桐子
2023-12-17 22:18:06
2942文字
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完全なる飼育②【父水】


「嘘だろ……
信じられないことに水木はすっかり熟睡していた。男が寝息を立て始めてしばらくは、油断してなるものかと気を張っていたが、いつの間にか寝入っていたようだ。あの怪しげな男の姿はなく、拘束されていた手も自由になっている。座敷牢に取り残された水木は、ボリボリと頭をかいた。
「夢だったのか?」
いや、そんなはずはない。水木は口許に手をやった。あの、男の冷たい手の感触が残っている。何より、この牢獄のような部屋に閉じ込めらている現状がその証拠だ。
(夢じゃないなら何だっていうんだ?)
水木が考え込んでいると、階段を上がってくる下駄の音が聞こえた。緊張しながら階段の方へ顔を向けると、昨日の白髪頭の男の顔が見えた。男は昨日と同じようなのっそりとした様子で牢の前までくると、持っていた盆を置いた。盆にはご飯やみそ汁、焼き魚が載っていた。食事を目にした途端、正直な腹がぐう、と音を立てた。
男は盆を座敷牢の中へ寄越してきた。「食べろ」ということらしい。水木は恐る恐る箸をとり、一口みそ汁をすすってみた。
(普通のみそ汁だ)
毒が入っている様子もなく、普通に美味しい。水木は男を警戒しながらも、腹を満たすために夢中で箸を動かした。あっという間に食べ終わると、男は再び盆を引き取った。空になった食器を見て満足そうな顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
「なあ……俺はどうしてここに入れられてるんだ?出してくれないか?」
水木の問いかけに男は反応しない。
「頼むよ。俺、何もしてないんだぞ」
なおも男は何も答えない。水木は段々と腹が立ってきた。この謎の男の意図がつかめないことが不気味でならなかった。
「おい、聞いてんのか!」
男が顔を上げた。目と目が合う。ぎょろりとした目に自分が映っているのが見え、水木はたじろいだ。不気味な男だ。
「あんた、一体何者なんだ?」
男は口を開いて何か言いかけたが、止めた。そして、空の食器を載せた盆を手に、再び階段を上がっていってしまった。
「くそ、何なんだよ」
水木は立ち上がり、格子を叩いた。鈍い音がするだけでびくともしない。
改めて座敷牢の中を見回したが、畳が敷かれた六畳ほどの狭い部屋には、布団以外のものは何もない。錠は金属で出来た丈夫なもので、素人の水木が開けることは難しそうだ。格子の向こうには階段があり、ここは一階か半地下のようなものだと分かる。上の方に小窓がついているが、明かり取りのためのものらしく、あそこをくぐり抜けるのも無理だろう。
「誰かいないかー?」
大声で呼んでみるが、返事はなかった。
「おーい! 誰か!」
しばらくそうやって叫んでみたが、反応はない。人里離れた場所なのかもしれない。薄明るい光は、今が朝方なのか夕方なのか、それさえも見当がつかず、水木は諦めてその場に座り込んだ。
今できることは、体力を温存しておくことだけだ。食事まで出されるのだから、とりあえずすぐに命を取られることはないだろう。機会はあるはずだ。水木は横になり、布団に頭を押し付けた。


――――っ!!」
声にならない声をあげて、水木は飛び起きた。全身に嫌な汗をかいている。心臓が激しく鼓動を打ち、息苦しさに左胸を押さえた。
(夢か……
水木はほっとして、額の汗を拭った。ひどい悪夢だった。内容は覚えていないが、とても恐ろしい思いをしたことだけははっきりと記憶に残っている。水木は、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
(あれは現実じゃない)
いつものように、そう自分に言い聞かせる。そしてもう一度目を閉じようとして、ぎょっとした。後ろから抱きしめるようにして回された白い腕が目に入ったのだ。
隣にあの男が寝ている。水木はまた叫びそうになるのを必死で堪えた。いつの間に忍び込んできたのだろう。全く気がつかなかった。男は眠っているようで、規則正しい寝息を立てている。
男は水木に抱きついたまま離れようとしなかった。腕を解こうとしたが、寝ているくせに力が強く、どうにもならない。
仕方なく、そのまま水木は寝ることにした。きっと逃げ出す機会はあるはずだ。諦めが悪いのが自分のとりえなのだから。――――それに、自分以外の誰かの体温を感じながら眠るなんて、久しくなかったことだ。それがこんな得体の知れない相手でも、案外悪くはないと思った。


男は日に二度、食事をもってやって来た。
水木は出されたものは文句を言わずに食べた。排泄については、部屋の隅に置かれた壺を使うように言われていた。最初は抵抗があったが、今では慣れてしまった。人間とは不思議なものだ。
男は相変わらず何を考えているのか分からないが、危害を加えるつもりはないらしい。食事を与えに来る時以外は、水木が座敷牢の中で大人しくしていることを確認すると、どこかへ行ってしまう。
数日たってから、水木は思いきって男に頼んでみた。
「なあ、水と手ぬぐいをくれ。体を拭きたいんだ」
男は水木の言葉を聞くと、ぎょろりとした目をぱちくりさせ、無言で部屋を出ていった。しばらくして戻ってくると、手には何も持っていなかった。さすがにこんな我がままは聞いてはもらえないかと思っていると、男が錠を開け、中へ入ってきた。
「なんだよ……
男は水木の手を取り、両手にぐるぐると組紐のようなものを巻き付け始めた。
……
手をすっかり拘束されてしまうと、無言で顎をしゃくられた。ついてこいという意味だと察して大人しく階段を上がる。連れて来られたのは風呂場だった。まさか風呂に入れるとは思わなかった。ちらと男の方を見ると、じっとこちらを見下ろしている。さすがに一人にしてくれるわけではないようだ。
「おい、これじゃ脱げないぞ」
ズボンはまだしも、腕を縛られたままではシャツを脱げない。そう訴えると、男は少し考えてから、シャツをビリッと破いてしまった。
「おい!」
抗議したが、既に水木のシャツは男の手の中で無残なぼろ切れになっている。仕方がない。水木は諦めて、手首を拘束されたまま苦労して全裸になると、浴槽に張ってある湯に浸かった。
「ふう」
思わず声が出る。何日ぶりの湯だろうか。熱い湯につかると、全身の筋肉が弛緩していくような感じがして心地良かった。しばらく湯に浸かってそろそろ上がろうかと浴槽を出たところで、男が前に立ちはだかった。
「何だよ」
彼は水木を洗い場に座らせると、問答無用で背中を流してきた。大きな手で頭をわしゃわしゃと洗われると、何とも言えない気分になる。
「止めろ」
そう言っても、男は止めようとしない。髪が終わると、今度は石鹸を泡立てて全身を洗い始めた。性的な作為があるというよりは、犬猫を洗うような感覚だった。水木は黙ってされるままになっていた。やがて、湯涌で泡と汚れを流されると、ようやく解放された。
男は水木に新しい下着と浴衣を着せ、帯を結んだ。これでいいという風に男が満足そうな顔をしたので、水木は戸惑った。
「ありがとう」
礼を言うのはおかしい気もしたが、一応そう言った。すると、男は驚いた顔をした。そういう顔をすると、いくらか可愛げのある容貌をしているように見えた。