桐子
2021-06-20 23:11:31
5555文字
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完全なる飼育 宝島情夜①

モ氷♀監禁もの。

ぱしゃん。
近くで水音が聞こえて、目を開ける。
まず目に入ったのは、自分の膝だった。そして太股、腕。腰のあたりまで生ぬるい水につかっているけれど、自宅の風呂にしては随分水位が低い上にひどく狭い。よくよく見ると、大きなたらいのようなものに浸かっている。
……?」
なぜ、たらいの中に入っているのか訳が分からず、あたりを見回す。
農機具や粗く編まれたかご、水瓶、掃除用具が、小さな部屋の中にごちゃごちゃと並んでいる。田舎の納屋の中のような、知らない風景だった。
どうしてこんな所でお風呂に入っているのか、まだぼんやりした頭で思い出そうとしてみたものの、もやがかかったように思い出せない。
ばしゃっ。
頭から温かいお湯をかけられて、氷月はびくっと体を震わせた。ぽたぽたと髪の先から落ちるしずくもそのままに、お湯をかけられた方を向く。
「なっ……!!」
そこには男が立っていた。浅黒く日焼けした肌とドレッドヘア。見覚えのない人物に、氷月は目を丸くした。
「だ、誰ですか!?」
咄嗟に胸元を隠して、男を睨み付ける。自分にお湯をかけたということは、ここへ連れてきて風呂に入れているのはこの男なのだろう。
はっきりと思い出せないが、誘拐されたのかもしれない。氷月の家は由緒ある家系で、古くから伝わる道場を運営している。実際、経営状態は悪く家は落ちぶれていく一方で財産なんてほとんどないのだが、外からはそんなこと分かるはずもない。
金目当ての誘拐か、あるいは――――氷月の脳裏に、ちらりと別の理由がよぎる。
「何が目的です」
鋭く問い詰める声にも、男は反応しない。まさか、言葉が通じないのか、と氷月は思い当たった。男は彫りの深い、日本人離れした顔立ちをしている。メイクなのか入れ墨なのか分からないが、顔に入った模様も、より一層、彼を浮世離れした存在に思わせた。
男はじろりと氷月のことを見下ろすと、胸元を隠している腕を掴み、引っ張り上げて立たせた。
「離しなさいッ!」
見ず知らずの男に触れられる嫌悪に肌を粟立たせながら、氷月は抵抗しようとした。金目当ての誘拐でないなら、目的は氷月自身なのかもしれない。背ばかり高くて貧相な体つきをしているとはいえ、女であることにかわりはない。
しかし、どれだけ暴れても、たくましい腕はびくともしなかった。半裸の男の上半身は鍛えてあり、実戦向けの体つきをしている。女の細腕ではかないっこない。武道家としての氷月は冷静にそう判断したが、抵抗を諦めたわけではない。
こんな男、管槍さえあれば殺してやるのに。
ギラギラとした目で男を睨むと、彼は腕を放してくれた。体を隠すように立っていると、ふわりと布をかけてくれた。薄いけれど肌触りがいい。麻か綿の大きな布だ。それで氷月をすっぽり覆い隠すと、布の上からぽんぽんと体を拭かれた。ただ体を拭く以外の作為など感じられない手つきだ。
……?」
氷月は不審に思い、男の顔をまじまじと見た。
背の高い氷月より更に上背がある。顔の不思議な模様のせいでよく分からなかったが、端正な顔立ちをしていて、どう見ても場末のチンピラか薬の売人にしか見えない。これから氷月を犯してやろうという、興奮や欲情をあらわにした表情もしていない。
では、一体なんのために?
混乱しているうちに、体を拭き終わった男が、机の上にある布を指さした。
……これを着ろということですか?」
元々自分が身につけていたものではないのは明らかだ。でも、このまま裸でいるのはまずい。男がいつその気になるか分からない上に、逃げるにしても裸では何かと不利だ。氷月は警戒しながら、服に手を伸ばした。用意されていたのはトレーナーと短パンだけだ。下着は、と思って男を見たが他には何もない。仕方なく、素肌の上からそれらを身につける。氷月が着替えている間、男はずっと氷月のことを見ていた。逃げ出さないように見張っているのだろう。
服は男のものなのか、氷月には大きかった。肩の辺りがゆるいせいで、鎖骨が丸見えだ。その分丈が長く、お尻まですっぽり覆い隠して、短いワンピースのようになっている。
服を身につけると、男は氷月の手を引っ張った。別の部屋に連れていかれるらしい。
連れて行かれた先には、粗末な椅子と机、ベッドがあった。そこに乱暴に投げ出されて、一瞬息がつまる。その間に男は、氷月の手足を拘束した。
再び、恐怖が蘇る。
「や、やめなさい……っ!!」
縛られながらそう叫ぶと、今度は猿ぐつわをはめられた。くぐもった声をもらして抗議するが、男はきつく縛った手足を見下ろして満足そうにしている。
――――犯される。
氷月は覚悟して目を閉じた。こんな男に自分の処女を奪われるのかと思うと、絶望で目の前が暗くなった。
――――でも、ただではすまさない。舌でも何でも噛みきってやる。
そんな物騒なことを考えていると知ってか知らずか、男は部屋の灯りを消して、氷月の隣に寝ころんだ。すぐ後ろに人の気配を感じて、身を強ばらせる。男は、横たわった氷月の胸の下に後ろから腕を回して抱きしめてきた。背中に男の息づかいや体温を感じて、何をされるのかと緊張で身体を強ばらせた氷月だったが、男は抱きしめただけで、何もしなかった。
しばらくすると、すうすうと寝息が聞こえてきた。
後ろから聞こえてくる寝息を聞きながら、氷月は混乱していた。
誘拐され、風呂に入れられ、拘束された上に抱きしめられている。この男が何をしたいのか、さっぱり分からない。身代金目当ての誘拐か、変質者の類なのか。もしかすると、これから自分は殺されようとしているのかもしれない。
けれど、考えても仕方ないので、氷月は考えるのを止めて目を閉じた。今できることは、少しでも体力を温存して、逃げ出す準備をすることだ。
結局、その夜は神経を張り詰めたまま、眠れない夜を過ごした。

