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柚子子
2022-02-06 16:30:47
5046文字
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ネロ長編番外編
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拙宅ネ長編番外編 あやしいお薬を飲んで夢主にめろめろになってるネの話
いやらしいシーンは皆無です
ここは魔法舎の談話室
――
ではなく、ファウストさんの私室。私が彼の部屋に足を踏み入れるのはこれがはじめてのことだが、もちろん私とファウストさんに個人的な親交があるというわけではない。この部屋には現在、私とファウストさん以外にも何人か詰めている。
だが、その全員の視線が私に注がれているというのは一つの事実だ。
より正確を期すならば、私と、私の背に貼り付くようにしてくっついている私の恋人に、皆の視線は注がれている。興味と関心と揶揄と、そして居た堪れなさの滲んだ視線が。
「これは驚いたね
……
」
私の正面に片膝を立てているフィガロ先生は、私の肩越しにネロの様子を観察したのち、溜息とともにそう吐き出した。普段ネロは、フィガロ先生に対しやんわりとした警戒心を抱いている。なのでこの至近距離でフィガロ先生に観察されるなど、ネロにしてみればたまったものではない
――
はずなのだが。
フィガロ先生の不躾な視線などまったく気にした様子もなく、ネロは自分の足の間に抱え込んだ私の髪に顔を埋めて、頬ずりするように私に甘えている。周囲の視線もそっちのけ、普段では考えられないようないちゃつき方だ。
私たちを囲むように腰を屈めているうちのひとり、賢者様が何やら感心したように、
「またたびに酔ったネコみたいですね」
と遠慮がちに言う。私は何と答えていいやら分からず、ただ「あはは
……
」と乾いた笑いを返すだけだ。
室内にいるのはネロの急変に居合わせた東の国の魔法使いと賢者様、それに医者のフィガロ先生だけだ。
事の発端は、西の魔法使いが任務のおみやげとして持ち帰ってきた、謎の
丸薬
がんやく
だった。ネロが風邪っぽいと聞きつけたムルが、朝食の席でそれをヒースクリフ様に手渡し、そしてネロへと渡ったものらしい。
ヒースクリフ様は「風邪薬なんだって」とネロに手渡したそうだが、「風邪薬? 何のこと? 薬を用意した方がいいかもってヒースが言ってたから、俺がちょうど持ち合わせてた薬をあげたんだよ!」とはその後のムルの
言
げん
。
ともかく、かくしてムルの丸薬が、風邪のネロの手に渡ってしまった。それでも普段のネロならば、よく分からない丸薬など警戒して飲みはしないだろう。しかし今日のネロは風邪気味で、おまけに薬を持ってきたのは、悪質ないたずらなど絶対にしないだろうヒースクリフ様だった。
丸薬の正体が『服用後、魔法使いならば最初に見た人間を、人間ならば最初に見た魔法使いを熱烈に愛してしまう魅了薬』とも知らず服用したネロは、ちょうど廊下で鉢合わせた私をひと目見るなり、私にべったり貼り付き離れなくなってしまったのだった。
「最初に見た相手が恋人だったというのが、不幸中の幸いだったな」
ファウストさんがぼそりと呟く。たしかに、今この魔法舎に人間は四人。けして大人数ではないものの、だからといって少ない人数でもない。もしも熱烈求愛してしまう相手が賢者様だったなら、翌日の気まずさはこの比ではないだろう。カナリアさんは既婚者だし、クックロビンさんが黙っていなさそうだ。クックロビンさんと恋に落ちる場合も同様。
そう考えると、たしかにネロの求愛相手が私でよかったと思わないではない。ネロには悪いが、正直役得だなぁという気もまったくないわけではないのだ。
だが、そうとばかりも言っていられない。この状況がネロの本意でないのは明白なのだから、私はネロの恋人として、ネロ本人に代わってこの状況をどうにかしなければならない。
「ええと、一応確認しておくんですけど、これって毒性のあるものを摂取した、とかではないんですよね?」
