長田というのは前村長の娘の入婿で、現村長だ。いつも薄笑いを浮かべた人当たりのよい男だが、水木はこの男が苦手だった。服の上からでもわかる鍛えられた体つきはただの村人とは思えなかった。その上、人を殺したことのある者特有の気配をこの男から感じるからだ。これは兵隊上がりの水木だからこそ気付いたことだろう。
「これは驚きました。まさか本当に妙薬を手に入れて帰ってくるとは」
屋敷の奥へ案内された水木のことを、長田は感情の読めない笑顔で出迎えた。部屋の中には奉公人なのだろう、柄の悪い男ちが何人か控えている。
「長田、約束は覚えているだろうな」
水木が睨み付けると、長田はわざとらしく肩をすくめた。
「もちろん覚えていますよ。あなたが妙薬を持ち帰れば、こちらで預かっているあなたの幼馴染みは解放しますし、充分な謝礼を支払います」
「母さんもだ。ここに連れて来てるんだろう?」
「ああ、お一人で何かと不自由しているようでしたので、こちらで過ごしてもらっていますよ」
善人のようなことを言っているが、結局、人質を一人から二人にしただけのことだ。水木が逃げだしたり裏切ったりしないよう、念には念を入れたのだろう。
「母さんたちを解放しろ」
「先にモノを見せてください」
話はそれからだという圧を感じ、水木は渋々懐から小さな瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。
「これが……」
「ああ、あの山に住む『神様』の血だ」
長田は目を見開いた。その目には狂気的な光が宿っている。
「不老不死の妙薬……素晴らしい……もし本当なら、とんでもない薬だ」
「約束は守ってもらうぞ」
それだけ言うと、水木は瓶を懐に隠した。長田は近くにいた奉公人に何事か囁き、奉公人は部屋ていった。
「驚きましたよ。まさか男のあなたが生け贄として受け入れられただけではなく、あの化け物の血まで手に入れるとは。一体どんな手を使ったのか教えてほしいものですね」
「……」
言えるわけがない。人のよい親子に取り入り、身体まで開いただなどと。
「まあいいでしょう。約束は守りますよ」
長田が手をパンッと打つと、先ほどの奉公人が奥の部屋から二人の女を連れてきた。一人は水木の母親で、もう一人はまだ若く可愛らしい少女ーーー水木の幼馴染みの沙代だった。
「お前」
「お兄ちゃん!」
「母さん、沙代ちゃん!」
二人は疲れた顔をしていたが、怪我などはしていないようだ。水木は安堵して二人の方へ駆け寄ろうとしたが、長田の奉公人に押さえつけられてしまった。
「何をする!」
「約束は守ります。ですが、まだ妙薬が本物と決まったわけではありません。それを確かめてからでないと」
水木は怒りを滲ませて長田を睨み付けた。だが、いくらこちらが騒いだところで、ここは相手の領域だ。仕方なく懐から取り出した瓶を奉公人に渡す。
長田はその瓶を手に取ると、目の高さまで持ち上げた。ゲゲ郎が自らの腕を切って流した血の量は、瓶の底にわずかにたまっているだけだ。
「困りましたね。これっぽっちの量では、確かめようがない」
「なんだと……?」
「血を手に入れたということは、化け物に信用されたということでしょう。次はあの化け物そのものをここへおびきだしなさい」
「ふざけるな!そんなことできるわけがないだろう!」
水木が怒鳴ると、長田はやれやれというようにため息をついた。
「……なら、彼女は返せませんね」
奉公人が沙代の腕を取って捻りあげた。彼女は弱々しく悲鳴を上げた。
「やめろ!」
駆け寄ろうとするが、水木もまた男たちに押さえつけられてしまう。
「長田!てめえっ……」
「おとなしくしていてくださいね。でないと、あなたの大事な幼馴染みが痛い目に遭いますよ」
水木はぎりっと奥歯を噛み締めた。
「さあ、どうしますか?『神様』の血を手に入れなければ、代わりに彼女の血を捧げることになりますが」
「かまいません!」