■■■

眩しい光が差し込んできて、氷月は目を開けた。ベッドのすぐ上に窓があるらしく、そこから日差しが入っているのだ。
男は一晩中、氷月のことを抱きしめていた。首筋に息がかかるのが居心地悪くて身じろぎする度に、抱きしめ直された。いたたまれない。
しばらくすると、男は目が覚めたらしく、氷月から体を離して起き上がった。慌てて目を閉じ、寝たふりでやり過ごす。
頬のあたりに視線を感じる。見つめられているのだということは、痛いくらいの視線で分かった。そのうちに、かさついた指先が頬に触れた。前髪を梳き、横に流して頬にかかった髪を払われた。優しい手つきには性的な作為は感じられない。
まるで、大事なものに触れるような。
そう考えた氷月は、慌ててその考えを打ち消した。大事なものを閉じ込め、拘束するはずがない。
男は名残惜しそうに氷月のことを見つめていたが、しばらくすると猿ぐつわだけ外し、ベッドから立ち上がった。
どこかへ出かけるつもりだろうか。氷月は息を殺して様子をうかがっていた。
男は足音を立てて外へ出て行くと、扉を開けた。ガチャン、と鈍い音を立てたのは錠前だろう。氷月を閉じ込める意志は変わらないようだ。
しばらくそのまま横たわり、男が戻ってこないことを確かめると、氷月はおそるおそる起き上がった。
改めて部屋を眺めてみると、随分狭い部屋だった。置かれている調度品や家具は、どれも藤や木材で統一されていて、どことなく南国のリゾート風だ。
いや、あたりを見ている時間はない。それよりも逃げ出すのが先だ。
氷月は拘束されている手を動かした。幸い、手錠などではなく縄のようなもので縛られているらしい。何度も引っ張っているうちに、縄が緩んでほどけた。長時間後ろ手に縛られていたせいですっかり痺れてしまったが、怪我はない。続いて、足の縄をほどく。すっかり自由になった氷月は、チャンスだと思って扉に向かったが、鍵がかけられていてびくともしない。窓は、と見てみると鍵はかかっていないが、木の格子がしつらえられていて、とてもではないが逃げ出せそうにはなかった。
「そう簡単にはいきませんか」
やはり、自分を閉じ込めた人物は自分を逃がすつもりはないようだ。一体これから自分はどうなるのか、氷月は沈んだ気持ちで考えた。
警察が捜査して見つけてくれるまでに、無事でいられる保証などない。そもそも、ここがどこなのか、どうしてこんな場所にいるのか、記憶がすっぽり抜け落ちている。思い出せないことがあるというだけで、立っている地面が不安定にぐらつくような心細さを感じる。
それでも、まだここで死ぬわけにはいかない。自分には使命がある。尾張管流槍術を後の世に伝えるために、次世代を育てること。そして武道家として、より高みを目指すこと。そして、女だからと自分を馬鹿にした人間を見返してやること。

(今頃、兄弟子たちは大喜びしているでしょうね)

