桐子
2024-01-23 14:14:31
2052文字
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さよならできない①(父水)


たまたま目についた本屋に入って、陳列された本を眺めていた。最近はこういうのが人気なのか、と思いながら見ているうちに、絵本が目についた。
子供向けの絵本。
数年前までは、高価なそれを一冊買うか買わないかで悩んでいたものだ。くすりと笑い、やわらかな色合いで描かれた絵を眺めていた。
もう自分の世界には関わりのないものだ。
名残惜しさを感じながら、水木はそれをそっと元に戻した。

未練がましい自分のことをあの男が知ったらどう思うだろう。執念深いのは幽霊だけではないのだなと笑うだろうか。

水木がゲゲ郎と別れることを選んでから、三度目の冬が来る。





伝えるつもりのなかった気持ちを吐露してしまったと気が付いたのは、目の前の男がいつも以上に目を丸くしていたからだ。酒の勢いもあっただろう。
……俺は今何か言ったか」
「す」
「す?」
「好きじゃ、と」
ゲゲ郎の口から出た言葉に、水木は青くなった。その言葉は墓場まで持っていくと決めていたはずなのに、どうして口にしてしまったのだろう。
ゲゲ郎は顔を青くしている水木のことをまじまじと見ている。
「お主はわしのことが好きなのか」
「ああ、いや」
いつもならよく回る口が、今日に限って動かない。だって相棒だろう?これからもよろしくな、とでも言って笑っておけばいいのだ。
「それは、その、ほら、相棒だし」
出てきた言葉はあまりにも空々しく響いた。少しも誤魔化せていない。いや、ゲゲ郎とて水木より長く生きた海千山千の幽霊族だ。水木の本心を知ってもうまくはぐらかして、明日になればまたいつもの友人に戻れるはずだ。
「それは惚れておるという意味か?」
「う、海千山千の幽霊族じゃねえのかよ!」
とんだ期待外れだった。なぜ誤魔化されてくれないのだと、お門違いの恨みさえ抱いてしまう。
「しかし困ったのう。わしは妻一筋じゃ。お主の気持ちには応えられん」
水木の胸はずきりと痛んだ。ゲゲ郎を困らせてしまった、そして、彼がまだ妻のことを深く愛していると思い知らされたからだ。だがそんな男に惚れてしまったのは自分なのだから、これはもう自業自得というほかない。
「すまんな、変なこと言って……はは、忘れてくれ」
水木は震える手をぐっと握りしめた。そしてそのままいつもの笑顔を作る。
「明日からまた相棒だからな、よろしく頼む」
ゲゲ郎はしばし沈黙したのちに、ゆっくりと口を開いた。
……しかし、水木よ。お主には恩がある。わしとて養われるだけではなく、お主に何かしてやりたい」
「バカ、俺が好きでやってんだ。気にするな」
鬼太郎の養育費も生活費、このねこやの下宿代も水木もちだ。銀行では冷遇され窓際に追いやられ、同期たちが次々昇進していくのを横目にみているだけ。出世や成功はのぞめなくなったが、小さな鬼太郎の成長を見られるのはもっと大きな喜びだった。
「俺は御殿や車やいい服はいらん。それよりもお前たちが元気で過ごしてくれるのが一番嬉しい」
「水木……
「ほら、明日も早いんだ。もう寝ようぜ」
水木はゲゲ郎の肩をぽんと叩いた。そしていつものように笑ってみせる。その顔をぼんやりと見ていたゲゲ郎が、小さく呟いた。
……てやる」
「ん?」
「わしが、一肌脱いでやると言ったのじゃ」
ゲゲ郎は水木の手を掴んだ。
「お主が望むなら、わしも覚悟を決めよう」
ゲゲ郎は呆然とする水木のことを、畳の上に押し倒した。
「お……お前何するんだよ」
倒れた拍子にぶつけた頭をさすりながら、水木がゆっくりと起き上がろうとした。しかし、その前にゲゲ郎に畳へ縫い付けられる。
「んんっ!」
水木は目を見開いた。ゲゲ郎の顔が間近にある。口付けられているのだと気が付いたのはそのときだ。
「や……
やめろ、そう言おうとして開いた口に、何かがぬるりと入ってきた。それがゲゲ郎の舌だと気が付き、全身の毛が逆立つ。逃げようとしたが、しっかりと手首を握られているのでどうにもならない。ならばと必死にその舌を押し返すが、逆に深く絡め取られる結果になってしまった。
「ふっ……んん」
吐息と唾液の音だけが響いている
「ん……ん、う、……っ!」
振りほどこうとしても、ゲゲ郎の腕はしっかりと水木を固定している。馬鹿力め、と思いながらも水木はその口付けに耐えた。
……これでよいか」
「はあ……っ、何がだよ」
男のひやりとした手が、浴衣の中に入ってくる。まるで壊れ物を扱うように触れられて、水木は硬直してしまう。
「やめろ」
「恩には報いる。幽霊族は義理堅いのじゃ」
「ちがっ……こんなこと、俺は望んじゃ……
水木の言葉を遮るように、ゲゲ郎は再び唇を塞いだ。
「んっ」
「わしに任せておけばよい」
そう言って、ゲゲ郎は水木の体をゆっくり暴いていった。
屈辱だった。愛する女がいながら、自分を抱く男を許せないと思った。それなのに水木はその手を振り払えなかった。
惚れた男に触れられる喜びには抗えなかったからだ。