かずわや
2017-05-06 14:04:47
2232文字
Public 刀剣乱舞
 

【ぎーぎね】夢から覚めた男

これが俺の、この家の主だ。

御手杵は微睡みの中にいた。身体は重く、目は閉じていながら、自分がいま「眠りかけている」という意識はあった。上にも下にもゆかない、その場でふわふわと宙に浮いているような日々が、幾数年続いていた。最も、槍として生まれたからには、年月の感覚など無いに等しかったのだが。
それでも、最初の一年は、来る季節がもの珍しく、桜の舞い散る、落ち葉の舞い散る、様々な空の下の庭を目を輝かせながら散歩したものだった。
けれどもいつしかそれも無味と知った。
御手杵が戦場にて獅子のごとく駆けることはなかった。砂埃の舞う、怒号と勇ましいかけ声の飛び交う、戦場の真ん中にいたことはなかった。いつも陣のうちで大将のそばに黙って控えるか、ひどい時は屋敷でただ眠っていることすらあった。
この世に生まれた意味はなんなのか。
考えているうちに、時間を忘れた。目を閉じた。身体が宙に浮いて、御手杵は微睡み始めた。

ふと、声が聞こえた。誰かが自分に触る気配がした。目覚めると、みずみずしい黒髪を後ろにまとめた若い男が「御手杵の槍」をじっと見つめていた。久しぶりに人の視線に触れて、御手杵は初めて屋敷の庭を歩いたときの高揚を思い出した。
……これが、あの」
こぼれ出た声は、見た目よりもいささか幼く聞こえた。もう20を超えた若者かと思ったが、まだ伸び代を残す少年と青年の間にいるらしい。男が夢見るように槍に手を伸ばしかけ、御手杵は咄嗟に身を翻した。
「控えろ、退がれ。誰の許しを得てこの御手杵の槍に触るのか。答えろ」
此れは戦を知らぬ身なれども、一家の誉を穂先に掲げ、後世へ伝え抜くことを任された身。そうやすやすと見知らぬ人間の手に触れさせていいものではない。
突然現れた背の高い男に、青年はア、と声をあげて二歩後ずさった。
へえ、尻はつかないのか。
妖の出現に足だけで耐えたことは褒めてやろう、と御手杵は思った。若いが、胆力はそこらの大人よりもある。
「おまえは、」
あろうことか、声までかけるときた!
御手杵は内心おもしろく思って心を浮き立たせた。人間と話した経験は、自我を得たとき一度きり。
「俺か? 俺は御手杵。御手杵の槍だ。そら、いまあんたが触ろうとしたその槍の、付喪神だよ」
「つくもがみ」
「どうだ、俺の槍は。俺の家の槍は。あんたにはもったいないぜ、どこのどいつか知らないがはやく戻ったほうがいい。俺と話したなんて知れたら、晴朝に叱られるからな」
青年は一歩後ずさり、そして一歩踏み出してきた。しっかりと御手杵の目を見据えていた。腰の脇差に手さえ掛け、いつでも御手杵を斬れるように狙っていた。しかし、横たえられた巨槍に目を向けると、刀から手を離して足を引き、慇懃に腰を曲げた。
……大変無礼なことをした。謝る。そうだな、この家の婿になったと言っても、代々の宝に触ろうだなんて思い上がりが過ぎた。非礼を詫びる、許してくれるか」
「え、あ、おう……
背すじをすっと伸ばし、正面から御手杵を見据えるところから見て、丹精こめて育てられたのだろう。成りも仕草も都風に寄っているように見えた。この家の、引いてはこの近くの者ではないと、御手杵にも知れた。
婿に入った、と言ったか。
いま当主を務める、老人と呼ばれる年齢に片足を付け根まで突っ込んでいるであろう男には、子どもがいない。若いころはそれは健脚で勇猛な大将だったと言うが、妻を娶っても子ができなかった。御手杵は自我を得たばかりの頃、その話を聞いた。
「おまえが儂の子だったら」
そう呟く、皺の増えた横顔を、ただ無為に見つめていた。
槍が後継になれるわけがなかった。御手杵も老将も重々承知した上での戯言で、御手杵はその上で、せめて彼の息子らしくなれるよう、その姿を人間の形に近づけ変えたのだ。数年前の話である。それが人間と話したただ一度きりの日だった。
彼は別の家の娘を養女として迎え、また別の家から婿をとってきたのだろう。
まあ、立ち居振る舞いは合格か。
強く光る烏色の眼は若さと頼もしさを感じさせ、刀に手を掛ける動作も素早く、非礼を詫び礼儀を尽くす姿はとても若者とは思えない。体つきも、同年代の武者たちと比べてみれば大柄のほうだろう。この家を背に立つ男だと思えば、まぶしかった。
「いいよ、許す。俺も久しぶりに人と話せて楽しかったしな。それより本当に早く戻ったほうがいい」
そうだな。邪魔をした」
「いいって。でもなんで、あんた、ここに来たんだ」
「偶然通りかかっただけだ。偶然、戸が開いていて、穂先が見えた。……綺麗だと思ったら、足が、」
青年は口籠もった。御手杵の頰に熱が集まる。実体があるわけでもない身体が、じわじわと熱くなっていくのを感じる。えっと。御手杵が声をかける前に、青年が足早に身を翻した。
「あんた名前はなんて言うんだ」
戻れと言ったそばから、引き止めたいと、思ってしまった。青年は僅かに顔を赤くしながら、「義伊丸だ」とほぼ叫ぶように言った。
「ぎーまる」
「いや、秀康だ。つい癖で。おい、聞いているのか、御手杵の槍」
「ぎーまるかあ」
頰が勝手に緩む。庭から光が射し込んでいる。使われぬ槍のいる、古びた家に、若い青年が立っている。桜の舞い散る、落ち葉の舞い散る、陽が照り、雪がぎんいろにきらめく、庭より美しい光景が広がっている。
晴朝の息子。これが俺の新しい主。御手杵は、自我を得たばかりの頃を思い出した。