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桐子
2024-01-29 22:23:33
2646文字
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瀬戸の花嫁⑤
目の前に用意された美しい正絹の着物は光沢があり、一目で良い品だと分かった。
「やめましょう」
「いいえ、水木様に着てもらえるなら着物も本望でございます」
狸の奥方はころころ笑い、さっそく水木に襦袢を着せ始めた。水木はされるがままになっている。
騙された。水木は虚ろな目で帯を締められながらそう思った。まさか生け贄役がこんなものを着せられるとは夢にも思わなかった。今からでもやめられるものならやめさせてもらいたい。
「紅もさしますよね?」
「髪の短いのは綿帽子で隠れてしまいますから」
狸たちはきゃっきゃっと楽しげに着物を着付けていく。帯をしめ、打ち掛けを羽織られ、目や口に紅までひかれて。
「さあ、できました」
鏡を差し出され、水木はこわごわとそれを覗き込む。
「素敵な花嫁さんだこと」
「はは
……
」
美しい着物を身にまとい、唇に紅をさし化粧をほどこされた顔は少しだけ若い頃の母に似ている。だが、やはりどう見ても無理がある。
「なあ、やっぱりやめ
……
」
「支度は整ったか?」
やめませんか、と言いかけたところで目玉のゲゲ郎と鬼太郎が様子を見に来た。
「ほう、これが水木の花嫁姿か」
ゲゲ郎はしげしげと水木を見つめると、目玉のくせに頬を染めて言った。
「今すぐさらって逃げたいくらいじゃのう!」
「綺麗ですね」
鬼太郎はごく真面目な表情で言う。さすがに男に花嫁衣裳はきついだろうと思うのに、ゲゲ郎たちは誉めちぎる。それが何より恥ずかしかった。
「勘弁してくれ」
あまりのいたたまれなさに、水木は力なく言った。
「さ、それでは行くか」
ゲゲ郎に促されて、水木はよろよろと立ち上がった。帯が苦しい。頭が重い。世の女性はこんな苦労をしているのかと気の毒になった。
海岸に着くと、すでに牛鬼を誘き寄せるための罠が用意されていた。魚や肉が捧げられ、酒も用意してある。水木はその中央にある御座の上に座らされた。
「水木様、若、頼みました」
狸たちはそう言って、離れた場所に隠れた。ざざ、と波が打ち寄せ、風の音がして、静かな夜だった。
「こんなんで来るのかよ」
「来る、おそらくな」
綿帽子の中に隠れたゲゲ郎がそう返事をした。鬼太郎は山の斜面に陣取って、そこから牛鬼を狙撃する手はずになっている。ゲゲ郎は万が一の時のため、水木のそばにいることになった。
「男ってバレたら出てこないかもしれん」
「ばれるものか。お主はこんなに美しいのに」
「妖怪はみんな目が悪いのか」
手放しで褒めちぎられ、水木はため息をついた。
「お主には分からんかもしれんが、妖怪には好む香りがある。酒と血と人間の香り
……
きっと牛鬼はあらわれるじゃろう」
ゲゲ郎がそう言った途端、波の音が止まった。びゅえ、となまぬるい風が吹く。水木の額から汗がつたいおちた。
ーーー何か、来る。
海がじわじわと黒くそまっていき、そこからぬうっと牛の首が持ち上がった。鬼のような二本の角、牙の並ぶ口、蜘蛛に似た巨体、そしてぎろぎろと光る二つの目玉。怖いというよりも、ただおぞましい。
「牛鬼!」
水木は思わず叫んだ。思ったよりもずっと大きい。牛鬼はずるずると海から全身を現すと、そのまま水木に近づいてきた。水木は後ずさる。
「大丈夫じゃ、水木。鬼太郎がねらいを定めておる」
ゲゲ郎が囁くように言った。
牛鬼は近づいてくる。ぬうっと水木の目の前に立った牛鬼は、その大きな目をぎょろりと動かし水木を見た。
ーーーざしゅっ!!
巨大な鉤爪が水木めがけて振り下ろされる。しかし、それは水木に届く寸前で止まった。
「ぎゃああっ」
牛鬼は悲鳴をあげた。鬼太郎の撃った指鉄砲が、牛鬼の頭を打ち抜いていた。狙い通りだ。痛みに吠える牛鬼から、海へと波が走る。
「鬼太郎、もう一発じゃ!」
ゲゲ郎が叫ぶ。山の中腹から青白い光が放たれ、今度は牛鬼の胸を撃った。
「やったか
…
!?」
牛鬼の体から、黒い煙が吹き出した。牛鬼が悲鳴をあげるたびにそれは闇となって海へ散っていく。次第に巨体は黒く大きな靄となっていき、ひとかたまりに集まっていく。
「何じゃこれは
……
?」
ゲゲ郎が不可解そうな声をあげた。やがて靄はゆっくりと一つの形をとっていく。
「何だあれは
……
」
水木は驚きの声をあげた。やがて靄は、巨大な牛鬼の形をとりはじめたのだ。先ほどまでと寸分違わぬ姿を取り戻した牛鬼は、また水木に目を向けた。
「牛鬼ってのは、無限に蘇るものなのか?」
「そんな馬鹿な」
ゲゲ郎は混乱した様子で言った。その間にも、巨大な牛鬼はゆっくりと水木に手を伸ばす。
「させるものか!」
ぴょんと地面に飛び降りたゲゲ郎は、素早く人型をとると牛鬼の目玉をめがけて下駄を投げた。だがそれは牛鬼の体をすり抜けて、海へと落ちていく。
「ゲゲ郎!危ない!!」
水木はとっさに叫んだ。巨大な牛鬼が、まるで蚊を叩き潰すかのようにその大きな爪をゲゲ郎に振り下ろした。
「くっ」
ゲゲ郎は辛うじてかわした。今度は髪を伸ばして牛鬼を絡め取ろうとするが、これもまたすり抜けてしまう。
「そうか、本体がないのじゃな」
「どういうことだよ」
「封印をといて出てきたのは怨念のみ。こやつには本体がない
……
じゃから肉を食ろうて、実体を取り戻そうとしておるのじゃ」
「じゃあ、もしかして」
水木はぞっとした。牛鬼がじりじりとにじり寄ってくる。
「だから狸や妖怪を食べてたのか
……
畜生め!!」
「水木や」
ゲゲ郎は穏やかな声で言った。
「ここはわしに任せろ。お主は鬼太郎にこのことを伝えてくれ」
「
……
」
ゲゲ郎はかつて、狂骨の依り代となり体を失った。そして体を取り戻すために霊力を使い、かつてのようには戦えない。そうはいってもしぶとい幽霊族だ。そう簡単にやられるとは思えないが、相手は巨大な牛鬼だ。どうなるか分からない。
「行くのじゃ」
ゲゲ郎は水木を見て微笑んだ。鬼太郎と水木なら何とかしてくれる。そう信じ切った笑みだった。
「
……
わかった」
水木は立ち上がった。
「無事に終わったら、家族旅行の続きをしよう」
「勿論じゃ」
水木は走り出した。着物が重く綿帽子のせいで視界が狭い。邪魔な打ち掛けと綿帽子を脱ぎ捨て、鬼太郎のいる山の中腹へただ走った。
ーーーどぉん!!
背後で大きな音がした。ゲゲ郎のいた場所には砂煙が立ちこめている。彼がどうなったかは分からないが、今は信じるしかない。水木は海岸を離れ山道へと入っていった。
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