桐子
2024-05-12 21:26:53
3912文字
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藤花の契り⑥(父水)


ゲゲ郎はふとした時に、水木に触れてくるようになった。手を握られる、抱き締められる、空き部屋に引き込まれて口付けられることも、しばしばあった。
「水木」
甘やかに名前を呼ばれ、水木は目を閉じた。唇と唇を合わせるだけの口付けは次第に深いものになっていく。舌が入ってくると、ゲゲ郎の冷たい舌に自分のそれを絡ませた。
「ん…………
ひやりとした指が、目の傷を撫でる。ゲゲ郎は、水木の顔にある傷をことのほか気に入っているようだった。
「水木さん?」
少し離れたところから鬼太郎の声が聞こえた。水木は慌ててゲゲ郎の胸を押し返した。唾液に濡れた唇を拭い、体を離す。
「鬼太郎が呼んでる」
「そうじゃな」
ゲゲ郎は名残惜しそうに水木の欠けた耳に触れた。すり、と耳たぶを撫でられる。水木がぞくりと体を震わせると、彼は小さく笑った。
「今夜も酒盛りに付き合ってくれるな?」
それだけ言って、ゲゲ郎は去って行った。触れられた耳がじんじんと熱を持っているようで落ち着かない。
「いた、水木さん」
鬼太郎がいつの間にか水木の側に来ていた。片手に虫取り網、もう片方に籠を持っている。
「ああ、すまん。今日は虫取りをするんだったな」
鬼太郎は頷いた。無表情ながらもわくわくした気持ちが伝わってくる。
「じゃあ、行くか」
二人並んで歩き出す。虫取りなんて子どもの頃にして以来だ。
「どこに行きますか」
「そうだな……どんな虫を捕まえたいかによるが」
「ちょうちょがいいです」
「それなら花のある所がいいな」
藤の花は屋敷を取り囲むように咲いているが、それ以外の花はない。
「草むらに咲いてる花がいいんだ。タンポポとかスミレとか」
「それなら、屋敷の東の方に歩いていくと、開けたところがありますよ」
たまたま通りかかった小さな毛玉の妖怪が教えてくれた。
さっそくそちらへ向かって歩いていく。屋敷の周りはいつもやわらかい日差しに取り囲まれているが、少し離れると初夏の様相になっている。いつの間にかひとつ、季節が過ぎていたのだ。

「水木さんは、いつまでここにいるんですか?」

歩きながら鬼太郎が聞いてきた。
「今までここに来た人たちは、すぐいなくなっちゃったから」
今までの生け贄のことを言っているのだろう。ゲゲ郎は彼女たちに血を分けてやり、元いたのとは別の村へ解放したと聞いている。
「さあ、そうだな……お前の父さんが、帰れって言うまでかな」
「帰れなんて言いませんよ」
鬼太郎はいつもよりやや強い口調で言った。

……水木さんが、ずっとここにいてくれたらいいのに」

その声は切実な響きを帯びていて、水木は何も言えなかった。その場しのぎの言葉なんていくらでも言えたのに、この子の目を見ているとどうにも嘘やおためごかしが言えない。

(お父さん、戦争なんて行かないで。俺とお母さんと一緒にいてよ)

水木の父親が戦争に行って還らぬ人となったのが、自分が鬼太郎くらいの年頃だった。そのせいか、どうも鬼太郎に、子どもの頃の自分を重ねて見てしまうのだ。
せめてこの子は父親から愛されてほしい。幸せになってほしい。生きてさえいれば、やり直すことはいくらでもできるのだから。
鬼太郎と歩きながら、水木はゲゲ郎のことを考えていた。彼もまた寂しい男なのだろう。妻を喪った悲しみを癒すことができず、日がな1日彼女の面影を追っている。それはなんてーーー人間じみているのだろう。
「あ、ここだ」
鬼太郎が声を上げた。確かに開けた場所がある。草が生い茂り、色とりどりの花が咲き乱れている。
「すごいな」
花の香りに誘われ、蝶々もひらひらと舞っている。鬼太郎はさっそく網を持って蝶々を追いかけ始めた。
「水木さん、とれた!」
「おっ、大物だな」
鬼太郎が捕まえたのは、黒地に赤い色の入った蝶だった。水木も見たことがない種類だ。
「珍しい蝶だな」
「父さんに見せるんだ」
鬼太郎は興奮気味に言った。それからもしばらくは蝶々やてんとう虫、カマキリなどを捕まえたが、やはり最初に捕まえた蝶々が一番の大物だった。


屋敷に帰った鬼太郎は、さっそくゲゲ郎に獲物を見せに行った。ゲゲ郎は満面の笑みで「よく捕まえたのう」と鬼太郎を褒めた。
顔のよく似た親子のわだかまりは、だいぶ溶けてきたようだ。
「さあ、ゲゲ郎に見せたんだ。そろそろ逃がしてやろう」
……えっ」
水木の言葉に鬼太郎は驚いたようだった。そして蝶々の入った籠をぎゅっと抱き締めた。
「この子も、こんな狭いところはいやだって言ってるぞ。家に帰りたいって」
「そんな……
鬼太郎はうつむいた。せっかく捕まえた蝶々を手放したくないのだろう。
「よいではないか。鬼太郎はこの子が好きなんじゃろう。なら、そばに置いておきなさい」
ゲゲ郎は水木とは正反対のことを言った。
……大切なものは大事にしてやるのじゃぞ」
「はい」
ゲゲ郎の言葉に、鬼太郎は素直に頷いた。蝶々の入った籠を大事そうに抱えた姿は、いかにも嬉しそうだ。それ以上何も言えなくなって、水木は口をつぐんだ。



