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桐子
2024-02-12 23:45:48
2731文字
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魂の在る所⑦(父水)
すうすうと、鬼太郎が寝息を立てている。
この子はまた、毎日のように走り回っている。布団にもぐりこんであっという間に眠ってしまうのは、疲れ切っているからだ。だが、止めろとは言えなかった。鬼太郎は焦っているのだ。
――――
ゲゲ郎が記憶を失い、およそ半年。
水木の腹はいよいよ大きくなり、砂かけ婆からは「何かあればすぐ呼ぶんじゃぞ」と言われている。眠り砂で水木を眠らせている間に腹を切って、子どもを取り出すのだそうだ。はっきり言って恐怖だった。だが、砂かけ婆がお産に立ち会うのは両手両足の数よりも多いとのことなので、とりあえずは安心だろう。
ゲゲ郎は食事もとらず、水木のことを悪し様に罵ることもやめない。その代わり、体液を与えることも止めなかった。律儀に毎日やってきて、口付けをしては水木を罵り、部屋へこもる。
「水木さん」
いつの間に起きていたのか、鬼太郎が布団の中からこちらを見つめていた。
「最近ずっと元気がないですね」
「そんなことねえよ」
水木は笑ってみせたが、内心では少し焦っていた。もうじき臨月を迎えるのだ。ゲゲ郎がこのまま元に戻らなかったらどうしよう。その不安が日に日に大きくなっていた。それにゲゲ郎に罵倒されるのもこたえていた。愛していると言った口で、気味が悪いだの穢らわしいだのと言われて平気でいられるわけがない。
しかし、ゲゲ郎はそう言った直後に、いつも自分が傷ついたような顔をするのだ。
―――
きっとあの言葉は、ゲゲ郎自身が言われてきた言葉だ。
石を投げられても怒り返さないから、どうしてか聞いたことがある。別に大したことじゃない、いつものことだとゲゲ郎は何でもない顔をしていた。水木はそれを聞いてひどくつらかった。人間が幽霊族にしてきた仕打ちは、あまりにも酷いものだった。今、ゲゲ郎が水木にそれをぶつけてきても当然だと思う。けれど、その度に傷つくゲゲ郎を見るのもつらいのだ。
彼は優しい男だ。人を殴れば、殴った自分の手だって痛む。水木を傷つけておいて自分も傷ついているのでは本末転倒だ。
水木の葛藤をよそに、鬼太郎は大きくなったお腹を見ながら聞いてきた。
「名前はもう考えたんですか?」
「ん? ああ、そうだな
……
」
幽霊族はもともと名前を持たないからと、名付けは水木がするよう頼まれていた。だが、初対面の男に『ゲゲ郎』と名付けるセンスの自分が、子どもにいい名前を付けられるはずもなく、結局まだ考えられていない。
「僕の名前は誰が付けたんですか?」
「そういえば言ってなかったな。
……
俺だよ。お前が赤ん坊の頃、夢の中で誰かが『鬼太郎じゃ!』って何度も言うもんだからな。それしかないと思ったんだ」
思えばあれはゲゲ郎だったのかもしれない。記憶が戻ったら聞いてみよう。
「そうですか
……
」
鬼太郎は眠そうに目を擦った。
「
……
僕は、お母さんのお腹の中で、ずっと歌をきいてました」
さっきから話に脈絡がないのは眠いせいだろう。だが、母親のことを鬼太郎から聞くのは初めてだ。それも、まだ胎児だった頃のことだろう。水木は黙って耳を傾ける。
「優しい声で、歌ってて
……
すごく安心したのを覚えています」
血桜に囚われた彼女は、腹の中の子どものために優しく子守歌を歌っていたのかもしれない。
あの村にはつらい思い出ばかりが詰まっていると思っていたが、鬼太郎にとってはそうではないのだ。母と二人で過ごした時間は、温かく幸せなものだったに違いない。
「水木さんが悲しいと、その子も悲しむから
……
だから、仲良く
……
」
鬼太郎はまた、すうすう寝息を立て始めた。水木はしばらくそれを眺めていたが、やがて立ち上がり、縁側へ向かった。
息が白い。空の星はちかちかと瞬き、まるで降ってくるようだった。ゲゲ郎の半纏にすっぽり包まれた水木は、ぼんやりと夜空を仰ぎながら、ゲゲ郎のことを待っていた。
しばらくすると、ゲゲ郎が隣の部屋から出てきた。ぐいっと肩を掴み、水木を引き寄せる。
「なぜこんな所におる」
「星を見てた」
ゲゲ郎は鼻で笑ったが、それ以上は何も言わず、水木に顔を近づけた。
「ゲゲ郎、俺は今からお前を怒る」
「は」
「コラッ!!子どもの前で汚い言葉を使うな!あと俺は醜くて卑しくて弱い人間だが、少なくとも淫乱じゃねえ。俺は、お前としかしてないんだからな!」
ゲゲ郎はぽかんとした顔をしていたが、みるみるうちに怒りの形相を浮かべた。
「お主、何を言うておるかわかっておるのか」
「俺はお前の言葉に傷ついた!いいか、俺は怒ってるんだ」
そう言って、水木はゲゲ郎に抱きついた。
「お、おい、何を」
「だからお前も、怒っていい
……
傷つけられて嫌だったって、奪われて苦しかったって、言ってくれよ
……
」
このゲゲ郎に会わなければ、水木は知らないままだった。水木の知るゲゲ郎は、悲しみも憎しみも全て昔のこととして、穏やかに笑う男だった。
だが、目の前にいる男は、人間たちに囲まれ、罵られ、石を投げられた記憶を色濃く残している。水木の知らないゲゲ郎だった。
「
……
」
ゲゲ郎は無言で、水木に抱きしめられている。その背中は微かに震えていた。
「
……
お主に語る言葉など、ない」
呟くようにそう言うと、水木を押しやった。だが、水木は背中に回した腕に力を込めた。
「お前の気持ちは俺には分からない。人間の俺には言いたくないかもしれない。でも、俺は
……
お前をわかりたい」
「何故じゃ」
「好きだから」
水木は顔を上げ、ゲゲ郎を見つめた。
「俺は人間で男なんだぞ。好きでもなけりゃ、お前の子どもなんて産めるかバカ」
ゲゲ郎は目を大きく見開き、それから泣き出しそうな顔をした。迷子の子どものような顔だった。
「
……
バカはお主じゃ」
「ああ、知ってるだろ?」
ニッと笑ってみせると、ゲゲ郎は黙って水木の肩を掴み、唇を寄せてきた。
「んっ
……
」
口付けはいつもより長く深かった。舌を絡め合い、互いの呼吸を奪うようにして何度も唇を合わせた。唇を離すと、ゲゲ郎は水木のことをじっと見ていた。その目にどことなく、見覚えのある熱が浮かんでいる気がして、水木は息を飲む。
「体を冷やすな
……
もうすぐ生まれるんじゃろう」
ゲゲ郎は突き放した言い方をしていたが、言葉自体は水木を思いやるものだった。
「あ、ああ」
水木が戸惑っている間に、ゲゲ郎はさっさと部屋に戻ってしまった。水木はそれを見送り、ふうっとため息を吐いた。
次の日、ゲゲ郎は初めて水木の作った食事を食べてくれた。空になった茶碗を見て、水木はほっとする。
「美味いか?」
「まあまあじゃな」
憎まれ口を叩いていたが、ゲゲ郎の表情は柔らかかった。
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