Ykanokawa
2024-06-11 20:24:15
3750文字
Public クリテメ
 

【オクトラⅡクリテメ】(イントロのみ修作)翠色のゆりかご

イントロのみの修作です。タイトル迷い中。エクストラストーリーまでクリア推奨。
またまたまた3章捏造物になる予定のもの。

 ただひとつだけ、後悔していることがある。


 セキレイの高い声を聞いてテメノスは面を上げた。
 よくよく晴れた、空が高い真昼のことだ。海原よりも広く澄んだ空を幾筋かの細い雲が流れていた。遠くの牧羊場から羊の鳴き声がしている。
 山間から吹きつける涼風が前髪と外套を攫っていく。赤く、赤く染まった楓の葉がくるくると踊り、舞い、風に遊ばれながら落ちていった。落ちた葉は足元でかさかさと音を立てる。また掃除しなければな。子どもたちが協力的ならばいいのだけれど、何せあの子たちは遊びたい盛りだから。大人の小言より、自分の願望に素直な年頃だ。
 ――ああ、そう。
 こんな日だ。
 こんなふうに、美しい日だったことを、よく憶えていた。思い返して細い息を吐く。澱んでいた肺の中がほんのわずか軽くなったような気がした。気がしただけだ。そんなこと知っている。わかっている。だって、こんな日に。
 自覚したその刹那、美しい町の美しい一時を切り裂く怒号が鼓膜を劈いた。
「目を覚ますのだ! 我らにこそ、真実あり!!」
 ぎらついた目をした髭面の男が叫んでいる。唾と同時に吐き出されるのは神と聖火に対する冒涜と信者たる町人への暴言と脅迫。凡そ聖火神の膝元であるこの町でそぐわない振る舞い。異端であることは火を見るより明らかだ。
 テメノスがすぐに動かなかったのは、男と町人の距離が近すぎたせいだ。軽装ではあるが武装をした男が相手である。声を荒げているリーダー格の男の後ろにも仲間らしき男が二人ほど控えている。
 テメノスが出て行くことで男たちの注意がこちらに向くのならそれでいい。だが、もしあの異端がテメノスの顔と役目を知っていたら。もしくはこの法衣の色や杖を見て状況を察し、町人が人質とされることがあったとしたら。
 テメノスは神を信じない。どれだけ善良に生きていようとも、どれほど醜悪に手を染めていようとも、神は特別に誰かを救うことはない。特別に誰かの味方をすることもない。そんなことを嫌というほど知っていた。だから都合よく町人を巻き込まずに済む、なんて楽観は出来なかった。
 ――そうして考えあぐねていた結果。
 一度だけ、静かに目を伏せた。胸が痛んだ気がしたのは、一瞬だ。そう。気がしただけ。それだけ。
 杖の踵を地へ突き刺す。身体の隅々を満たす魔力の流れを辿る。集中を高め、溢れる熱を、迸る光を、暗闇の中で脳裏に描き祝詞を紡ぐ。そうして光が零れる手のひらを開く。
「聖火の光よ――!」
 屯する異端の男たちの真ん中に、真っ白な光の柱が立ち昇る。町中故に加減はした。威力としてはこけおどしもいいところ。ひとりは目を焼かれたのかその場に尻餅をつき、ひとりは引きつった悲鳴を上げて後退る。先頭に立っていた男は仲間の異変に町人から意識を逸らして振り返った。
 その大きな隙にテメノスは駆けた。武装した男と町人の間へ、身を捩じ込むようにして立ち塞がる。
「て、テメノス様……
「皆を連れてさがりなさい」
 いち早く我に返った町人の青年へ声をかける。青年は慌ててその場にいた町人の服や手を掴む。幸か不幸か、この町の善良な町人の多くはテメノスに信頼を寄せてくれている。目の前に異端という驚異が存在するのなら尚更。
 両眼を抑えてもんどりうつ仲間の姿を見た男が、怒りの形相でテメノスを睨む。風格があるかと言われたら正直、野良の魔物の方がよほどある。まったく表情を変えないテメノスにさらに苛立ったのか、男は抜身のナイフを見せつけるように掲げた。刃物の切っ先が明確な殺意を持ってテメノスに向けられる。
「貴様もだ! その曇った眼を覚まさせてやる!!」
 研がれたナイフが鈍く閃く。誰かがひっ、と息を呑んだ。
 受け流すべく杖を持ち上げたテメノスの身体が、誰かに軽く突き飛ばされた。たたらを踏む。視界が揺らぐ。男が消える。瞬きの間にぎん、と金属が擦れる音がした。次いでからん、と軽い刃物が乾いた地面に落ちる。
 白い外套が山間の風を受けて靡く。白銀の鎧がかちりと重たい音を立てる。少々傷んだ金糸の髪が陽光に透けてきらきらと輝いている。

