柚子子
2022-02-08 23:18:13
6625文字
Public ネロ長編番外編
 
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拙宅ネ長編番外編 あやしいお薬以下略 解決編

夢主不在です。今回本当に捏造に次ぐ捏造と幻覚寄りの幻覚です。フィガロとネロがギスギスしてるのが大好き……。

名前名前名前

 ★

 喉が乾いて身体を起こす。室内を満たす暗闇に目が慣れるまで、数秒かかった。窓の外の夜闇の深さと月の位置、腹具合から、今が夜明け前のもっとも夜が濃い時間なのだと察しがつく。
 午前のうちから恋人を抱きつぶし、最後の精を吐き出したのが、たしか日付が変わる前だっただろうか。ヒースから、いや正しくはムルから譲り受けた丸薬には、媚薬としての効果もあったらしい。元来それほど性欲の強いたちではなく、そういう欲求を持て余す時期も遥か昔に去った俺が、こんなふうに行為に耽溺することになろうとはと、我ながら呆れてしまう。
 ――とはいえ、それに付き合わされた名前はたまったもんじゃなかっただろうな……
 隣で気を失ったように眠っている――というより、実際に気を失っている名前の、普段よりずっと熱い肌の温度に手を伸ばしかけ、寸でのところでその手を引っ込めた。暗闇に沈むように眠りこける彼女は、すうすうと規則正しい寝息を立てていた。汗で顔に張り付いた髪が生々しく、痛々しい。
 布団から出ている肌だけ見ても、そこかしこに赤い痕が散っている。最中の記憶はすべて明瞭で、その痕ひとつひとつ、どれをとっても間違いなく自分がつけたものだという実感があった。これは明日、人前に出るまでにはどうにかしてやらなければと反省する。
 彼女の薄い肩を覆う布団が落ちないよう気を付けて、俺は自分だけベッドからおりる。
「≪アドノディス・オムニス≫」
 小声で呪文を唱えて豆粒ほどの明かりを灯し、床板を軋ませぬよう気を付けながら床に落ちた衣服を拾い集める。拾った服をそのまま身につけようかとも思ったが、いざ手にしてみるとどれも思った以上に湿気っていた。そういえば風邪のせいでただでさえ発汗が多かったうえに、行為の半ばまで服を着たままだったと思い出す。服を脱ぐ手間すら惜しいなんて、獣じみてがっついたセックスをしたことを思い出すと、顔から火が出そうな気分になった。
 溜息を吐き、しまっていた洗い替えの服を出す。それから逡巡ののち、俺はひっそりとドアノブに手を掛けた。フィガロが張ったという外からの侵入を許さない結界は、内側からだと呆気なく脱出することができる。後ろ手にドアを閉め、念のためにもう一度結界を張りなおしてから、俺はこそこそと、鼠にでもなったような気分で夜半の厨房へと向かった。

 いくら魔法使いが宵っ張りとはいえ、さすがに明けの近いこの時刻の魔法舎は、森閑と静まり返っている。そういえば、任務に出ている魔法使いが多いと聞いたような気もする。となると、そもそも今夜は人数が少ないのか。このあとの朝食のことを考えた直後、朝食は作らなくてもいいことになったのだったと思い出す。
 身体に纏わりついていた眠気は、部屋を出たあたりから、するすると消えつつあった。料理人の朝は早いので、この時間ならば俺にとっては普段よりも少しばかり早起きをした、くらいの感覚だ。
 病み上がりではあるものの、驚くほど身体はすっきりとしている。厨房を覗いて水を飲んだら、浴場で湯を浴びよう。そんなことを考えながら食堂に向かって、布張りの階段をくだる。
 異変に気が付いたのは、食堂に足を踏み入れたときだった。
 食堂と厨房にはドアや仕切りがなく、そのまま続きになっている。等間隔に明かりの置かれた通路と違い、窓から差しこむ月明りしか室内を照らすもののない食堂は、想像していた通り深い闇に覆われていた。しかし、そこは完全な暗闇ではなかった。厨房から滲みだしたやわらかな明かりが、食堂まで漏れている。
「こんな時間に、誰か小腹でもすいたのか……?」
 俺は首を傾げた。
