桐子
2024-05-06 17:20:21
5170文字
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二つの世界(父水)



「のう水木や。わしらもそろそろ、子作りしてもよい頃合いではないか?」

水木は、たっぷり一分間は硬直していた。そしてようやく、自分の聞き間違いだと思ってこう言った。
……ああ、田作りはお節だから、正月にしか作らないぞ」
ゲゲ郎はきょとんとした顔をして、それからもう一度同じことを繰り返した。
「違うぞ、水木よ。わしは『子作り』をしようと言っておるのじゃ」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。今度こそ、水木は唖然として言葉を失った。そして、しばらくしてようやく声を絞り出した。
「お、俺は男だから無理だろう……
「わしを何だと思うておる。幽霊族じゃぞ。男も女も関係なく孕ませられるに決まっておる」
ゲゲ郎はさも当然であるかのように言った。とても冗談を言っているようには見えない。
「いやいやいや、そんな馬鹿な。……俺を騙そうとしてるんだろ?」
最後には縋るような言い方をしてしまったのは、嘘だと思いたいからだ。



ゲゲ郎とは目玉だった頃から共に暮らし、鬼太郎を育ててきた。
ゲゲ郎は霊力を貯め、人型を取れるようになり、その姿を見て水木は何もかも思い出し、再会を喜びあった。それからしばらくして水木の母を共に看取った頃、「わしと一緒になってくれんか」と結婚を申し込まれた。
ひそかにゲゲ郎のことを思っていた水木だが、その申し出にはとても悩んだ。
彼の愛した妻のこと、人と幽霊族という種族の隔たり、そして彼が人間から受けてきた仕打ちなど、考えれば考えるほど素直に「うん」と頷くことができなかった。
「水木、わしは絶対に諦めんぞ」
だが、ゲゲ郎は優しかった。水木の葛藤など分かっていたのだろう。普段はおっとりと受け身なところのある男が、水木のことだけは諦めなかった。
そして十年近く、好きだと告白し続けた。

「わしと一緒になってほしい」

そう言うとき、ゲゲ郎はいつも真っ直ぐな目をしていた。心から水木を愛しているのが伝わってきて、恥ずかしいけれど嬉しかった。目には魂が宿るというが、その目を見てしまったらもう自分の気持ちに蓋をすることができなくなってしまった。

「俺もお前といたい」

とうとう水木が頷くと、ゲゲ郎はぽろぽろと涙をこぼして喜んでくれた。
「大の男が泣くなよ」と言いながら涙をぬぐってやると、ゲゲ郎は嬉しそうに頷いた。こんなに喜んでくれるなら、もっと早くに頷いておけばよかった。
ゲゲ郎の喜ぶ顔が、水木は好きなのだ。
そんな二人のやり取りを、息子の鬼太郎は感慨深げに見ていた。父たちの微笑ましくも焦れったい関係をずっと見守ってきた彼からしたら、ようやく、といったところだった。
「すまんな、鬼太郎。妙なことになっちまって……
 ばつが悪くなって謝ると、鬼太郎はきょとんとした顔をした。
「謝ることなんてありませんよ。僕も嬉しいです」
鬼太郎からすれば、父二人が結ばれたところで、これまでの生活に変わりはない。亡くなった母だって、寂しがり屋の父が一人にならずにすんだと、あの世で喜んでいるだろう。
「そうか」
水木はほっとして笑顔になった。



こうして二人がやっとのことで一緒になり、共に生きることを選んでから三十年近くになる。
一緒になると決めた時に、人間ではなくなることも覚悟していた。ゲゲ郎には、大切な人を失うつらさを、もう二度と味わわせたくなかった。水木はゲゲ郎の血を飲み、幽霊族と同じ不老長寿の体になった。姿かたちの変わらなくなった水木は、人の世界から離れ、このゲゲゲの森で暮らしている。
のんびりとした暮らしだって悪くないが、水木は元来、あくせく働くのが性に合っている。そろそろ戸籍をなんとかして、また働きに出ようかなと考えていた矢先のゲゲ郎の発言だった。


