すずかけあおい
2024-06-15 11:51:52
2115文字
Public ひとときから始まる恋
 

ひとときから始まる恋 小話

実近×小牧。小牧が実近の部屋に行った夜です。

「泊まっていけば?」
 ベッドを出て帰り支度をする小牧に実近が声をかけるが、首を横に振る。
 優しくされるまま、また関係を持った。最初ほどの後悔はないが、縋ってしまう自分の弱さに情けなくなる。さらに甘えて泊まったりしたら、もっと弱くなりそうだ。
「いえ、帰ります。電車もまだありますし」
「だが、もう遅いだろう?」
 おいで、というように手招きをされておずおずと近づくと、腰に手がまわった。するりと背筋を撫でられ、ぞくりとする。そんな小牧の反応を楽しむように背中から腰へ、大きな手が行ったり来たりと滑った。小さく身体を捩って逃れ、服を着る。
「恋人じゃないんですから、泊まるわけにはいきません」
 この男と小牧はそんな甘やかな関係ではない。ひとときの慰めで肌を重ねてくれている人に、これ以上の負担はかけられない。
「じゃあ恋人になる?」
 いつもの軽い調子で冗談を言う実近に、呆れよりも可笑しくなった。
「なりませんよ。実近さんはそういう人は作らないんでしょう?」
「そうなんだけどね」
 ゆっくりと立ち上がった実近が小牧を腕の中に閉じ込める。知っている体温でも、こういうふうに不意に触れられると、深い意味ではなくどきりとする。
 小牧の髪に頬を寄せた実近が腕に力をこめた。
「小牧くんは抱き心地がいいからな」
「俺は抱き枕じゃありません」
 離してほしい、の意味をこめてそっと腕に触れると、ゆっくりと力がほどけて解放された。「残念」とは言いながら、実近はまったく残念そうではない表情をする。
「じゃあ俺が小牧くんの抱き枕になろうか?」
 小牧の手をとり、自分の腰へとまわさせる実近のつややかな笑みに苦笑を返す。
「抱き枕なんていりません。誰にでもそういうことを言ってるんですよね?」
「どうかな?」
 はぐらかすように視線を逸らし、本心の見えない微笑みを浮かべる。小牧に言って、他に関係を持つ相手に言っていないはずがない。本当に軽い人だ。だがその軽さが、小牧の中の罪悪感も軽減してくれる。
「本当に帰ります。こうしてたら電車がなくなってしまうので」
 腕から逃れてバッグを持つ。実近は柔らかく微笑んで小牧の髪にキスをした。
「あの彼の次に小牧くんの心に住むのはどんな人だろうな」
 それは小牧にもわからない。諒を忘れられる日が来るとも思えないし、この片想いを乗り越えられるかどうかもわからない。いつかは決着をつけなければいけないのだけれど、そう簡単に心は変わらなかった。
「どんな人でしょうね」
 まだ見ぬ次の想い人とは結ばれるのか、また片想いで終わるのか。なにもわからないけれど、行き詰まって未来が見えなかった小牧の道の先には、知らない世界が広がっているだろうことはわかる。だが、そこに進めるかどうかは小牧自身にもはっきりしないことだ。
 実近の胸を軽く押し、身体を離す。
「実近さんみたいに軽い人ではないことだけはわかります」
 誠実で、まっすぐ小牧だけを見てくれる人と出会いたい。そのためには、やはりきちんと諒への想いを終わらせなければいけない。
「軽い男だって利用価値はあるだろう?」
 駅まで送ってくれるというので、一緒に部屋を出る。少し肌寒いくらいの夜風が、熱い情事の名残を取り去ってくれるようだった。
「俺のことより、今後実近さんが本気になる相手が現れるかどうかのほうが気になります」
 隣を歩く実近は小さく声をあげて笑った。
「現れると思う?」
「俺に聞かないでください」
 小牧も笑うと、実近は少しほっとしたような表情を見せた。
「最近は笑えるようになったな」
「え?」
「初めはいつも顔が強張っていた」
「あ……
 自分の頬に触れ、そういえばそうだ、と驚く。同じところに留まっているようにしか思えなかったが、わずかながらでも進めているのかもしれない。
「小牧くんは次に好きになる相手と幸せになれると思うよ」
「そうですか?」
「ああ」
 なんの根拠があって、と言ってしまえばそれまでの言葉だが、小牧には希望に感じられた。街灯の明かりを辿るように歩く足取りが軽くなる。いっときの慰めさえ上手な実近にはさすがとしか言いようがない。
「ありがとうございます」
 実近が言うのならばきっと小牧も幸せになれるのだろう――そんな確信を抱かせてくれた。
「実近さんが本気になったらどうなるんでしょうね?」
「わからないな。想像したこともない」
 思考を巡らせてみるが、たしかにまったく未知の姿だ。小牧にも想像できない。
「意外と、その人しか見えなくなるかもしれませんね」
 実近がふっと表情を綻ばせる。その横顔がとても綺麗で見入ってしまった。小さく頭を横に振った男は優しい瞳をしている。
「俺が本気になって相手も受け入れてくれるなら、そうなるのも幸せかもしれない」
 どこか他人ごとのような口調は、それでも温かかった。
 実近も小牧も未来は見えないから、なにが起こるかわからない。
 静かに言葉を交わしながら、駅までの薄暗い道をふたりでゆっくり進んで行く。濃紺の空にぽつぽつと星がまばらに輝いていた。



(終)