おそるおそる尋ねると、フィガロ先生は顎に手を当て薄く微笑む。すでにムルからはネロが飲んだのと同じ丸薬を借り受けて、フィガロ先生に中身を調べてもらっていた。
「この状況を毒されているとしないなら、そういう意味では毒されていないよ。おしゃべりなローズをもう少し悪質にした感じ、といえばイメージがわきやすいかな。普通にしていればまる一日程度で症状がなくなるはずだし、特に後遺症や何かも残らないはずだ」
「記憶の方は」
「それは普通に残る。二日酔いで記憶を失うのとは少しわけが違うからね」
ネロとフィガロ先生以外全員の吐き出した溜息が重なる。賢者様も東の国の魔法使いたちも、明日のネロが襲われるであろう羞恥心と希死念慮に思いを馳せて心を痛めているに違いない。
「それにしても、ネロは調子でも悪かったの?」
今度はフィガロ先生が首を傾げた。フィガロ先生は昨日西の国の魔法使いたちとの任務から帰ったばかりで、ネロが風邪気味だとは知らなかったらしい。
「一昨日くらいから調子が悪そうでした」
「それなら俺のところに診察に来てくれればよかったのに。俺が昨日戻ったばかりだったから遠慮したのかな」
「ネロでなくても、僕だってあなたに診察は頼まない」
さらりとファウストさんが辛辣な言葉を挟みこむ。賢者様が私の方を向いて、ひっそりと苦笑した。
「でも、多分本当にしんどかったんだと思います。昼食も、今日は魔法舎に残ってる人数が少ないからカナリアさんにお願いするって」
「こういうものは身体が不調で抵抗力が下がっていると、症状が強く出やすいからね」
フィガロ先生は相変わらずの微笑みを貼り付けたままで、私に向けてそう説明した。おそらく私が心配そうな顔をしていたせいだろう。
毅然
きぜん
としていようと思っても、どうしても不安が顔に出てしまう。
背中に感じるネロの体温は、風邪のせいか普段よりもほかほかとあたたかい。その熱は私にときめきを
齎
もたら
さず、ネロらしくなさと相まって、いっそう私の不安を呼び起こした。
私の不安に気付いたのか、シノが私を一瞥してから口を開く。
「それで、フィガロにならこの症状を治すことはできるのか?」
「できなくはない」
即答だった。フィガロ先生のその返事に、私はほっと胸を撫でおろす。
「それじゃあ
――
」
「ただ、俺としては一日置いて自然に薬効が抜けるのを待った方がいいと思う」
「それは無理に魔法でどうにかしようとすると、何か良くないことがあるということですか?」
ヒースクリフ様の瞳に、不安の影が過ぎった。元凶はムルとはいえ、ヒースクリフ様が自責の念を感じていることは想像にかたくない。
「簡単にいえばそういうこと。だけど心配しなくても、丸薬が特別ひどいものだったって話ではないよ」
ヒースクリフ様の心を軽くするためだろうか。フィガロ先生は慈愛深い笑みをたたえて、諭すようにそう言った。
「丸薬がどうという話じゃない。もともと精神に干渉する魔法はリスクが高いんだよ」
「
……
そういうものはあなたの得意分野だろう」
「そりゃそうだけど、相手によるよ」
そしてフィガロ先生は、今度はその瞳を一瞬私の肩越しにネロに投げかける。
「元来心の壁が人より厚くて、そう容易くは胸の
裡
うち
を他人に晒さない。外から無理にこじ開けようとしたところで、逆にいっそう閉じこもって塞ぎこむ
……
。そういう気質を持つ相手の精神に干渉するのは、針穴に麻縄を通すより難しいんだよ」
フィガロ先生は、そこでちらとファウストさんに視線を遣った。ファウストさんは苛立たし気に顔を背ける。
「それって不可能ってことじゃないのか」
「不可能とまでは言わない。よくよく知恵を絞ってみれば、たしかに何か遣りようがあるかもしれないね。だけど、絶対に成功するとは言えないし、場合によっては針を痛めるかもしれない。そんな危うい橋を渡るくらいなら、一日待って勝手に元に戻るのを待ったほうがよほどいいと思うよ」
淡々とした物言いは、それだけに深い説得力を持って私たちの耳朶を打った。全員が押し黙ってしまったことにより、薄暗い室内には重たい沈黙が落ちる。
フィガロ先生の言い分には、それこそ穴のひとつもないように思えた。魔法のことは分からないが、ファウストさんと賢者様が言い返さないところを見るに、この状況を打破できるとすればフィガロ先生の魔法だけが頼みだったのだろう。その頼みが呆気なく絶たれた。いや、正確には絶たれたわけではなかったが、この場の誰一人、危険を冒してまで魔法でどうこうしようとは考えていなかった。