震える声でそう言ったのは沙代だった。彼女は青い顔をしていたが、気丈に声を絞り出した。
「お願い。私が血を流しますから、だから、お兄ちゃんとおばさんは助けてください」
「沙代ちゃん……」
「大丈夫。私、今までだってお兄ちゃんに助けられてばかりだったもの……今度は私が助ける番です」
恐ろしいだろうに、沙代はにっこりと笑ってさえみせた。
あの優しい『神様』をここへ連れてくれば、どう扱われるかは火を見るより明らかだ。だが、水木が断れば沙代は死ぬまで血を搾り取られるだろう。
どうすればいいーーー八方塞がりの状況に、水木が立ち尽くしていると、急に部屋の中が翳った。どこかひやりとするような空気が足元から漂ってくる。
「そういうことじゃったか」
張りつめた空気に相応しくない、のんびりとした声が響いた。水木はぱっと顔を上げた。
「ゲ、ゲゲ郎……!」
確かにゲゲ郎の声だ。いつの間にか部屋の中は夜かと見紛うほど暗くなっている。その闇のから、ゆっくりと長身の人影が姿を現した。
「な……」
長田も奉公人たちも、突然現れたゲゲ郎に驚き、言葉を失っているようだった。
「ゲゲ郎、どうしてここに……」
「お主が心配でのう。悪いがお主の袂にお守りを忍ばせておった」
袂、と言われてそこを探ると奇妙な膨らみがある。中に手を突っ込んで取り出した水木は、ヒッと悲鳴をあげてそれを放り投げた。
目玉だ。赤い瞳には見覚えがある。ゲゲ郎のものだろう。
しかも目玉には手足がついていた。放り投げられた目玉はむくりと起き上がると、ゲゲ郎のもとへちょこちょこと走っていく。
それを拾ったゲゲ郎は髪をかきわけ、目玉を自分のぽっかり空いた眼窩にはめ込んだ。
その異様さに全員が言葉を失っていた。
「これはこれは。『神様』自ら足を運んでいただけるとは」
だが、長田だけはすぐに立ち直り、余裕の笑みを浮かべてみせた。ゲゲ郎は彼を一瞥すると、すっと目を細めた。その瞬間、ゲゲ郎の頭のあたりから銀色の糸のようなものが飛んだ。直後に長田の手の中の瓶は粉々に砕け、畳の上に血が飛び散った。
「……時々、わしらの血を求める愚かな人間がおってのう」
語り口こそ穏やかだが、声はひどく冷たく、場の空気がピリピリするのを感じた。
「どこからその話が漏れたのかと思うたが、ーーー沙代嬢ちゃん、お主だったのじゃな」
沙代は青い顔で立ちすくんでいたが、声をかけられ、びくっと肩を震わせた。
「すみません、すみません……!約束を破ってしまって、すみません!でも、どうしても家族に会いたくて……」
「謝らずともよい。血を分け与えたのはわしじゃ。家族に会いたいという気持ちも分からぬではない」
ゲゲ郎の言葉に沙代はほっとしたように表情をゆるめた。水木も安堵して肩の力を抜いた。
「水木や、お主は嘘をついたな」
ゲゲ郎は、今度は冷ややかな視線を水木に向けた。
「……!」
水木は口を開きかけたが、今さら何を言ったところで言い訳にしかならないと思い、口をつぐんだ。ゲゲ郎は水木の頬を手を添え、優しく目元の傷を撫でた。
「わしはな、お主のことを信じておったのじゃ。血を分け与え、永遠をともにしたいと……それはわしだけの身勝手な思いだったのじゃな」
「ゲゲ郎、それは」
「もう口をきかずともよい。お主の言葉は信じられん」
ゲゲ郎は笑っていた。だが、その笑みはそら恐ろしく、水木はぞくりと背筋が凍るのを感じた。
「捕らえろ!」
長田の鋭い声と同時に、奉公人たちが襲いかかってきた。ゲゲ郎はひらりと身をかわすと、まるで人形でも扱うかのように奉公人たちを投げ飛ばし、壁に叩きつけていく。水木たちは呆然としてその様子を見ていた。
「安心せよ。命までは取らぬ」
ゲゲ郎はそう言うと、水木の腕をぐいっと掴んで引き寄せた。
「ご母堂との別れは果たしたな。さあ、帰ろう」
みずき、と母の声が聞こえたような気がしたが、そこで水木の意識は暗闇に沈んだ。
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