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きなこ湯
2024-06-16 15:54:09
4839文字
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綺羅星の余命
フロストハイム同行任務後、報告書を提出しに来た特待生とダンテ先生が問答する話。
episode1読了前提です。特定のCP要素は含みませんが、グール生徒×特待生と同じ製造ラインで作られています。また、捏造・拡大解釈を多分に含みます。
「機関による規則の追加・改定は、ここ10年で倍以上に増加した。なぜだと思う?」
唐突な問いかけだった。答えが浮かばず制服の裾を握り込むと、ダンテ先生はそれを咎めるでもなく静かに目を伏せた。
「非科学的技術の研究者はみな世の中から秘匿されている。我々の技術、生態、存在そのものが〝知られてはならない〟ものとして処理されているんだ。これはわかるな?」
国際怪異研究機関日本支部、ダークウィックアカデミー。教育機関であると同時に研究施設であるこの島には、非科学的技術がそこかしこに溢れている。十数年生きてきて初めて知った、まったく信じていなかった光景ばかりだ。たとえば敷地内を駆け回る労働力の猫たち。たとえば人を騙して食べる、有害な怪異事件。
「そう、先日のB級怪異討伐任務でのこともそうだ。たとえ当人たちが我々の存在を信じ、認め、受け容れられたとしても、我々にはすべてを〝なかったことにする〟義務がある。そう、義務だ。規則によりそう定められている。ここに感情論を挟む余地はない」
とん、とん、と。指先が机の上に置かれた報告書の表紙を軽く叩く。
監査役として初めて同行した任務だった。振り返ってみれば恐ろしい目に遭ったと思うが、私の胸の内に残ったものは命を脅かされた恐怖だけではない。弱ささえ守ってみせると断言したルカくんの頼もしい背中。戻ってきた私を見て心の底から安心したようにしゃくり上げた魁斗くんの涙声。言葉を選んで私の弱音を嗜めてくれた伯玖さんの優しさ。
――
あの時、私が本当に道を違えていたら。そう考えるたび、いまさら心臓が冷えて息苦しかった。
「機関に限った話じゃない。規則というものは、社会的な生物である人間が作り、その限られた範囲にのみ適応される独自のルールだ。なぜ人間は自らの選択肢を狭め、縛り、そこから逸脱するものを罰するのか?」
「
……
ええと
……
誰かの悪意から、立場の弱い人を守るため?」
「そうだな。それも一因だろう。では、君が言う〝立場の弱い人〟とは具体的にどういうものを指す?」
「
……
子供、心身に困難のある人、貧困層
……
とか」
何を問われているのか理解できず、思いつくままに指を折って並べてみる。問いかけの意味はわかるけれど、どんな回答を求められているのかよくわからない。手探りで出した曖昧な答えに不安が滲む。
私が浅はかに答えを出したことなどわかっているだろうが、先生は頷いて話を続けた。
「いま君が挙げたのは、物理的な力の強さ、心身の健康、経済力などが健常な人間と比較し、劣っているものたちのことだ。子供は大人より力が弱く、充分な知識が備わっているとは言い難い。心身に困難があれば、生活に苦労することは間違いない。明日生きるための金銭に困れば、人は何をするかわからない。そして
――
」報告書を捲りながら淡々とつぶやく。「我々も〝立場の弱い〟存在と言えるんだ」
「
……
先生たちも、ですか?」
「そうだ。非科学的技術の研究者、そしてその技術を実際に行使する者は、機関から発令された強い規則に必ず縛られなければならない」
国際怪異研究機関規則。これまで生きてきた世界には存在しなかったルールのこと。否応なしに連れてこられたすぐの頃はまだ他人事だと思っていた。私は運悪く呪いの症状を持つ部外者で、得体のしれない組織の規則なんて覚える必要はないだろうと、そう能天気に構えていた。
監査役という肩書を与えられた以上もう〝部外者だから知らなかった〟では通らない。少しずつ、地に足を付けた実感が這い上ってくる。
