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桐子
2024-01-24 00:01:05
3100文字
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さよならできない④
朝起きて卵焼きを焼き、2階の居間へ持っていくと、身支度をした鬼太郎とまだ眠たげなゲゲ郎が待ち構えていた。
「水木さん、具合はもういいんですか?」
鬼太郎が心配そうに水木の顔を覗き込んできた。
「ああ
……
もう平気だ」
「それならよかった」
鬼太郎はほっとした様子である。いい子に育ったなと微笑ましく思う一方、こんな男が養父で申し訳ないとも思う。
「さあ、早く食べて準備しないと、学校に遅れるぞ」
「実は、昨日水木さんが帰ってきたら話そうと思っていたんですがーーー僕、学校にはもう行きません」
「え?」
鬼太郎は申し訳無さそうに、しかし確固とした口調で言った。
「この前、身体計測があったんです。僕だけ身長が伸びてなくて、父さんに相談したら成長が止まったんだろうって」
「じゃあお前
……
」
「人間の世界は見てきました。これからは妖怪の世界も見てみたい」
鬼太郎は真っ直ぐに水木を見た。ゲゲ郎も何も言わない。それが答えだった。
いつか、こういう日が来ると思っていた。鬼太郎は幽霊族の子だ。もう一つの世界のことを知りたいと言い出すのは当然のことだ。そしていつか、この小さな養い子こそが、二つの世界の架け橋になるのだろうーーーなんとなくそんな気がしてならなかった。
まだまだ子どもだと思っていた。子どもでいてほしかった。しかし鬼太郎はもう、手を引かれて歩くだけの幼子ではない。それなら水木にできることは一つしかない。
「俺は鬼太郎、お前の味方だ。お前がどんな選択をしても、それを応援してる」
水木は心からそう思っている。親が子にしてやれることなど、もうそのくらいしかないだろう。
「ありがとう、水木さん」
鬼太郎は珍しくはにかんだ笑みを浮かべて頷いた。
「わしと鬼太郎はここを出て、ゲゲゲの森に住もうと思うておる」
それまで言葉を発せず黙って見守っていたゲゲ郎が口を開いた。
「ゲゲゲの森は妖怪たちの住処じゃ。何かと都合がよいのでな」
水木はハッとした。それはそうだ。鬼太郎が妖怪の世界へ行くというならゲゲ郎はその案内人だ。ゲゲ郎が鬼太郎のそばにいるのは、家族だから当然なのだ。
「そうか
……
」
水木は絞り出すように言った。胸が引き裂かれるように痛かったが、それでも笑顔で送り出してやらねばならないと思った。
「そうだよな。いや、すまん。寂しくなるな、なんて考えちまった」
鬼太郎とゲゲ郎が同じ顔をして水木を見た。申し訳なさそうな、寂しそうな顔だ。離れがたいというような表情が瓜二つで、そんな顔を見られただけで充分だと水木は思った。
「水木さん、今まで本当にありがとうございました」
鬼太郎は丁寧に頭を下げた。水木は目頭が熱くなるのを感じたが、何とか堪えて言った。
「俺の方こそありがとうな。お前たちのおかげで楽しかったよ」
「水木やぁ」
ゲゲ郎は、ぽろぽろと涙を流しながら抱きついた。
「こんな大事な話を、お主に相談もせずに決めてすまんかったなぁ
……
うっ、ぐすっ」
「泣くな泣くな、飯がまずくなる」
水木は笑いながら言った。ゲゲ郎は少し落ち着きを取り戻したようだが、まだぐずぐずと鼻を鳴らしている。
「水木もわしらの家族じゃ、これからもずっとじゃあ
……
」
「ごめんなさい、父さんときたら」
鬼太郎が申し訳なさそうに謝るのがおかしかった。おかげで水木の涙は引っ込んでしまったようだ。
「さあ、朝飯にしよう。それからお前の学校に挨拶に行かないとな。転校するってことにしておくか」
「そうですね」
鬼太郎は頷くと、いただきますと手を合わせた。
最後に水木さんが作った肉じゃがが食べたいというので、奮発して牛肉を買い込んだ。
