桐子
2024-05-30 23:24:31
2923文字
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藤花の契り⑯(父水)


水木がねずみ少年に頼んだこと、それは、水木の家へ行って猟銃を取ってきてもらうことだった。走れない水木が行くよりも、ねずみ少年一人で行かせた方が速いはずだと考えてのことだ。駄賃二倍がきいたのか、彼は恐るべき速さで戻ってきた。腕に、水木の相棒ともいえる猟銃を抱えて。
「これでよかったのかい?」
「ああ」
弾を込めながら素早く確認したが、すぐにでも使えそうだ。水木がいない間も母親が整備しておいてくれたのだろう。
水木の父もまた、村で一番の腕を持つ猟師だった。戦争にとられる前は、よく二人で山へ出かけ、狩りをしたものだ。この猟銃は父親の形見でもある。きっと力を貸してくれるだろう。
ねずみ少年とともに屋敷の方へ戻ると、巨大な骸骨が炎に包まれているのが見えた。
「何だあれは」
「ひえっ……!」
炎に包まれた骸骨が断末魔の声を上げている。その声に耳をふさぎたくなりながらも、何とか堪える。
「兄さん、俺はずらかるぜ。命あっての物種だ」
ねずみは声だけを残してその場から立ち去った。彼の言うことももっともである。だが、水木は退くつもりはない。猟銃を握りしめ、炎の燃えさかる中心部へ向かっていく。
パチパチと火の粉が舞い、煙が充満している。美しかった藤の花は無残に焼け、花びらが地面に散らばっている。その中に佇む人影を見つけて、水木は目を見開いた。
ゲゲ郎は傷だらけだった。髪は乱れ、着物は裂けている。息子を庇うようにして立ち回りながら、それでも狂骨の攻撃に耐えている。
よく見ると、恐ろしげな骸骨は操られているらしい。炎の中、ゲゲ郎たちと対峙しているのは村長の長田と、見知らぬ修験者の格好をした大男だ。
「小童をとらえよ」
水木の耳に、そんな言葉が飛び込んだ。鬼太郎をとらえ、ゲゲ郎もろとも殺す気なのだ。あるいは、幽霊族の血を欲していた彼らのことだ、生きたまま彼らをとらえ、血を抜き取るつもりなのかもしれない。
「させるか!」
水木は叫ぶと同時に、引き金を引いた。弾丸は一直線に、鬼太郎を捕えようとしていた長田の肩を貫く。
「水木さん!」
鬼太郎はぱっと顔を輝かせ、ゲゲ郎は信じられないというように目を丸くした。
「なぜ、戻ってきた……
確かに、今更ゲゲ郎たちに恩を売り、懐にもぐりこむ必要などない。水木の密命は失敗に終わったのだ。それに、ゲゲ郎にひどく陵辱されたことを忘れたわけではない。今だって走ることができないほどに疲弊し消耗している。だが、どうしてもゲゲ郎たちのことを助けたい、死んでほしくない――――だから、戻ってきた。
「俺はな、こう見えて村で一番腕のいい猟師なんだ」
ゲゲ郎はそんな水木を見て、叱られた子どものようにくしゃっと顔を歪めた。
……馬鹿な男じゃ」
その声はどこか優しく、そして自嘲の響きを含んでいた。しかし、ゲゲ郎がそんな顔をしたのは一瞬で、すぐに強大な敵に立ち向かう厳しい表情に変わった。
「水木、あれは妖怪・狂骨じゃ。幽霊族の怨念を宿しておるから、わしらの力は通用せん。狙うのはあやつじゃ」
ゲゲ郎が指さしたのは、狂骨を操る時貞だった。突然あらわれた水木を警戒しているのか、狂骨を盾にして様子をうかがっている。
「今からわしが、狂骨を引きつける。その隙にあの男を仕留めてくれ」
「分かった」
それ以上の言葉を交わす必要はなかった。ゲゲ郎は低い体勢から地面を蹴って空中へ舞い上がると、髪を長く伸ばし、狂骨に取り付いた。青い炎が髪の毛や着物だけではなく、肌さえも焼いているが、構わずに放電を続けている。決死の覚悟で対峙しているゲゲ郎をちらりと見上げた水木は、狂骨の背後にいる時貞に向かって駆け出した。
「ぬっ!?」
水木が向かってくることに気づいた時貞が、慌てて逃げようとする。だが、鬼太郎がそれに気づき、下駄を飛ばした。
「ぐあっ!」
鬼太郎の下駄が見事に命中した。時貞は地面に倒れ込み、狂骨の動きが鈍くなる。水木はその隙を逃さず、猟銃を構えて引き金をひいた。
「ま、待て!」
狙われていることに気が付いた時貞が、水木に向かって声を張り上げた。
「余と手を組もう。こやつらの血は高値で売れる。不老不死を手に入れるだけではない、巨万の富も手に入るぞ。余とお前で山分けでどうじゃ」
「黙れ」
水木は短く言い放つと、再び銃口を向けた。そして、不敵な笑みを浮かべて言った。

