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桐子
2024-03-04 22:45:32
3535文字
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密事②(父水)
何日か経って、ゲゲ郎がまた訪ねてきた。詫びだと言って手みやげに持ってきたのは天狗の酒だ。
「すまんな、こんな良い酒をわざわざ」
水木が受け取りながら礼を言うと、ゲゲ郎は照れ臭そうに頭を掻いた。
「先日は迷惑をかけて、本当にすまんかったのう」
「いいさ。ーーーほら、飲もうぜ」
一瞬、躊躇ってから、水木はゲゲ郎を部屋に招き入れた。数年前まで住んでいたので勝手知ったるもので、ゲゲ郎はいそいそと杯を二つ、食器棚から取り出している。何かつまみになるものはないか冷蔵庫の中を見ていた水木は、明日の朝食べるつもりだったししゃもを焼くことにした。それから椎茸だ。焼いて少し醤油をたらしたのが、水木もゲゲ郎も好きなのだ。
「おお、椎茸にししゃも。豪勢じゃな」
ひょいと後ろから覗き込んできたゲゲ郎は嬉しそうに言った。水木はそんなゲゲ郎にドキッとしながらも、平静を装って答える。
「明日の朝飯を譲ってやるんだ、ありがたく食えよ」
「そうかそうか」
網の上に椎茸とししゃもを乗せて火にかけると、すぐに香ばしい香りが漂ってきた。つまみが焼けるのを待っている間、二人は他愛もない話をしていたが、ふとした瞬間会話が途切れて沈黙が落ちた。水木がちらりと横を見ると、ゲゲ郎がやけに真剣な目で水木を見つめていた。
「ゲゲ郎?」
なんだか嫌な予感がした。彼は水木の首元に顔を寄せ、すん、と匂いをかいだ。
「水木、お主
……
いい匂いがするのう」
「そ、そうか?それより近すぎるんだが」
「ああ。ついこの前
……
この匂いをどこかで
……
」
ゲゲ郎は顎に手を当て、考え込むような素振りを見せた。
心当たりはーーーある。あの夜のことだ。ゲゲ郎は水木の首筋に何度も唇を寄せていた。五感のうち、匂いだけは人間の記憶と直結していると聞いたことがある。もし、水木の匂いを無意識のうちに覚えていて、あの夜の事を思い出しでもしたら。
「いや、やっぱりなんでもない。わしの勘違いじゃ」
水木がぐるぐると考えていると、ゲゲ郎はそう言ってあっさりと体を離した。拍子抜けしてしまった、安堵の気持ちの方が大きい。自分だけが覚えているのは切ないが、もしあの夜のことを思い出したら、きっとゲゲ郎は謝るだろう。気まずくなって、この家にももう来なくなるかもしれない。今のように気安く家に押し掛けて、二人きりで酒をのみ交わす。こちらを信じて頼りきった眼差しを向けられるのも、馬鹿な話で盛り上がれるのも、触れあうほど近い距離を許してくれるのも、水木がゲゲ郎の『相棒』だからだ。
自分さえ黙っていれば、元の相棒に戻れる。大丈夫だ。今は少しつらくても、きっと忘れられる。
「できたぞ」
「お、うまそうじゃ」
ゲゲ郎は嬉しそうに皿を出してきた。
つまみがちゃぶ台の上に並び、二人は座って酒を注ぎあった。
「ああ、うまいな」
「そうじゃのう。酒にも合うな」
焼いた椎茸に少し醤油をたらしたものを、はふはふと食べるゲゲ郎は幸せそうな顔をしている。
ゲゲ郎のこの、気の抜けたような呑気な顔が好きだった。彼がこうしてほのぼのと笑って暮らせるならどんなことでもしてやりたかった。
「ほれ、お主も食べい」
そう言って椎茸を口元に持ってこられた。少し躊躇したが口を開けると、口の中にぽいと投げ込まれる。咀嚼するとじゅわりと旨みが広がっていった。
「ん
……
うまいな」
水木が言うと、そうだろうと言ってゲゲ郎は嬉しそうに笑った。
「言っておくが焼いたのは俺だからな」
「そうじゃよ。水木は料理上手じゃなぁ」
水木は照れ隠しで憎まれ口を叩いたが、ゲゲ郎は意に介さずに褒めてきた。居心地が悪くて「ふん」と鼻を鳴らして酒をあおる。
それから、ゲゲ郎はここ最近の鬼太郎の様子についていろいろ話してくれた。やっかいな妖怪退治のこと、肩を叩いてくれたこと、温泉に行ったことーーー楽しげに語られる彼の話に、水木は相槌を打ちながら耳を傾けていた。
「ほら、もっと飲めよ」
ゲゲ郎はさっきから水木にばかり酒を注ぐ。それが気になってゲゲ郎の杯に酒瓶を近づけるが、彼は「わしはもう結構じゃ」と言って受け取ろうとしなかった。
「また酒で失敗するわけにはいかんからのう」
