桐子
2024-03-31 22:47:43
2803文字
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魂結び⑦(父水)


茹でたそうめんに、川で冷やしたきゅうりやトマト、ツナマヨネーズを切ってのせ、めんつゆをかけたものは、ここ最近の定番料理だ。日中の暑さであまり食欲がなかったが、冷えたそうめんはつるつると喉を通っていく。
「うまいのう」
「そうだろ」
得意げな水木は、笑うと更に幼く見える。前世もどちらかというと童顔だったが、今は年相応に幼くて、それがまた可愛いのだ。惚れた欲目もあるだろうが、その笑顔に胸が高鳴るのを感じて、ゲゲ郎は慌てて目を逸らして話題を変えた。
「これを食べたら川辺に涼みに行かんか」
外であれば、人目を気にして水木も無茶はできないはずだ。そう考えての提案だったのだが、水木はあっさりと頷いた。
「いいな。夕涼みか」
それなら浴衣で行こう、と水木はいそいそとそうめんを啜り始めた。別段、変わった場所に行くわけでもないのに嬉しそうにしている水木を見ると、もっと早く誘えばよかったと後悔した。
水木は食事を終えると、先に風呂に入ると言って、地獄温泉から引いてきた内風呂に行ってしまった。しばらくすると、浴衣に着替えて戻ってきた。浴衣とはいっても、普段寝間着にしているものだ。
そして、うちわを片手に出かけようとしてはたと気が付いた。
……そういえば、下駄がないんだった」
水木は普段、シャツに黒いズボンという服装なので、運動靴を履いている。別にその靴でもいいだろうとは思ったが、水木があまりにも残念そうな顔をするので、ゲゲ郎は自分の履いていた下駄を脱いで水木に差し出した。
「これを履くか?」
「お前の下駄はどうするんだ」
「わしは裸足でも大丈夫じゃ」
水木は顔をしかめた。
「お前を裸足で歩かせるくらいなら、俺がいつもの靴で行く」
「わしは丈夫じゃから」
「ダメだ」
履け、履かない、の押し問答を繰り返しているうちに、段々、すぐ近くへ出かけるだけなのにこんなことをしているのか馬鹿馬鹿しくなってきた。
二人で顔を見合わせ、吹き出した。
「いいよ、これで。別にこだわりがあるわけじゃない」
「そうか」
ちぐはぐな格好かもしれないが、別に誰かに見せるわけでもない。お互いに納得して、家を出る。水木はうちわを片手に、鼻歌を歌いながら歩いている。ゲゲ郎はその隣を歩く。日が沈んでしまうと、昼間の暑さが少しやわらいで、心地よい風が吹いていた。
「人間の世界より、こっちの方が涼しいな」
水木はうちわで顔を仰ぎながら呟いた。短い黒髪が風に揺れる。ゲゲ郎はそこから目をそらしながら「そうじゃなあ」と相づちをうった。


少し歩くと川辺についた。ゆったりと流れる川面を滑る風は心地よい。二人は足を止め、しばしその涼しさを味わった。そのうちに、ぼんやりと光るものがただよい始めた。
蛍だった。
「あれも妖怪か?」
「ああ、あれは本物じゃよ。蛍に似ておる妖怪は川蛍というてな。印旛沼のあたりに出ると聞く……そやつらは雨の日にふらふらとさまよい出でて……
ゲゲ郎は川蛍についての知識を水木に語って聞かせた。水木はゆっくりとうちわをあおぎながら、それを聞いている。蛍は明滅を繰り返しながら、ふわふわと水辺を飛び回った。

――――こうしていると、出会ったばかりの頃を思い出す。
この世には目には見えないものがいる、と話すと水木は気絶してしまったのだ。なんという脆い人間だと呆れてしまったが、今思えばそれも当然の反応だ。人間は目には見えないものを見ようとはしない。見れば、知ってしまえば、境界を越えてしまえば、もう元には戻れないからだ。ちっぽけな人間の脳みそでは、目に見えない世界のことを理解できないから、見て見ぬふりをして、自分と異なるものを排除する。そんな諦念と憐れみがゲゲ郎の中にはあった。
だが、水木はそれを受け入れた。水木はゲゲ郎の話を信じて、目には見えない世界へと、おっかなびっくり足を踏み入れてきたのだ。
こういう人間もいるのだと驚きながら、目で見るものだけ見ようとするのではなく、片方隠すくらいでちょうどいいのだと諭した。
今思えば、あれが水木に興味をもったきっかけだったのかもしれない。

……なあ、知ってるか?」

うちわをあおぐ手を止めた水木は、じっと暗い水面をのぞきこんでいる。蛍がゆっくりと水木のまわりを飛びまわり、ぼんやりした光が彼の穏やかでどこか寂しげな横顔を照らし出していた。

「蛍は雄しか光らないんだ。こうして光りながら雌に求愛してるんだぜ。お前が恋しい、お前が欲しい、……ってな」

ゲゲ郎はドキリとした。まるで水木自身に「欲しい」と言われているような気がしたからだ。そして、それは間違いではなかった。
「俺も同じ気持ちだ。人の人生は短い……お前といられる時間はほんのわずかで、だからこそ、後悔のないように生きたい」
そう言うと、水木はゲゲ郎の方を見た。
「なあ、ゲゲ郎。俺はお前が好きなんだ。だからお前に抱かれたい」
水木はまっすぐにゲゲ郎の目を見つめている。その瞳の奥に潜む強い意志を感じて、ゲゲ郎はごくりと唾を飲み込んだ。
「わしは……
言いかけて、ゲゲ郎は口をつぐんだ。その先の言葉を口にするのはためらわれた。それをどうとらえたのか、水木は再び視線を川面にうつし、小さく息をついた。
「すまん。やっぱり離れてる間に気付いちまったんだろ……俺は人間で、男で、お前にはあんなに素晴らしい奥さんがいて……。でもな、諦められなかったんだ。どうしても……お前が欲しかった」
「水木」
「俺は出て行く。これからはまた親子水入らずで……
「待ってくれ!」
ゲゲ郎は思わず水木の腕を掴んだ。今、行かせてしまったら二度と会えなくなるような気がして恐ろしくなり、自分よりもいくらか小柄な体を抱きしめた。
「わしも……水木が好きじゃ。お主が死んだ時は、心にぽっかりと穴があいてしもうたような気がして、悲しくてたまらんかった。じゃが、お主は会いに来てくれた。嬉しかった」
背中に回された腕に力がこもり、同じように強く抱き返される。しばらくそのままの状態でいたが、やがてどちらからともなく顔を離すと、互いの顔を見つめ合った。
「水木や」
頬にふれ、顔を上げさせる。水木は素直に上を向いて目を閉じた。傷のない目元をそっと撫で、唇を重ねる。柔らかく甘い感触が心地よい。
「好きじゃ、水木」
唇が触れ合いそうな距離でそう囁き、再び唇を合わせる。涙のたまった目が嬉しそうに細められ、長いまつげが震える。

「ずっとこうしたかった」

水木はそう言って、今度は自分から口づけてきた。その言葉と仕草に胸が熱くなる。こんなにも求められていたのかと思うと、腕の中の水木がいじらしくてたまらなくなった。
蛍が求愛の光を宿して、水辺を飛び回る。その幻想的な風景にはもう目もくれず、ゲゲ郎は水木の手を取り、歩き出した。