桐子
2024-05-28 23:10:09
1972文字
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藤花の契り⑮(父水)


巨大な口を開けて襲いかかる狂骨に向かって、ゲゲ郎は下駄を投げた。持ち主の思いのままに動く下駄は、しかし、狂骨によってたやすく弾かれてしまう。元は幽霊族なのだ。同じ術を操れて当然である。ゲゲ郎は躊躇した。このまま戦いが長引けば、肉体がなく疲労しない分、狂骨が有利である。かといって霊力で狂骨を吹き飛ばしてしまえば、彼らの魂は救われない。
哀れな同族を救ってやりたい。――――この情こそが、幽霊族の弱点だった。
防戦一方のゲゲ郎を、時貞は哄笑した。
「どうした、幽霊族! 逃げてばかりでは倒せんぞ」
ゲゲ郎は唇を噛んで、攻撃をかわし続けた。狂骨の牙や尾、鋭いかぎ爪のせいで、着物は裂け、肌には無数の傷がついている。それでもゲゲ郎は諦めず、狂骨の猛攻に耐え続けていた。
「お館様、そろそろ」
「うむ」
長田と時貞が揃って印を組むと、狂骨の全身から青い炎が吹き出した。苦しげに身をよじりながら、断末魔の悲鳴を上げている。無理矢理に霊力を高められ、そのせいで内側から焼かれていくような痛みを感じているのだろう。その炎はあちこちに飛び火し、鳥居や周囲の木々を燃やし始めた。舞い散った火の粉のせいで空が赤く染まり、妻の面影を残す藤の花房までも燃えていく。
「やめろ……
ゲゲ郎はうめき声を漏らした。炎の勢いはますます強くなるばかりだ。美しい花は無残に燃え、灰になっていく。
「さあ狂骨よ、同族を捕らえるのじゃ」
時貞が命じると、狂骨は身体中の骨を鳴らしながらゲゲ郎に飛びかかった。そして巨大な口の中へ吸い込まれようとした、その時だった。

「父さん!!」

飛び込んできた鬼太郎が、父親を突き飛ばした。そのまま二人は地面に転がる。間一髪で、狂骨の攻撃を避けられた。
「鬼太郎!」
「大丈夫ですか」
「来てはならん、早う逃げよ」
突然現れた少年を見て、時貞は目を見開いた。そして、ゲラゲラと笑い出した。
「なんと、子がいたのか。余は幸運じゃ! 幽霊族が二人も手に入るとはのぅ」
その笑い声にぞっとした。息子ともどもこの悪鬼の手に落ちれば、どんな扱いを受けるか目に見えている。ゲゲ郎は鬼太郎を見下ろした。妻の残してくれた愛しい我が子を守りたかった。
「鬼太郎、お前は水木や皆とともに逃げるのじゃ。ここはわしが食い止める」
「嫌です」
「鬼太郎!」
鬼太郎は強い意志のこもった瞳で言った。
「僕も一緒に戦います」
「馬鹿なことを言うな」
ゲゲ郎は厳しい口調で叱りつけたが、鬼太郎は一歩も引かなかった。
「僕は父さんを一人にしません」
……っ!」
妻を亡くし、自分の悲しみと思い出に溺れて、鬼太郎を放っていた。その息子が、自分のことを一人にしないと言ってくれている。ゲゲ郎の目頭が熱くなった。優しい子だ。母親と同じく、他者を慈しみ、愛に溢れていることが嬉しかった。ゲゲ郎は泣きそうになる気持ちを抑えて、笑顔を浮かべた。
――――ならば共に戦うぞ」
「はい」
ゲゲ郎は立ち上がった。狂骨は雄叫びを上げて、再び襲い掛かってくる。ゲゲ郎は髪を長く伸ばして、狂骨に取り付いた。高温の青い炎が足元を焼いた。頭の上の異物を剥がそうと暴れ回る狂骨に向かって、鬼太郎も髪の毛針を放った。しかし、狂骨を包む炎のせいで、本体にたどり着く前に燃え尽きてしまう。
「長田、小童の方をとらえよ。あの男の前でたっぷりといたぶってやれば、無駄な抵抗もせんじゃろう」
「承知いたしました」
「させるか……!」
ゲゲ郎は自らの胸に手を当てると、そこから発射された電撃を狂骨の中に注ぎ込んだ。これは効いたらしく、狂骨の動きが鈍くなる。
今が好機だ。
しかし、長田が鬼太郎をとらえようと向かってくる。人間相手に鬼太郎が遅れを取るはずはないが、長田は錫杖をかざすと、呪言を唱えながらその先端を地面に打ち付けた。途端に大地が揺れて、バランスを崩した鬼太郎は倒れ込んでしまう。その隙に長田は一気に距離を詰めてきた。男の手が鬼太郎をとらえようと伸ばされた。

ダンッ!!

長田の肩から血が噴き出す。鬼太郎の力ではない。どこからともなく飛んできた銃弾が、正確に男の肩を撃ち抜いたのだ。
「ぐっ!!」
肩を押えた長田は、信じられないという表情で背後を振り返る。そこには、猟銃を手にした男の姿があった。彼は素早く弾を込めると、再び猟銃をかまえた。照準を定めながら、男は叫んだ。
「逃げろ、鬼太郎!」
「水木さん!」
山を下りたはずの水木が戻ってきた。鬼太郎は驚いていたが、それはゲゲ郎も同じだった。結界の外へ出ようとしていることは感じていたのに、どうしてここへ戻ってきたのだ。
「なぜ戻って来た……
ゲゲ郎の問いかけに、水木はニヤリと笑って言った。

「俺はな、こう見えて村で一番腕のいい猟師なんだ」