桐子
2024-05-08 23:46:32
3764文字
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藤花の契り③(父水)


『神様』もといゲゲ郎に「ゆっくりすればよい」と言われたが、毎日毎日、出される食事を食べて、寝てーーー本当にそれしかすることがない。ここへ来るまでは畑仕事や村の手伝いに追われ、日が落ちるまで休む間もなく働いていたというのに。何もしないというのは落ち着かない。
「何か手伝わせてくれないか」
食事を持ってきたねずみ少年にそう言ったが、彼は慌てて手を振った。
「そんなことしたら、旦那に叱られちまうぜ」
あくまで水木はゲゲ郎の花嫁で客人なのだ。働かせるなどとんでもない、とのことらしい。

そもそも、この屋敷は人ではないものたちなよってすみずみまで手入れされている。庭木は整えられ、食事だって三食きちんと出されているし、風呂に入りたいと言えばすぐに沸かしてくれる。
そんな生活をしてみたいと思ったことはあった。しかし、三日も過ぎるとさすがに飽きてしまった。水木は生来、あくせく働く方が性に合っているらしい。
「なぁゲゲ郎、何か俺にできることはないのか」
のんびりと日向ぼっこをしながら煙管をふかしている男にそう聞くと、彼は丸い目をさらに丸くした。
「そんなことを言い出す人間は初めてじゃ」
「何もせずにただ飯を食うのは性に合わん」
水木の答えに、ゲゲ郎は「ふむ」と顎をさすった。そして少し考え込んだ後、「ならば、倅の遊び相手になってくれんか」と言い出した。
「せがれ?あんた、息子がいたのか」
今までに生け贄として捧げられた娘との間に出来た子どもだろうか。ゲゲ郎はどこか寂しそうに笑って、「そうじゃ」と答えた。
「年の近い遊び相手がおらんのでな、寂しい思いをしておる。お主から時々声をかけてやってくれ」
「分かった」
小さな子どもの相手などしたことがないが、まあ何とかなるだろう。水木はさっそくその子に会いに行くことにした。
「お前は行かないのか?」
……わしはよい」
ゲゲ郎はそよ風に揺れる藤の花を眺めながらそう言った。どこか遠くを見るような横顔は儚げで、日の光に溶けてしまいそうだ。片目で花を眺めながら、何を考えているのだろう。水木は声をかけようとして、なんと言っていいか分からずに口をつぐんだ。
「じゃあ、行ってくる。そういえば、息子の名前を聞いてなかったな」
ゲゲ郎は、煙管を口から離して、
「鬼太郎じゃよ」
とだけ答えた。



その辺を歩いていた狸に声をかけると、「案内します」と快く道案内を引き受けてくれた。廊下をちょこちょこと歩く姿は、山で見かける狸と寸分違わない。それなのに、人語も理解するし道案内もできる。兎といたちもそうだった。
ここに住むものたちは、自分の常識の及ばない存在なのだろう。その最たるものがゲゲ郎なわけだが。
「鬼太郎さまは、あまり外を好みません。ずっとお部屋にいることが多いですね」
「部屋で何してるんだ」
歩きながら水木が尋ねると、狸は丸い目をぱちくりさせた。
……何も」
「何も?」
水木が聞き返すと、狸は「はい」と頷いた。
「ええ、いわゆる引きこもりです」
「はあ」
どうりで今まで全く姿を見かけなかったわけだ。しかし、この広い屋敷に引きこもっていては退屈だろうし、子どもが家にこもりきりでは体を悪くしてしまうのではないだろうか。
そんなことを思っているうちに、狸に教えてもらって到着したのは屋敷の離れだった。
「鬼太郎さまー!お客人ですよー!」
狸が部屋の襖に向かって大きな声を出す。中から小さく「はい」と返事が聞こえた。入ってもよいということなのだろう。水木は礼の代わりに狸の頭をひと撫でしてやってから、部屋の中へ足を踏み入れた。

中は水木に与えられた部屋と同じくらい広い。そして、本や人形、おもちゃなどが雑然と置かれていた。
部屋の真ん中には、五つか六つくらいの子どもがちょこんと座っていた。青い着物に黒と黄色のちゃんちゃんこを羽織った男の子は、栗色の髪をしているが、ゲゲ郎に瓜二つの容貌をしている。

