桐子
2024-01-07 00:03:59
3055文字
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完全なる飼育⑫


――――そう、始まりは、桜が散るあの月夜からだった。


哭倉村から生還した水木は記憶を失い、それでもかすかに、背の高い着流しの男のことを覚えていた。墓場で拾った不気味な赤ん坊を育てようと決めたのも、その男が愛し、繋いだ命だと思うと無碍には出来なかったからだ。赤ん坊はすくすくと成長し、小学生になった。水木の母親が亡くなったのもその頃で、水木は鬼太郎の存在に随分慰められたものだった。
ゲゲ郎が現れたのは、母が亡くなってしばらくしてからだった。水木や、と親しげに笑いかけてくる男に見覚えはなかったものの、鬼太郎の実の父親であることは一目瞭然だった。
「鬼太郎を育ててくれて、感謝しておるよ。ありがとう」
男は、水木と鬼太郎に何もかも話してくれた。自分が幽霊族であること、鬼太郎を産んだ母親のこと。水木は驚いた。あの包帯まみれの不気味な男が目の前の男だとはにわかには信じがたかった。だが、鬼太郎が普通の子どもとは違うことはなんとなく分かっていたし、男の話には納得がいった。
……鬼太郎を連れていくのか」
「ああ。わしの子だからのう」
じゃが、と男はやわらかく笑った。
「鬼太郎はずいぶんと水木になついておるようじゃ。どうする、鬼太郎?」
「僕は、水木さんといたい。でも、父さんともいたい」
鬼太郎は大きな片目でじっと水木と男を見つめた。母親が亡くなり、鬼太郎までいなくなったら……と考えていた水木はホッとした。
「それなら、あんたもここに住めばいい」
「本当か!」
男は嬉しそうに笑い、何度も水木に礼を言った。そうして、彼らは家族になったのだった。父親が2人に子どもが1人といういびつな形ではあったが、水木と男と鬼太郎はとても幸せだった。
ともに暮らし始めてから、哭倉村での記憶も少しずつ蘇ってきた。
「ゲゲ郎」
そう呼んだ時のゲゲ郎の顔を覚えている。嬉しそうに泣きながら「水木ぃ~!」と抱きつかれ、二人して泣いてしまった。それを鬼太郎が不思議そうに見ながら「父さんたち、どうして泣いてるんですか?」とたずねてきたので、水木とゲゲ郎はおかしくなって声をあげて笑ったのだった。
同じ死地をくぐった相棒で、ともに子育てをする家族。そこにもう一つ、恋情を抱くようになってしまったのはいつからだったか。
最初は水木だって伝えるつもりはなかった。妻を心から愛している男だ。そういうところが好きになった。だからこの思いは墓場まで持って行くつもりだったのだ。
「お主が好きじゃ……他の人間には渡しとうない」
ゲゲ郎もまた同じ気持ちだと知って、嬉しいと思うより先に、戸惑いの方が大きかった。
「俺とお前はただの相棒だろ」
「そうじゃよ。水木は相棒で、家族で、かけがえのない存在じゃ」
だが、と彼は続けた。
「わしは、どうしようもないくらいお主に惚れておる」
聞いたことのない甘い声に、心臓がどきどきと煩いほどに鼓動を刻む。
「お前、には、奥さんが……
「妻のことは愛しておる。今でも変わらずな。だが、水木のことだって愛しておるのじゃ」
お主は、と問われて水木は俯いた。ずっと考えないようにしてきた。ゲゲ郎のことが好きだからこそ、彼の気持ちに応えられないと思った。
「お主は優しいから、きっと岩子のことを思って答えられんじゃろう。だがな、水木。わしはどんなに時間がかかっても、必ずお主を口説き落とすぞ。わしは待つのは得意なんじゃ」
ゲゲ郎が、胸を張ってそう言うのでつい吹き出してしまう。
「何で笑うのじゃ!?」
「いや、すまんすまん」
「わしは真剣に言っておるというのに」
「分かってるさ。分かってる……俺もお前が好きだから」
ざぁっと風が吹いた。月の光に白く浮かび上がった桜の花びらが、ちらちらと舞い落ちる。ここが墓場だということに目をつむれば、まるで夢のような美しい光景だった。
「わしと一緒になってくれるのか」
「俺でよければ」
「水木だからいいのじゃ」
ゲゲ郎が嬉しそうに微笑んだ。それがあまりに綺麗で見蕩れてしまった。
――――あれが始まりだった。