自嘲気味に笑って、氷月はごろんとベッドに横になった。
両親でさえ心配してくれているかあやしいものだ。あの人たちは自分の体裁を繕うことばかりに必死で、氷月の気持ちなど少しも考えてくれたことがない。槍術の稽古ばかりしてきたせいで、友人もいない。
一体いつ頃からだろう。幼い頃はもう少し、うまくやれていた気がするのだが、いつからか、同年代の友人達は氷月を特別視し始めた。あいつは道場の子どもだから、遊んでもつまらない。だから自分たちとは違うのだと───彼らは離れていった。
それを辛いとは思わない。武の道を極めるために、友人なんて必要ない。体裁ばかり気にする両親もいらない。氷月は今までもこれからも、一人で生きていく。
――――ただ、少し寂しいと思うだけだ。こんなとき、心の底から「助けて」と言える相手が一人もいないことを。
氷月は首を横に振った。考えても仕方のないことだ。
何をしてでも生きて帰る。それが、今、考えるべきことだろう。逃げ場がなく、相手の目的も分からない。ならば、取るべき道は一つである。
自分を閉じ込めた相手を叩きのめして、ここから逃げることである。それしか方法がないなら、時が来るまでじたばたする必要はないだろう。そう判断した氷月は、ベッドに横になった。することがないなら眠るしかない。
昨晩一睡もできなかったせいか、いつの間にか氷月は、自分でも驚くほど深い眠りに落ちていた。
次に目が覚めたのは、扉の向こうで小さな物音が聞こえた時だった。かつ、かつ、という規則的な音は、足音らしい。部屋の中は既に薄暗く、日が落ちている。
きた、と氷月は身を起こした。扉一枚隔てた向こうに、自分を監禁した犯人がいる。
ガチャガチャと鍵を外す音がして、男が部屋に入ってくる。
……
警戒を露わにしてベッドの端に座っている氷月を見て、男はれやれというように小さく息をはいた。持っていた袋の中から、二つの包みを取り出して卓上に並べる。香ばしいにおいから察するに、弁当のようだった。
昨夜から何も食べていない氷月の胃は、素直に持ち主に空腹を訴えた。男は弁当を広げ、椅子に座っている。男を睨み付けていると、彼はこちらに笑いかけてきた。見た目はチンピラのようなのに、笑うと人なつっこい印象になる。二つある椅子のうちの片方を指さしたのは、座るように勧めているのだろう。
氷月は警戒していた。この食べ物の中に毒や薬が仕込まれているかもしれないのだから、何も口にするつもりはない。
一向に近付いてこない氷月を見て、男はため息をついた。そして手を合わせてから、弁当を食べ始めた。意外にも箸の使い方がちゃんとしている。
食事を終えると、男は無駄になってしまった弁当にちらりと目をやってから、素焼きのカップを持ってきた。
ずい、と差し出されたカップの中には、水らしきものが入っている。これだけでも飲めということだろうか。
(お断りだ)
氷月は顔をそらした。男はあきれたように肩をすくめてから、一口飲んで見せた。毒は入っていないと言いたいらしい。口元にまで運んでくれたけれど、それでも水を飲もうとしない氷月にしばらくするとしびれを切らし、机の上に置いた。
(怒らせた……?)
あまり可愛げのない態度をとって逆上させるのはまずい。そう気付いたのと、男が無言で氷月の腕を掴んだのはほとんど同時だった。驚くほど強い力で引っ張られ、足がもつれそうになる。
「何を……!」
相手の引っ張る力が強くてどうにも逃げられない。再びベッドに突き飛ばされ、氷月は身を強ばらせた。男は、氷月の隣に寝そべった。後ろから腕が伸びてきて、きつく抱きしめられる。
「離しなさい!」
どうにか腕の中から逃げようと暴れたけれど、男はがっちりと氷月の身体を抱き込んでいて、抜け出せない。今度こそ犯される。
「離せ!!」
あまりにも激しく氷月が暴れるせいだろう。男は細い手首をひとまとめにして、後ろ手に縛ってしまった。足を縛り、猿ぐつわをはめ、そうして氷月が静かになると、満足したようにまた後ろから抱きかかえた。
そのうち背後が静かになったので、彼は眠ったのだろう。
氷月は頭を抱えたくなった。わけの分からない男に閉じ込められ、ここがどこかも分からず、目的も分からない。その上、男に抱きしめられて眠るなんてありえない。そのうち諦めて、氷月は抱きしめられるままに身体の力を抜いた。
たくましい腕の感触が、肌に妙に馴染む。その感触から、昨夜のことを思い出した。昨夜も彼に、こうして抱きしめられていた。
(私は、抱き枕か何かの代わりなのか)
よほど抱き心地がいいのだろうか。抱きしめるならぬいぐるみでも何でも代わりにしてほしい、と溜息をついた。