着物が重い。足を取られ何度も転びそうになりながら、山の中腹を目指す。自分がもし一反木綿のように空を飛べれば、あるいは鬼太郎たちのように遠くまで跳躍できればあっという間だったろうに。人の身とかわりない。
「くそっ」
水木は悪態をついた。体が重い。息が切れる。肺が痛い。それでも走り続けるしかない。
ふと前方に白い人影が見えた。
ーーー傘を被ったお遍路さんだ。どうしてこんな所に。ぎくりとしたが、傘の下の顔は穏やかで悪いモノには見えない。むしろ不思議と暖かみのある顔に見えた。彼はすっと山の中腹を指差した。
「水木さん、あなたの息子はあちらから来ています。すぐに会えますよ」
お遍路さんは言った。聞き覚えがある声だ。水木は驚いて立ち止まった。
「あなたは……確か」
お遍路さんは笑った。どこかで見た顔だ、と水木は思った。そうだ、屋島寺で会った不思議な男だ。
「牛鬼を遠くから攻撃するのは悪くない。三度目はきっと当たります。だが、鉄砲よりも弓がいい」
「弓?」
「ええ、弓で射て下さい。かつて牛鬼を退治したのは弓矢ですから。真似事でもいい、肝心なのはあれが『弓で射られた』と思うことが大事なのです」
「あんたは……」
水木はじっとお遍路さんの顔を見つめた。彼は優しい笑みを浮かべている。
「さあ、行きなさい」
「水木さん!」
頭上から鬼太郎の声がした。見ると、鬼太郎が崖の上から跳躍して飛んできたところだった。
「鬼太郎!」
「指鉄砲がきいてないから、どうしたのかと思って」
慌てて降りてきたのだという。水木はさっきのお遍路さんが立っていた場所に目を向けた。その姿は煙のようにかき消えている。あれを信用していいかはわからない。しかし、今まで会ってきた悪霊や悪い妖怪とは気配が違う気がした。今は信じるしかない。
「鬼太郎、あの牛鬼は怨念で実体がないらしい。だが、お前の攻撃は効いてるそうだ。前にあの牛鬼は弓で射られたことがあるから、弓で射るのがいいらしいがーーー」
都合よく弓矢があるはずもない。鬼太郎はしばし考えた後、分かりましたと頷いた。
「やってみます」
鬼太郎はちゃんちゃんこを脱いで細長く丸め始めた。ちゃんちゃんこは弓に、髪の毛を束ねたものは矢に。
ーーーどぉん!!
近くでまた牛鬼が暴れる音がした。はっとして水木と鬼太郎は海岸へと視線を向ける。巨大な牛鬼とゲゲ郎が戦っている。
鬼太郎は指鉄砲のときと同じように、髪で作った矢に霊力をこめ始めた。髪の毛は光の矢のように輝いている。
「こっちだ、牛鬼!」
水木は叫んだ。声に反応して牛鬼がこちらを向く。その瞬間、鬼太郎は矢を放った。
光の矢は一直線に飛び、牛鬼の口の中に吸い込まれるように消える。
ギャアァーーーッ!!
黒い靄のようなものが牛鬼の体より吹き上がった。牛鬼は苦しみもがき、水辺で暴れた。黒い靄が周囲にまき散らされる。
「やったか……?」
水木は呟いた。靄は次第にぼやけ、やがてゆっくりと晴れていく。そして完全に晴れた靄の向こうに、巨大な牛鬼の姿はなかった。
代わりに、満身創痍のゲゲ郎がしゃがみこんでいた。
「ゲゲ郎!」
水木と鬼太郎は急いで駆け寄った。ゲゲ郎はうずくまっていたが、二人の声に気づき顔を上げた。
「おお、二人とも無事じゃったか」
ゲゲ郎はよっこいせ、と立ち上がった。見た目のわりに大きな怪我はないようだ。本当にしぶとい男である。
「ようやったな、鬼太郎。最後の一撃が効いたようじゃ」
「水木さんが教えてくれたんです。牛鬼には弓矢がいいって」
鬼太郎はかたわらの水木を見上げながら言った。半信半疑だったが、どうやらあのお遍路さんの言ったことは正しかったようだ。
「俺も人に聞いたんだ。ありゃ妖怪だったのか」
「ほう……その話はまた後で聞かせてもらおう。とりあえず、時間切れじゃ」
ぽん、とゲゲ郎が目玉の姿に戻ってしまった。霊力が切れてしまったようだ。鬼太郎はそっと父親を掬い上げ、肩の上にのせた。
「狸たちのところに戻ろう」
荒れていた海は、月明かりをうつして穏やかに凪いでいる。三人の親子は、波の音を聞きながら狸たちの待つ山寺へと戻っていった。
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