「桜が綺麗だな」
窓の外には桜が満開だった。あれから幾度春が過ぎただろう。自分の腕はすっかりしわくちゃで細くなってしまった。
「風が冷たいぞ。これを羽織っておれ」
ゲゲ郎が優しく肩に半纏をかけてくれた。彼は相変わらず若く美しいままだ。看護婦たちにももてるらしい。ゲゲ郎は水木以外の人間には関心がないようだが。
「家で作ってきた。少し食べぬか」
そう言って取りだされたのは肉じゃがだ。水木の母の得意料理で、その味を水木が受け継ぎ、ゲゲ郎にも伝授した。あまり腹は減っていなかったが、少しだけ食べることにした。
「美味いか?」
「ああ、うまい。ゲゲ郎、また料理の腕を上げたな」
「そうかそうか。さ、もう少し」
にこにこ笑いながらゲゲ郎に勧められたが、もう十分だ。水木が首を横に振ると、ゲゲ郎は少し気落ちした様子を見せたが、すぐにそれを取り繕った。
「本当は天狗の酒も持ってきたかったんじゃが、鬼太郎に止められての。退院してからのお楽しみじゃ」
「ははっ、そりゃ鬼太郎が正しい。ここでこそこそ飲むより、花見でもしながら飲んだ方がうまいからな」
水木は笑ったが、そんな時が来ないことは自分自身が一番よく分かっていた。自分に残された時間は、もうほとんどないだろう。最近では目が覚めるたびに、ああ、まだ生きていたと安堵するくらいなのだ。
「水木……
ゲゲ郎は不意に、くしゃっと顔をゆがめた。終わりの時間が近いことを彼もまた理解しているのだ。ゲゲ郎は涙をこらえながら、水木の手をぎゅっと握ってきた。
「頼む。どうか……わしを置いて逝かないでくれ」
震える声に水木は何も言わず、そっと握り返した。
「言ったろ? 俺は人間として死ぬ。そうさせてくれ」
二人の間で何度も繰り返してきた会話だった。ゲゲ郎は嫌だというように首を振る。
「水木を失うなど、わしには耐えられん」
とうとう、ゲゲ郎は泣き出した。おいおいと突っ伏して泣かれて、水木は痛む節々にむち打ちながらその背中を撫でる。
「なぁ……ゲゲ郎。俺は充分生きたよ。お前と鬼太郎と過ごして幸せだった。これ以上を望んだら罰が当たる」
「わしはもっと一緒にいたいのじゃ!」
「俺だってそうだ。けど、お前は幽霊族で、俺は人間だ。いずれ別れはくる。それは最初から覚悟していたはずだ」
一緒になると決めた時から、水木はゲゲ郎にそう言い聞かせてきた。自分は人間として天寿を全うするつもりだと。自分ばかりが長い時を生きるなど、若くして死んでいった仲間達への裏切りだから、と。
「あの世で岩子さんといっしょに、お前のこと待っててやるから」
だからできるだけゆっくり来いよ、と水木が笑うとゲゲ郎はしばらく黙り込んだ。そして、やがて諦めたのか、小さく息をつく。
「分かった」
「約束してくれ」
……約束する」
泣きはらした目をして小さく頷くゲゲ郎は、幼い子どものような口ぶりで言った。水木はその頭をよしよし、と撫でる。残していくゲゲ郎のことが心配ではあったが、愛する妻を亡くしても立ち直ったのだ。水木がいなくなっても、きっとまた他の誰かを愛する時がきっとくるだろう。それにゲゲ郎には愛する息子もいる。
「ありがとう、ゲゲ郎。お前と出会えて幸せな一生だった」
満ち足りた気持ちで、水木は微笑んだ。

――――だが、ゲゲ郎は諦めていなかったのだ。