ゲゲ郎は反省しているのだろう。水木にまた迷惑をかけないために、酒の量を自ら制限しているのだ。その気持ちはわかる。しかし、もやもやしたものが水木の心に広がっていく。
まるで水木と寝たことを失敗だと言われているような気がして、なんだかおもしろくなかった。
「どうした水木、酔ったのか?」
黙り込んでしまった水木の顔を覗き込みながらゲゲ郎が聞いてくる。
「別に
……
俺に気を使う必要なんてないだろ。ほら、もっと飲め!」
そう言ってゲゲ郎の杯に無理矢理に酒を注いだ。
「お主、飲みすぎではないか?」
「うるさい」
水木はぐいぐいとゲゲ郎の杯に酒をついだ。水木の心情など知るよしもないゲゲ郎は困ったようにしていたが、それでも注がれる酒を拒まなかった。
しばらくの間、二人は無言で酒を飲んでいた。水木も大分飲んだので暑くてたまらなくなってきた。シャツのボタンを外して胸元をはだける。
「水木や、はしたないぞ。そんなにはだけて」
「なーに言ってんだ。俺は年頃のお嬢さんなんかじゃねぇぞ」
そう言って笑うと、ゲゲ郎も笑った。しかし次の瞬間、彼の目がはっと見開かれる。
「水木
……
お主
……
」
「ん?」
「なんじゃ。お主は寂しい独り身かと思うておったのに、好い人がおるんじゃな」
「は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。水木がきょとんとしていると、ゲゲ郎は水木の胸元を指差した。
「ここに口吸いの跡があるぞ」
酔いは一瞬で醒めた。水木は驚いてシャツの襟を握りしめた。虫刺されだろ、とでも誤魔化せばよかったのに、動揺していてうまく頭が回らなかった。
ゲゲ郎はそんな水木の様子を見て、何も言わずにくっと酒を飲み干した。そして手酌でさらに酒を注ごうとしたが、目測を誤ったのか、杯がぐらりと傾いた。
ぱしゃん
青い着流しの上に酒がこぼれた。水木は慌てて手拭いを渡す。
「大丈夫か、ほら」
ゲゲ郎は水木から手拭いを受け取ると、黙ったまま濡れた着物を拭きだした。
「そうだ、確かここに着替えが
……
」
水木は立ち上がって箪笥を漁り、黒い着流しを出した。ゲゲ郎の洗い替えにと拵えたのに、いつものが落ち着くからと渋って、ほとんど袖を通すことがなかったのだ。
「ほら」
ゲゲ郎に着物を渡そうとしたが、彼は俯いたまま受け取ろうとしなかった。
「どうした?早く着替えろよ」
「
……
水木は、わしが邪魔か?」
「はあ?」
意味が分からず聞き返すと、ゲゲ郎はぽつりと呟いた。
「わしはもう、ここには来ない方がよいのかもしれんな」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
水木が思わず声を荒げると、ゲゲ郎は顔を上げて、へらっと笑った。
「そりゃあ、お主と好い人の逢瀬の邪魔をしては悪いからのう。わしは野暮天にはなりとうないし」
違う、と否定したかった。
だが、恋人がいないのなら首筋の痕はなんと説明すればいいのだ。ゆきずりの相手と情交を結んだとでも?誰彼かまわず体を許すような人間だと、ゲゲ郎に思われたくはなかった。
「
……
俺はお前が邪魔だなんて一度も言ったことないだろ」
絞り出すようにそれだけ言った。ゲゲ郎は困ったように俯いてしまう。
「そうじゃな。悪かった。もうこの話はせんから、そんな顔をするな」
そう言って、ゲゲ郎は立ち上がった。濡れた着物を脱いで、水木の用意した黒い着物に着替えて帯を締める。水木の見立て通り、色白で髪も白い男には黒がよく映えた。
「では、わしはそろそろお暇するとしよう」
「泊まっていけよ」
ゲゲ郎は驚いたように目を見開いて、やがてゆるりと首を横に振った。
「
……
いや、今夜は帰るとするよ」
ゲゲ郎がそう言うなら無理に引き留めることもできない。
「これ、洗っとくから。また取りに来いよ」
せめてもの抵抗として着物をひったくると、ゲゲ郎はふっと笑った。
「わかった
……
またな」
水木が玄関口まで見送ると、ゲゲ郎はカランコロンと下駄の音をさせながら、夜の闇の中へ消えていった。
玄関の扉を閉めた瞬間、水木はずるずるとその場に座り込んだ。膝を抱えて頭を埋める。
違うんだ、俺が好いているのはお前で、これはお前が俺を抱いた証でーーそう言えたらどんなによかっただろう。だが、それはできない。
「くそっ
……
」
水木は唇を噛んで、自分の愚かさを呪った。
もしかしたら自分たちは相棒ですらいられなくなるかもしれない。そんな不安が胸をよぎった。
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