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桐子
2024-01-07 12:48:47
2403文字
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完全なる飼育⑬
「え
……
?」
目を覚ました水木は、また生きていたのだと安堵しながら病院の天井を見つめた。何故だろう、今日はものがよく見える。何もかもくっきりと見える視界に違和感を覚えながら、ふと自分の手を見る。
水木は目を見開いた。
皺のない、若々しい肌。筋肉のついた腕。呆然としたままその手を見つめていた水木は、ハッとして立ち上がった。少し動いただけで痛んでいた節々も、今はまったく痛くない。備え付けの鏡をのぞきこむと、そこに映っていたのは在りし日の自分だった。
「あ
……
あぁ
……
!」
ぐしゃっと頭を掴むと、艶のある黒髪が手に触れた。その感触も懐かしい。
「そんな
……
どうして
……
!!」
水木はよろめきながら、ふと気配を感じて後ろを振り返った。いつの間にか、病室の薄暗がりにまぎれるようにしてゲゲ郎が立っていた。こんなことができるのはこの男しかいない。水木は男に掴みかかった。
「ゲゲ郎
……
! これはどういうことだ!?」
「
……
すまん、水木」
ゲゲ郎は悲しげに目を伏せると、ぽつりと言った。
「約束を破ったのか」
人間として死なせてほしいと、あっちで待っているからと約束したのに。水木が低くうなるように詰問すると、ゲゲ郎の目からぽろぽろ涙が溢れた。
「どうしても、水木を失いたくなかったのじゃ」
ゲゲ郎は嗚咽を漏らしながら、水木を抱きしめようとした。だが、水木は怒りに震えながら、その身体を押し返した。
「許さない!」
水木は拳を振り上げた。ゲゲ郎は避ける素振りも見せず、その拳を受け止める。ばしん、と乾いた音が響いた。ゲゲ郎は頬を腫らし、唇の端から血を流しながらも、じっと水木を見つめてくる。
「元に戻してくれ」
「無理じゃ。わしの血を飲ませた
……
お主には馴染むと思うておったよ。おかげで屍人にならずにすんだ」
水木はもう一度、無抵抗のゲゲ郎の頬を殴った。殴りながら、水木も泣いていた。許せなかった。勝手に不老不死にされたことよりも、約束を破られたことの方がつらかった。愛する男に、一番信頼しているものに、その信頼を裏切られたのだから。
「俺がどんな思いで覚悟を決めたか、お前には分かってなかったんだな」
「すまぬ。じゃが、わしはどうしても水木を
……
」
「うるさい!お前の声なんか聞きたくない!!二度と口をきくな!」
水木は叫んだ。ゲゲ郎は傷ついたような顔をしたが、こくんと頷いた。
「出て行け」
水木はゲゲ郎を追い払った。涙でぼやけた視界の向こうに、ゲゲ郎の姿が消える。それを確認してから、水木はよろよろとベッドに腰掛けた。もう何も見たくない、何も考えたくない。意識がゆっくりと黒い闇の中に沈んでいくのを感じながら、水木は静かに涙を流し続けた。
鬼太郎が水を汲んできてくれたので、ありがたくそれを頂戴して飲み干すと、ようやく人心地ついた気がした。
「ありがとう」
縁側に並んで座っていると、鬼太郎の見た目が変わらないこともあって、昔に戻ったようだった。だが、あの時からもう随分長い時間がたっている。この子だって、かつて哭倉村へ足を踏み入れた時の自分よりもずっと年上なのだ。
「ここはどこなんだ?」
「ここは彼岸と此岸の境
……
あの世とこの世の間です」
彼岸花が咲き乱れる風景は、確かにこの世のものとは思えない。
「水木さんは、妖怪でも人間でもない中途半端な存在ですから、ここが安全だと思ったんでしょう」
「そうなのか。俺ァてっきり、妖怪になっちまったのかと」
「哭倉村で幽霊族の血を浴びたことがある、と言ってましたよね。だから、水木さんには幽霊族の血が馴染んだんじゃないでしょうか」
ゲゲ郎にもそれが分かっていたのだろう。きっと寝ている水木に血を飲ませたのだ。Mは人間を眠らず飲まず食わずでも戦い続けることのできるようにする血液製剤だった。人間は細胞が古くなり、恒常性を保てなくなるから老いていく。不老不死に近い幽霊族の血は、それを打ち消す効果があるのだろう。だから、幽霊族の血を体に取り入れた水木の体は若返り、そして時を止めてしまった。
「記憶を失っていたのも、その影響でしょう」
人間の体には、幽霊族の血は強すぎる。だから記憶障害という形で弊害が出たのだ。
――――
あるいは、水木が何もかも忘れてしまいたいと願ったからかもしれない。
「そうか」
それきり水木は口を閉ざした。長い沈黙を先に破ったのは、鬼太郎の方だった。
「これからどうしますか?」
丸い目でじっと見つめられ、水木は口を開く。
「俺は死ねるのか」
「
……
水木さんは天寿を全うしてますから、三途の川を渡ることはできると思います」
ああ、あれは三途の川だったのか。ゲゲ郎が必死に引き留めたのは、川を渡れば、永遠に別れることになるからだったのだろう。あの迷子の男の子は母親に呼ばれて、川を渡り現世に戻れたのだろうか。そうだったらいいのにと水木は思った。
「僕は水木さんの味方ですよ」
だから、水木さんの意見を尊重します。鬼太郎はゲゲ郎と同じ顔をしているのに、ゲゲ郎とは正反対のことを言った。この子の方がずっと大人だな、とおかしくなって水木は微笑んだ。
「そうだなあ」
水木は少し考えてから、やがて顔を上げる。
「向こうには、大勢待たせてる。やっぱり行かないとな」
「そうですか」
鬼太郎は淡々とそう頷いたが、どこか寂しげに見えた。
「じゃあ、行きましょう。案内します」
立ち上がった鬼太郎に続いて、水木は歩き出した。
「なあ鬼太郎、手を繋いでもいいか?」
「
……
いいですよ」
鬼太郎の手はひんやりとしていたが、やわらかい。もっと小さな頃と同じ感触だ。もう水木が手をつないでやらなくても、この子は一人でどこへでも行けるのだ。
「大きくなったなあ」
「はい」
それから二人は無言で歩いた。風もないのに赤い彼岸花が揺れ、ざわめく音だけが聞こえていた。
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