はなおぼろ
2024-06-14 19:28:39
2372文字
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神様のキャンバス【序】

ふと思いついたネタの切りが良いところまで。
(2024/06/26 加筆修正)

オタワスのつもりで書き始めたので、オタワスです。
やたら距離感の近いラとワがいますが、未来の私がきっとオタワスっぽくしてくれるはずです。任せたぞ、未来の私。

 一〇年以上も昔の話だ。弟がまだエレメンタリースクール入学前で幼く、オーターも中等教育を迎える前の頃。
 勉強を終えて読書に耽っていたオーターの隣に弟がやってきて、抱えていた本を広げた。当時の弟はオーターの後ろを付いて回っては、兄の真似事をするのが好きな子供だった。

「ワース」

 オーターは自分が読んでいた本を閉じた。そして弟に寄り添い、小さな彼が抱えるには些か大判のそれが倒れないようそっと手で支える。

「何の本?」
「おそらのほん」

 本を覗き込むと、そこには紙面一杯に広がる青空があった。油絵のようなタッチで描かれたそれは、絵本と言うより画集のような趣がある。

「どんな話?」
「かみさまが、すっごくおおきなキャンバスにおそらをかいて、おてんきをあやつるおはなし」

 既にこの頃のオーターは雨が降る仕組みも、空が青く見える理由も知っていた。しかし小さな弟はまだそれを知らない。神が直接天候を操作しているのだと信じている幼子に、水を差すのは野暮というものだ。
 弟はきらきらと輝くその瞳に空の色を映しこみながら、ゆっくりゆっくりとページを捲っていく。あまりにもその表情が楽しそうだったから、オーターは彼にこう尋ねたのだ。

「ワースは、この本が好き?」

 弟は顔を上げて、オーターに視線を合わせた。そしてまろい頬をほんのりと赤らめ、へにゃりと笑う。愛くるしいと表現して相違ない、純粋無垢な笑みだった。

「すき。だいすき」

 弟はあの絵本を大層気に入っていた。それはそれは大切に、宝物のように抱えていたのだ。父による教育という名の重圧の日々がはじまり、その細い腕から取り上げられる日が来るまで。



 随分と昔のことを思い出した。オーターが五つ年下の弟と、まだ兄弟らしく過ごせていた頃の出来事だ。何故このようなことを思い出したのか。それは彼の視線の先にあった。

 オーターはこの日、校長たるウォールバーグに呼ばれてイーストン魔法学校を訪れていた。興味がないと再三断ってもなお持ち出される見合い話に辟易し、校長室を後にして石畳の長い廊下を歩きながら窓の外を見遣る。そこには中庭が広がっていて、昼時だからなのかランチを楽しんでいる生徒も多く見られた。その中に見知った人物がいたのだ。ベンチに腰を下ろしている、弟子の一人であるランス・クラウン。空色の髪が目を引いた。そして彼の隣に座る、気がついた頃には疎遠となってしまっていたオーターの弟。
 参考書かはたまた学術書か、弟は手にしていた本を開きながら何やら話をしていた。ランスはそれに相槌を打ちながら、本の中を指さしている。一冊の本を二人で覗き込んでいるため、額が触れ合いそうなほどに顔の距離が近い。 二人が顔見知りになっていたことは、七魔牙がイーストンで行った一件の聴取で知っていた。しかしこの様に親しげに言葉を交わすほどの仲だとは。
 話し込んでいるからか、ある程度距離が空いて尚且つ窓も閉じているからか、二人はオーターの存在に気付いてはいない。
 一体何を話しているのだろうか。弟はサングラスをかけているために詳細な表情は読み取れないが、ランスは考え込むように顎に手を当てている。そして彼が横目に弟を見て何か口にすると、弟は並びの良い歯を見せた。目元が見えずとも判る。ランスの話を聞いて、弟が破顔したのだと。

 久しく見ていなかった、弟の笑顔だった。

 ランスもそれに釣られてか、目を細め口元を覆い笑っているようだ。顔を近づけて笑いあっている二人を眺めながら、オーターは思い出したのだ。
 小さな弟が抱える宝物。神様が描いた空が閉じ込められた、一冊の絵本。

「ワース」

 弟の隣に座る男の髪は、その弟がかつてきらきらと目を輝かせながら見ていた、絵本の中に広がる青い青い空と同じ色をしている。

「ワース、お前はランスのことが――

 オーターが発した言葉は、人気のない廊下に溶けて消える。無論、彼の問いに答える者はいない。その代わりに、遠い思い出の弟がへにゃりと笑いながら口にした答えが頭の中で響いた。

 楽しげに会話を交わす二人から目を離すことが出来ないでいると、昼休憩の終わりを告げる鐘の音が聞こえた。それを受けて、視線の先の弟が本を閉じて立ち上がる。ランスも続いて腰を上げる。二人はオーターに気づくことなく、連れ立って校舎の中へと戻っていった。
 その背中を窓越しに見送ったオーターは、懐から杖を取りだして素早く転移魔法を使う。急事以外は使用を控えている魔法であるが、一刻も早くこの場を去りたいという思いに駆られたからだ。転移先は魔法魔力管理局にある自身の執務室。普段仕事で使っている椅子に深く腰掛け、長く長く息を吐く。その時ようやく、あの場にいた自分は呼吸すら上手くできていなかったという事実を思い知った。
 無邪気な淵源との件が終結して以降、オーターは弟との関係を見直し、兄弟らしく過ごしたいと接し方を改めている最中だ。しかし疎遠であった期間が長かったため、現状は関係改善には程遠い。
 中庭で楽しげに笑いあう二人が、否、弟の笑顔が頭から離れない。あの時オーターは、縫い止められたように弟から視線を外すことが出来なかった。かつて笑顔をみせていた弟の瞳には、隣に座っていたオーターの顔が映り込んでいたのだ。しかし今の弟の笑顔の先にいるのは自分ではない。当たり前だ。今の自分は弟の隣に居ないのだから。そういう接し方を随分と長い間行ってきた、当然の帰結。

『すき。だいすき』

 幼い弟の声が、頭の中でリフレインする。
 嗚呼、喉の辺りに澱みを感じる。また息が苦しくなってくる。
 この時のオーターは、その理由をはっきりと理解していなかった。