桐子
2023-12-30 20:24:37
1767文字
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完成なる飼育⑥(父水)


いつもとは違う足音が聞こえて、水木は階段の方を見た。
「兄さん、飯持ってきたぜ」
現れたのはねずみ顔の男だった。灰色とも黄土色ともつかない一枚布の服を着て、やけに愛想のいい笑みを浮かべている。
「あんた誰だ」
「へへっ、親父さんに口止めされてるからオレからは何も言えねえな。ほら」
ほら、と言って男が牢屋の中へ寄越したのは菓子パンだった。やけにたくさんある。
「何日か来られないかもしれないって言ってたからな。とりあえず三日分だ」
「『親父さん』ってのはあの白髪の男のことか」
「まあ、そういうことだな。じゃあな」
男は来たときと同じように軽い足取りで去りかけた。その背中に向かって水木は慌てて声をかけた。
「頼む、ここから出してくれ」
「やだね。オレが親父さんに叱られる」
「それなら少しでいい、話し相手になってくれないか。ほら、あんたも一つどうだ?」
あんパンを座敷牢の隙間から差し出すと、ねずみ顔の男は少し考えたあと、ひょいと手を伸ばしてあんパンを手に取った。
「しょうがねえな。親父さんには黙ってろよ」
男はぱくりとあんパンにかぶりつくと、もふもふと食べ始めた。水木もそれに倣って菓子パンをかじる。
「あんた名前は?」
「他からはねずみ男って呼ばれてる」
あだ名か何かだろうか、確かにねずみ顔の男にはぴったりな呼び方だ。
「なら、ねずみ男さんは『親父さん』とはどんな関係なんだ?」
「別に、どんな関係でもねえよ。ま、今回は礼をもらってるからあんたに飯を持ってきてやったってわけだ」
そう言って、彼ははビニールをくしゃくしゃと丸め、今度はメロンパンに手を出した。どうやらこの男は金で雇われて、ここの見張りと水木の食事の用意をしているようだった。
「『親父さん』は俺をどうしたいんだと思う?」
水木の問い掛けに、ねずみ男はパンをかじりながらじっとこちらを見つめた。何を考えているのかわからない不気味な目だ。
……あんた、それを知ってどうすんだ」
「こんな所に閉じ込められてるんだ。知りたいと思って当然だろう」
少しの間考え込んだ後、男は小さな声で言った。
「本当にすっかり忘れちまってるんだな……
「何か言ったか?」
「悪いこたぁ言わねぇ。ここから逃げ出そうなんて考えるなよ」
ねずみ男はメロンパンを食べ終わると、立ち上がって出口の方へ向かった。
「考えてみりゃあんたも哀れなもんだな。次があるとしたらタバコでも差し入れてやるよ」
じゃ、と言ってねずみ男はそそくさと帰っていった。




(ばかものーっ!戦争だというのに理屈ばかりこねおって!)
(これから全員玉砕する)
(殺せ……俺を殺せ……!!)


………っ!!」


水木はカッと目を見開いた。身体中に嫌な汗をかいている。心臓がドキドキと脈打っていて、呼吸も荒い。ひどく嫌な夢を見ていた。細かいところは思い出せないが、人が死ぬ夢、自分が死ぬ夢だった。左肩がひどく痛む気がして手を当てようとしたが、その前に後ろから伸びてきた白い腕が水木の身体を抱き寄せた。
……ゲゲ郎……?」
いつの間にここへ来たのか、男はいつものように、水木の体を後ろから抱き締めるようにして横になっていた。
振り向くと、ゲゲ郎が心配そうな顔でこちらを見つめていた。そして、左肩のあたりをそうっと撫でてきた。
「いや……痛くはないんだ……
だから大丈夫だと笑顔を取り繕ってみせたが、ゲゲ郎はなおも痛ましげな視線を水木に向けている。
「大丈夫だから……もう寝ようぜ」
そう言って目を閉じ、眠ろうとすると、ふいに頭にふわりと手が乗せられた。ゲゲ郎は大きな手でゆっくりと頭から左目のあたりを撫でていた。その手つきの優しさに急に泣き出しそうになったが、ぐっとこらえた。
こんな風に誰かに頭を撫でてもらうのはいつぶりだろう。自分は日本男児で、成人なのだから、痛みや苦しみに耐えることが普通なのだと思っていた。
でも、本当はこんな風に誰かに頭を撫でてほしかった。優しくしてほしかった。痛みや苦しみを分かってほしかった。

……ありがとな」

小さく呟くと、頭の上でゲゲ郎が身じろいだ気配がした。何を言ったのか聞き返されるかと思ったが、彼は何も言わずにただ水木の頭をゆっくりと撫でているだけだった。