きなこ湯
2024-06-09 20:07:48
1583文字
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砂糖菓子ひとつ

 黒蜜わらび餅を食べる独神を眺めるトールの話。
 文字書き向け性癖パネル(事前に好きなシチュエーションを4つ用意し、詳細を伏せて番号とキャラクター名やCPを指定してもらう遊び)の③番、「被捕食関係/キュートアグレッション」より。

「おっと」
 小さな口に入りきらなかった黒蜜が垂れ、顎を伝って落ちそうになる。トールは手元にあった手拭を掴み、雫が垂れ落ちるより早く受け止めた。砂糖でべたつく口元もそのまま軽く拭ってやる。独神はされるがままに受け入れていたが、眉根を寄せてわずかに不満げな表情を浮かべていた。
「はは。そんなにむくれなくても、子供扱いしているわけじゃないぞ」
 トールが弁解を含ませながら笑って誤魔化すと、匙を持っていない右手がこつこつと机を叩いた。
 春とするには蒸し暑く、夏とするにはまだ過ごし易い。梅雨入り前のオノゴロ島は中途半端な気候である。今から氷を齧っているようでは夏本番など到底迎えられそうにないが、うなじに薄ら汗の滲む湿気には憂鬱とさせられた。うんと冷やしたわらび餅を匙の先でつつきながら、独神は小さなくちびるを尖らせた。
 その心根を汲んだように、トールが神妙な顔でつぶやく。
「今年も暑くなるんだろうか」
 元来極北の地にある神らしく、ヤヲロズの蒸し暑さには辟易としているらしかった。骨の芯まで冷えきる冬の厳しさとどチラがましだろうか。独神はそんなことを何となく考え、やめた。少なくとも自分を縛る役目がある限り、独神が海を渡ることはない。その向こうに尽きぬ憧れが眠っているとて、目の前にある事実ばかりは動かせそうになかった。
 ぼんやり匙を動かしていたせいで、その先から柄を伝って黒蜜が垂れる。作り物の右手と違い、利き手の左手にはまだ人肌の感触があった。黒蜜がとろりと指先に垂れ、独神ははっとして翡翠の両眼を見開く。
 こつ、こつと右の指先で机を叩き、トールが握ったままの手拭を手渡すよう促す。口の利けない身体にとって、その仕草は名前も呼ぶも同然だったが、トールは何の返事も寄越さなかった。いや違う。凝視している。垂れ落ちる黒蜜を。独神の指先を。
 わずかに嫌な予感が忍び寄り、独神はトールを呼び止めることをやめた。手を洗って来ようと立ち上がったところで――否、立ち上がろうとしたところで、トールが素早く彼女の左手を掴む。独神はぎょっと肩を竦めたが、制止の声は出ない。声などどこにも通らない。
 ぐい、と無遠慮に引き寄せられれば抵抗の余地などない。振り上げられた拳を収める弁舌の豊かさはあれど、彼女の片手は口と同じ役割を果たす。はじめから力づくで来られれば、対処のしようがない。
 べろ、と、熱いものが皮膚を這う。
 薄いくちびるの隙間から覗く白い歯がかすめ、本能的な恐怖が背筋を凍らせた。

――いだっ⁉」
 不意に、目の前にあった金髪が大きく揺れた。
 いつの間にやら背後に立っていたロキが、片手を腰にあて、もう片方の手に丸められた冊子を握り、平べったい眼でトールのつむじを見下ろしている。
「なにやってんの」
「なっ……、ロキ⁉ なんだよ、いきなり」
「それはこっちの台詞なんだけど?」大きく嘆息し、丸めた冊子でぽんぽんと自分の肩を叩いた。「自分がなにやってたのか、ほんとにわかってねーの」
……何? 何って――
 色素の薄い瞳が怪訝そうにロキを見上げ、それから目の前にある独神の顔を見返し――ぴしりと硬直した。
「あ、ある、主さん」
 トールが震える声でつぶやいた瞬間、独神はその手を振り払い、一も二もなく逃げ出した。脱兎の如く部屋を飛び出す背中を呆然と見送り、トールはがっくりと肩を落とす。
「や、やってしまった……
……いちおー訊いてやるけど。なんであんなことしたわけ?」
「いや、その」骨張った手を握り込みながら、たどたどしくつぶやく。「なんだか、すごく――美味しそうに見えたんだ」
……、あっそ」
 あの黒蜜が? なんて尋ねるのは野暮だろう。ロキは丸めた冊子を適当に放り投げ、身に覚えのない危機に襲われた独神を心の底から憐れんだ。