mishiadd
2024-06-15 12:22:06
4953文字
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15分間の奇跡

「儀を永遠にすることがだめなら可惜夜を永遠にするのは?」ということでどさくさにまぎれて盈月の器を使って可惜夜を永遠にしてしまった伊織殿とそれに巻き込まれたセイバー。

あたら‐よ【可=惜夜】読み方:あたらよ
明けてしまうのが惜しい夜。(小学館「デジタル大辞泉」より)







そうならないために紅玉に器を託した筈だった。紅玉と一体化した器は願望機としての性能を失い、ただの巨大な魔力の塊としてそこにあるだけ――の筈だった。
だから、それが一体どういう理屈でそうなってしまったのか、セイバーにはわからない。あるいは零れてしまった伊織の血が関係しているのかもしれない。もしかしたら単にタイミングの問題だったのかもしれないし――とにかく、それは起こってしまった。

盈月は――今際の際の宮本伊織のたわいのない純粋な願いを、あろうことか叶えてしまった。



――あれっ」

間の抜けた声と共に、セイバーは覚醒する。その手に感じた貫く感覚はまだそこに残っている。だからこれは、夢幻でもなんでもない。
セイバーの目の前に、たった今貫いたばかりの筈の伊織が、無傷で立っている。
無傷――致命傷を与えたあの一撃の前、剣戟を、あの死闘を交わした半刻の間すら、なかったことになっている

伊織も、事態を把握できずに目を見開いていたようだった。それから懐に――紅玉の書に着物の上から触れ、事の成り行きをを理解したようだった。

そして、セイバーは見てしまった。――事態を理解した、その瞬間の伊織の顔は。



彼が、今まで見たこともないような、今にも泣きだしてしまいそうな子供のような笑顔だった。







するべきことがわからずに、セイバーはただ繰り返すほかない。
何度繰り返しても結果は同じだった。半刻の死闘ののち、セイバーの刃は伊織に届く。――そして、また時間が巻き戻る。無傷の伊織が目の前に立っている。時が戻っていることは状況から見て理解するが、セイバーの記憶も伊織の記憶も保有したまま継続している。何回、何十回の繰り返しをすべて覚えている。
だからそれは、無限の繰り返しでありながら無限の永続でもあった。永遠に死合い続けている

何十回目かの巻き戻しの折、ついにセイバーは口を開いた。

「ちょっと、休憩しないか」
「休憩? でも、俺もおまえも疲れてなどいないだろう。腹も減らない。――あの時を、繰り返しているだけだから」
「気持ちが疲れたのだ。なんなら腹だって減ったぞ」

一回でも充分なのに、きみを何十回と貫いているこちらの身にもなってみろ、とは言わない。
伊織は自分の右手を見下ろし、ぐっと握ってぱっと開いたりを繰り返していた。やっぱり疲れてなどいない、とは思ったようだったが、結局セイバーを見て頷いた。「そうだな。少し休憩しよう」。

その言葉を聞いてセイバーがその場に大の字で仰向けに寝っ転がる。はあーあああ、と腹の底から息を吐き、夜空の望月を見上げた。伊織もまずはその場に腰を下ろしたが、やがて同じように石畳に寝っ転がってみた。出口のない隔離された時空の、その空に輝く望月があまりにも眩しく、そして穏やかに見えた。

――ずっとこうしているわけにもいかないだろう、イオリ」

ぽつり、とセイバーが言った。

「どれだけ繰り返してもただの先延ばしにしかならない。結末は既に決まっている」
――うん」

伊織の声が揺れる。

「わかっているよ。でもきっと人生だってそんなものだ」
……カヤのことは、どうするのだ?」
「わかっている。わかっているよ」
「イオリ」
「全部わかっている。でもここは、ここはあまりにも」

どこか涙の滲んだような切なげなこの声が、もしかしたらずっと、この人の本当の声だったのかもしれないとセイバーは思う。

「セイバー、だって」
「イオリ」
「今まで生きてきて、こんな、当たり前のことが」

石畳に擲たれた伊織の指先が震える。仰向けになって鼻腔に流れる涙に溺れるように、すう、はあ、と不器用に深呼吸をする。

「ほら、セイバー。空気が鉛のように重くない。ただ立っているだけで息切れして、全身が異物感と疎外感で圧し潰されそうで、今にも崖から足を踏み外して奈落へ墜ちそうなんかじゃない」
「イオリ」
「もうふりなんかしなくていい」