 夕食はカナリアに頼んであるはずだから、よほど食いっぱぐれるということもないだろう。だが、ここのやつらの中には自由気ままな生活を送っているやつも少なくない。いつもならば夜食をたかりに俺の部屋に来ていたところを、今夜ばかりはそういうわけにもいかず、こうして厨房をあさっているということもあり得なくはなかった。
 しかし、無断で厨房を荒らし回られては困る。ちょっとつまみ食いというくらいならば構わないが、中にはものの程度を分かっていないやつもいる。
「おーい、誰だ。こんな時間、に……
 中にいるのはブラッドリーかシノあたりだろうと当たりをつけて、俺はひょいと厨房の中を覗きこんだ。しかし、予想に反してそこにいた人物は、厨房の作業台でひとり優雅にグラスを傾けていた。
 深い青の髪が橙の明かりに照らされ、いっそう深い黒みを帯びていた。厨房の入り口に半身を向けるような格好で、簡素な丸椅子に腰かけていたフィガロは、暗がりのなか俺と目が合うと、ふっと目元をほころばせた。
「やあ、ネロ。調子はどうだい?」
 気安い。相手がフィガロだから無意識に身構える俺を、軽くいなすような口調だった。
……あんた、こんな時間にこんなところで何やってんだ?」
「質問に質問で返すのは行儀が良くないな」
「育ちが悪いもんでね。いや、そうじゃなくて……
 俺がごちゃごちゃ言っている間に、フィガロは「≪ポッシデオ≫」厨房の明かりをつける。きっと帰りがけにカナリアがきれいに片付けてくれたのだろう。厨房の中は一切秩序を乱すことなく、きちんと整頓されていた。
「座ったら?」
「いや……
 もともと水を飲みに来ただけだし、という言葉は、あいにく続けられなかった。フィガロのつかみどころのない目が俺をまっすぐとらえていて、反論を許さなかったからだ。
 こんなとき、中途半端に長生きな北生まれの魔法使いという、己の半生が嫌になる。きっと若い魔法使いは今のフィガロの目を見ても肝を冷やすことなんてないだろうし、北生まれでなければこれほどはっきりと、彼我の力の差を実感することもないのだろう。
 逡巡のすえ――その逡巡も、結局はつまらない意地で見せたポーズでしかなかったが――俺はコップに水を汲んでから、キッチンに腰をあずけた。椅子に腰かけないのは、フィガロと同じテーブルにつくことに抵抗があったからだ。単に一緒に酒でも、という雰囲気ではない。同じテーブルにつけば、文字通り話し合いのテーブルについたと看做みなされて、よく分からないままに丸め込まれてしまいそうな気がした。
「警戒心が強いな」
 フィガロが揶揄するように苦笑した。
「そういう性質たちなんで」
 できるだけ軽口に聞こえるように、俺はそう返事をした。
 フィガロが手酌でボトルの酒をグラスに注ぐ。さして美味くもなさそうに一口飲むと、いつもの調子で口を開いた。
「寝付けなくてぼんやりしていた、というのもあるけど、一番はそろそろ君がここに来る頃かと思って。少し前から、ここで一杯やらせてもらってたんだ」
「その酒、持ち込みか?」
「そう。シャイロックには見せられないような、安くて風味もない酒だけど」
「あんたでもそんなもん飲むんだな」
「時々はね」
 そう言って、フィガロはつまらなさそうにボトルのラベルの文字に視線を滑らせた。
「はじめて知ったけど、厨房で飲む酒って、救いようもなくだらしなくなった気分になるんだな」
「アルコール中毒の母親みたいなことを」
「そういう人間に心当たりが?」
……どうだかな」
 分かりやすいあてこすりに鼻白む。フィガロに限って俺の来歴を知らないとも思えない。大体、死の盗賊団なんかに流れ着くやつで、まともな育ちをしているやつの方が珍しい。
「君もどう?」
 フィガロがボトルを手に、俺の方へ傾ける。安酒を他人に勧めるなよ、と考えてから、これもまたあてこすりなのかもしれないと気が付いた。いや、さすがにそれは邪推か。
「あいにく病み上がりの身なもんで、今夜はやめておく」
「ふうん。そういうわりには血色もいいし、いっそいつも以上に元気はつらつに見えるけどね」
