない。その証拠に、今日はこうして赤葦くんに誘われるままにお茶をしているわけで──しかしそこまで考えてはたと気付く。もしも赤葦くんにブログバレしていなければ、たとえお茶に誘われたところで、きっと私はその誘いを断っていただろう。ほかの誰かからの誘いなら乗ったかもしれないけれど、赤葦くんに誘われてほいほいついていくとは思えない。
自分でも知らず知らずのうちに赤葦くんのことを遠ざけていたのかもしれない。そのことに思い至り、私は深く反省した。
「ごめんね、自分では全然そんなつもりなかったんだけど
……
」
「大丈夫、実際に話してみて、
苗字
さんにそんなつもりはなかったことが分かったから。それに『お前のことは嫌いだから話しかけるな』なんて思ってる人が、大事に育ててる盆栽に憎い仇の名前をつけたりしないだろうなって思ったしね」
「クッ」
思いがけず盆栽の話を持ち出され、私は思わず赤葦くんを睨んだ。優しくするのかいじるのかどちらかにしてほしい。しかしこの緩急ついた話術が赤葦くんの武器のひとつなのかもしれない。そうだとしたら何と厄介なのだろう。私はまっすぐ正攻法でしか戦えないというのに。多彩な水系攻撃を繰り出す赤葦くんに『ひのこ』一辺倒で戦うようなものだ。確実に負ける。勝てるビジョンがひとつも思いつかない。
そんな私に追い打ちをかけるように赤葦くんは続ける。
「俺も帰りに何か買って帰るよ。それで名前を『
名前
』ってつけて大切に育てることにする」
「待って、恥ずかしいから絶対にやめてほしい。お願いだからやめて」
「なんで?
苗字
さんは俺の名前をつけた盆栽を愛でてるんだからこれであいこだと思うけど」
「ううう、それは確かにその通りなんだけどぉ
……
」
ぐうの音も出ないような正論に、私はついに轟沈した。もはやこれ以上言いあったところで赤葦くんに勝つ見込みは皆無だろう。こちらの傷が増えるだけだ。
私の轟沈をもって自分の勝利を確信したであろう赤葦くんは、沈む私に悠々と尋ねた。
「それで、さっきのお願いは聞いてもらえる? 友達になりたいっていう」
もはや私に選択の余地は無かった。もしかしたら元から赤葦くんはこういう展開になることを予想して、その上で『友達になろう』という提案をしているのかもしれない。赤葦くんに限って『友達という名の〇〇』みたいな関係を強いてきたりはしないだろうけれど、しかし果たしてここまで強制されて友達になった関係を『友達』と呼んでいいのだろうか。甚だ疑問である。
それでも、やっぱり私に選択の余地はない。
せめてもの抵抗で、私はじろりと赤葦くんを濁った目で見て訪ねた。
「
……
もしも赤葦くんと友達になったら、さっき言ってたように私の名前をつけた何かを栽培するのをやめてくれる?」
「いや、それとこれとは別問題だけど。でも、そうだな。もし友達になってくれたら、買って帰るのは動物じゃなく植物にするよ」
「動物に私の名前つけるつもりだったの!?」
どんなあいこだ。植物を動物より軽んじるわけではないけれど、しかし植物に名前をつけるのと動物に名前をつけるのではその重さにあまりにも差があるんじゃなかろうか。赤葦くんが飼うペットを『
名前
』と呼んでいるなんて、絶対に嫌だ。恥ずかしいとかではなく、普通に重い。重いし怖い。
「折角なら、動物の飼育の方が面白いかなって。亀とか」
「そんないきなり飼うものじゃないよ、亀
……
」
大体、息子がいきなり亀をペットショップで買って帰ってきたら赤葦くんの親御さんは一体どう思うだろう。あまつさえその亀にクラスメイトの女子の名前をつけて飼育するというのだから、私がもしも赤葦くんの親御さんだったら間違いなく息子の情操教育に失敗したと思うはずだ。
「
苗字
さんが友達になってくれるなら、今日いきなり亀を買おうと思い立った俺に飼われることになる哀れな亀を一匹救えるよ」
「どんな脅し文句なの、それ」
見知らぬ亀を人質ならぬ亀質にとる赤葦くんに、私は深々と溜息をついた。
もとより選択の余地はなかったけれど、ここで最後の一手を詰められたという感じだった。いや、それでも最初は選択の余地くらいあったのかもしれない。赤葦くんに弱みを握られたといっても、別に盆栽に赤葦くんの名前を付けているというだけの話だ。恥ずかしい話ではあれど、バレたら死ぬ類の話じゃない。
けれど事ここに至っては、最早それも過去の話だ。さすがに亀に自分の名前をつけられ赤葦くんに飼育されるというのは、ちょっと色々と無理だった。もし万が一赤葦くんがそのことを人に話した場合、うっかりすると赤葦くんの評判まで下がる恐れがある。私の評判だけならともかく、学園の人気者をちょっとした変質者にするのは嫌だった。これでも赤葦くんに憧れている女子のひとりとして。
「分かった、友達になろう」
肚をくくり、私は言った。差し出した右手を、赤葦くんは意外そうに見つめる。
「
……
いいの? 我ながらかなり滅茶苦茶なことを言った自覚があるんだけど」
「うん、いいよ。赤葦くんと話してて楽しかったのは事実だし」
正攻法の会話しかできない自分と比較して、緩急織り交ぜたテクニカルな会話を繰り出す赤葦くんとの会話は、恐ろしくはあるものの楽しいものでもあった。もっと早く赤葦くんに話しかけたらよかったと思った気持ちは、けして嘘ではない。
「すごいな、今の会話を楽しいと思えるんだ。俺、半ば脅しだろと思ってた」
「半ばっていうか八割脅しだったけど、自覚があるみたいでよかった」
そう言って苦笑すると、赤葦くんは私に右手を差し出した。
はじめて握った男の子の手は、ごつごつしていて大きくて──全然ロマンチックなんかじゃなかった。
『流星群とは生温い』
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