かずわや
2015-10-23 17:40:52
2762文字
Public 刀剣乱舞
 

永訣の朝

御手杵くんは結城家がだいすき。
(タイトルは某詩からお借りしました)

格子窓から青白い月の光が漏れている。越前の地は空気が冷え切っていて、空が刀のように鋭さを増していくようだった。板張りの部屋にふっくらとした布団を敷いたその中に、月光に揺蕩いながら、痩せた男が目を閉じて横たわっていた。
彼の母や妻、腹心の家臣などが先ほどまで彼を囲っていたが、夜半も近い。彼の状態を慮り、しずしずと部屋を出て行った。誰もいなくなった静けさの中で、男の口からひゅうひゅうと弱々しい息が漏れる。やがて、その口が笑みの形に歪んだ。
……こら」
嗄れた声がこぼれ出る。可愛がっている飼い犬でも叱るような声色。動かない身体で、やっとのこと目だけが部屋の隅の暗がりを見る。そこにぼんやりとした人影が背を伸ばして座っているのを、母や妻達がいた頃から秀康は気がついていた。
「お前も戻れ。気になっておちおち寝れぬ」
人影が立ち上がる。まるで幽霊のように存在のない、恐ろしいもののように揺らめいている。しかし、暗がりから出てきたのは、凛々しく唇を引き結んだ茶髪の若い青年だった。秀康の言葉などすっかり聞き流して、枕元にそっと跪く。
人ならざるものだと誰もがすぐに気がつくだろう。その肌は山々を覆う新雪のように白く、体格の良い秀康をも上回る躰つきと背の高さを持っていた。涼やかな目もとは穢れず、引き結んだ唇は形がよく美しい桜色をしている。それらが全て細い顎をなぞる輪郭の中にちょうどよく収まっていた。一見地味だが、よくよく顔を見ればはっとする整い方をしている。
人を越える美しさを持った、人ならざる幽鬼。
「お前でも、人の死に、泣くことがあるのか」
……理解し難いけど」
彼の愛槍は呟いた。
「あんたの首は、刺したくないなぁ」
潤んだ枯茶の瞳が揺れる。

武器に憑いた付喪神は人の死を厭わない。命を抉るのが彼らの本分であり、命を吸うことで彼らは生きるからだ。いま枕元で項垂れている若者--御手杵もまた、結城家17代目当主である結城晴朝が造らせた「手杵の槍」に憑く神だった。名前は特にない故に、一応神を重んじて御手杵と呼ばれている。
一応と云うのは致し方ない。
御手杵は神というよりも、限りなく武器に、己の「槍」という形に拘るのだ。槍として生まれたからには命を獲らねばならぬ。安穏とした顔に、いつもそう猛々しい血を隠していた。
しかし、御手杵は、沈黙せざるを得ない。人に振るえる槍ではなかった。
遠い地で起こっているだろう様々な戦に、唇を噛み結びながら思いを馳せる御手杵の姿を、秀康は何度も見ていた。生きたあたたかな身体を貫く、武器としての快感も知れず。ただ苦さを呑んだ顔で陣に立ち尽くす御手杵の姿を。その姿は神々しく目に映った。立っているだけで敵は彼を恐れたのだ。それだけで良かった、のに、彼は冷えた首を刺して喜ぶような槍ではなかった。実益も武功も無いまま祭り上げられて飾られる。その苦しみを、秀康はよく知っていた。この槍は己と同じだった。
(まあ、『父上』に望まれて、生まれた点で、俺とこいつには差があるか)
思わず口角が持ち上がる。
初めは嫌悪が無かったわけではない。
それでも、己を見て鼻を赤くしているこの槍のどこをも秀康は憎めるはずがなかったし、それはやがて憧憬に変わった。
「御手杵」
枯れた声で呼ぶと、彼はすぐさま口元に耳を傾けた。
「この家と妻と、子どもたちを、よろしく頼む……
死期が迫り来るのを秀康は肌で感じた。柔らかな綿にくるまれているはずなのに、裸で雪の外へ飛び出していったかのように体が震える。それを察したのか、御手杵は膝を乗り出して秀康の顔を覗き込んだ。
「それから、父上に……私は、この家に来れて幸せ、だったと……
「ああ」
枯茶の瞳に透明な光が走った。それに思わず笑いが溢れた。御手杵はまじめな顔をする。そうしなければすぐに眉が下がるのかもしれない。
「心配するなよ、秀康。あんたは俺が連れていく。一人で逝かせない」
「お前にしては面倒見が良いなあ……
「あんただからだよ」
慈愛に満ちた、神の顔をして、御手杵がほほえむ。それを見るとやはり自分は不運に生まれ落ちた人の子だと秀康は思った。父や皆が愛した槍に敵うわけもなかった。
それならもう、好きにしたら良い。
御手杵の白く大きな手が布団の上から秀康の胸に重ねられる。そこからじんわりと熱が広がり、秀康はふうと息を吹いた。身体が軽くなる。
……秀康、俺はさ、俺はあんたに振るわれたかったよ。あんたと一緒に戦いたかった」
「ああ……俺もだ」
「そうか。嬉しいなぁ……
なんて顔して笑うんだろう。さっきの笑みとは全く違う、稚児のように締まりがない。穏やかな低い声がまどろみを生む。目を閉じると、普段は感じない付喪神の手のひらの重さを感じた。自分が人ならざるものになっていく証だ。
ひどくここちいい。そしてねむくてたまらない。

「連れていく。どこまでも、いつまでも。いつか俺が戦う機会を得た時、そばにあんたを感じられるように。あんたと一緒に戦えるように」

枯れた唇が笑みを浮かべた。



城主の訃報が届けられたのはその早朝のことだった。格子窓から入る空気が小刀になり、老いた体を無慈悲に刺す。起き抜けと言えど妙に頭が冴えていて、晴朝はまるで予見していたようにそうか、とただ頷いた。
「秀康どのの最期の言葉ですが、誰もいない夜中に息を引き取られたようで……
「よい、分かっている。下がれ」
きょとんとしながらも家臣がいそいそと部屋から出ていく。
「お前はいたのだろう」
「ん」
いつの間にやら背後にいた。穏やかで厳かな美しい槍が、いつものように背に寄り添う。
「聞いたよ。妻、子どもたちのことをよろしく頼むと。それから晴朝。あんたに、この家に来られて幸せだったって」
……そうであったか」
深い皺の入った目もとをとろけさせる。その言葉が聞けるとは、思わなかった。
「一人で逝ったのではないのだな」
「ああ。俺が付き添った」
「はは、武器のくせに面倒見が良い……
「うええ、あんたたちだけだよ」
他の人間のなんて真っ平御免だってぇ。
げんなりとした様子で言う。
城内がにわかに慌ただしくなる。誰もが悲哀の色を隠さない。秀康の亡骸が横たえられた部屋には長蛇の列ができていた。半ば押し付けられるようにしてやってきた養子が、この数年で誰からも慕われる立派な武将になっていたことに、晴朝は改めて気づかされた。
笑みが零れる。
「あの子が寂しくなかったのなら、良い」

自分の愛槍に見送られたとあれば、きっと。御手杵に背を向けながら顔を覆う。その背を、半透明のあたたかな手がゆっくりと撫ぜた。


ひとたび、永遠の別れを。
永訣の朝