 グラスの中身をぐっと飲み干して、フィガロは笑った。
「効いただろ? ムルのあの丸薬がんやく
 フィガロの声音が、わずかだが変わったような気がした。わずかに低められた声に、嫌な汗がわきに滲む。
……何の話だ?」
「あの薬を風邪薬として君に渡したのは、あながち間違いでもなかったって話だよ。滋養強壮、というのかな。ほら、年老いて枯れた者が若者とまじわることで生気を吸い取り元気になる、なんて逸話はどの時代にも事欠かないだろ? ああいうのって、実際ある話でさ。君が飲んだ薬も、まさにそういう効能がある秘薬のひとつだ。まあ、ムルがそこまで知っていたかは定かではないし、ファウストも知らなかったようだけどね」
 立て板に水で調子よく話すフィガロだが、その言葉が医者としてのやつの本分から出たものでないことは、言葉選びひとつとっても明白だった。
 ムルの丸薬。
 西の国でごく僅かに流通している、世にも珍しい秘薬。
 その稀少性ゆえに、正確な効能についてすら、多くを知られているわけではない。あのファウストですら、正確な情報を持っていないほどに。
 フィガロの特異な虹彩が、嗤うように、つまらなさそうに、部屋の明かりを映して輝いている。
「待て。フィガロ、あんた何を言ってる? ……何を知ってる?」
「何って……、そうだなぁ。いろいろ知ってることはあるけど」
「たとえば?」
「うーん、たとえば。俺は自分が張った結界なら、その結界内での魔力の揺らぎや増減をある程度感知することができる。大きな結界では無理だけど、君の部屋を覆う程度の結界ならね」
 突拍子もない話に、俺は思わず盛大にせた。魔力のゆらぎや増減を感知できるということは、それすなわち、結界内の魔法使いの精神状態や疲労の深度が手に取るように分かるということだ。丸薬が俺に及ぼしている影響の程度だって、きっと容易に分かったに違いない。
 俺がバカみたいに恋人と何度もまじわっているうちに、すっかり普段の健康状態に戻っていたことも。
「ムルの丸薬ではからずも風邪症状から回復した君は、当初ファウストが予想していたよりもずっと早く、薬の効果から解放されていたんじゃないか? そう、こうして夜明けを待たずに元気に出歩けるくらいだ。実際には日暮れの頃には、君はもう正気だったんだろうね」
 フィガロの言葉に、俺は相槌ひとつ打たなかった。さぞや話し甲斐のない聞き手だろう。しかしフィガロは、愚鈍な聞き手に対しても公平だった。話すことをやめもせず、フィガロはただ微笑みを深めていた。
「とはいえ薬にはいくつか効能があったし、すべてがいっぺんに抜けるというわけではなかっただろう。これは俺の想像だけど、多分最初に意識がはっきり戻ったんじゃない? そして少し時間を置いてから、媚薬の効果が切れた。どう? 俺の予想は当たってる?」
 返事はしない。グラスを置いたフィガロは頬杖をついて、上目遣いに笑った。
「結界の中で何が行われているのか、さすがにそこまでの仔細は俺には分からない。もちろんのぞき見するような趣味もない。そのことは安心してくれていいよ」
……それ以外に、安心できない要素があるような言い方だな」
「仔細は分からなくても、盛り上がってるなってことくらいは分かるよ」
 ようやく絞り出した返答も、あっさり叩き潰された。
「日付が変わる頃まで、たっぷり楽しんだんだろ? 若いっていいね。それこそ理性なんて持たない顔をして、普段の君らしからぬことをどれだけしたところで、それはすべてムルの持ち込んだ薬のせいってわけだ。何でも好きにし放題。だけど日暮れからの数時間、君が本当はとっくに薬の影響なんて受けていない状態だったと知ったら、彼女、きっと驚くだろうね」
……
「普段のネロがどんなふうに彼女を抱いてるかなんて知らないけど、薬のせいってことにしてハメを外すのは楽しかった?」
