唇が触れる寸前、彼女は素早く手を挟んだ。至近距離から見下ろす両眼は驚いたようにまるく見開かれ、それから困惑の色がじわじわと広がってゆく。透明な水にインクを一滴落としたように、音もなく静かな困惑だ。その目に映る自分の表情からゆるゆると温度が引いてゆくのが見えた、そんな気がした。
驚き。困惑。それは俺も同じだ。しばらくそのままの姿勢で瞬きをして、ようやくわずかな苛立ちが追いついてくる。
「……なんで?」
そうつぶやいた声が低く、不機嫌そうで、まだ冷静な自分がまずいと思う。これではまるで相手を責め立てるような言葉だ。いや、俺の疑問が完全に間違っているとも思わないのだが。キスを拒まれた時点で彼女の〝答え〟なんて明白かもしれないが、しかし。
追加で文句を言おうとすると、唇に触れる手のひらがびくりと震えた。
「そ、の……」
消え入りそうな声が続かないことをしばらく待ち、俺を拒んだ華奢な手首を掴む。今さら逃げるなよと牽制の意を込めて目を細め、柔い手のひらにそうとわかりやすく口付けた。手首付近にまで伸びる新しい傷口を消毒したばかりの右手からは、粘膜にツンと刺さるようなアルコールの匂いに紛れ、酩酊しそうな血の匂いが混じっていた。
「俺に触れられるのが嫌なら、さっさと抵抗しろよ」
「いやじゃない」
「はぁ?」
「……ライク・ツーに触られるのが、嫌ってわけじゃないよ」
「じゃあ」
なんで拒んだ。
言外に不満を含ませてその顔を見下ろすと、普段は邪気のない目をする迷いのない瞳が左右にうろたえた。少なくとも弁明の言葉なくこの手は離してやらない、そう示すように指先へ唇を寄せると、彼女はようやく喉から声を絞り出した。
「せ、生徒同士の交際は禁止だよ」
もう一度触れてやろうとした唇が、思わずピタリと止まる。
「いや、お前……」
目の前にある生真面目そうな顔をまっすぐ見下ろし、返す言葉に詰まった。息を呑む。そんなこと、と一蹴しそうになってから、そういうことを見過ごさないからお前らしい、とも納得する。
「――お前、今さら逃げられるとでも思ってんの」
低い声でつぶやくと、頼りなくさ迷っていた視線がパッと交わる。まっすぐ俺を見上げる瞳がこちらをじっと見返した。
「貴銃士が一般生徒の枠に入るわけねぇだろ」
「へ、へりくつ……」
「じゃない。それに、どうせ今年卒業だろ。そうしたら早いも遅いもねぇし」
俺はお前のものなんだから。
しばらく彼女の顔を見返すも、返事はない。ただ、開きっぱなしだった手のひらがゆるく握り込まれた。伏せた睫毛がかすかに震えている。額を擦り合わせると、お互いの前髪がくしゃりと混ざった。まぶたがゆっくりと閉じる。二度目、手は挟まれなかった。
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