桐子
2024-03-24 13:56:22
2568文字
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魂結び②(父水)


鬼太郎が家へ帰ると、砂かけ婆と父親が口論しているところだった。
口論というよりは、父親が砂かけ婆の勢いにたじろいでいると言った方が正しいだろう。
「会ってみるだけでも、どうじゃ?」
「いいや、わしは妻が……
「また出た。親父さん、奥さんも水木さんももうおらんのじゃ。いい加減現実を見るんじゃ」
砂かけ婆はぴしゃりとそう言った。部屋中に散乱した紙が、出入り口近くにまで飛び散っている。鬼太郎はそれを拾ってみた。女性の妖怪がにこやかに笑っている。お見合い写真というものだろう。
ああ、またかと鬼太郎は思った。砂かけ婆は定期的に仲人としての血が騒ぐようで、独り身の妖怪同士を結婚させようと躍起になるのだ。それで結ばれたカップルもいるという実績があるのが、また厄介なのだ。今回、彼女がお節介を発揮する相手は父らしい。
「ただいま帰りました」
「おお、鬼太郎!」
困った顔をしていたゲゲ郎は、ぱっと顔を輝かせた。鬼太郎が帰ってきたのでなんとか助かったと思っているのが丸わかりだ。
「ちょうどよかった。鬼太郎、お主からも言ってやってくれんか」
「何がです」
「砂かけがしつこいんじゃ」
鬼太郎はため息をついて、砂かけ婆に言った。
「砂かけ婆、父さんは諦めが悪いんだ。何度も言ってるけど」
「じゃが、水木さんが死んでもう三十年にもなる。そろそろ再婚を考えてもええんじゃないか?」
「水木はきっと戻ってくる。約束したのじゃ。あやつは約束は必ず守る」
そう話す父親の顔は確固とした自信に溢れていて、迷いがなかった。ゲゲ郎は頑固な男だ。一度決めたことはなかなか変えようとしない。ずっと、水木が帰ってくるのを信じて待ち続けている。
「じゃが水木さんは戻ってこんではないか。……親父さんも本当は分かっておるじゃろう。人間の転生というやつはあやふやなものじゃ」
その言葉に、ゲゲ郎は黙り込んだ。人間の転生には決まったサイクルはない。すぐに生まれ変わることもあれば、百年以上経ってもまだ魂がさまよい続けることもある。
「それに、もし水木さんが生まれ変わっても、前世の記憶があるとは限らぬぞ。親父さんのことを忘れているかもしれん。人間とも限らんしな」
蛙や烏になっておってもかまわんのか、と砂かけ婆は言った。彼女が意地悪でそう尋ねているのではないことは、鬼太郎にも分かる。ただ帰らぬ人を待ち続ける父親のことを心配してくれているのだ。だからこそ厳しい正論をぶつけて、ゲゲ郎を叱咤している。

……それでもわしは待つ。待ちたいのじゃ」

ゲゲ郎は穏やかな顔でそう言った。砂かけ婆はそれ以上何も言わなかった。散らばったお見合い写真を集め、部屋の隅に置いて「目だけでも通しておくれ」と言い残すと家を出て行った。
残された幽霊族の親子の間には沈黙が流れた。ゲゲ郎は気まずそうに咳払いをした。
「すまんなぁ、鬼太郎。帰って来て早々に」
「いえ」
鬼太郎は首を振ったが、次の言葉を探せずにいた。窓から差し込むのどかな光を、ぼんやりと眺める父親の横顔は、ひどく寂しげであった。鬼太郎はその顔を見ていられなくて、ふと家の奥にある棚の上に目をやる。そこには飾り気のない白い壺が素っ気なく置かれていた。
水木が帰ってくることを、鬼太郎だって信じたい。またあの優しい手で頭を撫でてもらいたいし、話を聞いてほしかった。でも、それと同じくらい、もう二度と会うことはないのだろうと諦める気持ちもあるのだ。
どれほど好きでも、会いたくても、もう一度会える保証なんてどこにもない。奇跡でも起こらないかぎりは。
「鬼太郎、散歩に行かんか。今日は天気が良い」
「そうですね」
今し方帰ってきたばかりだが、なんとなく父親のことを放っておけなくて、鬼太郎は頷いた。
ゲゲゲの森を抜けると、天神さんの裏手に出る。二人は表の参道の方へのんびりと歩いて行った。ぽかぽかとあたたかい日差しは、季節がすっかり春になったことを知らせていた。
天神さんには梅の花の方が多く咲いているが、桜の花も植えられている。花見の時期には大勢の人で賑わう場所だが、まだ咲き初めの今の時期は静かなものだ。ここで弁当を広げて花見をするのが毎年の恒例だった。真夜中に妖怪たちと宴会をしたこともある。桜には悲しい記憶もあるが、水木と共に桜を見たことは、忘れられぬ美しい思い出だ。
カラン、コロン。下駄を鳴らしながら歩いていくと、桜の木の下に先客がいることに気が付いた。
白いシャツに黒いスラックス。中肉中背の、黒髪の男。胸が早鐘のように鳴り響く。別人かもしれない。それでも期待してしまう。隣の父親も足を止め、男の背中を凝視している。そして、何度かはくはくと口を動かしてから、ようやく声を絞り出すようにして叫んだ。
――水木!」
男は振り返り、驚いたように少しだけ目を見開いた。精悍に整った顔、まっすぐな視線。目と耳の傷こそないが、紛れもなく水木だった。彼はゲゲ郎たちのことを見つめると、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。

――――魂は目に宿る。
懐かしいその目に浮かんでいたのは、喜びと懐かしさ。そして溢れるほどの愛情だった。

「ゲゲ郎、鬼太郎」
「水木……!」
先に駆け寄ったのはゲゲ郎だった。彼は両腕で水木を力いっぱい抱きしめた。水木もまたゲゲ郎を抱きしめ返す。
ちらちらと桜の花が舞い落ちる中、二人は言葉もなく互いのことを抱きしめていた。指先や表情から溢れるほどの喜びが伝わってきて、いつの間にか鬼太郎の目から涙がこぼれていた。
ーーーなんて美しい光景だろう。
それは、声をかけることもできないくらい美しく、尊い姿だった。かつて、これと同じくらい美しいものを見たことがある。墓場から生まれたばかりの自分を抱きあげてくれた人。土の中から生まれた、明らかに人間でない生き物を、迷い悩んで最後には抱きしめてくれた。あの瞬間を自分は一生忘れないだろう。
きっと人は、それを愛と呼ぶのだ。
「おかえりなさい」
鬼太郎は泣き笑いの顔でそう言いながら近寄った。水木はゲゲ郎との抱擁をとき、今度は鬼太郎のことを抱きしめながら「ただいま」と言ってくれた。父二人と子が一人、三人の家族は、長い間離れていた時間を埋めるかのように強く抱き合っていた。