「我々は一般人と明確に区別された生き物だ。誰の手にでも渡りうる科学的な技術から逸脱する、かれらにしてみれば未知の領域を手懐ける集団。君だって少しくらいは考えたことがあるんじゃないか? 我々の非科学的技術があれば、そうだな、世界征服くらいはできるんじゃないかと」
「
……
それは
……
、」
「誤解のないよう言っておくが、それはあまりに荒唐無稽な発想だ。我々の手中に収まるほど世界は狭くないし、科学的技術が我々からして旧いものだとは思わないさ。元来融合しにくい分野というだけで、これらの技術の価値に上下関係は存在しない。ただこの話で重要なのは、事実ではなく、君がどう感じたか、その一点に尽きる」
「
……
」
世界征服は大袈裟な表現だ。けれども、ダンテ先生が言わんとすることは理解できる。
殺されるかもしれない。
それくらいなら考えたことはある。
「
……
君の所感を批難する意図はない。むしろ、その感覚は危機感として保有すべきだ。世界征服はさすがに馬鹿げた空論だが、人ひとりの生死くらいはごく簡単に左右できる、そういう存在であることに変わりはない。君は我々から見て相対的に力が弱く、知識が足りず、経済的に自立して豊かだとは言い難い。ダークウィックにおいて、君は圧倒的に弱い存在だ」
右手から離れない指輪を見つめる。人を襲う危険な〝怪異〟だとわかったとき、私には成すすべがなかった。もしこれが私を殺そうとしていたら、間違いなくそうできていた。何が起こったかわからないまま、何もできずに死んでいた。この学園に普通の人間として居る限り、私は誰よりも弱い。知識が無く、力に劣る。
「
――
しかし、それは同時に我々の弱点そのものだとも言える。簡単に殺し、傷付け、辱められる存在に対し、我々が強大な力を躊躇いなく振るえばどうなるか」
「
……
、どう
……
」
「非科学的技術には優れた点が多くあるが、それが世界の脅威と見做されたとき、僕たちは揃って滅ぼされるだろうよ」
それが〝怪異事件〟だと報告書へ視線を落とす。
「だから、我々は君を傷付けることができない。君を傷付けること、それは自分自身の心臓を貫くに等しい愚行だ。そのために規則がある。我々は一般人から明確に区別され、隔離され、徹底的に世の中から秘匿される。さもなくば、生存すら許されない」
ここはそういう世界なんだ、と断じた。外の世界の良識は島の内側に当てはまらない。外の世界を守るためであり、内側にいる者を守るための規則があるのだ。
「
……
さて、話が脱線したな。そう、機関による規則の追加・改定は、ここ10年で倍以上に増加した」
なぜだと思う? と言外に含ませた先生の視線を追う。片手に握ったそれを
――
私のものではなく、新たに学園から与えられたそれに行き着いて、あっと声を上げた。
「スマホ
……
」それは媒体だ。問題の本質はそこではない。「
――
情報との、距離の近さ
……
」
「一人の人間が情報に触れる機会、そしてその総量は、ここ10年でめざましく発達した。それこそ君らは過渡期の人間だから実感がないかもしれないが、いつどこでも撮影や録画ができて、不特定多数に公開することができて、なおかつ情報を拡散させる選択肢があることなど、ほんの10年前の我々には考えられないも同然だった」
さて、と話を区切る。
「我々の存在は秘匿されなければならない。公になれば、世の中の多くで混乱が生じ、それが呼び水となって何が起きてもおかしくない」
だからグールたちは〝マッチ〟を使う。機関の人間が外部へ情報を流出させることを防ぐため、厳重な管理体制が敷かれる。人間として誰もが手にするべき自由を制限する。そうでなければ
――
「我々は有害かつ危険なものとして、この島ごと滅ぼされるだろう。ダークウィックが機関の人間を養成する施設であると同時に、研究所支部としても機能していることには、最終的な隠蔽工作のためでもある」
「
……
」
「君の自由をひどく制限することにも、これで一定の理解が得られたか」
