河童の皿箱
2024-06-10 21:07:44
1993文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

雨音

エリーティアがラズラを追いかけるだけ

 灰色のふわふわな雲が空に広がり、その背に日を受けながら淡く光を、あまねく地上へと降らす。平原へ舞い降りる明かりに庭園を手入れする魔法使いたちがふと空を見上げれば、その頬にポツリ、またポツリ。あぁ、雨だ。そうだった、早く仕舞わないと。魔法使いたちや妖精が慌ただしく、乾燥のために出していた収穫物をあれやこれやとしている様を、香水を買いに来た少女がひとり、木造の軒下で眺めていた。ふと、少女は空を見上げては、そっと目を閉じて雨音に耳を澄ます。
 大地から力を得た紫陽花たちが、その花びらを薄緑から、青に赤にと変える頃。雨雲はふわりふわりとやってきて、地上に雨を恵む。かくいう少女もその花々や空のように、たわわに咲いた花玉をそっとストールにあしらって、大きく広がるスカートは、淑やかに降る雨の色やその奥で澄み渡る青空と同じ色。
 少女は名をエリーティアと云う。数ある天界のひとつ、ドレミ界に君臨せし音楽の神に仕えし天使が一柱であり、度々地上やあちこちに赴いては、連れ立つ妖精とコントラバスの響きにて、世界に恵みを齎すものである。はて、そんな大仰な使命や肩書はさておいて、少女は雨空に、ドレミ界とはまた別の天界に住む友の姿を思い描いていた。そして、会いたいなぁ、と。
 いやいや、今行ったらきっと迷惑になる。だって、あの子はお仕事をしているんだもの。少女は首を振って気持ちをどこかへ追いやろうとするけれど、それでも会いに行きたい気持ちは鳴りを潜めることもなかった。どうしよう……。迷う少女に、少女の心に住む夕日の色が、愛する姉妹でもある快活な天使達が、少女に囁く。会いに行っちゃえ! 飛び込んでみればわかるって! けれど少女は、どうにも踏ん切りがつかない。気付けば隣には店主たる女が立っていた。エリーティアちゃん、恵みの雨の季節だもの。大忙しでも、きっとあの子も待ってるわ、と。少女に傘を1つ差し出せば、少女は少し考え、けれど頷き、いつでも空と同じ色の傘をさす。行ってらっしゃい。店主が手を振れば、少女は応える。ありがとうございます、マジョラムさん。ちゃんと返しに行きますね、と。

 ぱらぱらと降る雨が地上をすっかり濡らして回り、土の香りがふわりと漂う。ふわふわの雨雲を追いかけて、少女は歩き続ける。袖が濡れても、裾が濡れても何のその。少女の足取りは軽く、時折雲の在りかを見上げては、一生懸命に声を張り上げて、けれどどうにも声が小さく、雲には声が届かない。それでも、それでもと、少女は小さな声を張り上げて、おーい、おーいと声をあげた。
 そうしてしばらく経ったけれど、やっぱり声は届いてないよう。どうしよう、と少女がふと立ち止まると、辿り着いたのは小さなお池。ぷかっと浮かんだ葉の上に、ぴょんと飛び乗る小さなカエル。けろけろ、げろげろ、けっけっけ。次第に始まる大合唱に、少女はポンと手を叩いては、腰に刺した指揮棒を手に取った。
 けろけろ、げろっげ、けっけろけ。カエルたちのリズムに合わせて指揮をとれば、少女に似た姿の小さな妖精が、虹色の雲を纏ったコントラバスに弓を当て、低い音がヴォンと鳴る。小さな体に小さな弓に、けれど決して小さくはないその旋律に、カエルたちもまた負けじとけろりん。コントラバスのバリトンと、カエルの歌声が空へと昇れば、雨雲はふと立ち止まる。そこから覗いた小さなお顔と、しずくのような大きなおさげ。少女は今度こそ、と手を振って、しかし小さな声を張り上げた。
 ふわっと降りてきた雨雲。それに乗っていたのは、水色のインクがたっぷりと入った大きなペンを携えて、雨雲を描く妖精……もとい、大きな雫の様なおさげの少女である。その姿を見て、ラズラちゃん、会いに来たよ、と少女が微笑んだ。すると、雨の妖精もまた微笑む。呼んでくれてありがとう、と。葉の上からぴょこんと飛び出した1匹のカエルに、あなたにもありがとう。おかげでラズラちゃんを呼び止められました。少女が頭を下げると、カエルたちはゲコゲコ鳴いて、池へと飛び込んでいった。
 じゃあ、行こう、エリーティアちゃん。今日はもっともっと遠くに行くんだよ。雨の妖精が少女の手を取って雨雲に招けば、雨雲はまたふわり、空へと浮かんでいく。

 ほどなくして、人々の住む世界に、ふたつの恵みが降り注いだ。雨と音。窓を叩いた雨音に、窓辺へ招かれた人々が空を見上げれば。そうだ、絵を描いてみよう。そうだ、笛を吹いてみよう。そうだ、今日はこのまま聞いてみよう、と。けれど雨雲の上では、妖精がペンを中空に滑らせて、天使がコントラバスを奏でる。ついつい歌を歌い、ふとした時に色を見つけ、そっと降り立っては花を愛で。大きな使命を背負った、けれど天真爛漫な少女たちが、それゆけそれゆけ、ここぞとばかりにはしゃいでは、また紫陽花がひとつ、花開いた。