「俺が欲しいのは、そんな安いもんじゃねぇんだよ!」

猟銃が火を噴いた。弾丸は狙い違わず、依り代である頭蓋骨を打ち抜く。狂骨は炎に包まれたまま動きを止め、音を立てて崩れ落ちた。その中から、恐ろしい形相をした怨霊がいくつも飛び出してくる。それらは水木や鬼太郎には目もくれず、一目散に時貞へ向かっていく。
「ひぎゃああっ!!」
怨霊たちに取り囲まれ、時貞は絶叫した。
「助けてくれ! 余を助けろぉっ!! 金ならいくらでもやる……ぎゃああっ……!」
「呪詛返しじゃ」
いつの間にか、満身創痍のゲゲ郎が傍らにいた。髪も着物も焼け焦げ、白い肌は火傷であちこちが赤くなっている。
「呪いをかけた相手にその報いが返る。当然の因果応報というわけじゃ」
「ひいっ……!」
時貞の身体に纏わりついていた怨霊たちが離れていくと、呆然とする時貞が残された。焦点の合わない目で「あー……」と意味を成さない声を発している。無数の怨霊にたかられ、精神が壊れてしまったらしい。
「幽霊族の血を飲んだお主はそう簡単に死ねん。これからの長い時を悔いながら生きるがいい。つけは払わねばな」
ゲゲ郎は冷ややかにそう言った。
そして、無数の怨霊たちに向かって、今度は優しい声で語りかけた。
「お前たち……つらかったのう、苦しかったのう。幽霊族の長たるわしは、決してお主たちを忘れはせんよ。どうか安らかな眠りについてほしい」
その言葉を聞いて、どす黒い色をしていた怨霊たちから徐々に色が抜けていった。最後には、ほの白く輝く人魂のような姿になり、ゲゲ郎の周りをふわふわと漂った。
「怖かったのう。ほら、お主はもう二度と母と離れることはないよ。ともにゆくとよい」
ひとまわり小さな人魂は、大きな人魂と寄り添いながらゆっくりと上昇していく。やがて、その姿は薄闇に溶けるようにして消えて行った。
「さて……
ゲゲ郎は振り返ると、水木を見やった。
「水木や、お主のおかげで助かった、礼を言うぞ」
「俺は何も」
そこまで言いかけて、水木は言葉を切った。視界に入ったのは、肩を撃たれて地に伏していた長田だ。正確には、長田が懐から出した拳銃がこちらに向けられているところだった。
――――狙われているのは、ゲゲ郎だ。
水木は直感的に悟った。常ならば人間の使う武器など容易に避けることができだろうが、今のゲゲ郎は狂骨との戦いで消耗している。水木の視線に気が付いたのか、ゲゲ郎も振り返った。だが、もう遅い。
「死ね、化け物――――!」
長田が引き金を引いた。
パン、と乾いた音が響き渡る。赤い血がパッと飛び散って石畳を汚した。

「水木……?」

銃弾はゲゲ郎ではなく、その前に飛び出した水木の腹を貫いていた。