左肩が弾け、それから撃たれたのだと気が付いた。射手の姿は見えない。死角から。狙撃だ。射線の先を辿ろうと顔を上げたところで、視界を何かが覆い隠した。横から体当たりするような勢いで押し退けられ、射線が物陰に隠れる。背中を柱の壁に、目の前は自分に覆い被さる人間の上半身に挟まれていた。思わず息を詰めるような至近距離で、鼻先が相手の胸元に埋まる。足元に古銃が落ちていた。拾わなくては、と思う。ペンシルヴァニアが落ちて。
「じっとしていてくれ」
ペンシルヴァニアの低い声が頭上から降ってきた。普段の物腰穏やかな雰囲気からは遠く、切羽詰まった粗削りな言葉だ。
「――あそこだ! 右手後方三百メートル! 野郎、生かしちゃおかねぇ――」
視界の外からケンタッキーの声が聞こえてくる。姿は見えない。私は慌てて声を張り上げた。「ケンタッキー! ダメ!」
発砲音は続かなかった。絶対高貴が光を帯びる気配もない。安堵の息を吐くと、私を柱の影に押し付けるペンシルヴァニアが少しだけ目の前から退いた。ヘーゼル色の瞳は変わらず鋭い光を宿していたが、こちらを見下ろす視線には静かな困惑が見える。追って、別の物陰に隠れるケンタッキーの姿が見えた。
「ダメって……なんで⁉ あいつ、マスターを撃ちやがったんっすよ! 逃げられる前に……」
「裂傷が浅い。絶対高貴はダメだ」
「――ッ、」鮮やかなピンク色の瞳がまるくなり、悔しそうに唇を噛む。「……了解です、マスター。俺が軽率だった」
「まずは傷の手当てを」
ペンシルヴァニアが静かに言うと、ケンタッキーも頷いた。タイミングを合わせて建物の中に滑り込む。負傷したのは私ひとりだけだ。よかった、と心の内で思う。
血の滲んだ上着を脱ぎ、肩口のシャツを軽く裂く。銃弾は残っていない。指先を動かすだけで腕の筋に激痛が走る。傷口に破片等が入り込んでいないことを確認し、ペンシルヴァニアが手早く止血してくれたが、左腕がうまく持ち上がらない。ひとまず応急処置を終えたところで、私は右手の手袋を口で噛んで脱ぎ捨てた。そのまま包帯の結び目も噛み千切る。裂傷はすっかり手の甲に収まり、綺麗な薔薇の形をしている。
ペンシルヴァニアとケンタッキーは複雑そうな表情で顔を見合わせた。
「スプリングと分断されたのは痛かったな。せめて向こうで交戦になっていれば……」
「いや、向こうにはジーグブルートもいる。アウトレイジャーが出てこない限り、ある程度なら通常火力で応戦できるよ」
「あの野郎なら絶対非道を使うんじゃないっすか?」
「使わない。分断される前は裂傷の進度も深かった」
考える。ジーグブルートとスプリングフィールドは、アウトレイジャーの出現と弾切れ以外に絶対非道を使わない。そもそも、裂傷の進度を踏まえてペンシルヴァニアとケンタッキーの同行が後から決まった任務だ。アウトレイジャーの出没は万が一の想定であり、あくまでトルレ・シャフの構成員と思しき人物の捕縛が最終目的である。ただ、向こうには狙撃手がいる――
建物に逃げ込んだ姿は見ただろう。追撃はなかった。つまり、この建物の中で仕留める気ということだ。迂闊には動けない。
考えられるパターンはいくつかある。私が狙撃されること。ペンシルヴァニア、ケンタッキーの銃が破壊されること。二人が狙撃されること――いや、こうなれば逆に好機か。裂傷は怪我の治療でも進行するから、そうすれば二人も絶対高貴を使え……、いや、これは、ダメだ。ダメに決まっている。頭が回らない。失血のせいだろうか。こんなことを考えている場合じゃないのに。
「マスター」
ハッと顔を上げる。まっすぐこちらを見下ろすペンシルヴァニアの顔を見返して、罪悪感が舌の上に苦く滲む。二人を使い潰すような戦い方はしたくない。それを許すわけにはいかない。だが、一瞬でもそれを考えたのは私だった。視線を逸らすのは違うと思ったが、自分が酷い表情をしている自覚もあった。何か言わなければ。口を開いて、言葉が出てこない。
ペンシルヴァニアはヘーゼルの目を薄く細め、大きな手で私の右手を持ち上げた。乾いた唇が指先に触れる。
「大丈夫だ。俺たちを信じてくれ。あんたは星に守られている」
ふ、と微笑んで囁く声は穏やかで、根拠のない言葉をそのまま信じそうになる。すると、視界の外からケンタッキーがむんずと割り込んできた。ペンシルヴァニアから私の右手を取り上げ、威嚇するような勢いで声を張り上げる。
「このバカアホスカポンタン野郎! マスターに気安くベタベタ触るんじゃねえーッ!」
「ケンタッキーも触っているのにか?」
「ちげーよッ! 俺が言いたいのは、その」そこで言葉は勢いを失い、わざとらしい咳払いで閉じられる。「いいから、アンタはすっこんでろっつの!」
荒げた声こそ激しいものの、右手を握る力は弱く、配慮されているとすぐにわかる。ケンタッキーは気まずそうな表情でこちらを振り返り、少し視線をさ迷わせた後、やはりまっすぐに視線を合わせた。
「マスター。あなたのことは、俺たちが絶対守るんで。これ以上、どんなヤツにも傷付けさせやしねえっすよ」
まっすぐな。迷いのない。混じり気のない言葉だ。肺の奥に詰まった、泥のような息を吐き出す。二人は私を信じてくれている。私が信じなくてどうする。
「わかった」
命を預けると口で言ってみせるなら、その通りに実行するべきだ。
「二人に私の命、ぜんぶ預ける。二人のこと、信じてる」
ケンタッキーが嬉しそうに笑った。ペンシルヴァニアも静かに頷く。
「任せてください。俺たち、こう見えて狙撃手の先輩なんで。礼儀知らずな連中に泡吹かせてやりますよ!」
「そうだな。――俺たちは、一発だって外しはしない」
ヘーゼルの瞳が鋭い光を宿す。狩人の目だ。
二人にしてみれば、先の狙撃はお粗末なものに違いない。濃い死の影が自分たちのすぐ傍まで忍び寄っている気配を感じながら、その死線を踏むのは私たちではなく顔も知らぬ射手であろうと、妙に冷えた予感が手のひらに触れたような気がした。
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