セイバー、と伊織が身を起こす。寝転んだままのセイバーの顔を覗き込む。子供のようなあどけない無防備な表情に不釣り合いな、静かな涙が頬を伝っていた。

「知らなかった。『生きてる』ってこういうことなんだ。『呼吸する』ってこういうことなんだ、セイバー。
……これは俺の身勝手だと、我儘だとわかっている。俺はすべての責任を、すべての縁を投げ出して、おまえすら巻き込んでここにいる。でも、セイバー、でも」
――いいよ」

セイバーが体を起こす。伊織の額にそっと額をくっつけて、囁くように言った。

「あと少しだけ、付き合うよ。きみの気が済むまで」

どのみち『今宵』はそのつもりだったのだ。であれば、多少それが長引いたところで、とセイバーは苦笑した。
伊織が軽く息を呑み、心から感心したように呟いた。

「セイバー。……おまえは、優しいんだな……
…………

その言葉に返すべき言葉を絞り切れず、セイバーは押し黙る。







「次こそは勝てそうな気がする」と伊織が言うので、「それを私に言うのか」とセイバーが苦笑で返した。

「どうかな。……次こそは、私は私の宝具をきみに放つかもしれないよ」
「そう思って身構えて、毎回負けるんだ。だが次は勝つ」
「そうか」

セイバーが頷くと、伊織が楽しそうに無邪気に笑った。――まるでこれまでとは立場が逆転したようなやりとりに、セイバーが目を細める。
相手をあやすような「そうか」なんて、セイバーこそがこの人の口から何十回と聞いた言葉だ。

さあ、と二刀を構えようとする伊織を制して、セイバーが言った。

「イオリ。――これが、あと何十回繰り返されるのかわからない。でも、きっと永久ではないと思う。きっとどこかで限界がくる。繰り返しは終わる」
……うん」
「だから、今回は私の我儘の回としてもいいだろうか。――なにか食べないか?」

はっとした顔をしたあと、伊織がくるりと目を巡らせる。「そうだな……」と口を開いた。

「この刻限なら――きっと、夜鷹蕎麦なら」



ぼんやりと灯りのともる屋台にふたりで並んで、蕎麦をすする。初めてのことではない、とセイバーは記憶している。
違いがあるならば、伊織が饒舌なことだった。

――で、そこでいつもおまえに脇を抜かれてしまう。俺に癖があるのだろうか」
「そうだな。きみは少し右に傾ぐ癖がある」
「ふむ……

ずるずると蕎麦をすすりながら、ろくに味わってもいない様子でしきりに考え事をしている。――こんなにわかりやすく顔に出る人だっただろうか、とセイバーは思う。
そうだ、と急にころりと表情を変えて、伊織がセイバーを振り向く。

「おまえの剣技は美しいが、特におまえの八岐怒濤は本当に美しい。俺に向かって放てとは言わないから、次の回でもう一度見せてくれないか」
「なんだ藪から棒に」
「好きなんだ。美しいし、かっこいいから」

「無論最後には超えてみせるが、それはそれとしてな。それに見ることによって学べることが多い」と照れも恥じらいもなく真顔でそう言い放ち、伊織が蕎麦をすする。赤面するのはセイバーひとりだった。
なんだかそれは狡くないか、と思いながら、「まあよい。減るものでもないしな」ともごもご了承する。

「きみ、そう思っているのならもっと早く言ってくれてもよかったのだぞ?」
「言っているよ。もうずっと何度も言っている」
「言って――いたかな。では聞いていなかったのは私の方かな」

どうだろう、とセイバーは思う。――もっとたくさん話をしておくべきだったのかもしれない。あるいは、もっと伊織の口数の少ない言葉に耳を傾けておくべきだったのかもしれない。あるいは、もっと伊織に語りかけておくべきだったのかもしれない。
でもきっと――己を殺し、表情を読ませず、泥の中で喘ぐようにやっと命を繋いでいた伊織の言葉に込められていた感情を、きっと今程赤裸々に感じ取ることは当時のセイバーには難しかったのだろう。