喉元に刃物を突きつけられたような気分だった。自分の浅はかさが露骨に浮き出て、息をするのも苦しくなる。指輪の外れない手を握り込み、私はどうにか頷いた。
「
……
、
……
はい
……
」
「ならば良い。報告書の提出、ご苦労」
ダンテ先生は手短に話を終えた。やはり私のしようとしていたことは筒抜けだったのだろう。こんな話だけで済んだことを厳重注意と捉えるか、あるいはわざわざ罰するまでの立場でもないとされているのかは判然としない。ひとつだけ確かなのは、おそらく次はないということだけだ。
「失礼します」
頭を下げて退室する。ダンテ先生はこちらに背を向けたまま振り返らなかった。
放課後の廊下は静かで、猫たちの走る音が聞こえるのみだった。ほとんど無音の足音に耳をそばだて、それから別の声に気が付く。自分を呼ぶ人の声だ。ルカくんと魁斗くんの。
スマホには数件の通知が届いていた。今日はこれから二人と会う約束をしている。報告書の提出だけにしては遅い私を案じているのだろう、普通の友達みたいな振る舞いに、一度はしまい込んだ気持ちが滲み出てくる。
グールのことを詳しく知っているわけじゃない。けれども、ルカくんが誰より誠実で親切なことを、魁斗くんが繊細で優しいことを知っている。二人の何が普通の友達と違うのだろう。区別して、自由を制限していい理由になるのだろう。
わからない。怪異なんて別の世界の存在だった。でも、もう他人事ではないのだから、今度こそ逃げずに向き合いたい。
密かな決意を胸に、明るい声のする方へと一歩踏み出した。
・
「いやあ、優しさがあふれて止まらないじゃないの」
「
……
うるさい」思わず深く嘆息する。「彼女は納得できなかっただけだろう。これまでは対話の機会が欠けていた、あくまでそう判断しただけだ」
「へいへい」
どこからともなく現れたハイドに、ダンテは胡乱げな視線を向けた。少なくとも自分が把握している範囲でこの男の入退室があった気配はない。普段通りの軽薄な口振りから、先の問答を聞いていたのは疑いようがなかった。
丁寧に閉じられた扉の向こうに意識を向け、ダンテは苦い嘆息を噛み殺す。
優等生然とした制服姿の裏に、あまりにも若い眩しさを隠した生徒だった。さすが監査役の名が与えられただけのことはある。破天荒なグール生徒に負けず劣らず、いや表面上は優等生然としているからこそ、いざと言うとき思わぬ不意打ちを喰らう。
良識はある。だが、若々しく繊細な感情に突き動かされ、常人なら踏まぬ一線を軽く飛び越えてしまう突飛な側面がある。それが彼女本来の気質であるか、それとも突如宣告された余命によるものなのか、ダンテはいまいち判断しかねていた。
ダークウィック及び怪異にまつわる事件・記録は、表世界から削除される。
非化学的現象を個人で信じている者ならいるかもしれないが、たいていは迷信だ。いきなりこの島へ連れて来られた特待生の順応能力には目を瞠るものがあった。はじめこそ一般人に格別の待遇をつけて扱うことに疑問を覚えたが、これを見越しての抜擢であれば文句はない。最も、奇特なコーネリアスが実のところ何を考えていたのかはわからないが。
青臭い生徒の瞳に宿る、強烈な非難の光を思い返す。
機関の人間として生きて数十年、もはやダンテに彼女らのような情熱はない。学生時代特有の潔癖さを手放し、時に非人道的な選択肢にさえ目を瞑る、そういう大人に彼女らの心情が理解できるはずもない。グール生徒を人間と区別し、首輪をつけて管理することに、罪悪感より合理性への納得が勝るのだから。
監査役の任に就く限り、彼女は今後も命の危機に晒されるだろう。それを義務として課されたグールたちと共に。一年と経たずして死ぬ可能性はじゅうぶんに考えられる。酷な道を提示した、その自覚はあった。
だからこそ、ダンテは彼女の若い正義感に釘を刺した。もっとも悪い結末のひとつを潰してやれように。
「
――
まあ、あの打ち解けようなら、僕の杞憂に終わるかもしれないが」
そうつぶやき、ダンテは車椅子の向きを変えて扉に背を向けた。
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