一日待てば、きっとネロは元通りに戻るのだ。
それならば、無理に事を荒立てない方が
――
と。
いたって真剣な私の思索は、背後に貼り付いた恋人の妨害によって突如中断された。
深く吐き出されたネロの吐息が耳に触れ、あやうく声が漏れかける。なんとかその声を飲み込んでから、私は私のおなかの前で組まれたネロの手をぺしぺし叩いて抗議した。
「ね、ネロっ、髪をっ、髪を嗅ぐのやめてくださいっ」
「ネロの話で頭を悩ませてるっていうのに、緊張感のないやつだな」
シノが眉根を寄せて文句を言う。
「シノ、今は仕方ないので
……
」
「というかこの状況、明日のネロに記憶が残るというのなら、一刻も早くネロのことは隔離して人目につかないようにすべきじゃないか? ネロの性格を考えれば、身体的な毒性はなかったとしても、精神的に立ち直れなくなるだろ」
「ど、どうしよう
……
。俺、見ないふりをした方がいいですか
……
?」
「おいネロ、ヒースが目のやり場に困るようないちゃつき方をするな」
「シノ、今のネロに言っても仕方ないのでは
……
」
「このくらいのいちゃつきなら、見られてまずいこともないんじゃない?」
「あなたを東の子供たちを一緒にするな」
やんややんやと場が盛り上がり始めたところで、私は「あのっ」と急いで声を上げた。収拾がつかなくなる前に、どうにか今後のことだけは決めておきたかった。
「あの、わ、分かりました
……
。それでは、ひとまずネロには部屋に戻ってもらおう、ということで大丈夫ですか? というか今のところ、それ以外には有効な手立てはないんですよね?」
「そういうことになるね。そうなると君もネロに付き合って隔離、ということになるけど」
「じゃあ、わ、分かりました。皆さんも、フィガロ先生もありがとうございました」
集まっていた面々にお礼を言ってから、私はよいしょと立ち上がる。ネロもそのまま膝を伸ばして、後ろから私を抱きしめたまま立ち上がった。
ネロを隔離しなければならないのは仕方ないし、恋人の私がネロに付き添うのも仕方のないことだ。食事はカナリアさんに任せ、何かあればこれで呼ぶように、とファウストさんから笛のようなものを預かった。
「ネロの部屋に戻るんだよね? 一応、俺が外から結界を張っておくよ。中の声は外に漏れなくなるけど、今ファウストから預かったその笛なら、結界が張ってあってもちゃんと外の人間に分かるから大丈夫」
「け、結界
……
?」
「張っておかないとまずいんじゃない? ネロのその状態じゃ、そこまで気が回らないだろうし」
やたらに含みのある言い方が、どういう事情に配慮しているのかなど考えるまでもない。私は赤くなった顔を俯けて、小声で「ありがとうございます」とどうにか返した。視界の端でシノがにやつき、ファウストさんが苦い顔をし、ヒースクリフ様と賢者様が顔を赤らめているのが分かる。きっと明日の朝まで、誰もネロの部屋を訪ねてくることはないに違いない。
室内の空気に耐えかねて、私はぎくしゃくと足を踏み出した。
「ネロ、い、行きましょう」
「ん」
「階段で転んだり、振り落とされないように、あ、違う、離れてもいいんですけど、ちゃんとついてきてくださいね」
「ん」
「聞いてます
……
!?」
「ん」
明らかに私の話をまともに聞いていないネロをくっつけたまま、私はファウストさんの部屋を後にした。ドアを閉める直前、室内から、
「すごいな。賢者が前に話してた、賢者の世界の目の前の風景をそのまま残せる機械が、今ここにあったらよかったのに」
「そんなことしたら一生ネロに許してもらえないよ」
「魔法使いの一生は長いからな。数百年単位で恨み続けられてもいいのなら」
「それは困る。あいつの料理が食べられなくなったらまずい」
「でも、正直何の証拠も残らないのは惜しいね」
そんな会話が聞こえてきたが、ネロにくっつかれ頬ずりされている今の私には、それ以上会話を立ち聞きするような余裕はなかった。
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