無垢な表情でセイバーに語りかけ、彼の剣が美しいのだと、かっこいいのだと、いつか超えたい憧れなのだと語る、



この男の子は、きっとずっとそこにいたのだ。



あ、と伊織が声をあげる。

「そろそろ半刻経つ。恐らく、強制的に浅草寺に戻されるだろう。残念だが、ここで食したものは物理的には継続しないと思う。食した記憶は継承されるだろうが」
「そうだろうな。きみはいつも無傷に戻るから」
「八岐怒濤を見せてくれる約束だ。今から楽しみだ」
「もう飽きるほど何度も見ているだろうに……

何が好きだと、嫌いだと。――何が楽しいのだと、何が昂るのだと、何がしたいのだと。
この人はいつも、何を「しなければならない」のかばかりを口にしていた気がする。そう言いながら、誰が何を望んでいて、何をしてあげよう、という話ばかりをしていた気がする。
セイバーも、その対象に入っていた気がする。いつも、何かをしてもらっていた気がする。セイバーがやりたいことをいつも手助けしてもらっていた気がする。
――その間。

この男の子は二振りの刀を胸に抱いたまま、ずっとひとりぼっちで立ち尽くして、じっと我慢していたのだろう。
まわりの皆がやりたいことに手を伸ばす姿を見つめながら、声を殺して、息をひそめて。この子のそれは、決して許されてはならないものだったから。

胸に去来した切なさに、セイバーは伊織を見遣る。

「イオリ」
「? ――セイバー」

伊織がセイバーを見返す。――時間が、巻き戻る。



何度でも、あの浅草寺に立ち戻る。







「ああ勝てない、」と石畳に仰向けに倒れ込む伊織の声は弾んでおり、ひどく楽し気だった。
胸には幾十度目かの穴が開いていた。――伊織はすっかり慣れてしまったようだが、セイバーはいつまでだって慣れない。何百回、何千回と繰り返そうと、決して慣れることなどない。

「やっぱりおまえは強いなあ、セイバー」

そう満足げに言い、伊織は夜空の望月を見上げる。――なんとなく、予感があった。

……多分、次が最後だ。セイバー」

セイバーが押し黙る。やがて、言った。

「たとえば、次の回で何もしなかったら? ―― 一番最初のきみの死は、なかったことになるだろうか」
「セイバー?」
「もし、次の回で私が何もせず、きみも何もせず、ただ半刻が過ぎるのを待ったら」

早口で言い、セイバーが再び口を噤んだ。しばらくの沈黙ののち、「ははは」と伊織が軽い笑い声をあげた。セイバーの聞き慣れた、優しい声だった。

「おまえは俺を殺さずに、峰打ちにした俺から紅玉の爺さんを奪い取ることもできた。でも、そうしなかった」

伊織がセイバーを見る。大人びた、セイバーの見慣れた笑みだった。

「それが、おまえの優しさだったとわかっているよ」
「イオリ」
「楽しかった」

望月を見上げて、伊織が言った。やがて、目を閉じる。

「本当に楽しかった。かたじけない。――ありがとう」

涙を――見せるわけにはいかないとセイバーは思った。でも伊織は目を閉じている。きっともう、彼には見えていない。だから、もう我慢しなくていい。いいのだ。






――そして、あの浅草寺に立ち戻る。







最後の一回は、すべてを予定調和に進めた。
『正史』の通りに。最後にセイバーが八岐怒濤を放つこともなく、伊織がセイバーに勝つこともなく。

過ぎてみれば、当初の言葉通りただの引き延ばしに過ぎなかった。――でもきっと、人生だって同じようなものだ

ただ、友を「友」と呼んで過ごした時間が、ほんのちょっと長くなっただけ。

――でもきっと、人生とはそういうものだった。






紅玉の紙片が宙を舞う。――あとには、正史通りに満足げな宮本伊織の亡骸が、そこに横たわるだけだった。