「初めまして、俺は水木だ」

そう言ってから、まさか君のお父さんの生け贄だとも言い出せず言葉に詰まってしまった。

……こんにちは」

鬼太郎は片目でじっと水木を見上げた。子ども特有の大きな目には、見知らぬ人間への不審が浮かんでいる。
「鬼太郎くん……だったな。君のお父さんに頼まれてね。しばらく俺に付き合ってくれないか」
……はい、よろしくお願いします」
そう言うと、鬼太郎はぺこりと頭を下げた。礼儀正しい子だ。さてどうするかと部屋を見回すと、ふと、コマが目についた。
「コマ回し、好きか?」
水木が差し出したコマを鬼太郎は不思議そうに見た。そして首を横に振った。
「わからない……使ったことがないから」
「なんだ、遊んだことないのか?」
「父さんが持ってきてくれるけど、遊び方がわからないし」
そう言って鬼太郎は俯いた。
「なら、俺が教えてやるよ」
こうやるんだ、と言って水木は紐を巻き付けると、コマを回して見せた。負けず嫌いの水木は、必死にコマ回しの練習をして村の子どもたちと張り合っていたため、今でも腕には自信がある。鬼太郎の目はぶれることなく回転するコマに釘付けになっている。
「やってみるか?」
……うん!」
ようやく子どもらしい反応を見せた鬼太郎は、水木の真似をして紐を巻き始めた。
「ああ、もうちょっときつく巻き付けるんだ。こうやって……
小さな手を取って紐を巻き付けてやる。鬼太郎の手元は、やや危なっかしいがどうにか紐を巻き付けることができた。
「いいか?コマを投げながら紐を引くんだ」
「はい」
緊張した面持ちをしている鬼太郎は、コマを投げると同時に紐を引っ張った。だが、コマはうまく回転せず、明後日の方向へ飛んでいってしまった。
「あ……
しょんぼりとうなだれる姿に、水木は思わず頰を緩めた。
「最初はそんなもんだ」
もう一回やってみよう、と言うと、鬼太郎はまた紐を巻き始めた。二度、三度と挑戦するうち、コツをつかんできたのか少しずつコマが回るようになってきた。
「できた!」
「おお、すごいな」
コマは勢いよく回転している。くるくると回るコマを見ていると、ふと水木の脳裏にある光景がよぎった。


『すごい!父さんはコマ回しの名人だね』
それはまだ幼い頃の記憶だった。
近所の悪ガキ連中に負かされ、悔し涙を流す水木に、父親がコマ回しを教えてくれたのだ。
『お前は筋がいい』と頭を撫でてくれる大きな手の感触。「もう一度見せて」と言うと、父親は喜んで何度でもコマを回してくれた。懐かしい思い出だ。


「すごいじゃないか」
水木はぽん、と鬼太郎の頭を撫でた。それに驚いたのか、彼はきょとんとした顔をして水木を見上げた。
「ああ、すまん。勝手に触られて嫌だったか?」
鬼太郎は黙って首を横に振った。
「なら、よかった」
水木はどうしたものかと考えながら、話題を変えることにした。
「さて、次は何がしたい?」
まだまだ遊ぶものはたくさんある。鬼太郎は少し考えてから、
「もう一回、コマを回したいです」
と言った。



「倅が随分懐いておるようじゃな」
ゲゲ郎にそう言われたのは、鬼太郎の相手をするようになって一週間ほど経った頃だった。肘をついて廊下に寝そべり、のんびりと日向ぼっこをしているらしい。
ゲゲはちょいちょいと水木を手招きして、近くにくるように促した。水木は招かれるまま、ゲゲ郎のそばに腰をおろした。
「ねずみのが言うておったよ。あんな楽しげな鬼太郎を見るのは初めてじゃと」
「そうなのか」
確かに最初は、感情の読み取れない子だなと思った。しかし、水木が遊び方を教えている内に、少しずつだが笑顔を見せてくれるようになってきた。
「鬼太郎は、ずっと一人でおるからの」
ゲゲ郎はぽつりと呟いた。
「あの子は哀れな子じゃ」
「哀れ?」
水木が聞き返すと、ゲゲ郎は苦い笑みを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。彼はさやさやと風に揺られる藤の花をじっと見つめていた。
甘い香りのする風が吹き抜けていく。

「なあ……お前、何で鬼太郎の所に行ってやらないんだ」

さすがに一週間も一緒にいれば気が付く。ゲゲ郎は鬼太郎と遊ぶどころか、顔さえ見に来ない。親子がそろって食事をしたり、添い寝したりすることもないようだ。
水木が疑問に思って聞くと、ゲゲ郎はどこか寂しげに答えた。

「ーーーわしがあの子にしてやれることなど何もないからじゃよ」

鬼太郎のためにしてやれることならたくさんあるはずだ。たとえば、一緒に遊んでやること。夜に同じ布団で寝かしつけてやること。頭を撫でてやるだけでもいい。
最初は気が付かなかったが、きっと鬼太郎は頭を人に撫でられたことがないのだ。水木が撫でると、最初は戸惑っているようだったが、今は嬉しそうにしている。
「あの子はきっと、わしのことをあまり好きではないと思うぞ」
「そんなことはないと思うが」
水木はゲゲ郎と鬼太郎のことをよく知らない。だが、子どもは親のことを嫌うはずがないだろう。それに、ゲゲ郎が息子のために何もしていないとは思えないのだが。
彼はぼんやりと藤の花を眺めたまま「さ、早う行け」と水木を促した。