 いよいよ下世話な物言いを隠さなくなったフィガロに、俺は眉をひそめた。やはり、フィガロとふたりで話なんかするんじゃなかった。俺にとってはオーエンやミスラより、フィガロの方がよほどたちが悪い。オーエンやミスラには愛嬌と呼べる部分がまったくないわけではないが、フィガロにはそんなもの、一滴たりとも存在しない。
 露骨に顔をしかめた俺に、フィガロが眉を下げる。
「何もそんな顔しなくても。彼女に話したりしないから安心しなよ」
「全然信用できねえんだけど……
「大丈夫だよ。ネロがちゃんと、俺の秘密を守っているうちはね」
 声を低めて告げられたその言葉を聞いた瞬間、ああ、そういうことかと得心が言った。
 結局のところ、フィガロはこれを言いたいがために、こんな手の込んだ待ち伏せをしたうえ、俺に揺さぶりをかけたのだろう。
 回りくどいことをするものだ。秘密を守るというのなら、この魔法舎にやってきたその日から、俺たちは互いに秘密を握り合っているだろうに。
「秘密っていうなら、あんただって俺の秘密を握ってるだろ。それだけじゃ足らないって?」
「少し前までは、それだけで十分だと思ってたんだけどね」
 窓の外で雲が流れた。月光が俺の肩越しに差しこんで、フィガロの白い顔を照らす。
「ここのところのネロを見ていると、結構いろんなことが杜撰ずさんで心配になってきちゃってさ。だってネロ、自分の過去はともかくブラッドリーに対して抱えてる秘密については、いつか全部ぶちまけちゃいそうに見えるよ」
 どくんと、胸の真ん中に不穏な感覚がほとばしる。心臓が嫌な速まり方をしたのは、フィガロの言い分に多少の理があることを、俺自身認めていたからだ。
 たしかに俺は一度ならず、ブラッドリーにすべてを吐き出しかねないような事態に陥っていた。いまだに秘密が保持され、ブラッドリーに何もばれていないのは、単純に幸運が重なったからに他ならない。本当に幸運だったなら、きっとブラッドリーとここで再開することなどなかったのに、運命というものは儘ならなくて嫌になる。
「ネロの――そっちの秘密が秘密じゃなくなったら、互いに秘密を握り合うって条件が成立しなくなってしまう。だからこれは、まあちょっとした保険みたいなものだ」
……秘密を握り合う条件の更新ね。何事も大らかな南の国の魔法使いとは思えねえな」
「ネロこそ、片一方が一方的に不利をこうむる条件にも関わらず、黙って見過ごせと言うつもり? とてもじゃないけど真面目で猜疑心の強い、東の国の魔法使いとは思えない横暴だ」
 俺とフィガロの視線が絡みあう。厨房の空気がぴんと張りつめた。
 万が一フィガロと俺が戦うことになれば、確実に俺が負ける。ここは俺から視線を伏せて、歯向かう意思がないことを暗に伝えるべきなのかもしれない。
 だが、それを俺の矜持は許すのか? とうに捨てた北の国の魔法使いとしての矜持ではない。東の国の魔法使いとしての俺は、それほど簡単に屈することをよしとするのか?
 らしくもないことに惑っていた俺をうつつに呼び戻したのは、「とにかくさ」と、ぞんざいにすら聞こえる軽やかさで投げられたフィガロの声だった。
「仲良くやっていこうよ。俺はネロのこと、嫌いじゃないよ」
「そりゃどうも」
「本当さ。ネロに何かあったら、名前のことは俺が面倒見てあげてもいいと思ってるくらいにはね」
「悪意しか感じねえ……
 がたんと音を立ててフィガロが丸椅子から腰を上げる。
「ミチルが部屋に起こしにきてくれる前にベッドに戻らないといけないから」
 齢二千、魔法使いの世界の元締めあらため重鎮とは思えないような、甘ったれなことを言い、フィガロは足取り軽く厨房を後にした。
 結局のところ、俺はただ釘を刺されただけということか。とてつもない徒労感に襲われながら、俺はひとつ溜息を吐く。ふと顔を上げれば、東の空のふちが白み始めていた。
「俺も、ベッドに戻るか……
 どのみち今日は朝食を用意しなくてもいいことになっている。それならばまだ病み上がりの顔をして、ベッドで眠る恋人のあたたかさに癒してもらおう。彼女に残した数多の痕をどうするかも考えなければ。
 そんなことをつらつら思いつつ、俺は使ったコップを片付けてから、ひっそりと厨房を後にした。