「わしはお主を騙したりせんよ」
ゲゲ郎はそう言って、水木の手を取った。
「お主にわしの子を産んでほしい」
「っ……!!」
水木は真っ赤になって、握られた手を払った。
共に暮らして長く、体だって何度も重ねてきた。男の強い要望で、閨では水木が抱かれる側だ。女のように喘がされることには未だに抵抗があるものの、一応納得はしている。
それなのに、改めて面と向かって「子を産んでほしい」と宣言されると、まるで自分が女のように扱われているようで腹が立つ。
……俺は女じゃない。それに、いきなりそんなこと言われても困るだろ」
怒りをにじませた低い声でそう言い返すと、ゲゲ郎はあっさり引いた。
「それもそうじゃな。なに、一応聞いてみただけじゃ」
拍子抜けするほどあっさり引き下がられてしまい、水木は少し肩透かしを食らったような気分だった。
「まあ、気が向いたら考えてみておくれ」
そう言って、ゲゲ郎はさっさと寝てしまった。相変わらず本心の掴みにくい男だ。だが、子どもが欲しいという気持ちは本当でも、水木に無理強いするつもりもないらしい。それならそれでいいか、と深くは考えずに水木も布団に横になった。



ゲゲ郎の言葉の真意に気が付いたのは、妖怪たちとの宴会の席だった。


「さあさ、ご一献」
綺麗な着物を着た狐に酌をされながら、水木は複雑な表情を浮かべていた。今夜は古い付き合いのあるという、妖狐たちの宴席に招待された。ゲゲ郎だけではなく、後添えの方もご一緒に、とわざわざ一筆添えられていたので水木も同席することにしたのだ。ゲゲ郎は気乗りしないようで、何度も「お主は来なくとも大丈夫じゃ」と言ってくれた。だが、せっかく誘ってくれたのだし、自分が行くことがゲゲ郎の助けになれるのなら、それに越したことはない。
だが、来て早々に、水木はここへ来たことを後悔していた。
「水木様はお酒はいけますの?」
「ああ、まあまあです」
「あら素敵」
じゃあもう一献、と狐はどんどん酒を勧めてくる。ゲゲ郎は水木の様子を気にしながらも、妖狐の長につかまってしまってなかなかこちらに戻ってこられないようだ。
「それにしても、前の奥様と随分違うこと」
「同じ人間でももっと綺麗なのを娶ればよかったのに」
「そうそう。あんな冴えない人間なんかより、私たちの方がずっと魅力的でしょう」
ひそひそ、ひそひそと、静かに、しかし確実に水木に聞こえるように囁かれた言葉。さっきから居心地が悪いのはこのせいだ。ゲゲ郎がここへ連れて来たがらなかったのも頷ける。妖狐たちは、幽霊族の迎えた新しい伴侶を品定めするために、わざわざ水木を宴席に招いたのだ。
「ところで、幽霊族の。あんたもこうして姿が戻ったんだ。そろそろ次の子をもうけちゃどうだい?」
妖狐の長が陽気な調子でそう言った。水木はぎくりとしたが、ゲゲ郎は至って平静な様子で答えた。
「わしらにはもう、鬼太郎がおるからのう」
「そうはいっても、このままじゃ幽霊族はあんたの息子の代で途絶えちまう。あんたもまだ若い。後添えももらったことだし、そろそろ新しい子の一人や二人、欲しいところだろう」
それとも、と妖狐の長はちらりと水木を見て続けた。
「妻に子ができないなら、何人か妾をもつのはどうだ。うちの娘たちは美人揃いだ。何なら一人や二人、あんたの世話をさせてもいいんだが」
「あらお父様ったら」
「幽霊族のお方も困っているじゃありませんか」
狐たちは上品に笑う。
しかし、水木は内心穏やかではなかった。連れ合いである自分の目の前で、ゲゲ郎に他の女をあてがおうというのだから。だが、妖怪たちの感覚からすれば、それがごく当たり前のことなのかもしれない。ゲゲ郎の気持ちを疑ったことは一度もない。彼が自分を愛し、大切にしてくれていることは疑いようのない事実だ。それでも、どうしても不安になってしまうのは、自分が元は人間で、妖怪の世界とは相容れないからだ。
どれほど近く見えても、二つの世界は交わらない。
「長よ、お主相当酔っておるな。そろそろお開きにせんか」
「なんだ幽霊族の。妾の一人や二人もつのも男の甲斐性だぞ。それとも霊力といっしょに種までどこかに落としてきたのか?」