「おいしいです!」
「うむ。明日からカエルしか食えんかもしれんからの、たくさん食べるのじゃ」
「頼むから鬼太郎に変なもん食わすなよ
……
」
水木は呆れ顔で言ったが、大喜びの二人を見ていると、もっといいものをたくさん食べさせてやればよかったという気持ちになる。
「おいしいですね父さん」
「そうじゃな」
二人の楽しそうな声が居間に響く。この声を聞けるのも今夜が最後だ。
「俺の分も食え、鬼太郎」
「わしには!!」
「ない」
「ひもじいのう
……
」
「かわいそうにな、ゲゲ郎」
鬼太郎は楽しそうに笑っている。幸せそうだ。きっと自分の選択を後悔していないのだろう。それでいい、と水木は思った。
風呂から上がると、ゲゲ郎が一人で晩酌をしていた。
「鬼太郎は?」
「もう寝た。水木と川の字になって寝たいと言っておったぞ」
その前に一杯だけ、とゲゲ郎は自分の隣を指差した。もちろん異論はない。買い置きの酒は天狗の酒にはほど遠いが、それでもうまいと思った。
「良い夜じゃな」
ゲゲ郎は感慨深そうに言った。水木は「ああ」と頷いた。鬼太郎が寝静まった後、こうして二人で晩酌をするのが恒例になっていた。思えばこんな時間が一番幸せだったのかもしれない。
「寂しくなるか?」
「馬鹿言うな、せいせいする」
水木はそう言ってみたが、本心ではないことは自分が一番よくわかっていた。きっとこの先ずっと、三人で暮らしていた日々を何度も思い出すだろう。
「
……
なあ、ゲゲ郎」
ちびちびと舐めるように酒を飲んでから、水木は重い口を開いた。これだけは言わなくてはと、ずっと考えていた。良い機会だ。
「なんじゃ?」
「今まで付き合わせて、悪かったな」
「何じゃ、突然」
ゲゲ郎は驚いた顔をした。
「そもそも付き合わせるとは、どういうことじゃ」
「
……
お前を好きだと言ったことだ」
ゲゲ郎の顔を見ていられなくて、水木は俯いた。
「ああ、そのことか」
「あれはもういいからな」
「ん?どういうことじゃ?」
鈍い男だ。それとも分かっていて水木の口から言わせたいのだろうか。
「もう忘れてくれと言ってるんだ」
「なんでじゃ?」
ゲゲ郎は本気で分からないらしく、困惑し戸惑った気配が伝わってくる。水木はため息をついた。この男は人間ではないのだ。分かりやすく、端的に言わなければ。
「もうお前のことは好きじゃないんだ」
「!」
ゲゲ郎は雷に打たれたように固まってしまった。
「でもお前のことは相棒だと思ってる。鬼太郎を一緒に育てた
……
俺の家族だ」
「あ、ああ、なんじゃ。そうか、そういうことか」
どこかホッとしたような口調でゲゲ郎が相槌をうつ。水木は胸が痛くなった。
「だから、もう俺としたことは忘れてくれ」
しばらくしてから、ゲゲ郎は「お主がそれでいいなら」と静かに頷いた。水木はそれに安堵すると同時に、寂しくもあった。
「悪いことしたな、ゲゲ郎
……
本当にすまん」
「謝るな。水木は何も悪いことなどしておらぬよ」
ゲゲ郎は優しくそう言った。この男は今どんな顔をしているのか気になって、顔を上げた。ゲゲ郎は穏やかに笑っていた。
「水木よ」
「何だ?」
「お主と過ごした時間、楽しかったぞ。わしに人間と共に生きることができる世界を見せてくれて
……
ありがとうな」
人間に虐げられ、搾取されてきたはずの幽霊族の男は、そう言って何もかも許すのだった。水木の目から涙が溢れた。
「泣くな水木や」
ゲゲ郎は唇を重ねようと顔を寄せてきてーーーすんでのところで動きを止めた。
「そうじゃった。もうこれは、してはいかんのじゃったな」
ゲゲ郎はちょっと首をかしげてから、水木の目元を指先でぬぐった。それで充分だった。
こうして水木のもとから幽霊族の親子は去った。そして水木の恋心は、決して蘇らないように深く深く墓穴を掘り、そこに埋められたのだった。
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