月が東の空から姿を見せ、中天に差し掛かったころ、ゲゲ郎が水木の部屋を訪ねてきた。
「これをやろう」
彼が持ってきたのは花だった。濃い橙色の花で、名は知らないが初夏によく見かける。本当は赤い花がよかったんじゃが、と言いながらゲゲ郎はさっさと部屋の中に入ってきた。
水木の部屋には、既に一輪挿しにたくさんの花がいけられていた。白や黄色、赤。名も知らぬ小さな花たちは、すべて目の前の男からの贈り物だ。
「花なんか別にいらん」
水木が言うと、ゲゲ郎は「そう言うな」と穏やかに笑った。
「わしがお主にやりたいのじゃ。お主は受け取ってくれるだけでよい」
水木は受け取った花を見て、それから目の前の男を見た。
「どうした?」
……いや」
水木は首を振った。
「花を贈るなんて、まるで」
まるで求婚されているようだーーー水木は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「まるで、何じゃ?」

ゲゲ郎は目を細めて水木を見つめた。この目が苦手だった。心の奥底まで見透かそうとするような、熱を孕んだ目。この目で見られるとやけに居心地が悪い。

……なんでもない」

ゲゲ郎はそれ以上追及せず、かわりに水木と自分の盃に酒を注いだ。とくとく、と澄んだ透明な酒が盃に満たされていく。二人は同時に酒をあおった。
……うまい」
あいかわらず酒は美味だった。ゲゲ郎は嬉しげに「そうか」と言った。
それから二人で酒を飲みながら、色々な話をした。ゲゲ郎は水木の話を聞きたがった。
「水木の両親はどんな人なんじゃ?」
……父親は戦争にとられて死んだ。俺が鬼太郎と同じくらいの年だったよ。母親はそれで苦労してな。男に混じって力仕事をさせられてた。その上俺まで兵隊にとられて、命からがら帰ってきたら、今度はこんなことになっちまった」
ゲゲ郎は黙って、空になった水木の盃に酒をついだ。
「母さん……
「帰りたいか?」
ゲゲ郎の静かな問いに、水木は顔を上げた。表情をなくした男の目だけが強い光を放っている。そして答えようと水木が口を開きかけた瞬間、抱きついてきた。

……帰さん」

ゲゲ郎は静かな、しかし強い口調で言った。

「お主はここでーーーずっとずっとここで、わしと鬼太郎のそばにいるのじゃ」

骨がみしりと音を立てて軋んだ気がした。あまりの痛さに思わずうめき声を上げると、ようやく力が弱められた。
「すまん……
ゲゲ郎の体が離れていく。その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。水木の胸はずきりと痛んだ。人間じゃないくせに、寂しがり屋で人間より人間らしい顔をするせいで、心が揺らいでしまう。
「水木」
ゲゲ郎は水木の頬に手を当て、唇を重ねた。
「ん…………
舌を絡め取られ、口内を蹂躙される。ぬるりと上あごを舐められて、ぞくぞくとした快感が背を駆け上がった。
……っ、は……
ようやく唇を解放されて、水木は肩で息をした。いつの間にかゲゲ郎に押し倒され、彼のことを下から見上げる体勢になっていた。
「あ……あっ、やめ……っ!」
着物の裾をはだけられ、水木は弱々しくかぶりを振った。ゲゲ郎は慣れた手つきで胸元を探り、まだ柔らかい乳首を指で摘んだ。
「や……んんっ」
きゅっきゅっと強弱をつけて何度も摘まれ、擦られると、じんじんとした痺れがそこを中心に広がっていく。ただでさえ酒で肌が敏感になっているのに、こんなことをされてはたまらない。
「ゲゲ、ろう……
腕にすがりつくようにして名を呼ぶと、ゲゲ郎は水木のことを強く抱き締めた。
「水木……もう、お主を離してやれん」
ゲゲ郎は水木の首筋に顔を埋めた。そのまま肌を吸われた。 
……っ、あ……
ぴりっとした痛みと共に赤い痕が残った。ゲゲ郎は満足そうに笑った。そして再び唇を合わせる。今度はゆっくりと優しく舌を絡ませ合った。
「ふ…………
もう酒の味はしない。互いの唾液を啜り合うと、まるで媚薬のように指先まで甘く痺れていく。
「水木や、返事をくれんか」
「あ……
その言葉で、贈られた花はやはり求婚だったのだと思い知らされる。
ゲゲ郎は水木の耳元に唇を寄せて囁いた。

「どうか、わしを受け入れてくれ」

繋いだ手に力がこもる。体温は低いのに、彼の目も声も燃えるように熱かった。水木は、気がつけば首を縦に振っていた。

「そうか」

ゲゲ郎は嬉しそうに笑った。その笑顔は、今までに見たどんな表情よりも人間らしかった。