桐子
2024-01-06 22:06:52
1446文字
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完全なる飼育⑪(父水)


洗濯物を干し終えた水木は、ごそごそと懐を探った。出てきたのは煙草の空き箱で、そういえば最後の一本を吸ってしまったのだったと思い出す。仕方がない。ゲゲ郎にねだってみるか、ネズミ男に駄賃を渡して買ってきてもらおう。まあ、最近はあまり口寂しさを感じることはないのだが……つい、今朝も口付けられたことを思い出してしまい、水木は慌てて頭を振って邪念を追い払おうとした。

カア カア

ふと頭上を見上げると、烏が二、三羽屋根の上に止まっていた。ここで烏を見るのは初めてだ。じっとこちらを見られている気がして落ち着かなくなり、水木は視線を逸らすと家の中に戻った。
家のことをしながら、早くゲゲ郎が帰らないものかと、つい玄関に視線を向けてしまう。この家の外で何をしているのか、相変わらずゲゲ郎は口を開かないので水木は何も知らない。それでもよかった。ゲゲ郎はいつもちゃんとここへ帰ってきて、風呂に入ったり水木の作った食事をおいしそうに食べたり、肌を重ねたりする。ただそれだけのことが、とても幸せなのだから。

――――時々、これでいいのかと思う時もある。もう一人の自分が『こんなのはまかやしだ』と囁いているのだ。男に囲われ閉じ込められて本当に幸せなのか、と。それに、未だに悪夢を見て飛び起きるときもある。戦地の夢、仲間も敵も死んでいく夢、ひもじくて木の根をかじる夢、山深い村の中で、恐ろしい陰謀に巻き込まれる夢――――

……だめだ!」
水木はぱんっと自分の両頬を叩き、気合いを入れた。考えても仕方ないことは考えない。とにかく今はゲゲ郎のことだけを考えよう。
「よし!」
水木は再び外へ出ると、家の周りを箒で掃くことにした。屋根の上を見ると、烏はいなくなっている。安堵した水木は、ほうきを取ろうと納屋に行きかけた。

カラン、コロン。

聞き慣れた下駄の音に、水木は頬をほころばせた。今日は随分と帰るのが早い。
「おかえり、げげろ……
振り向いた先にいたのは、ゲゲ郎ではなかった。黒と黄色のちゃんちゃんこに学生服を着た、小学生くらいの子どもだった。片目を隠した髪型といい、顔立ちといい、ゲゲ郎にそっくりだ。
水木は少年を凝視した。ズキズキと頭が痛む。
――――知っている。
水木は、この少年を知っていた。当たり前だ。この子は自分が我が子のように育てていたのだから。
「烏たちが教えてくれました。ずっと探していたんです」
彼は開口一番そう言った。無表情だが、声にはどことなく心配そうな響きがある。きっと水木のことを心から案じて、探し回ってくれていたのだろう。この子は優しい子だ。

「鬼太郎……

水木はがくんと膝を折ると、地面に両手をついた。
「大丈夫ですか?」
「うっ……うぅっ……!」
水木は嗚咽を漏らした。堪えきれずに涙が溢れ出てくる。腹の奥から、熱いものが込み上げてくる。耐えきれず、水木は嘔吐した。身体の中に入ったものを全て吐き出してしまいたかった。
「水木さん!」
鬼太郎は驚いて水木に駆け寄ると、小さな手で背中をさすってくれた。
「すまん……すまん、鬼太郎、俺は……!」
どうして忘れていたのだろう。こんな大切なことを。大事な鬼太郎のことも、これまでのことも、ゲゲ郎を憎んでいたことも全て。
「俺は……っ」
「いいです、もう何も言わなくっても」
聡い子だ。きっと全て分かっているのだろう。嘔吐きながら、水木は思い出していた。


――――そう、始まりは、桜が散るあの月夜からだった。