桐子
2024-06-17 00:30:11
2488文字
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最愛①(父水)


ほのかに甘く、しっとりとした土と水の匂いは、きっと男が生きてきた森の中の香りだ。水木はこの香りが好きだった。
「いい匂いじゃ」
ゲゲ郎は、すり、と水木の首筋に頬を擦り寄せながら言った。ゲゲ郎いわく、水木からは甘くて重いバニラのような香りがするそうだ。吸っている煙草の影響もあるのだろう。
「何だよ、くすぐってえな……
そう言いつつも、ゲゲ郎を突き放すことはない。むしろ、もっと触ってほしくて自分からゲゲ郎の身体に腕を回した。どんどん体温が上がり、吐く息も熱を帯びている。
そろそろ発情期が近いのだろう。
「水木や」
ちゅっ、と首筋に口付けを落としながら、ゲゲ郎が囁いた。
「そろそろ、よいか?」
……ああ、俺も……欲しい」
ふっと微笑むと、ゲゲ郎は再び唇を重ねてくる。そして、そのまま布団の上に押し倒された。

「愛しておるよ水木。ずっとずっと、わしのそばにいてくれ」

その言葉にどう返事をしたか覚えていない。熱に浮かされ、何も考えられなかった。ただ、何度も名前を呼ばれ、狂ったように互いの体を貪っていたことだけははっきりと記憶している。
水木の体は男を受け入れることにもすっかり慣れてしまい、何度も何度も絶頂に達してしまった。快楽で頭の中が真っ白になる感覚なんて、今まで味わったことがなかった。
これが、番うということなのか――
ぼんやりとする頭の中で、そんなことを考えていた。




発情期が終わったのは3日後のことだった。ゲゲ郎が、知り合いの妖怪に預けた鬼太郎を迎えに行っている間に、夕食を作る。
(助かった……今回は土日と重なったから、休みも1日ですんだ)
毎月2、3日は仕事を休むことになるので、職場ではすっかりお荷物扱いだ。上司などは露骨に「給料泥棒」と呼んでくる。だが、かまうものか。今、職を失えば生活できなくなるのだ。解雇を言い渡されるまで、どれほど針のむしろに座るような思いをしても、しがみつけるだけしがみついてやるつもりだ。
(あー、腰痛ぇ……
台所に立ち、野菜を切りながら腰をさする。まだ後孔に雄を埋め込まれているような違和感があった。だが、それは不快ではない。今も全身に残る気怠さは、心地良い疲労感でもあった。

ゲゲ郎と恋仲になり、身体の関係を持ってからしばらくして、水木は時折ゲゲ郎から「匂い」を感じるようになった。甘くていつまでもかいでいたくなるような、どこか懐かしい香りだ。
それをゲゲ郎に伝えると、驚いたようにうろたえた後、叱られた子どものようにしょんぼりして言った。
「わしのせいじゃ」
聞けば、幽霊族には子孫を残すために、肉体の性別とは違う、もう一つ、繁殖のための性別があるのだと説明された。
「わしは肉体が男で“雄”という、見た目も繁殖のための性別も一致しておる。じゃがわしの妻は、女でありながら“雄”の性質をもっておった」
「彼女が……?」
あの麗しい女性が“雄”であるとはにわかに信じがたい。体つきだって細く華奢で、どこからどう見ても女性だった。
「まあ、“雄”同士でも子をなすことはできるのじゃ。ただ、子が作り難いというだけでのう」
鬼太郎を身ごもったのも、夫婦になって長いこと経ってからだったらしい。
「そりゃ、妖怪の世界もいろいろ大変だなぁ」
水木は煙草に火を付け、ふうっと煙を吐き出した。ゲゲ郎はそんな水木の態度に眉をひそめる。
「何を人ごとのように言っておる。今はお主の話をしておるのじゃ」
「俺?」
「そうじゃ。“雄”は“雌”を引きつける匂いを出しておる。その反対もしかり。お主はわしに抱かれておるうちに、“雌”としての性質が出てきたんじゃろうな」
手から煙草がポロッと落ちかけたが、すんでの所でゲゲ郎が掴み、そのまま自分の口にくわえた。
「な……なんだって……!?」
「わしは由緒正しい皇帝の血筋じゃ。それはもう“雄”として優れておる。妻はわしよりも強いくらいじゃったから、“雌”にはならんかったが……人間のお主なぞいちころじゃったのう」
煙草を吸いながら、ゲゲ郎はのんびりそう言った。
……俺は……女になっちまうのか?」
「見た目は変わらんよ。だがこの先、月に1度は発情期が来る。なに、責任はわしが取るから、心配はいらん」
「心配なことだらけだろうが!」
水木はゲゲ郎の襟首を掴んで叫んだ。
「は、発情期だなんて……
「することは昨夜と同じじゃよ」
ズボン越しに腰を撫でられ、水木はひっと情けない声を上げてしまう。昨夜は、寝入った鬼太郎のいる部屋の隣で、声を潜めて抱き合ったのだ。声を殺し、後ろから容赦なく腰を打ち付けられ、ひどく興奮した。
「幽霊族は子ができにくいからのう。発情期で無理矢理にでも“雄”が“雌”を孕ませんと、子が生まれんのじゃ」
……じゃあ、俺も発情期にお前に抱かれたら、子どもができちまうのか」
恐る恐る水木が言うと、ゲゲ郎は吸いさしの煙草を灰皿の上に置いて、静かに水木を抱きしめた。
「お主は幽霊族ではないからのう。発情期はきたとしても、肉体は人間のままじゃ。奇跡が起こらぬ限り孕むことはないじゃろう」
「それならいいが」
それを聞いてホッとしたが、少しだけ複雑な気持ちだった。もちろん、男の身で子どもができるなんて怖すぎるし死んでもごめんだが、ゲゲ郎に家族を――――幽霊族の仲間をつくってやれるかもしれないと思うと、残念な気もするのだ。
「わしのせいで苦労をかけるのう」
すり、と水木の頬にひやりとした頬が擦り付けられる。大きな男の甘える仕草にきゅんとした。
「お前に苦労かけられるのなんて、いつものことだろ」
ぽんぽん、と広い背中を軽く叩くと、さらにぎゅっと抱きしめられた。やはりいい匂いがする。湿った土と森の匂い、きれいな水の匂い、柑橘系の果物のような甘い香り――――ああ、なんていい香りなんだろう。
「それに、お前と鬼太郎と一緒にいられるなら、俺は幸せなんだ」
ゲゲ郎の胸に顔を埋めながら、ぽつりと呟く。男は嬉しそうに「そうか」と頷くと、優しく髪を撫でてくれた。