ゲゲ郎が知り合いの妖怪たちに聞き回ってくれたが、水木の状態について答えられる者はいなかった。これは一度きちんと診てもらった方がいいと話してはいたものの、どこで診てもらうかである。
「一番よいのは妖怪病院じゃ。金はかかるが、あそこの医者は死者でも甦らせると評判でな」
それを聞いた水木がまず思ったのは、死者でも甦らせられるならば死んだ鬼太郎の母親も救えたのでは、という期待と恐れだった。それを見抜いたのか、ゲゲ郎は淡く微笑んで首を横にふった。
「死者というても、体がすべて揃っておることが大前提じゃ。土の中で朽ちた体では無理じゃろう。……この世にはどうにもならぬことがある。それはわしもよく分かっておるよ」
そう言ってからゲゲ郎は、「妻のことを思ってくれてありがとう」と礼を言った。
違う、と喉元まで出かかったのを水木はぐっとこらえた。礼を言われる筋合いなどない。だって今、岩子を甦らせることはできないと聞いて、自分は安堵したのだ。こんな醜い嫉妬心を好いた男に知られたくなかった。
ゲゲ郎は水木の腹にそっと触れた。
「じゃから、この子のためにはわしは何でもしてやりたい。遅いくらいじゃが、しっかり診てもらおう」
鬼太郎が生まれる時には何もできなかった分、強くそう思うのだろう。
水木だって、それに異存はない。自分を選んで宿ってくれた命なのだ。できる限りのことをしたい。
結論としては、水木が休めそうな時に妖怪病院を訪ねるということになった。しかし、そんな時に限って仕事がたてこんでしまい、出張の予定まで入ってしまった。
「ところがだな、出張先は青森だというんだ。仕事の合間に俺一人で行ってくるよ」
夕食を食べながらそう報告すると、ゲゲ郎はいやな顔をした。
「わしも行く」
「お前の分の汽車代がもったいないだろう。俺の分は会社から出るんだ」
不幸中の幸いである。病院代がかかると聞いたばかりだから少しでも金が浮くのはありがたい。水木だって妖怪の世界に片足を突っ込んで長いのだし、ちょっと診てもらうだけなのだから問題ないだろう。
しかし、ゲゲ郎は頑なに首を横に振る。
「お主を一人で行かせるなど、心配でかなわん」
「おい、俺を幾つだと思ってんだ」
「お主など赤子も同然じゃ!それに、……その出張というのは若い娘と行くのか」
水木はあきれてしまった。人を子ども扱いして、その上嫉妬までしているらしい。
「出張なんだからそんなはずないだろう。剥げた子持ちの男の上司とだよ」
「男じゃと!」
ゲゲ郎は声を裏返らせた。
「やはりいかん!枕営業をする気じゃろう!」
「水木さん、まくらえいぎょうってなんですか?」
静かに夕食を食べていた鬼太郎に質問されて、水木は飲んでいた味噌汁を噴きだしそうになった。
「……お前が二十歳を過ぎたら教えてやる。ゲゲ郎もバカなこと言ってないで早く食え。とにかく俺は出張のついでに一人で行ってくる。場所を教えてくれ」
「気を付けて行ってきてくださいね。恐山は寒いでしょうから、暖かくして行った方がいいですよ」
ゲゲ郎はまだ「いやじゃいやじゃ」とうるさかったが、鬼太郎は素直に頷いて水木を労った。これではどちらが子どもか分からない。
ごねるゲゲ郎を何とかなだめすかし、水木は上司とともに青森へ着いた。商談も無事に終え、「温泉にでも行くか」という上司の誘いを「親戚の者に会うので」と断り、水木は一人で恐山までやって来た。
地図をたよりに進んだが、山は昼間と思えないほど暗く、今にも雪が降りだしそうだ。水木はぶるりと身を震わせると、コートの襟を立てて足早に歩いた。
そうしてようやく辿り着いたのは岩山をくりぬいたような建物だった。
「ここが妖怪病院か……」
おどろおどろしい出で立ちに、一瞬、一人で来たことを後悔したが、水木は勇気を振り絞って中に入った。
「この子かあんたか、どちらかしか助からんだろうな」
不気味な医者は眼鏡を光らせながら言った。水木の頭の中は真っ白になった。
「そ、それはどういう……」
「一人しか助けられんということだ。どちらかが死ぬか、どちらも死ぬかだ」
医者は平坦な声で言った。
腹の子供は、幽霊族の血を引くだけあり、強い霊力を持っている。そのため、成長するために親の霊力が必要なのだそうだ。だが水木はもとは人間であるため、霊力の代わりに生命力を子に渡すしかない。
「本来ならあんたはミイラみたいになっとるはずだ。あんたがぴんぴんしておるのは、この子が親の命を奪うまいと、自ら成長をとめておるせいだ。大きくなれば母親の命を奪ってしまうと分かっておるのだ」
思わず水木は視線を落とす。自分の腹に宿った命が、自分を守ってくれていたのだ。
「では……どうすれば」
「堕胎するしかないだろうな。それなら母体のあんたは助かるだろう」
水木はぐっと拳を握った。ゲゲ郎があんなに喜んだ子なのだ。
「それはできない」
「なら、あんたの生命力を渡して産むしかない。それでは足りんなら、父親の方から霊力を分けてもらえ。充分な力が満ちれば子は育つ。それまでにあんたの命がもつかは分からんがな」
「……」
水木は目を閉じた。自分が死ぬか、子供を死なせるか、どちらかの選択肢しかないのか。
医者はそんな水木の様子を見て言った。
「生むというなら止めはせん。あんたの好きにしなさい」
汽車の中で、よほど青い顔をしていたのだろう。上司は心配して「明日は休め」と言ってくれた。その気遣いをありがたく思いながらも、水木は心ここにあらずだった。
家にまっすぐ帰る気にはなれなかった。ゲゲ郎になんと言えばいいのだろう。鬼太郎だってあまり顔には出さないけれど、弟か妹が生まれるのを楽しみにしているのに。
帰る途中、小さな公園があったので、水木はふらりとそこへ立ち寄った。滑り台とブランコがあるだけの小さな公園だ。鬼太郎が小さい頃によく連れてきた。ベンチに腰かけると、ブランコに乗るのを怖がっていた鬼太郎の姿を思い出し、水木は目頭が熱くなるのを感じた。
「お前、俺のことを守ってくれてたのか……」
あの小さかった鬼太郎よりも、もっともっと小さいのに、腹の中で水木を守ろうとしてくれていたのだ。
「いい子だな、ありがとう」
そう言って腹を撫でると、腹の子が蹴ったような気がした。
水木だって死にたいわけではない。ゲゲ郎たちとの平穏な暮らしを愛しく思っているし、鬼太郎が大人になるところを見たい。なによりもゲゲ郎を一人にしたくなかった。子供の命と引き換えに命を落とした彼の妻と同じことをしたら、ゲゲ郎を悲しませてしまう。
だが、それでもーーー水木の心はもう半ば決まっているようなものだった。
「生まれてこい。俺になんか構わず、元気に生まれてくるんだぞ」
そう語りかける水木の目から一筋の涙がこぼれた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.