「目を覚ますのは……おたくらだろう」

 ――ああ、そう。それは、そうだ。
 暗澹たる想いが胸に落ちてくる。まるで鉛の錘をそのまま飲み込んでしまったかのよう。
 ――君は、あれだけ正しく生きていたのだから。
 異端の凶刃が向かう先が、明らかに一般人ではなくとも。ここに立っているのが、たとえ誰であろうとも。彼は正しくその直剣を抜いて悪へと向ける。そんなふうに生きている。そんなふうに志して歩いている騎士だった。
「貴様……聖堂騎士かッ……!」
……新人だがな」
 思うよりも低い――否、敵を前にしてあえて低くしていたのだろう声。
「聖火を貶める暴徒め……。悔い改めろ」
 薄れてゆく意識に身を委ねながらぼんやり思う。
 君、道徳に背いた敵には意外と荒っぽくて容赦のない言葉を吐きますよね。いつも私の方が常識はずれで乱暴者みたいに言ってくるくせに。
 ――でも、嫌いではないな。
 荒げた声すら嫌ではないなんて。本当にいつの間に。何故なんだろうな。
 そんなことを考えながら、テメノスはそっと意識を手離した。


 雨音が聞こえる部屋でテメノスは目を覚ました。
 ひどく浅い眠りを繰り返していた。頭が重く感じるのは寝不足だろうか。気圧の問題だろうか。たぶん、両方だろう。
 風景がぼやけている。睫毛が濡れている。そのまま枕に擦りつけなかったことにする。これも気のせい。だって、嫌な夢だったけれど悪い夢ではなかった。
 硬い簡易ベッドの上からそろりと身を起こす。窓の外でしとしとと慈雨が降っている。透明度の高い硝子が使われた大きな窓だった。晴れていれば柔らかに陽の光を取り込むその窓が、今は幾筋もの透明な水滴に晒されて泣いているように見えた。
「テメノス?」
 名前を呼ばれて我に返る。窓辺の椅子に腰かけた薬師が、気遣わしげな表情でこちらを見ている。
 テメノスはベッドを降りた。仮眠のつもりだったので服は普段のままだ。軽く整えれば見苦しいとまではいかないだろう。最低限、衣服の皺を伸ばし、絡まった髪を手櫛で抑えつけた。
「おはようございます。……世話をかけます。キャスティ」
「いいえ、とんでもない。むしろ、もっと眠った方がいいくらいよ?」
「どうも歳を取ると早起きになるようで。自然と目が覚めてしまいましてね」
 苦しい言い訳なのは理解していた。テメノス自身が不調を自覚しているのだ。生粋の薬師である彼女がその不調を見抜けないはずもない。いや、薬師でなくとも同じことか。鏡は見ていないが、随分な顔色をしているのだろう。このところの仲間たちはテメノスを見るなり、睡眠や食事を勧めてくるのだから。察せないほど愚鈍ではないつもりだ。
 平素であったなら、キャスティはベッドに縛りつけてでもテメノスを寝床に押し戻したに違いない。しかし、彼女は神妙な面持ちでテメノスの顔を観察すると、椅子から立ち上がり、その場所を譲ってくれる。
「薬湯を淹れるわ。それから朝食も戴いてくるから、それは必ず食べること。いいわね?」
……恩に着ます」
 最大限、譲歩してくれる彼女には頭が上がらない。ちらり、と椅子の隣に備え付けられた幅広のベッドに目を遣ってから、彼女は静かに背を向けた。
 彼女と交代して椅子に座ったテメノスはベッドの上に視線を落とす。
 晴れた真昼には眩しいほどの陽光が降り注ぎ、夜には中天に輝く月と星を拝むことができる。雨の日だって新緑を誇る木々と遠くに色づく花々が笑っているかのように見えて賑やかだ。でも、そんな立派な窓の脇に誂えられた立派なベッドの住人は、一度もこの窓の外を見たことがない。
 鍛えられていた体躯がやや痩せてしまったように感じる。肌の色だって外に出ていないから元より白く、血色がいいとは言い難い。病衣代わりのガウンから覗く幾重にも巻かれた包帯が見た目の儚さに拍車をかける。その胸板が規則正しく上下していることが救いだった。
 水桶に沈められたタオルを絞り、首回りを撫でる。ついでに頬と耳の後ろ、金糸の前髪を掻き上げて額も。優しく、優しく、身体を清める。さすがに洗うことは叶わないが、目が覚めたとき、少しでも不快感がないといい。
 下がった眉をなぞり、頑なに閉じられた瞼をタオルで慰撫する。この瞼の向こうの青玉が窓の外を見つめたら、どんな反応が返ってくるだろう。子どものように煌めかせてくれるのだろうか。それとも案外、冷静に枝葉の裏や死角を警戒したりするのだろうか。
 最後に艶を失ってしまった髪を拭い、タオルを水桶に戻した。後で水もタオルも換えなければ。できるだけ清潔に保っていたい。荒れてしまった唇に指を翳し、感じる呼気にほっと胸を撫で下ろす。
 すっかり馴れてしまった朝の支度を終え、テメノスは眠った彼にいつも通りの言葉を落とす。
「おはよう、クリック君」
 返ってくるべき言葉はなく、ただ、雨音だけが二人きりの部屋を包んでいた。

翠色すいしょくのゆりかご】