桐子
2024-03-24 22:56:32
2846文字
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魂結び③(父水)


ゲゲゲハウスを見た水木は「懐かしいな」と目を細めた。
鬼太郎の成長が止まった頃、水木と鬼太郎たちは離れて暮らすようになった。人間として生きることはできない、これからは妖怪の世界のことも学びたいのだと言って家を出た鬼太郎のことを、水木は笑って送り出してくれた。人の世界で暮らす水木と、妖怪の世界で暮らす鬼太郎たち。ゲゲゲの森に人間が足を踏み入れることはできないかわりに、鬼太郎たちが水木の家に頻繁に遊びに行っていた。
水木がこの家へ足を踏み入れたのは、晩年にさしかかり、一人で生活することがおぼつかなくなってからだ。連れ込んだのはゲゲ郎だ。水木は丁重に辞退していたが、ゲゲ郎は頑として水木を元の家には帰さなかった。
『ろくに食べもせん、寝床から起き上がることもできん。そんな体で一人暮らしができるわけなかろう』
そう言って半ば無理やり家に住まわせたのだが、それからしばらくして病気のことが分かった。ゲゲ郎は最後まで悩んでいたが、痛みに苦しむ水木を見ていられなくて、少しでもその痛みを軽くしてやりたいと、結局は人間の医者に診せることにしたのだ。
水木が足を踏み入れるのは、その時以来になる。
しかし、懐かしそうに笑みを浮かべていた水木は、部屋の奥で干しているキノコや魚を見て、急に顔をしかめてしまった。
……おい、ゲゲ郎。鬼太郎にちゃんとまともなモン食わせてるのか?」
鋭い目で睨まれながら詰問され、浮き足だっていたゲゲ郎は急にしどろもどろになった。
「た、食べさせとるとも。なあ鬼太郎」
「はい。昨日は蛙と干し芋を食べました」
これ、と慌てた声で小さく首を横に振る父を見て、そういえば水木は鬼太郎が蛙を食べることを、ことのほか嫌がっていたのだと思い出した。
「もっと良いもんを食わせてやれ!」
「ひえっ、すまん」
ゲゲ郎は水木に叱られ、しゅんとうなだれた。それでもどこか嬉しそうに見える。そういえば、のんびりした実父が勝ち気な養父に叱られるのはよくある風景だった。このやりとりが懐かしいのだろう。本当に水木が帰ってきたのだと、嬉しくてまた涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「よし、今日は俺が作ってやる。まだ寒いし、鍋にでもするか」
「いいのう。それなら川獺に頼んで魚をもらってこよう。豆腐小僧の豆腐も」
「頼んだぞ。鬼太郎は野菜を切るのを手伝ってくれるか?」
「はい」
ああ、昔に戻ったみたいだ。鬼太郎はそう思いながら、胸の中がじんわりとあたたかくなるのを感じていた。



すっかり使われることがなくなっていた鍋を引っ張り出して、出汁と野菜を入れて煮込む。くつくつと沸いてきたところで、ゲゲ郎が戻ってきた。
「川獺たちも水木が戻ってきたと知って、喜んでおったよ。これはお祝いじゃと」
「ありがたいな」
大量の魚と豆腐を受け取って、水木は苦笑いした。
「さすがに食いきれんな」
「余った分は燻製にして保存すれば良かろう」
「そうだな。豆腐は明日の味噌汁にでも入れるか」
「おお、それがいい」
三十年もの時間がたっていたとは思えないほど、二人は自然に会話を交わしていた。
「ほら、できたぞ」
水木はそう言いながら、鍋を卓上へ置いた。野菜や魚、きのこの入った寄せ鍋は、いかにも美味しそうな匂いを放っている。
「いただきます」
三人とも手を合わせて挨拶をして、まずは一口。熱々の鍋をふうふうしながら食べる。舌に乗せた瞬間、懐かしくほっとする味がした。
……おいしい」
「うまいのう!」
「そりゃ良かった」
水木は面はゆそうに微笑んだ。三人であっという間に平らげてしまい、シメの雑炊まで食べ終える頃には腹いっぱいになっていた。
「ごちそうさまでした」
「うまかったぞ」
「いやいや、作った甲斐があったよ」
片付けを終えて、水木は改めて二人を座らせると、改まった様子で正座をした。
「長い間待たせて悪かった」
「水木さん……
鬼太郎はそっと声をかけた。水木はこちらを見ると、穏やかな表情で言った。
「鬼太郎、大きくなったな。また会えて嬉しいよ。……本当はこの話を一番にしたかったのに、お前たちの食生活があまりに貧しいのを見て、つい」
水木はじとっとした目でゲゲ郎を見る。食事をおろそかにしていた自覚があるので、ゲゲ郎は何も言い返せず、しょんぼりと大きな体を縮こめている。
「まあいい。それでだ、今の俺は十七歳なんだが」
「「十七」」
鬼太郎とゲゲ郎の驚いた声が重なった。自分よりも遙かに年下になってしまった水木に驚いたが、彼は生まれ変わった人間だ。そのくらいの年齢でもおかしくない。一方のゲゲ郎も目を丸くしていた。
「子どもではないか」
「あと一年もすれば成人だ。ガキじゃねえ」
「いや、しかし……
戸惑う二人の様子を見て、水木はふっと笑みを浮かべた。
「ま、鬼太郎よりも年下になっちまったのは変な感じだが、そんなことはどうでもいい。……それよりも、お前たちに頼みたいことがあるんだ」
「頼み?」
「ああ。俺をここに住まわせてくれ」
またしても鬼太郎たちは驚いてしまった。人間の社会に詳しくはないが、十七歳というのは学校に通っている年頃だろう。それに、水木には今の家族がいるはずだ。それを全て捨ててここに住むと言うのか。
「それは構わんが……一体どうして」
「俺には行くところがないんだ」
ぽつぽつと水木は話し始めた。親は会社を経営し、金持ちではあるが、できの悪い自分よりも賢い弟を可愛がり、水木のことをないがしろにしているのだそうだ。
「あの家にいると息苦しくて仕方がない。だからと言って、一人で生きていけるほど世の中甘くもない」
そこで一旦言葉を切り、水木はじっと鬼太郎たちを見つめた。
「あそこには俺の居場所はないんだ。また、お前たちと一緒に暮らしたい」
青い目が悲しみをたたえて揺れている。前世でもそれほど幸せな人生を送ったとは言いがたい水木が、今生でもずっと孤独だったことに胸が痛くなった。それに、水木とまた一緒に暮らせるなら、こんなに嬉しいことはない。鬼太郎は父親の反応をうかがった。
「水木……
ゲゲ郎はぼろぼろと涙を流していた。今の話がよほどショックだったらしい。流れる涙を拭いながら、ゲゲ郎はこくこくと何度も頷いた。
「もちろんじゃ!わしも、鬼太郎も大歓迎じゃ」
「ありがとう。恩に着る」
ほっとしたように水木は笑った。
「これからよろしくな」
親子三人の暮らしがまた始まるのだと、鬼太郎は喜びに顔を輝かせた。水木には悪いが、彼の家族が彼に関心をもたないでくれてよかったとさえ思ってしまった。そのくらい、水木のそばにいられることが嬉しかった。

その夜は、これまでのこと、これからのことを話して過ごした。眠くなって床に就いたのは夜が明けようかという頃合いで、昼過ぎに起きてきた水木は「さっそく妖怪の生活に馴染んじまった」とぼやき、ゲゲ郎たちを大いに笑わせたのだった。