酔っぱらいの戯言だからと我慢していたが、もう無理だった。水木はスッと立ち上がり、妖狐たちを順番に睨み付けた。そして、おもむろに口を開いた。

「いいか狐ども、こいつの連れ合いは俺だ! あんたらに心配される筋合いなんぞこれっぽっちもない! 俺がこいつの子どもを、十人でも百人でも産んでやらぁ!!」

そう言い放つと、水木は唖然としているゲゲ郎のところまでずかずかと歩いてきて、腕を引っ張った。
「帰るぞ!」
「えっ、あっ、おぉ!?」
戸惑うゲゲ郎を連れ、水木は出口の方へ大股で歩いていく。
「あーら、怒らせちゃいましたわね」
「まあまあ、元気があってよろしいじゃありませんの」
くすくすと笑い合う声が背後に聞こえたが、水木は振り向かなかった。
「待て、待つんじゃ水木」
……なんだよ」
狐たちの宴席から遠く離れたところで、水木は苛立たしげに振り返った。
「すまぬ、わしが悪かった。だから許しておくれ」
ゲゲ郎はそう言って頭を下げようとしたが、水木はそれを遮った。
「別に怒ってるわけじゃない。お前が謝ることなんて何もないだろう。……ただ、ちょっと嫌だっただけだ」
ぽつりと呟いたその言葉に、ゲゲ郎はハッとした。
「お主まさか妬いておるのか?」
ゲゲ郎が恐る恐る尋ねると、水木は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「うるせぇ!! んなこといちいち聞くなよな!!」
「すまん、本当に申し訳なかった。水木、わしが愛してるのはお主だけじゃ。お主と鬼太郎さえおればそれでよい」
ゲゲ郎はそう言って、優しく抱きしめてきた。
……わかってる」
水木はぶっきらぼうにそう返した。ひんやりとした体温と、ほのかな線香のと土のにおいに包まれ、かっかしていた気持ちが落ち着いていく。そうすると、一つ気が付いたことがあった。
「なぁ……もしかして、今までにも言われてたのか。その、子どものこと……
「なに、年寄りの戯言じゃよ」
その言葉は水木の懸念を裏付けていた。嘘の言えない男らしい、正直な答えだ。
幽霊族はこの世に二人きりしかいない。力の強い彼らは、妖怪たちにとって恐れると同時に必要ともされている。だから、数を増やしたい、あわよくば自分の血縁と縁を結びたいという気持ちがあるのだろう。
「無理せんでもよい。わしの手は、お主と鬼太郎で一本ずつ。今はこれでちょうどよい」
ゲゲ郎は抱擁をとくと、水木の手をぎゅっと握って微笑んだ。
かつてその手は、彼の妻に繋がれていた。そして鬼太郎と繋がれ、今は水木とも繋がっている。ゲゲ郎がそれでいい、と言うのならそれが彼の本心だろう。
しかし、もし―――もし仮に、繋いだ手が増えることがあれば、ゲゲ郎はきっと喜ぶだろう。生まれてくる赤ん坊のことが気がかりで目玉だけになった男だ。家族が増えることを喜ぶのは間違いない。
水木はゲゲ郎が喜ぶ顔が好きだ。それならもう、答えなんて一つしかない。
「あのな……
水木は握った手に力をこめた。顔を見られたくなくてうつむきながら、それでも勇気を振り絞って口を開く。
「さっき狐たちに言ったのは……その、見栄やはったりじゃねえからな……
「!」
丸い目をさらに見開いたゲゲ郎は、やがて嬉しそうに破顔した。
「ほ、本気か?」
「二度も言わせるな」
水木は照れたようにそっぽを向いたが、男子に二言はない。
「水木や……! お主にそう言ってもらえるとは、わしは嬉しいぞ!」
ゲゲ郎は感極まった様子で、再び水木を抱き締めた。ぎゅうぎゅう抱きつかれて苦しいほどだが、悪い気はしない。水木も微笑みながら、そっと背に腕を回す。
二つの世界は交わらなくても、互いに歩み寄り、寄り添うことはできる。彼の妻が人間を愛したように、水木が鬼太郎を慈しんで育てたように、そして自分たちが共に生きるように。
「わしはな、幽霊族の繁栄はどちらでもよいのじゃ。そのためだけに子を作るつもりはない……わしはな、お主との間にできた子なら、さぞ可愛いじゃろうと思う。ただそれだけじゃよ」
ああ、と水木は頷いた。
きっとゲゲ郎は、生まれた子どもをとても可愛がるだろう。今度こそ二本の腕で赤ん坊を抱き上げ、嬉し涙をこぼすかもしれない。赤ん坊だった鬼太郎のことを抱っこできなかったことを、ゲゲ郎はずっと悔やんでいたから。
「そうと決まれば善は急げじゃな。早う帰るぞ水木」
「そんなに慌てるなよ」
本音を言えば、男の身で子どもを産むなんてやっぱり怖いし、不安もある。
それでも、このゲゲ郎の笑顔が見られるならまあいいかと思えてしまうのは、惚れた弱みなのだろう。